夢と希望と

そして力と意志と覚悟があるなら、きっと何でも出来る。

自戒。

2024-06-11 | 中身
Gmailなど複数のメールアドレスを使用している場合、アプリにより新着通知を受け取る設定から漏れていると
気がつくまでとんでもない時間を要するケースがあります。
まるでタイムカプセルを掘り返したような気分にもなりますけれど、急を要する用件では致命的ですから
日頃から注意しておく必要がありますねぇ……。

政治の本質。

2022-07-17 | 中身
 暴力では何も変わらない、等という戯言を最近よく耳にします。
 歴史を眺めれば、人間というのは古今東西およそ暴力によってのみ権力の持ち主を変えてきましたのに、なんとも片腹痛い事で。
 そもそも権力を保有する者にとって最も恐ろしいのは暴力による蜂起。為政者の身を慎ませるのは何かと言えば、あまりにも舐めた真似が過ぎると決起した民衆に殺されるという緊張感に他なりません。
 誰しも命は一つだけ、その命を捨てて相討ちを辞さず殺しに来る相手というのは、恵まれた者であればある程に恐ろしい存在ですから。
 なので暴力では何も変わらない等とほざく連中の真意を翻訳して差し上げるなら
「お願いだから我々の命を暴力で奪わず、我々が決めた我々に都合の良いルールで挑んでください」
 という形になるでしょうか。

 法律とは所詮、警察や軍隊という国家が保有する暴力の用い方を規定した物です。道徳心やらモラルやら、そうした絵空事ではなく確固たる暴力の裏付けがあればこそ、国民に法を守らせる事が出来ます。
 そして法とは、どこまでも為政者に都合よく制定され運用される物なのです。

 人の歴史は暴力の歴史。そこから目を背けさせ、暴力を絶対悪と定義するような連中は、その恩恵を己だけが独占しようという卑しい輩です。
 そんなわけで是非「野望の王国」を読みましょう。




必要な悪。

2022-07-08 | 中身
 安倍晋三が銃殺されたとの事で、当然ながら犯人は然るべき法の裁きを受けなくてはなりません。
 誰であろうと悪事を働けば法による報いを受ける、これが法治国家のあるべき姿なのですから。

 それはそれとして、司法に介入して法の裁きを回避する様な不届き者は法治ではなく人治を行おうとする愚劣で卑劣で惰弱なカス。
 抹殺されてこそ私としては人に希望を見出せますけれどもね。

横綱覇王伝説(笑)。

2018-11-14 | 中身
 金星を次々に配給して平幕力士のお給料をペースアップ、これぞまさにキセノミクスの果実。
 東京オリンピックで日本人横綱に四股を踏ませたいとか、そういうつまらない意図で無理筋を通すから、このように見苦しい結末となるのです。馬鹿の考え休むに似たりと言いますけれども、それならただ休んでいた方がマシというもの。

 中国の四書の一つ「大学」に
「君子必慎其独也 小人閑居為不善」
 とあります。
「君子は独りでいる時に必ず慎み深く、小人は他人の目がないと悪い事をする」
 という意味です。
 相撲協会にしても国家権力にしても同様に、大半の人間は隙あらば碌な事をしない小人ですから、そこには常に市民の厳しい視線が注がれ続けなければなりません。そんな乳幼児でも解るような道理も弁えず、ましてや権力側に己を重ね阿るような世迷言が溢れる昨今は、まさに末法の世と言えるのかも知れませんねぇ。

気高く美しい失恋。その1

2018-08-18 | 中身
 ダーリン・イン・ザ・フランキス。
 この作品に私が定義するところの「竜」……つまり強固な自我と、それを貫き通すだけの力を兼ね備えた者は、一人たりとも存在しません。私に言わせれば惰弱な、とても惰弱な精神の者達ばかり。しかしそれでも、惰弱なカスではない者達の物語です。
 どうも世間ではこのダリフラ、エヴァもどきなどと呼ばれてもいるようですけれど、とんでもない。新世紀エヴァンゲリオンなどは、所詮あくまでも優秀なパッチワーク職人に過ぎない庵野秀明が、人間への諦観と反吐の出る甘えを基に造り上げた唾臭い代物。一方でこの作品は、人間という生命体への愛と希望が根底にあります。そのような意味で比較されこそしても、エヴァの模倣だなどとは見当違いも甚だしいと申し上げる他ありません。
 そんなこんなで今回はこのダーリン・イン・ザ・フランキスという物語の中から、特に「イチゴの恋」について述べてみる事にいたします。
 第15話において、イチゴは失恋しました。それは私が知る限りの創作物において、最も強く気高く美しい失恋の一つでした。


 化石燃料の枯渇後に人類が発見し、エネルギー革命を引き起こしたマグマ燃料、それに惹かれるように現れる謎の存在、叫竜。叫竜と闘う為の人型機動兵器フランクスの操縦者、パラサイトとして育成されてきた「コドモ」たちの実態は、パイロットと言うよりは単なる生体部品でした。それも幾らでも換えのきく消耗品のような扱いです。
 故に反抗の芽となりかねず戦闘でもノイズとなり得る感情の類いは、フランクスの起動に必要な最小限度しか与えられず、理知的に従順に「オトナ」の為に闘って死ぬ事を誇りと感じるように育てられます。

 ところが主人公達、第十三都市のコドモ達のみは実験個体群として、ある程度の感情の自由を許容され育成されました。
 とはいえ彼等も恋愛という概念を教えられませんでしたから、それぞれの胸にある誰かへの好意に、明確な輪郭を持たせる事は容易ではありませんでした。
 そのような環境下で、イチゴは第1話からというか、幼少期よりずっと一途にヒロを想い続けていました。イチゴにとってヒロは、オトナ達から割り振られたCode:015ではなくイチゴという名を自分に与えてくれたゴッドファーザーであり、瑞々しい感性と知識、そして確かな実力を備えた文字通りのヒーローでした。イチゴにとってヒロは憧れの相手。その傍らに居られる自分である事を、それだけを彼女は望んできました。

 転機は、幼少期にヒロが過酷な境遇にあるCode:002と邂逅した事により訪れます。
 叫竜の血をひくというその幼女は、赤い皮膚に赤い角、青い血液を持つという一目瞭然の人外。ヒロはこのCode:002にゼロツーという名を与え、実験施設から救出して二人で逃亡するという暴挙に出ました。
 そもそも、この世界におけるコドモとはオトナに対して従順で、反抗などしないもの。ましてや貴重極まりない研究資材を奪取して逃亡など、思いも寄らぬ事です。だからこそのセキュリティ面の不備もあり、脱出そのものには成功しましたが、しかしいつまでも逃げおおせる事などできよう筈もありません。やがて二人は捕縛され、該当記憶を消去されます。
 この逃避行において、ゼロツーの脚の怪我をヒロが舐めた事により、叫竜の青い血が彼の体内に取り込まれました。
 そして血が混じった事により、これ以降ヒロはそれまで神童扱いされる程に優秀であったフランクスに搭乗する為の適性値が低下の一途を辿り、物語開始の第1話の時点で起動不可能なレベルになってしまいます。

 フランクスの生体部品としての価値を失ったヒロでしたが、叫竜の血が混入した特殊検体としてデータを取る為に剪定対象とされず、部隊に残る事を許可されました。しかし、フランクスに乗ってオトナの為に闘う事のみを存在意義として育てられたわけですから、その精神状態は暗鬱を極めます。
 フランクスに乗れない自分に居場所などない、飛べない鳥は死を迎えるだけ。それは「コドモ」としては至極当然の思考であり、だからこそ誰にも救い得ぬものでした。イチゴはそんなヒロの再起を信じつつ、慰め受け入れ共に在りたいと願いましたけれども、ヒロにとってなんら根本的な解決にはなりません。

 そんな時、ヒロの前に、成長し幾分かは人間のように見えなくもない容姿となったゼロツーが現れました。
 互いに、互いがあの時の逃避行の相手だとは認識していません。ヒロの記憶は消去されていますし、ゼロツーの記憶は彼女の強固な精神による抵抗で完全な消去に至ってはいませんでしたけれども、よもや目の前の相手があの時の救い手だとは思い至りませんでした。
 さて、少女となったゼロツーは優秀極まりない雌式操縦者ピスティルですが、戦闘の際に雄式操縦者ステイメンの命を比喩ではなく実際に吸います。彼女のフランクス、極楽鳥花の名を冠するストレリチアに同乗し、3度目の戦闘から生還したステイメンは皆無。これまでに100人以上のステイメンの命を喰らい、使い潰したその屍の上に、ゼロツーの尋常ならざる戦果は燦然と輝いているのです。
 そんなパートナー殺しの異名を取るゼロツーは、戦闘中にまたもステイメンの命を使いきり、それでもなお単独で無理矢理フランクスを駆り闘います。くたばったステイメンの死体をコクピットの外に投げ捨てたその時、居合わせたヒロはゼロツーに自分を乗せて欲しいと懇願し、ゼロツーはそれを受け入れました。
 フランクス操縦適性を失っていたヒロでしたが、混ざった血の本来の持ち主である為か、ともあれゼロツーとはコネクトする事ができました。
 ゼロツーとなら、自分は飛べる。オトナの為に闘える。彼の中から失われていた自身の存在意義が蘇り、高揚する精神。3度目までに死ぬとして、それがどうしたというのか。飛べないまま、何もできずただ死を待つだけの命より、それはどれほど素晴らしい事か。

 しかし、ヒロのそんな思いと裏腹に、イチゴの胸中は乱れに乱れます。
 絢爛ながらも血塗られた凶状持ちのゼロツーは存在そのものが異物ですし、ましてやその異物が己の想い人を喰らい尽くそうとロックオンしています。
 このままでは、ヒロは死ぬ。パートナー殺しのゼロツーに命を使い捨てられて死ぬ。
 この時点でイチゴにとって「オトナ達の為に闘って死ぬ」という刷り込まれた価値観よりも、ヒロの命が重いわけです。どのみちオトナは、無用の役立たずをいつまでも生かしておくような事はしませんけれども……「いつか訪れる死」と「あと2回以内に必ず訪れるとされている死」では、後者をより忌避するのも理に適った心情と理解できます。
 ヒロをこれ以上ゼロツーと乗せるわけにはいかない。かと言って、このままでは遠からず剪定対象となってしまう。
 ヒロを救うためにはどうすれば良い?それは、ヒロがゼロツー以外ともフランクスに乗れると示すしかない。
 誰が?そんなのは決まっている、自分が。
 そんなタイミングで。ストレリチアを動かせたヒロに対し、作戦本部はチャンスを与えます。フランクス起動実験として模擬戦を命じたのです。
 その起動実験のパートナーとして名乗りを上げたのは、言うまでもなくイチゴでした。

 イチゴと彼女のフランクス、飛燕草の名を冠するデルフィニウムにはゴローというステイメンが居ますが、所詮ゴローへの思いは友人や仲間に対する好意であって男女の愛ではありません。フランクスは基本的にピスティルとステイメンが揃わなければ動きませんから必要な存在ではあり、ヒロの事となると冷静さを失う自分をサポートしてくれる事に感謝もしています。
 ただ……判断の天秤において最も重い価値の分銅は何かと問われれば、イチゴにとってそれは間違いなくヒロなのです。それも二位以下の分銅の総和よりも重い、唯一無二の特別な存在として。
 自分がヒロと乗れるのであればゴローがあぶれる事になり、外部から新たなピスティルを補充しない限り第13部隊のステイメンの誰かは余る訳ですけれども、この時のイチゴにとってヒロを救うという目的の前には些細な事象に過ぎません。

 ところが、イチゴのデルフィニウムはヒロとのコネクトに成功したのも束の間、直後にヒロ側のコネクト値が急低下して機能停止してしまいます。
 ゼロツーと乗った時と何が違うのか、ヒロと共に模擬戦の最中に原因を探るイチゴ。ヒロの口から出たのは、「あの時、ゼロツーにキスされた」というものでした。
 キスという行為に関する知識は、戦闘に全く不要なものですからコドモ達に与えられていません。唇を重ね合わせる、それがどのような意味を持つのか互いに理解していません。それでも本能的にその行為にイチゴの胸は昂ぶり、嫉妬を滲ませながら自分もすると宣言します。
 憧れ続けたヒロとのキス。なにしろ見たことも聞いたこともなかった行為を伝聞で行うわけですから、たどたどしい事この上なく、しかも模擬戦の途中で落ち着いてできよう筈もありません。
 結局このキスは何の効果も発揮せず、イチゴがやるせない気持ちを爆発させて、ピスティル一人で無理矢理機体をコントロールするスタンピードモードを発動させて模擬戦は相討ちに持ち込みました。とはいえ模擬戦の勝敗以前の問題として、ヒロのフランクス操縦適性の欠如を再度示してしまう形になったわけで、イチゴは自分自身を強く責めます。
 フランクスに搭乗して闘う事はオトナから与えられた絶対的な使命であって、誰と乗るのかも含めてコドモに選択の自由などありません。ですからこれまでゴローと乗る事を深く考えた事もなかったイチゴですけれども、このヒロとの搭乗実験は、彼女の中に確実に新たな感情を芽吹かせました。

 そんなイチゴの心情などもちろんお構いなしに、叫竜は現れます。
 巨大叫竜から都市を防衛する為に出撃するヒロの同期、4組8名のコドモ達。イチゴの機体デルフィニウム、ミクの機体アルジェンティア、ココロの機体ジェニスタ、イクノの機体クロロフィッツ。イチゴをチームリーダーとして敢闘しますが、残念ながら実戦経験が足りていません。叫竜を仕留めるにはコアと呼ばれる部位を見切って破壊する必要があるのですけれども、巨大な蛇のような叫竜のどこにコアがあるのか判別する事ができず、苦戦を強いられます。
 前回の模擬戦でデルフィニウムを動かせなかったヒロは第十三都市に残され、モニタ越しに仲間が圧倒されるのを眺める事しか許されません。戦局を眺めてゼロツーは「ボクとダーリンがストレリチアで出撃しなければ、このままでは全滅する」と指揮官に宣言します。
 しかしAPEと称する統治機構は既に、強力無比な戦力であるゼロツーを自分達の手元に戻すという判断をしていました。汚れた血のステイメンとこれ以上遊ばせておく必要はない、と。
 人間など軽々と放り投げる身体能力を誇るゼロツーですが、完全武装の兵士達に銃口を突き付けられ、渋々帰還を受け入れます。この時点においてゼロツーにとってのヒロは、相性が良いとはいえあくまでも有象無象、代用の利くステイメンの一人に過ぎないのですから、無理に上層部の決定に逆らい怪我をするリスクを負う必要もないわけです。

 そんな事情を承知の上で、ヒロはゼロツーを追いました。指揮官の命令を無視して追いすがり、去りゆく彼女に叫びます。
「俺は君と乗ることを怖がっていた、たぶん今でも怖いんだと思う」
「でもそれは君が人間じゃないからじゃない。俺の覚悟のなさだ!」
 ゼロツーが人外である事に対する恐怖を、ヒロは持ち合わせていません。あるとしたら、何も成し遂げられず道半ばで倒れ息絶える事への恐怖。
「君に初めて会ったとき、君のことを綺麗だと思った。自信に溢れ、堂々としていて、傷ついても構わず叫竜に立ち向かう君が美しいと思った」
「うじうじしていた俺も、君と一緒なら空を飛べるんじゃないか、そう思えたんだ」
 ゼロツーの行動様式は至ってシンプルです。叫竜を殺して殺して殺して殺す。そうする事で人間になれると刷り込まれているからですけれども、持って生まれた他を寄せ付けない闘技こそが彼女の自信の源。
 ここでヒロの言う一緒ならとはつまり、思考様式の変革とも言い換える事が可能でしょうか。卓越した感受性を備えるヒロが、目的に特化したシンプルで強固な思考形態を備えるゼロツーに寄り添い和合して、新たな一つの強さを顕現させる……と。
「気づいたんだ。たぶん俺は、ただフランクスに乗りたかったんじゃない。俺は、君と乗りたかったんだ!」
「だから行かないでくれ! ゼロツー!!」
 ゼロツーの脚が止まりました。
「……帰れなくなっちゃったな」
 そう呟いて、ゼロツーは己を連行する兵士達を薙ぎ倒し、奪った銃も用いて強化ガラスの壁を蹴破り舞い降ります。
「そんな恥ずかしいこと言われたの、はじめて」
 ヒロの手を取り駆け出す二人。行く手を阻むセキュリティゲートは、ゼロツーの認証コードで共に通過。兵士達は貴重極まりない戦力であるゼロツーを射殺する権限は与えられていない為、万一の事態を恐れ射撃できません。
 そのままAPE本部に輸送される手筈であったストレリチアに共に飛び乗り、ゼロツーとコネクトを試みるヒロ。先日のイチゴとの起動失敗は苦い記憶として彼を苛んでいましたが、果たして今回は見事に何の問題もなくコネクト成功です。溢れる高揚感と共に空を翔け、苦戦する仲間達のもとへと駆けつけます。
 第13部隊絶体絶命のピンチに颯爽と登場したストレリチア。無論、イチゴの目にはそれはヒロとしか認識されていません。ヒロがまた、ステイメンの命を喰らうゼロツーのストレリチアに乗ってしまった。それは心配な事ですし、胸を掻き毟りたくなる事態ですけれども……同時に、自分の中のヒーローそのものの姿に、彼女の心は熱く熱く震えます。

 さてゼロツーは百戦錬磨で、その実力は折り紙付き。実はストレリチアとデルフィニウムは姉妹機で、性能そのものに隔絶した差はないのですけれども、ピスティルとしての戦闘経験とセンスが比較になりません。とはいえ、これだけの大きさの叫竜の内部に格納されたコアを即座に見つけ出す事はゼロツーにも容易ではありませんでした。ひたすら刻んで刻んで刻んで刻み続ければそのうち倒せはするとしても、フランクスのエネルギーも有限ですし、あまりに非効率的です。
 その時、イチゴの咄嗟の機転により作戦が成立しました。
 デルフィニウム達4機で大蛇型叫竜を大地へ釘付けにして動きを封じ、そこを頭から尻尾までストレリチアが一気に貫き通すという……乱暴ですが効果的なその作戦は功を奏し、叫竜を仕留める事に成功。ゼロツーからイチゴへの評価も若干ながら向上しました。
 ゼロツーの帰還命令違反も、ヒロとのコネクト数値が極めて良好な事から不問に処され、ストレリチアは正式に第十三都市への配属となります。

 ヒロがフランクスに乗れた事は、イチゴにとって喜ばしい事です。それはオトナ達から必要とされるという事に他ならず、その為にこそ自分達は存在しているのだという教育を受けていますから。
 第十三都市防衛部隊チームリーダーとしての立場からも、ストレリチアの戦力は非常に頼もしく、歓迎すべき事です。仮にチームリーダーとしてヒロを特別扱いしないのであれば、たとえあと一回乗ったら死ぬとしても、何の役にも立たない穀潰しでいられるより、多大な戦果をあげてからくたばってくれた方が喜ばしいのは当然です。
 ただし、イチゴの判断の天秤において最も重い分銅は、先述の通りヒロです。
 そのヒロが、あと一回出撃したら死ぬ。厳密にはこの時点で、これまで使い潰されてきた他の幾多のステイメン達とは異なる消耗の仕方をヒロはしているのですが、イチゴがそれを知る由もありません。
 束の間の休息、ヒロと語らうイチゴの胸中は複雑です。
「この前の戦いさ、あたしのやりたい事よく解ったね」
「イチゴとは長い付き合いだからさ」
「ヒロならなんとかしてくれると思った」
「信頼してもらえて嬉しいよ」
 以心伝心で作戦が成功した、その最大の要因はヒロとイチゴの信頼関係。ヒロはあくまでもイチゴを幼馴染みとしてしか見ていませんが、頼れる仲間である事に疑いはなく、その関係に満足しています。
 一方のイチゴとしては、他の仲間に対しての感情とは明らかに異なる想いを隠しもしません。それを隠匿し有利に立ち回る恋愛のテクニックを知識としてさえ知らない上に、そもそも恋愛感情というものを自身の内に定義づける事から始めなければならない環境ですから、無理なからぬ事です。
 ゼロツーとストレリチアに乗り闘う事は他ならぬヒロの望みであり、その姿はイチゴにとって憧憬の対象であり、応援したい。自分がヒロに特別な感情を抱いていない状態で、ゼロツーとヒロがただの仲間であるなら、もちろんそうしたでしょうし、できたでしょう。
 しかし、繰り返しますがゼロツーは人外であって、雄式操縦者ステイメンの命を搾り喰らいます。そして自分はヒロを愛している。愛する人の望みは、そのまま愛する人の死を意味します。

 愛する人を人外に託さなければならない。そうするしかないのであれば、とイチゴはゼロツーを夜の森に呼び出しました。
「ヒロのこと、よろしくね」
 人外であろうと言葉が通じるのだから、せめて愛する人を手荒に扱わないで欲しい、と。
「そんなこと言われるまでもないよ。ダーリンはボクのものなんだから」
 よろしく、の意味がゼロツーとイチゴでは異なります。この時点でのゼロツーにとって、ヒロはあくまでも自分と相性の良いステイメンであり、それ以上の存在ではないのです。
 レアなパーツだから好感を持っているとしても、あくまでもそれは闘う為のパーツ。
 そのニュアンスを感じ取り、イチゴは釘を刺します。
「……ヒロは誰のものでもないよ」
「次の作戦では独断専行はしないで欲しい。ちゃんとリーダーのあたしの指示に従って動いて」
 遠回しに思いやりを求めても無駄ならば、理を以てゼロツーを制御しようと試みますけれども……。
「またボクに指示するの?キミほんと偉そう」
 しかしこれも、第13部隊リーダーという立場に価値を見出さないゼロツーには通じません。前回の戦闘で一定の評価をしたとはいえ、「意外とやる」程度。まだまだ自分と対等な存在とは見做していない相手の言葉など尊重するに値しないのは当然です。
「ちょっと、また話は終わってな」
 立ち去ろうとしたゼロツーの腕を掴んだイチゴは、改めてその膂力に驚きながらも、それでも気圧されず向かい合います。
「……なに?」
「……ヒロに、無理させないで」
 持って回った言い方も、理をもって制する事も効果がないのなら、ストレートに告げるしかありません。
「ボクと乗りたいって言ってきたのはダーリンなんだけど」
「わかってる。だからせめてヒロの負担になる事はさせないであげて」
 ここでも、二人の思考様式の相違による意思疎通の祖語が生じています。言葉は通じるけれど話が通じない、という状態です。
 ゼロツーも頭が悪い訳ではありませんから、眼前の相手が何を願っているのか推察するくらいは可能です。普段それをしないのは、そうする理由がないからに他なりません。今回は自分の睡眠時間を確保するという理由がありますから推察し、抜き身の刃を放ちます。
「譲って欲しいの?でもキミ、ダーリンと一度試してダメだったよね」
 ヒロと一緒にフランクスに乗るのが、乗れるのが自分であったなら。それならば何も悩むことはなく、全てに対し真っ直ぐに向き合えるのに。けれどそれは、目の前の人外が言うように、既に試して破綻したプランなのです。
 自分の希望と絶望をまとめてぶつけられ、気色ばむイチゴ。
「あたしの事はいいでしょ!?」
「だったらそっちも口ださないで」
 相互不干渉という形で手打ちにして撤収しようとするゼロツーに対し、イチゴは退き下がりません。
「……あなた、ヒロを利用するつもり?」
「ダーリンはボクのものだ」
「死んじゃうかも、しれないんだよ」
「そうだよ。死んだらそれまでさ」
 ここでも、二人の思考の相違による意思疎通の齟齬が生じています。
 ゼロツーにしてみれば、闘いに臨んで力及ばなければ死ぬのは当然。自分も含め誰であろうとそこに例外は存在せず、くたばったならそれまでの話なのです。
 イチゴも、フランクスを操縦して闘って死ぬ事を存在意義とするパラサイトですから、それを頭では理解しています。パラサイトとして見るならば、より模範的なのはゼロツーです。しかしイチゴはヒロへの愛によって、戦闘用生体部品に過ぎないパラサイトから、人間へと変化しつつあります。
「ひとでなし!あんたはやっぱり、人間じゃない!!」
 隔絶した身体能力を誇るゼロツーの頬に、イチゴの平手打ちが炸裂しました。
 その変化が進化なのか退化なのか、それはともかくとして。脳からではなく胸から迸る感情で叫び、睨むイチゴ。
 ゆらりと臨戦態勢に移り応じるゼロツーの眼と角には、紅い光芒が宿ります。
「人間……人間だって?じゃあさ、聞くけど……キミ達の言う人間って、何さ」
 ゼロツーは、人間になりたいのです。遠いあの日に自分を救い出してくれた王子様と再会し、共に生きたいと望むから。人間の王子様と共に在る為には、人間にならなければ、と。
 叫竜を殺して殺して殺して殺すのも、そうする事で人間になれると信じればこそです。
 人間ではないと指摘された事、それそのものは事実の指摘に過ぎません。しかし人間というものの定義は、これから自分が目指す先に関わる事ですから是非とも知りたいところなのでしょう。

 人間とは何か。その問いに返答する事ができないまま、イチゴは一人、逃げるように宿舎へと戻りました。
 雨に濡れた彼女を、ゴローが出迎えます。タオルを渡し気遣うゴローに、イチゴはぽつりぽつりと語ります。
「……どうしたら良いか、判らないんだ」
「リーダーなのに。幼馴染みなのに。あたしじゃ、ヒロを乗せてあげられなかった。あたしじゃ、ヒロを止められなかった」
 第13部隊のリーダーとして、ヒロを有効活用する事も。幼馴染みとしてヒロの命を最優先する事も、イチゴには出来ていません。それを彼女自身誰よりも自覚していて、だからこそ愛する者の力になれない事が辛く苦しく悔しくてならないのです。
「でも今はアイツが居て、ヒロだってそれを……でも、あたし……あたし、なんか変だ!」
 自分ではないもの。人ならざるもの。自分が愛するヒロの事を消耗品としてしか認識しないゼロツーこそが、ヒロの望みを叶えている。ヒロの望みとは長生きではなく、翼が折れるその瞬間まで飛び続ける事。
「あたし、あたし嫌!!嫌……頭がぐちゃぐちゃになる……なんなのこれ……!でも……ヒロ……!」
 自分の望み、愛する人の望み。それが相反している時、どちらを優先したら良いのか。叫竜と闘って闘って闘って死ぬ事しか求められていないパラサイトに、その判断は至難を極めます。
 化け物であるゼロツーは人間になる為に叫竜を殺す。パラサイトであるイチゴはヒロへの愛によって人間になろうとしている。前者は意図して、後者は意図せずに。意図しない変化であるが故に、そこには困惑と葛藤が生じるのでしょう。

 困惑と葛藤が生じる事、それを克服して次の困惑と葛藤に向き合う事。それこそが人の人たる強さの根源の一つだと私は認識しています。
 強靱な精神と圧倒的な力で、万物を取るに足らない有象無象と断じ、造作も無く斬って捨てる事が「竜」の強さだとするならば。惰弱な精神と脆弱な力で万物と向き合い共に在る事を願うのが「人」の強さである、と。
 私は、困惑と葛藤を胸に抱く者を人として弱いとは言いません。その困惑と葛藤に向き合わず、或いは押し潰され屈して立ち上がらないような者をこそ、弱者と断じます。
 勝敗は兵家の常、闘うならば勝者と敗者に分かたれるのは当然の事。しかし闘争の才能を持たない者は、闘いの痛みを恐れ敗北の恥辱を忌避するあまり、やがて闘争そのものに背を向けたり、誇りを捨てた振る舞いに至る傾向があります。
 イチゴは言うまでもなく、闘争の才能を持ち合わせていません。だからこそ、面白い。どうして良いのか解らない時に、何かを掴む為に足掻く姿こそ、「人」の生き様において最も興味深いものです。
 ……ちなみに、ここまででなんと第5話までしか解説が済んでいません。続きは、また次回に……!

ダーリン・イン・ザ・フランキス完結に際しまして。

2018-07-09 | 中身
 全24話、とてもとても楽しみながら視聴していたダーリン・イン・ザ・フランキスが最終回を迎えました。結論から申し上げるなら、最後まで素晴らしい作品でした。
 もちろん、残念なところが皆無とは言えません。
 ゴロー役の声優さんが病気療養により休業のため変更になってしまったのは、特に不運な事です。ゴロー以外にも銀英伝のキルヒアイスなど、雌伏を経て今期大きく花開いた人でしたから、御本人もさぞや悔しい思いであろうと推察いたします。キャプテン翼の若島津健が登場するまでに、快癒して御復帰が叶う事を願うばかりです。

 またラストにおきまして、イチゴがゴローと子供を作っていた事も私としては残念でした。
 もちろんイチゴは15話におきまして、ヒロへの恋心に区切りを付けています。産めよ増やせよ地に満ちよが要求されるあの状況においては、ガチレズのイクノでもない限りは独身を貫くのは難しい事です。女というものは、恋心を抱いていない相手とでも母性により子を成し育てる事ができるものである事も存じ上げています。見知らぬ誰かと添い遂げるより、自分に惚れていて気心の知れているゴローが適している事も合理的であると理解できます。
 ただ、それでも。私としてはイチゴがゴローに対して持っているのは仲間や姉弟への情であって、男女の愛ではないと認識していましたので……イチゴとゴローそれぞれが見知らぬ誰かと添い遂げてくれた方が、綺麗にまとまったのではないかと思えてしまいました。
 まぁこれは私がこと恋愛に関しましては初恋を未だに維持し続けるような性分だからであって、極めて個人的な感傷に過ぎず、些細な事です。人の心とは不安定なもので、その想いは容易に変化するもの。誰が誰を愛するかなどという事は、大局的に見れば実はさして重要ではありません。誰かが誰かを愛する、愛する事ができる……その構造さえ確かであるならば。

 とはいえ極めて個人的で些細な感傷であっても他ならぬ私にとっては無価値ではありませんから、次回ちょっぴり記述してみようと思います。ダーリン・イン・ザ・フランキスという素敵な作品への感謝もこめて。
 

ダリフラ。

2018-03-26 | 中身
 ダーリン・イン・ザ・フランキスが想定以上に面白くなっていて素敵な事です。
 主要5組の中に、まさか2人もガチの同性愛者がいたとは。知った上で改めて過去回を見返すと、きちんと納得のいく描写がされていますし、今後の展開にも期待が持てます。
 まぁ基本的に、イチゴの可愛さを眺めるアニメですけれどもね(

世界で最も醜いものの一つ。

2018-03-16 | 中身
 私は醜いものが嫌いです。その中でも醜さを恥じる事なく開き直る輩は最悪に醜いと認識しています。
 とはいえここが私の性質なのですけれども、嫌いなものを自己の領域外に遠ざけようとは考えません。むしろ、その逆。

 一例を挙げるなら、私は小学生の頃、毎年複数のカマキリを飼育していました。
 カマキリというのは私の最も嫌いな昆虫です。それをどうして飼育などするのか。理由は極めて単純明快で、
「嫌いであるからこそ、その生態を掌握したい」
 からです。
 カマキリという昆虫がどのような身体能力を持ちどのような所作が可能で、どのような行動様式により動くのか。それを熟知した上で、どう対処すれば制圧が可能で、どこをどのように潰せば速やかに死に至らしめる事ができるのか。座学では限界がありますから、実際に飼育し観察し触れて殺すのが一番なのです。
 私にとって嫌悪は嫌悪であって恐怖とは異なります。嫌悪する対象であればこそ積極的に接触し熟知し、闘争に際して後れを取らないようにしなければならないと考えています。

 そのような前提もあって、私は自分と異なる思想信条の相手と対話を行う事を好みます。
 相手の意見に筋が通ったものであれば、共感はしませんが理解する事は可能です。より多くの思想信条を生のデータとして理解し把握しておく事は、知的好奇心をおおいに満たしてくれます。
 私の友人達はそのほぼ全てが、私とまるで異なる思想信条の持ち主である事も、おそらくそのような理由によるものです。思想信条の差違はあくまでも差違であって優劣ではなく、その人なりの筋が通っていて敬意に値する人物であるのなら、私は相応の接し方をするという事です。


 さて、以上が今回の前置きです。
 私が世界で最も醜いと断じるものの一つが「信者」という輩です。彼等に論理的整合性はなく、信奉対象を盲目的に肯定する事を目的として持論らしき戯言を組み上げます。己の頭で判断する事を放棄した存在であり、既に知的生命体とは呼べないとさえ認識しています。

 信者にも色々な信者がいますけれども、私の知り合いに一人の自民党信者がいました。
 およそ1年前、マスコミと会食を繰り返し有形無形の圧力で縛ろうとする安倍政権に関する話題では
「別に良いんじゃない。野党もやれば良いでしょ」
と放言なさいました。
悔しかったらそっちもやれば良い的な、極めて不見識な言葉です。彼女は私とは思想信条は異なれど、極めて高い知識と見識を持つ人であると考えていたのですけれども、この発言によりそれは私の買い被りに過ぎなかったと認識を改めました。悔しいとかそういう問題ではなく為政者としての資質の話であり、そもそも政権与党がやる事が問題なのだという事実から目を逸らす、まさに信者の言動だからです。

 更にほぼ同時期、森友学園問題に関して私を
「貴女も大概ダボハゼねえ」
と称し、
「あたしは、洞穴やレコード相手に演説する趣味はないの」
と仰いました。確かに私の意志と論陣は、彼女が打ち崩す事は困難な程度に強靱なものですが、こちらから対話を拒んだ事はありませんのに。要するに「あたしの大好きな安倍総理を批判するなんてとんでもない、そんな非国民と話す事なんてない」という事なのでしょう。まさに安倍信者であり自民党信者の鑑、知的な見識など欠片も持ち合わせていない見下げ果てた言動でした。

 そんな安倍信者であり自民党教徒さんは、公文書改竄さえ「別に良いんじゃない。野党もやれば良いでしょ」と仰るのでしょうかねぇ。
 公文書とは国家の歴史であり礎、これを好き放題に改竄するなど民主主義の破壊であると同時に諸外国からの信頼をも地に落とす行為の筈ですけれども……狂信者には異なって認識されているのでしょうし、狂信者という存在のデータにはおおいに興味関心があります。
 まぁ、私が掌握している彼女の行動データから推察すれば
「何言っても無駄よ。あたしは、遊び相手は選ぶの」
 とか仰って逃げを打つのでしょう。
 勝てない相手とは闘わない、それはそれでクレバーな行為ではあります。彼女は闘う事そのものに愉悦を見出せない惰弱な気質である事も、とうの昔に存じ上げています。とても残念な事ではありますけれども。

反吐が出るシステム。

2018-03-13 | 中身
 内閣人事局というのは、内閣が官僚に対する人事を掌握、つまり生殺与奪を自在とする事で、敢えて官僚に具体的に指示せずとも忠実な犬へと躾ける仕組みです。申し上げるまでもなく公務員というものは本来国民全体に対する奉仕者であるべき存在ですが、これを政府権力者に対する奉仕者へと作り替えるシステムと言えます。
 こんなシステムは権力者が公明正大清廉潔白であり続ける事を前提にしたもので、有り体に申し上げるなら欠陥品です。何故ならば、これまで幾度も幾度も私が申し上げてきたように、そして人類の歴史が証明しているように、あらゆる権力者は権力を握ったその瞬間から腐り始めるからに他なりません。
 腐った権力者と、それに忖度し続ける官僚。それが今現在の日本の姿であり、民主主義国家としては既に破綻していると断言できてしまいます。
 
 大半の日本人というのは強きに諂い弱きを踏みつけ、出る杭を寄って集って打つ気質であり、お上に逆らう事を極度に恐れ平身低頭する事を自ら望む家畜です。隙あらば即座に腐り果てる権力機構を冷徹に監視し続ける事を求められる、民主主義国家の市民としての資質など、そもそも彼等は持ち合わせていないと私は認識しています。
 そういう飼育される事を自ら望む愚劣で下劣な唾棄すべき豚が理想とするのは、要するに中国のような政治システムなのでしょう。
 習近平も安倍晋三も己の任期を延長しました。
 任期制限というものは、権力は続けば必ず腐り果てるものだという人類の教訓から設けられていたものですのにね。

奴隷制度合法化法案。

2018-02-24 | 中身
 およそ企業にとって最も削減したいのが人件費です。資本家にとって理想の労働者とは、文句を言わず無償で死ぬまで働く奴隷。それを実現する為の「定額働かせ放題・残業代0プラン」法案が今の国会でゴリ押し通過しようとしています。
 冬季オリンピックなんぞに国民の目が向いている隙に、このような重要法案をそそくさと通してしまおうという性根がどうしようもなく腐り果てていますけれども……ま、自民党は昔から一貫して経団連の使用人ですから特に驚くような事でもありません。
 ただ、どう考えても搾取される側の労働者までもが自民党を支持しているという状況は論理的に考えて度し難いものです。国家や企業に滅私奉公したいなんていう惰弱なカスの思考は、要するに信奉対象と自己の同一化による陶酔が根源にあるものと理解してはいますけれども……酔っ払いの思考システムは理解はできても共感はできません。
 酔生夢死など愚の骨頂。お酒でも煙草でも宗教でも愛国心でも何であろうと、依存し酔っ払うのは現実を冷徹に観察し続ける事からの逃避に過ぎません。何事も酔わずに醒めてやらかしたいものです。