夢と希望と

そして力と意志と覚悟があるなら、きっと何でも出来る。

世界樹の迷宮

2008-02-17 | 中身

 タイトルにある「世界樹の迷宮」というのはDS用ゲームソフトでして、私のお気に入りの一つです。今度の木曜日に続編が発売される予定で、今から大変わくわくしています。
 このゲームは個人的にとても好きなのですけれど、残念ながら決して万人向けとはいえない代物。好きな人は熱狂的にハマり、嫌いな人は全く受け付けない、というように評価が真っ二つに分かれるようです。
 詳細な情報は
http://sekaiju.atlus.co.jp/index.html
http://s2.atlusnet.jp/index.html
 の公式サイトを御覧頂くとして、此処では手っ取り早く皆様が「世界樹の迷宮」に対する適性を持っていらっしゃるかどうか簡単なチェックを行ってみましょう。

・「ウィザードリィ」シリーズが好き
・古代祐三氏のサウンドが好き
・ゲームブック的な突き放したテキストが好き
・難易度は手強い方が好き
・自分でマッピングするのが好き
・壮大緻密な一本道シナリオよりも自分の胸の中で膨らませる事が出来る物語が好き
・キャラクタの育成も自由度が高い方が好き
・キャラクタは勿論可愛い方が好き
・「プリンセスクラウン」のグラドリエルが好き

 上記9項目の内、4つ以上該当するようなら適性をお持ちかと思われます。まともにプレイすると結構時間を喰われるゲームですが面白い事は私が折り紙を付けますので、もしも宜しければお試し下さいませ。
 ちなみにコレのサントラはPC-8801 FM音源だったりします。古代祐三氏と併せて特に万里にはお勧めかも、です。


苦手な事

2008-02-12 | 中身
 闘争の才能を持つと公言して憚らない私ですけれど、当然ながら苦手な事は沢山あります。苦手な事に対して闘争を行わないのか、という御指摘を受けそうですが……不向きな事には手を出さないというのも戦術なのです。才能が無い分野に無理に手を出す等という愚行は、失敗してとんでもない目に遭う事を覚悟して臨むべきであり、その覚悟を決めるに値しないと判断した事象は綺麗さっぱり斬り捨てる事が肝要だと私は考えています。
 そんな訳で、私が才能を持たない分野について益体もない事を書き連ねてみましょう。

・飲酒
 お酒は、飲む事は一応可能ですが全く美味しいと思えません。更にアルコールには極度に弱い体質のようで、あっという間に前後不覚に陥る事が多く、ここ数年一滴たりとも口にしていません。そもそも、わざわざお酒なんか飲んで自分の身体をまともでない状態に持って行く事に意義が見い出せなかったりもします。
 酔わないと言えない事もあるとか聞きますが、お酒の力を借りて精神に麻酔をかけなければ言いたい事も言えないような腑抜けにはなりたくないものです。

・煙草
 学生時代に一度吸った事がありますが、何が美味しいのか微塵も解りませんでした。ニコチンには依存性があるので吸い続ければ変わってくるのでしょうけれど、何が悲しくて自分を麻薬中毒にしなければならないのやら。
 煙草を吸うと落ち着くとか頭が冴えるとか聞きますが、精神なんて自分の意志で落ち着かせれば良い事であり、ドーピングしなければ役に立たないような頭は既に廃棄物だと思いますので。

・車の運転
 18の時に免許はとりましたが、一週間程で自分に運転の才能が無い事を悟り、一度も更新せず失効させました。私は注意力を一時的に高いレベルに保つ事は結構得意ですけれど、ある程度のレベルで長時間持続させるという事が致命的に苦手なのです。たとえば怒首領蜂をワンコインクリアする事は出来ますがノーミスクリアは不可能で、ほぼ確実に自機を二つ失うタイプ。シューティングゲームならミスしても別に問題ありませんが、自動車というエンジンを積んだ鉄塊を操ってミスをすると洒落になりません。自分を壊しても他人を壊しても面倒な事になりますから、それならば運転なんてしないと決めました。
 ですから、自動車を運転する方々に対して私は結構大きな敬意を抱いています。他人を殺傷する目的の機械ならば兎も角、平穏無事に移動する為の機械を何事もなく操縦し続けるというのは、本当に立派な才能だと思います。

・腕を組んで歩く
 これは他人と手を繋いだり腕を組んだりして歩く、という事です。歩くという行為は人それぞれに癖があり、重心の移動一つをとっても千差万別。故に自分のペースで好き勝手に歩く方が楽なのは当然の事で、他人と身体の一部を密着させて歩くというのは、私にとって非常にストレスのかかる行為だったりします。相手の動きを先読みしつつ、その挙動に呼吸を合わせて互いに邪魔にならないように身体を動かすなんていう芸当は、私の場合30分程度が限界です。無論、そんな事をしても全く嬉しくありませんから相手が誰であろうと遠慮したいもの。
 しかし世のカップルの皆様を拝見する限り、ぎこちなさ等を感じさせる事なく実に自然に寄り添い歩いていらっしゃって……あれは掛け値無しに高い身体能力だなぁ、と常々感心している次第です。
 
・キレる
 まかり間違っても人格者と呼ばれるような人間ではありませんから、怒ったり悲しんだりは日常茶飯事です。しかし記憶にある限り、俗に言う「キレた」という経験は一度もありません。目眩がする程に怒りはしても、それはあくまでも自分の意志で怒っているのであり、自らの精神によりコントロールが可能。手近な物を反射的に相手に投げつけてしまったり、意識が消失して気がつけば相手を殴っていたり、そういうオートマチックな状況に陥る事が出来ません。
 これは冷静と言えば聞こえは良く利点でもありますが、判断を待たず迅速な対処が可能な反射的行動が有効な局面というのも存在する訳で、適宜使い分け可能な事が理想的。そういう意味で私は行動様式が片手落ちであり、緊急時の対応力に劣ります。キレてばかりの山猿や、キレたふりばかり得意な子供は問題外ですが、生物としての根源的な力を備えておく事は無駄ではないと思う次第です。

・空気に従う
 一般的に言う所の「空気を読む」というヤツです。別に読めていないつもりはなく、読んでも従う義理は無いと考えるだけの事ですけれど……まぁ結果としては全く同じですね。「空気を読め」というのはイコール「空気に従え」という意味であり、要するに波風を立てずに長いものに巻かれ、付和雷同を旨として自己主張せず、その場における多数派に媚びへつらい自己を滅して行動せよという事なのですから。
 出る杭を打ち異物を排除し多数派に埋もれる事を美徳とする価値観なんて反吐が出ますが、この反吐を我慢出来るか否かが「空気に従う」事が出来るか否か、という事なのではないかと考えます。我慢している方々にしてみれば、「私達が我慢しているのに勝手放題しやがって」という気分になるのも自然な感情でしょうから、「空気に従わない不逞の輩」は許せないのかも知れません。何れにしても随分とマゾヒスティックな趣味であり才能だなぁと感じますが、これは全く羨ましく無い才能です。

・オチをつける
 理論を構築したり何かについて語る事は結構好きなのですが、小気味良いオチで〆る事が苦手です。終わり良ければ何とやら、と言いますようにオチは非常に大切なものであり、これが苦手というのは大問題。ただでさえ偏屈で理屈っぽく可愛気も協調性もないのに、面白味もないのでは目も当てられません。これは覚悟を決めて何とかしないといけません、ね。