夢と希望と

そして力と意志と覚悟があるなら、きっと何でも出来る。

気高く美しい失恋。その1

2018-08-18 | 中身
 ダーリン・イン・ザ・フランキス。
 この作品に私が定義するところの「竜」……つまり強固な自我と、それを貫き通すだけの力を兼ね備えた者は、一人たりとも存在しません。私に言わせれば惰弱な、とても惰弱な精神の者達ばかり。しかしそれでも、惰弱なカスではない者達の物語です。
 どうも世間ではこのダリフラ、エヴァもどきなどと呼ばれてもいるようですけれど、とんでもない。新世紀エヴァンゲリオンなどは、所詮あくまでも優秀なパッチワーク職人に過ぎない庵野秀明が、人間への諦観と反吐の出る甘えを基に造り上げた唾臭い代物。一方でこの作品は、人間という生命体への愛と希望が根底にあります。そのような意味で比較されこそしても、エヴァの模倣だなどとは見当違いも甚だしいと申し上げる他ありません。
 そんなこんなで今回はこのダーリン・イン・ザ・フランキスという物語の中から、特に「イチゴの恋」について述べてみる事にいたします。
 第15話において、イチゴは失恋しました。それは私が知る限りの創作物において、最も強く気高く美しい失恋の一つでした。


 化石燃料の枯渇後に人類が発見し、エネルギー革命を引き起こしたマグマ燃料、それに惹かれるように現れる謎の存在、叫竜。叫竜と闘う為の人型機動兵器フランクスの操縦者、パラサイトとして育成されてきた「コドモ」たちの実態は、パイロットと言うよりは単なる生体部品でした。それも幾らでも換えのきく消耗品のような扱いです。
 故に反抗の芽となりかねず戦闘でもノイズとなり得る感情の類いは、フランクスの起動に必要な最小限度しか与えられず、理知的に従順に「オトナ」の為に闘って死ぬ事を誇りと感じるように育てられます。

 ところが主人公達、第十三都市のコドモ達のみは実験個体群として、ある程度の感情の自由を許容され育成されました。
 とはいえ彼等も恋愛という概念を教えられませんでしたから、それぞれの胸にある誰かへの好意に、明確な輪郭を持たせる事は容易ではありませんでした。
 そのような環境下で、イチゴは第1話からというか、幼少期よりずっと一途にヒロを想い続けていました。イチゴにとってヒロは、オトナ達から割り振られたCode:015ではなくイチゴという名を自分に与えてくれたゴッドファーザーであり、瑞々しい感性と知識、そして確かな実力を備えた文字通りのヒーローでした。イチゴにとってヒロは憧れの相手。その傍らに居られる自分である事を、それだけを彼女は望んできました。

 転機は、幼少期にヒロが過酷な境遇にあるCode:002と邂逅した事により訪れます。
 叫竜の血をひくというその幼女は、赤い皮膚に赤い角、青い血液を持つという一目瞭然の人外。ヒロはこのCode:002にゼロツーという名を与え、実験施設から救出して二人で逃亡するという暴挙に出ました。
 そもそも、この世界におけるコドモとはオトナに対して従順で、反抗などしないもの。ましてや貴重極まりない研究資材を奪取して逃亡など、思いも寄らぬ事です。だからこそのセキュリティ面の不備もあり、脱出そのものには成功しましたが、しかしいつまでも逃げおおせる事などできよう筈もありません。やがて二人は捕縛され、該当記憶を消去されます。
 この逃避行において、ゼロツーの脚の怪我をヒロが舐めた事により、叫竜の青い血が彼の体内に取り込まれました。
 そして血が混じった事により、これ以降ヒロはそれまで神童扱いされる程に優秀であったフランクスに搭乗する為の適性値が低下の一途を辿り、物語開始の第1話の時点で起動不可能なレベルになってしまいます。

 フランクスの生体部品としての価値を失ったヒロでしたが、叫竜の血が混入した特殊検体としてデータを取る為に剪定対象とされず、部隊に残る事を許可されました。しかし、フランクスに乗ってオトナの為に闘う事のみを存在意義として育てられたわけですから、その精神状態は暗鬱を極めます。
 フランクスに乗れない自分に居場所などない、飛べない鳥は死を迎えるだけ。それは「コドモ」としては至極当然の思考であり、だからこそ誰にも救い得ぬものでした。イチゴはそんなヒロの再起を信じつつ、慰め受け入れ共に在りたいと願いましたけれども、ヒロにとってなんら根本的な解決にはなりません。

 そんな時、ヒロの前に、成長し幾分かは人間のように見えなくもない容姿となったゼロツーが現れました。
 互いに、互いがあの時の逃避行の相手だとは認識していません。ヒロの記憶は消去されていますし、ゼロツーの記憶は彼女の強固な精神による抵抗で完全な消去に至ってはいませんでしたけれども、よもや目の前の相手があの時の救い手だとは思い至りませんでした。
 さて、少女となったゼロツーは優秀極まりない雌式操縦者ピスティルですが、戦闘の際に雄式操縦者ステイメンの命を比喩ではなく実際に吸います。彼女のフランクス、極楽鳥花の名を冠するストレリチアに同乗し、3度目の戦闘から生還したステイメンは皆無。これまでに100人以上のステイメンの命を喰らい、使い潰したその屍の上に、ゼロツーの尋常ならざる戦果は燦然と輝いているのです。
 そんなパートナー殺しの異名を取るゼロツーは、戦闘中にまたもステイメンの命を使いきり、それでもなお単独で無理矢理フランクスを駆り闘います。くたばったステイメンの死体をコクピットの外に投げ捨てたその時、居合わせたヒロはゼロツーに自分を乗せて欲しいと懇願し、ゼロツーはそれを受け入れました。
 フランクス操縦適性を失っていたヒロでしたが、混ざった血の本来の持ち主である為か、ともあれゼロツーとはコネクトする事ができました。
 ゼロツーとなら、自分は飛べる。オトナの為に闘える。彼の中から失われていた自身の存在意義が蘇り、高揚する精神。3度目までに死ぬとして、それがどうしたというのか。飛べないまま、何もできずただ死を待つだけの命より、それはどれほど素晴らしい事か。

 しかし、ヒロのそんな思いと裏腹に、イチゴの胸中は乱れに乱れます。
 絢爛ながらも血塗られた凶状持ちのゼロツーは存在そのものが異物ですし、ましてやその異物が己の想い人を喰らい尽くそうとロックオンしています。
 このままでは、ヒロは死ぬ。パートナー殺しのゼロツーに命を使い捨てられて死ぬ。
 この時点でイチゴにとって「オトナ達の為に闘って死ぬ」という刷り込まれた価値観よりも、ヒロの命が重いわけです。どのみちオトナは、無用の役立たずをいつまでも生かしておくような事はしませんけれども……「いつか訪れる死」と「あと2回以内に必ず訪れるとされている死」では、後者をより忌避するのも理に適った心情と理解できます。
 ヒロをこれ以上ゼロツーと乗せるわけにはいかない。かと言って、このままでは遠からず剪定対象となってしまう。
 ヒロを救うためにはどうすれば良い?それは、ヒロがゼロツー以外ともフランクスに乗れると示すしかない。
 誰が?そんなのは決まっている、自分が。
 そんなタイミングで。ストレリチアを動かせたヒロに対し、作戦本部はチャンスを与えます。フランクス起動実験として模擬戦を命じたのです。
 その起動実験のパートナーとして名乗りを上げたのは、言うまでもなくイチゴでした。

 イチゴと彼女のフランクス、飛燕草の名を冠するデルフィニウムにはゴローというステイメンが居ますが、所詮ゴローへの思いは友人や仲間に対する好意であって男女の愛ではありません。フランクスは基本的にピスティルとステイメンが揃わなければ動きませんから必要な存在ではあり、ヒロの事となると冷静さを失う自分をサポートしてくれる事に感謝もしています。
 ただ……判断の天秤において最も重い価値の分銅は何かと問われれば、イチゴにとってそれは間違いなくヒロなのです。それも二位以下の分銅の総和よりも重い、唯一無二の特別な存在として。
 自分がヒロと乗れるのであればゴローがあぶれる事になり、外部から新たなピスティルを補充しない限り第13部隊のステイメンの誰かは余る訳ですけれども、この時のイチゴにとってヒロを救うという目的の前には些細な事象に過ぎません。

 ところが、イチゴのデルフィニウムはヒロとのコネクトに成功したのも束の間、直後にヒロ側のコネクト値が急低下して機能停止してしまいます。
 ゼロツーと乗った時と何が違うのか、ヒロと共に模擬戦の最中に原因を探るイチゴ。ヒロの口から出たのは、「あの時、ゼロツーにキスされた」というものでした。
 キスという行為に関する知識は、戦闘に全く不要なものですからコドモ達に与えられていません。唇を重ね合わせる、それがどのような意味を持つのか互いに理解していません。それでも本能的にその行為にイチゴの胸は昂ぶり、嫉妬を滲ませながら自分もすると宣言します。
 憧れ続けたヒロとのキス。なにしろ見たことも聞いたこともなかった行為を伝聞で行うわけですから、たどたどしい事この上なく、しかも模擬戦の途中で落ち着いてできよう筈もありません。
 結局このキスは何の効果も発揮せず、イチゴがやるせない気持ちを爆発させて、ピスティル一人で無理矢理機体をコントロールするスタンピードモードを発動させて模擬戦は相討ちに持ち込みました。とはいえ模擬戦の勝敗以前の問題として、ヒロのフランクス操縦適性の欠如を再度示してしまう形になったわけで、イチゴは自分自身を強く責めます。
 フランクスに搭乗して闘う事はオトナから与えられた絶対的な使命であって、誰と乗るのかも含めてコドモに選択の自由などありません。ですからこれまでゴローと乗る事を深く考えた事もなかったイチゴですけれども、このヒロとの搭乗実験は、彼女の中に確実に新たな感情を芽吹かせました。

 そんなイチゴの心情などもちろんお構いなしに、叫竜は現れます。
 巨大叫竜から都市を防衛する為に出撃するヒロの同期、4組8名のコドモ達。イチゴの機体デルフィニウム、ミクの機体アルジェンティア、ココロの機体ジェニスタ、イクノの機体クロロフィッツ。イチゴをチームリーダーとして敢闘しますが、残念ながら実戦経験が足りていません。叫竜を仕留めるにはコアと呼ばれる部位を見切って破壊する必要があるのですけれども、巨大な蛇のような叫竜のどこにコアがあるのか判別する事ができず、苦戦を強いられます。
 前回の模擬戦でデルフィニウムを動かせなかったヒロは第十三都市に残され、モニタ越しに仲間が圧倒されるのを眺める事しか許されません。戦局を眺めてゼロツーは「ボクとダーリンがストレリチアで出撃しなければ、このままでは全滅する」と指揮官に宣言します。
 しかしAPEと称する統治機構は既に、強力無比な戦力であるゼロツーを自分達の手元に戻すという判断をしていました。汚れた血のステイメンとこれ以上遊ばせておく必要はない、と。
 人間など軽々と放り投げる身体能力を誇るゼロツーですが、完全武装の兵士達に銃口を突き付けられ、渋々帰還を受け入れます。この時点においてゼロツーにとってのヒロは、相性が良いとはいえあくまでも有象無象、代用の利くステイメンの一人に過ぎないのですから、無理に上層部の決定に逆らい怪我をするリスクを負う必要もないわけです。

 そんな事情を承知の上で、ヒロはゼロツーを追いました。指揮官の命令を無視して追いすがり、去りゆく彼女に叫びます。
「俺は君と乗ることを怖がっていた、たぶん今でも怖いんだと思う」
「でもそれは君が人間じゃないからじゃない。俺の覚悟のなさだ!」
 ゼロツーが人外である事に対する恐怖を、ヒロは持ち合わせていません。あるとしたら、何も成し遂げられず道半ばで倒れ息絶える事への恐怖。
「君に初めて会ったとき、君のことを綺麗だと思った。自信に溢れ、堂々としていて、傷ついても構わず叫竜に立ち向かう君が美しいと思った」
「うじうじしていた俺も、君と一緒なら空を飛べるんじゃないか、そう思えたんだ」
 ゼロツーの行動様式は至ってシンプルです。叫竜を殺して殺して殺して殺す。そうする事で人間になれると刷り込まれているからですけれども、持って生まれた他を寄せ付けない闘技こそが彼女の自信の源。
 ここでヒロの言う一緒ならとはつまり、思考様式の変革とも言い換える事が可能でしょうか。卓越した感受性を備えるヒロが、目的に特化したシンプルで強固な思考形態を備えるゼロツーに寄り添い和合して、新たな一つの強さを顕現させる……と。
「気づいたんだ。たぶん俺は、ただフランクスに乗りたかったんじゃない。俺は、君と乗りたかったんだ!」
「だから行かないでくれ! ゼロツー!!」
 ゼロツーの脚が止まりました。
「……帰れなくなっちゃったな」
 そう呟いて、ゼロツーは己を連行する兵士達を薙ぎ倒し、奪った銃も用いて強化ガラスの壁を蹴破り舞い降ります。
「そんな恥ずかしいこと言われたの、はじめて」
 ヒロの手を取り駆け出す二人。行く手を阻むセキュリティゲートは、ゼロツーの認証コードで共に通過。兵士達は貴重極まりない戦力であるゼロツーを射殺する権限は与えられていない為、万一の事態を恐れ射撃できません。
 そのままAPE本部に輸送される手筈であったストレリチアに共に飛び乗り、ゼロツーとコネクトを試みるヒロ。先日のイチゴとの起動失敗は苦い記憶として彼を苛んでいましたが、果たして今回は見事に何の問題もなくコネクト成功です。溢れる高揚感と共に空を翔け、苦戦する仲間達のもとへと駆けつけます。
 第13部隊絶体絶命のピンチに颯爽と登場したストレリチア。無論、イチゴの目にはそれはヒロとしか認識されていません。ヒロがまた、ステイメンの命を喰らうゼロツーのストレリチアに乗ってしまった。それは心配な事ですし、胸を掻き毟りたくなる事態ですけれども……同時に、自分の中のヒーローそのものの姿に、彼女の心は熱く熱く震えます。

 さてゼロツーは百戦錬磨で、その実力は折り紙付き。実はストレリチアとデルフィニウムは姉妹機で、性能そのものに隔絶した差はないのですけれども、ピスティルとしての戦闘経験とセンスが比較になりません。とはいえ、これだけの大きさの叫竜の内部に格納されたコアを即座に見つけ出す事はゼロツーにも容易ではありませんでした。ひたすら刻んで刻んで刻んで刻み続ければそのうち倒せはするとしても、フランクスのエネルギーも有限ですし、あまりに非効率的です。
 その時、イチゴの咄嗟の機転により作戦が成立しました。
 デルフィニウム達4機で大蛇型叫竜を大地へ釘付けにして動きを封じ、そこを頭から尻尾までストレリチアが一気に貫き通すという……乱暴ですが効果的なその作戦は功を奏し、叫竜を仕留める事に成功。ゼロツーからイチゴへの評価も若干ながら向上しました。
 ゼロツーの帰還命令違反も、ヒロとのコネクト数値が極めて良好な事から不問に処され、ストレリチアは正式に第十三都市への配属となります。

 ヒロがフランクスに乗れた事は、イチゴにとって喜ばしい事です。それはオトナ達から必要とされるという事に他ならず、その為にこそ自分達は存在しているのだという教育を受けていますから。
 第十三都市防衛部隊チームリーダーとしての立場からも、ストレリチアの戦力は非常に頼もしく、歓迎すべき事です。仮にチームリーダーとしてヒロを特別扱いしないのであれば、たとえあと一回乗ったら死ぬとしても、何の役にも立たない穀潰しでいられるより、多大な戦果をあげてからくたばってくれた方が喜ばしいのは当然です。
 ただし、イチゴの判断の天秤において最も重い分銅は、先述の通りヒロです。
 そのヒロが、あと一回出撃したら死ぬ。厳密にはこの時点で、これまで使い潰されてきた他の幾多のステイメン達とは異なる消耗の仕方をヒロはしているのですが、イチゴがそれを知る由もありません。
 束の間の休息、ヒロと語らうイチゴの胸中は複雑です。
「この前の戦いさ、あたしのやりたい事よく解ったね」
「イチゴとは長い付き合いだからさ」
「ヒロならなんとかしてくれると思った」
「信頼してもらえて嬉しいよ」
 以心伝心で作戦が成功した、その最大の要因はヒロとイチゴの信頼関係。ヒロはあくまでもイチゴを幼馴染みとしてしか見ていませんが、頼れる仲間である事に疑いはなく、その関係に満足しています。
 一方のイチゴとしては、他の仲間に対しての感情とは明らかに異なる想いを隠しもしません。それを隠匿し有利に立ち回る恋愛のテクニックを知識としてさえ知らない上に、そもそも恋愛感情というものを自身の内に定義づける事から始めなければならない環境ですから、無理なからぬ事です。
 ゼロツーとストレリチアに乗り闘う事は他ならぬヒロの望みであり、その姿はイチゴにとって憧憬の対象であり、応援したい。自分がヒロに特別な感情を抱いていない状態で、ゼロツーとヒロがただの仲間であるなら、もちろんそうしたでしょうし、できたでしょう。
 しかし、繰り返しますがゼロツーは人外であって、雄式操縦者ステイメンの命を搾り喰らいます。そして自分はヒロを愛している。愛する人の望みは、そのまま愛する人の死を意味します。

 愛する人を人外に託さなければならない。そうするしかないのであれば、とイチゴはゼロツーを夜の森に呼び出しました。
「ヒロのこと、よろしくね」
 人外であろうと言葉が通じるのだから、せめて愛する人を手荒に扱わないで欲しい、と。
「そんなこと言われるまでもないよ。ダーリンはボクのものなんだから」
 よろしく、の意味がゼロツーとイチゴでは異なります。この時点でのゼロツーにとって、ヒロはあくまでも自分と相性の良いステイメンであり、それ以上の存在ではないのです。
 レアなパーツだから好感を持っているとしても、あくまでもそれは闘う為のパーツ。
 そのニュアンスを感じ取り、イチゴは釘を刺します。
「……ヒロは誰のものでもないよ」
「次の作戦では独断専行はしないで欲しい。ちゃんとリーダーのあたしの指示に従って動いて」
 遠回しに思いやりを求めても無駄ならば、理を以てゼロツーを制御しようと試みますけれども……。
「またボクに指示するの?キミほんと偉そう」
 しかしこれも、第13部隊リーダーという立場に価値を見出さないゼロツーには通じません。前回の戦闘で一定の評価をしたとはいえ、「意外とやる」程度。まだまだ自分と対等な存在とは見做していない相手の言葉など尊重するに値しないのは当然です。
「ちょっと、また話は終わってな」
 立ち去ろうとしたゼロツーの腕を掴んだイチゴは、改めてその膂力に驚きながらも、それでも気圧されず向かい合います。
「……なに?」
「……ヒロに、無理させないで」
 持って回った言い方も、理をもって制する事も効果がないのなら、ストレートに告げるしかありません。
「ボクと乗りたいって言ってきたのはダーリンなんだけど」
「わかってる。だからせめてヒロの負担になる事はさせないであげて」
 ここでも、二人の思考様式の相違による意思疎通の祖語が生じています。言葉は通じるけれど話が通じない、という状態です。
 ゼロツーも頭が悪い訳ではありませんから、眼前の相手が何を願っているのか推察するくらいは可能です。普段それをしないのは、そうする理由がないからに他なりません。今回は自分の睡眠時間を確保するという理由がありますから推察し、抜き身の刃を放ちます。
「譲って欲しいの?でもキミ、ダーリンと一度試してダメだったよね」
 ヒロと一緒にフランクスに乗るのが、乗れるのが自分であったなら。それならば何も悩むことはなく、全てに対し真っ直ぐに向き合えるのに。けれどそれは、目の前の人外が言うように、既に試して破綻したプランなのです。
 自分の希望と絶望をまとめてぶつけられ、気色ばむイチゴ。
「あたしの事はいいでしょ!?」
「だったらそっちも口ださないで」
 相互不干渉という形で手打ちにして撤収しようとするゼロツーに対し、イチゴは退き下がりません。
「……あなた、ヒロを利用するつもり?」
「ダーリンはボクのものだ」
「死んじゃうかも、しれないんだよ」
「そうだよ。死んだらそれまでさ」
 ここでも、二人の思考の相違による意思疎通の齟齬が生じています。
 ゼロツーにしてみれば、闘いに臨んで力及ばなければ死ぬのは当然。自分も含め誰であろうとそこに例外は存在せず、くたばったならそれまでの話なのです。
 イチゴも、フランクスを操縦して闘って死ぬ事を存在意義とするパラサイトですから、それを頭では理解しています。パラサイトとして見るならば、より模範的なのはゼロツーです。しかしイチゴはヒロへの愛によって、戦闘用生体部品に過ぎないパラサイトから、人間へと変化しつつあります。
「ひとでなし!あんたはやっぱり、人間じゃない!!」
 隔絶した身体能力を誇るゼロツーの頬に、イチゴの平手打ちが炸裂しました。
 その変化が進化なのか退化なのか、それはともかくとして。脳からではなく胸から迸る感情で叫び、睨むイチゴ。
 ゆらりと臨戦態勢に移り応じるゼロツーの眼と角には、紅い光芒が宿ります。
「人間……人間だって?じゃあさ、聞くけど……キミ達の言う人間って、何さ」
 ゼロツーは、人間になりたいのです。遠いあの日に自分を救い出してくれた王子様と再会し、共に生きたいと望むから。人間の王子様と共に在る為には、人間にならなければ、と。
 叫竜を殺して殺して殺して殺すのも、そうする事で人間になれると信じればこそです。
 人間ではないと指摘された事、それそのものは事実の指摘に過ぎません。しかし人間というものの定義は、これから自分が目指す先に関わる事ですから是非とも知りたいところなのでしょう。

 人間とは何か。その問いに返答する事ができないまま、イチゴは一人、逃げるように宿舎へと戻りました。
 雨に濡れた彼女を、ゴローが出迎えます。タオルを渡し気遣うゴローに、イチゴはぽつりぽつりと語ります。
「……どうしたら良いか、判らないんだ」
「リーダーなのに。幼馴染みなのに。あたしじゃ、ヒロを乗せてあげられなかった。あたしじゃ、ヒロを止められなかった」
 第13部隊のリーダーとして、ヒロを有効活用する事も。幼馴染みとしてヒロの命を最優先する事も、イチゴには出来ていません。それを彼女自身誰よりも自覚していて、だからこそ愛する者の力になれない事が辛く苦しく悔しくてならないのです。
「でも今はアイツが居て、ヒロだってそれを……でも、あたし……あたし、なんか変だ!」
 自分ではないもの。人ならざるもの。自分が愛するヒロの事を消耗品としてしか認識しないゼロツーこそが、ヒロの望みを叶えている。ヒロの望みとは長生きではなく、翼が折れるその瞬間まで飛び続ける事。
「あたし、あたし嫌!!嫌……頭がぐちゃぐちゃになる……なんなのこれ……!でも……ヒロ……!」
 自分の望み、愛する人の望み。それが相反している時、どちらを優先したら良いのか。叫竜と闘って闘って闘って死ぬ事しか求められていないパラサイトに、その判断は至難を極めます。
 化け物であるゼロツーは人間になる為に叫竜を殺す。パラサイトであるイチゴはヒロへの愛によって人間になろうとしている。前者は意図して、後者は意図せずに。意図しない変化であるが故に、そこには困惑と葛藤が生じるのでしょう。

 困惑と葛藤が生じる事、それを克服して次の困惑と葛藤に向き合う事。それこそが人の人たる強さの根源の一つだと私は認識しています。
 強靱な精神と圧倒的な力で、万物を取るに足らない有象無象と断じ、造作も無く斬って捨てる事が「竜」の強さだとするならば。惰弱な精神と脆弱な力で万物と向き合い共に在る事を願うのが「人」の強さである、と。
 私は、困惑と葛藤を胸に抱く者を人として弱いとは言いません。その困惑と葛藤に向き合わず、或いは押し潰され屈して立ち上がらないような者をこそ、弱者と断じます。
 勝敗は兵家の常、闘うならば勝者と敗者に分かたれるのは当然の事。しかし闘争の才能を持たない者は、闘いの痛みを恐れ敗北の恥辱を忌避するあまり、やがて闘争そのものに背を向けたり、誇りを捨てた振る舞いに至る傾向があります。
 イチゴは言うまでもなく、闘争の才能を持ち合わせていません。だからこそ、面白い。どうして良いのか解らない時に、何かを掴む為に足掻く姿こそ、「人」の生き様において最も興味深いものです。
 ……ちなみに、ここまででなんと第5話までしか解説が済んでいません。続きは、また次回に……!
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