夢と希望と

そして力と意志と覚悟があるなら、きっと何でも出来る。

世界で最も醜いものの一つ。

2018-03-16 | 中身
 私は醜いものが嫌いです。その中でも醜さを恥じる事なく開き直る輩は最悪に醜いと認識しています。
 とはいえここが私の性質なのですけれども、嫌いなものを自己の領域外に遠ざけようとは考えません。むしろ、その逆。

 一例を挙げるなら、私は小学生の頃、毎年複数のカマキリを飼育していました。
 カマキリというのは私の最も嫌いな昆虫です。それをどうして飼育などするのか。理由は極めて単純明快で、
「嫌いであるからこそ、その生態を掌握したい」
 からです。
 カマキリという昆虫がどのような身体能力を持ちどのような所作が可能で、どのような行動様式により動くのか。それを熟知した上で、どう対処すれば制圧が可能で、どこをどのように潰せば速やかに死に至らしめる事ができるのか。座学では限界がありますから、実際に飼育し観察し触れて殺すのが一番なのです。
 私にとって嫌悪は嫌悪であって恐怖とは異なります。嫌悪する対象であればこそ積極的に接触し熟知し、闘争に際して後れを取らないようにしなければならないと考えています。

 そのような前提もあって、私は自分と異なる思想信条の相手と対話を行う事を好みます。
 相手の意見に筋が通ったものであれば、共感はしませんが理解する事は可能です。より多くの思想信条を生のデータとして理解し把握しておく事は、知的好奇心をおおいに満たしてくれます。
 私の友人達はそのほぼ全てが、私とまるで異なる思想信条の持ち主である事も、おそらくそのような理由によるものです。思想信条の差違はあくまでも差違であって優劣ではなく、その人なりの筋が通っていて敬意に値する人物であるのなら、私は相応の接し方をするという事です。


 さて、以上が今回の前置きです。
 私が世界で最も醜いと断じるものの一つが「信者」という輩です。彼等に論理的整合性はなく、信奉対象を盲目的に肯定する事を目的として持論らしき戯言を組み上げます。己の頭で判断する事を放棄した存在であり、既に知的生命体とは呼べないとさえ認識しています。

 信者にも色々な信者がいますけれども、私の知り合いに一人の自民党信者がいました。
 およそ1年前、マスコミと会食を繰り返し有形無形の圧力で縛ろうとする安倍政権に関する話題では
「別に良いんじゃない。野党もやれば良いでしょ」
と放言なさいました。
悔しかったらそっちもやれば良い的な、極めて不見識な言葉です。彼女は私とは思想信条は異なれど、極めて高い知識と見識を持つ人であると考えていたのですけれども、この発言によりそれは私の買い被りに過ぎなかったと認識を改めました。悔しいとかそういう問題ではなく為政者としての資質の話であり、そもそも政権与党がやる事が問題なのだという事実から目を逸らす、まさに信者の言動だからです。

 更にほぼ同時期、森友学園問題に関して私を
「貴女も大概ダボハゼねえ」
と称し、
「あたしは、洞穴やレコード相手に演説する趣味はないの」
と仰いました。確かに私の意志と論陣は、彼女が打ち崩す事は困難な程度に強靱なものですが、こちらから対話を拒んだ事はありませんのに。要するに「あたしの大好きな安倍総理を批判するなんてとんでもない、そんな非国民と話す事なんてない」という事なのでしょう。まさに安倍信者であり自民党信者の鑑、知的な見識など欠片も持ち合わせていない見下げ果てた言動でした。

 そんな安倍信者であり自民党教徒さんは、公文書改竄さえ「別に良いんじゃない。野党もやれば良いでしょ」と仰るのでしょうかねぇ。
 公文書とは国家の歴史であり礎、これを好き放題に改竄するなど民主主義の破壊であると同時に諸外国からの信頼をも地に落とす行為の筈ですけれども……狂信者には異なって認識されているのでしょうし、狂信者という存在のデータにはおおいに興味関心があります。
 まぁ、私が掌握している彼女の行動データから推察すれば
「何言っても無駄よ。あたしは、遊び相手は選ぶの」
 とか仰って逃げを打つのでしょう。
 勝てない相手とは闘わない、それはそれでクレバーな行為ではあります。彼女は闘う事そのものに愉悦を見出せない惰弱な気質である事も、とうの昔に存じ上げています。とても残念な事ではありますけれども。

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2 コメント

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Unknown (NFM)
2018-06-23 20:57:47
はじめまして
ひょんなことから「積尸気冥界波ってどう書くんだっけ」と気になり、こちら旧ブログ経由で参りました。

信者の数は力。わたしは公明党や自民党の数、その手法に感心するしかありません。

人は家畜と共に進化してきました。犬・猫・馬・牛・羊・・・と家畜化するには適した動物がいます。リーダーのいる群れを成し、人の食物を侵さないなど。そして実に人そのものこそ最も適した家畜です。
リーダーの食料を生産する労働力として、リーダーに従います。
信者とは家畜。家畜に不満を言っても得るものは有りません。猫に小判、馬に念仏、牛に経文・・・
人には価値ある学びも、信者には価値をなさないでしょう。
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ようこそ、はじめまして! (中身)
2018-07-07 18:47:56
せっかくのコメントに気がつくのが遅れてしまい、大変申し訳ありませんでした!
積尸気冥界波の積尸気とは蟹座の散開星団プレセペの中国名で、積み重ねた死体から立ち昇る鬼火の燐気の事。転じて天の積尸気つまり蟹座のプレセペは霊魂の行き着く先、つまり死界への門であるという……イタリア生まれでシチリア島で修行したというデスマスクらしからぬ由来とも取れる技ですよね。
ただ、デスマスクは「狡兎死して走狗煮らる」のように「史記」由来の故事成語を用いてもいますし、彼が世間一般に言われるような残忍粗暴なだけの殿方ではないという証左の一つであると考えています。

それはそれとしまして、大衆というのは元より愚劣愚鈍で自ら進んで自由を放棄し、権力者に飼育される事による安穏を望む、どうしようもない惰弱な存在であると私は認識しています。
人間というのは己の無知と無力を自ら知る事が可能な生物で、だからこそ無知も無力も克服して生態系の頂点に君臨する事も叶いますのに……その唯一とも言える長所を放棄するならば、確かに貴方の仰るように、それは既に人間とは呼べませんよね。
それでも、人間全てが畜群ではないという希望を失ってはいませんけれども、大衆すなわち大多数が豚であるというのもまた事実。とても残念な事です。
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