ローマの素晴らしさは寛容さにあり、人の素晴らしさは歩み続ける事にあるというユリアヌスの信条には心より同意するのですけれど、ならばキリスト教は言うに及ばずローマ神教さえも不必要であるように私には思えます。己の無知を認識する事と神の前に己の全てを擲つ事は似て非なるモノであり、物であろうと人であろうと神であろうと、己の力以外の何かを心の拠り所とする事は、その時点で既に惰弱である、と。
更に言うなら、金糸の衣服に身を包み供回りを引き連れた宮廷理髪師は確かに無駄ですけれど、アポロン神殿に供える一日百頭の牛も同様に無駄です。折角無駄な支出を省き効率的な統治機構を作成しようという時に、信仰によって徹しきれないとは勿体ない事だと感じました。
そして、一番強烈だったのはエウセビアさん。恋は盲目とは言いますが、嫉妬して離宮に引き籠もってたら好きな人の状況が不利になりましたとか洒落になりません。自分の存在が宮廷においてどれだけユリアヌスの後ろ楯として有益無類であるかを認識し、さっさとエウビウスに適当な難癖を付けて処刑しておいたらなら、どれだけ事が簡単に済んだでしょう。理知的でありながらも完全に理詰めでは行動出来ないところが可愛いと言えばその通りなのでしょうけれど、この辺りは昨今の萌えキャラにも通じる意図的な頭の悪さの香りがして、むぅと唸ってしまいました。
……等と悪態ばかり述べていますが、つまらない作品なら上中下巻を投げ出さずに読み通したりはしません。素敵な叙事詩であると思えばこそ、細かい所が気になってしまうという感じ。久しぶりに読み応えがあり、楽しい思索に誘ってくれる作品でした。