追憶
2007-06-20 | 中身
rickeyさんの6月14日付けの記事「あほのこのこくご」につきましてコメントを書き込もうとしたのですけれど、結構長くなりますし……私のブラコンを余所で晒すのもアレですから此処に記そうと思います。
さて、「自然」の対義語が「人工」であるという問題は少々素直さに欠ける子供ならば大抵はカンに障る代物でして、私も小学生時代にバツを貰い抗議した挙げ句に受け入れられず、憤懣やる方無い思いをしたものです。
両親に話しても相手にされず、猛然と兄に事情を説明した時の事を今でも鮮明に覚えています。
自分の思考がどれだけ理論的に筋道が通っているか、それを認めないどころか議論に応じようともしない大人の対応がどれだけ理不尽であるか、怒り心頭で述べ続ける私に対して……兄は溜息を吐いて言いました。
「醜いな、反吐が出る」
と。
我が意を得たりとばかりに頷き、更に言葉を並べようとした私でしたが、それを遮るように兄は私を睨みました。
「醜いのはお前だよ。そもそも根本的な認識が甘いからそういう愚にもつかない事を口走る。学校のテストは『教えた事を教えられた通りに身に付けているか否か』を試す為の物で、それ以上でもそれ以下でも無い。求められているのは普遍的真実や理論的整合性では無く、文部省や教育委員会の定めた『正解』に合致する答えだ。それが本当に解らないならお前はただの馬鹿だし、解った上で叫いているなら単なる同情乞食に過ぎない」
……えぇ、その通り。その時の私は要するに、誰かに言って欲しかったのです。あなたは間違ってなんかいないよ、と。誰かに認め、同情して欲しかった。今にして思えば真っ赤になる程恥ずかしい、誇りに欠ける態度でした。
「学校のテストという物がそういう性質である以上、幾らお前がお前の理屈を並べて楯突いた所で正解にはならないし、誰に認められる事も無い。その事実を冷徹に認識した上で、それでも自分が正しいとか美しいと思う行動を選択するなら、相応の覚悟が伴わなければならない。逆に言えばその覚悟さえあるなら、他人が何を言おうと結末がどうなろうと受け入れる事が可能だろう。いいか、状況を認識出来ない奴は単なる馬鹿だ。そして認識した状況にただ従う事しか出来ない奴は無能だ。認識して逆らって、そして泣き言を叫いているのが今のお前だが、覚悟が無いなら闘うな。弱い奴が闘えば負けるのは当然、負ければ悔しいのも当然。お前は実力も覚悟も無いのに闘って負けて見苦しく醜態を晒し同情を求めて俺に泣きついている訳だが、そういうのは他をあたれ。敗北を受け入れられず他人の同情の涙で痛みを誤魔化そうなんていう惰弱な奴は生きている意味が無いから何処かで勝手に野垂れ死ね」
なんて言われて、当時の私は悲しいやら悔しいやら。
それ以降、私はテストに限らず自分の納得出来ない事柄に対しては己の矜持と美学に従って対応して、その結果がどのような事態になろうとも、胸を張って受け入れる事にしています。
欲しいのは、誰かの同意や慰めでは無く……自身の内から湧き出る何か、なのですから。
さて、「自然」の対義語が「人工」であるという問題は少々素直さに欠ける子供ならば大抵はカンに障る代物でして、私も小学生時代にバツを貰い抗議した挙げ句に受け入れられず、憤懣やる方無い思いをしたものです。
両親に話しても相手にされず、猛然と兄に事情を説明した時の事を今でも鮮明に覚えています。
自分の思考がどれだけ理論的に筋道が通っているか、それを認めないどころか議論に応じようともしない大人の対応がどれだけ理不尽であるか、怒り心頭で述べ続ける私に対して……兄は溜息を吐いて言いました。
「醜いな、反吐が出る」
と。
我が意を得たりとばかりに頷き、更に言葉を並べようとした私でしたが、それを遮るように兄は私を睨みました。
「醜いのはお前だよ。そもそも根本的な認識が甘いからそういう愚にもつかない事を口走る。学校のテストは『教えた事を教えられた通りに身に付けているか否か』を試す為の物で、それ以上でもそれ以下でも無い。求められているのは普遍的真実や理論的整合性では無く、文部省や教育委員会の定めた『正解』に合致する答えだ。それが本当に解らないならお前はただの馬鹿だし、解った上で叫いているなら単なる同情乞食に過ぎない」
……えぇ、その通り。その時の私は要するに、誰かに言って欲しかったのです。あなたは間違ってなんかいないよ、と。誰かに認め、同情して欲しかった。今にして思えば真っ赤になる程恥ずかしい、誇りに欠ける態度でした。
「学校のテストという物がそういう性質である以上、幾らお前がお前の理屈を並べて楯突いた所で正解にはならないし、誰に認められる事も無い。その事実を冷徹に認識した上で、それでも自分が正しいとか美しいと思う行動を選択するなら、相応の覚悟が伴わなければならない。逆に言えばその覚悟さえあるなら、他人が何を言おうと結末がどうなろうと受け入れる事が可能だろう。いいか、状況を認識出来ない奴は単なる馬鹿だ。そして認識した状況にただ従う事しか出来ない奴は無能だ。認識して逆らって、そして泣き言を叫いているのが今のお前だが、覚悟が無いなら闘うな。弱い奴が闘えば負けるのは当然、負ければ悔しいのも当然。お前は実力も覚悟も無いのに闘って負けて見苦しく醜態を晒し同情を求めて俺に泣きついている訳だが、そういうのは他をあたれ。敗北を受け入れられず他人の同情の涙で痛みを誤魔化そうなんていう惰弱な奴は生きている意味が無いから何処かで勝手に野垂れ死ね」
なんて言われて、当時の私は悲しいやら悔しいやら。
それ以降、私はテストに限らず自分の納得出来ない事柄に対しては己の矜持と美学に従って対応して、その結果がどのような事態になろうとも、胸を張って受け入れる事にしています。
欲しいのは、誰かの同意や慰めでは無く……自身の内から湧き出る何か、なのですから。