夢と希望と

そして力と意志と覚悟があるなら、きっと何でも出来る。

強くある、という事。

2013-06-09 | 中身
 友人に勧められた「3月のライオン」を8巻まで読了しました。才気に恵まれながらも心根が惰弱な17歳の棋士の物語です。
 主人公に強靱な精神を与えると、大抵の場合「物語」として成立しなくなります。たとえば主人公が私のようにおよそ全ての事象を散文的に天秤に掛けて淡々と覚悟を伴わせて処理するなら、そこには迷いも躊躇も後悔も介在する余地は無く、そうであるが故に……そういうシステムではない人々の共感を得る事は極めて至難だからです。そういうモノは襲って殴って殺して奪う、ただそれだけを延々と繰り返す生物の生態の観察記録に過ぎず、「物語」では無いのでしょう。ですから、この物語の主人公の精神が私から眺めて惰弱である事、そのものは特に問題だとも思いませんでした。極々ありふれた、いつも通りの光景である、と。

 ま、ぐだぐだと益体の無い前置きを連ねても詮無き事ですね。何を思ってこんな文章を書き連ねているのかといえば、要するに……その惰弱な心根の主人公の物語に、私の心が幾許か動かされたという事実に少々驚いた故に。そう、心に細波くらいは生じたのです。
 惰弱に共感したのなら、それは私の心の内にも惰弱に通じる何かが存在していたという事。無論、己の心ですからそんな要素は精査すれば焙り出せましたし、そうした弱さは少なくとも私にとっては甘ったれた汚点。徹底的に刺して抉って克服せねばなりませんし、そうしました。
 克己だ何だと気取った聞こえの良い言葉を使う心積もりもなく、あくまでもひたすらに我が侭に、身勝手に、他者の一切を省みる事なく……私は私自身が定義する美しさを目指します。それこそが、強くあるという事だと認識しています。
 こういう輩は傍迷惑な害獣なのでしょう。そして、私は害獣で良い。好きに生きて闘い喰らい負けて死ねばそれで良い。どこまで行っても「私が、私が、私が」の、我尽くしで良い。どうも最近柄にも無くその身勝手の純度に翳りがあったと自覚し、牙と爪を研ぎ直したという、友人知人達への他愛も無い近況報告のようなものです。改まって書くまでもない、これまでと何ら変わり映えのしない報告ではないか、という説もありますけれどね。
コメント
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