6月7日(日)
マンションの理事会に出てから護国寺へ。44年ぶりに帰国した佐々井秀嶺師の「東京最終講演会」に出席。インドに戻ればもう日本に来ることはないという。インド仏教界の最高峰にいる佐々井師は74歳。護国寺の本堂は満席で、立ち見の聴衆であふれた。声を聞いた瞬間に圧倒された。これほど力強い声を発する人物にこれまでの人生で出会ったことがない。「三帰依文」「五戒」などを読む声はまさに獅子吠え。どこからこのエネルギーが出てくるのだろうか。インドに渡ってからの履歴を語るの背景には差別の重い現実がある。質疑応答でインド共和国憲法を起草したアンべードカル菩薩についていくつかの問いがあった。質問者は「読みましたが」というけれど、それは読書か研究のため。ところが佐々井師は、不可触を救う激しい闘いのための読書だ。言葉を代えれば知ることは闘いと結びついたものであって、解釈のためのものではないということ。「生きることが座禅であり、真言なのです」という力強い語りにいささか戸惑いつつ、佐々井師にとっては現実を変革する道具としての仏教なのだと理解した。「信念、使命、自覚が行動の源」との言葉が染み入る。講演が終わって本堂を出たところで高世仁さんにばったり。立ち話をしていると元統一教会員が声をかけてきた。地下鉄のホームでは、やはり講演を聞いていた知人女性に遭遇。車内では日本テレビのN記者と出会う。成増へ。商店街の人たちと懇談。生きていることの意味を深く思う一日。