有田芳生の『酔醒漫録』

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

ダーウィンの悪夢

2006-08-31 09:18:02 | 映画

 8月30日(水)いま、わたしたちがレストランなどで、それが何かと知らずに食べている白身魚がある。ランチのフライなどでその魚が出さてもわかりはしない。ナイルバーチがそれで、ヨーロッパや日本で「白スズキ」という名前で流通していた。この魚はどこで獲れるのか。東京・渋谷の「シネマライズ」で12月に公開される「ダーウィンの悪夢」は、この魚を焦点に、おぞましいほどの人間格差を描いている。京橋のメディアボックスで試写会を見た。配給会社の女性から「どうでしたか」と聞かれて言った言葉は正直な気持ちだった。「じゃー、どうすればいいの。いい映画なんだけど……」。世界は多くの涙と苦悩で満ちあふれている。わたしたちは知らなければそれで済む日常に暮らしている。この映画を見て、狭い試写室で溜息をついたところで、一歩現実に戻れば無邪気に酒を飲み、さきほど深く嘆いたつかの間など関係なく恋人と戯れる人もいるだろう。何あろう、わたしも嘆き、憤激し、幕が降りたところで「どうすればいいの」と気が重くなってしまったのだった。それでも神保町で酒を飲み、たわいない雑談をして、いまこう書いていても、ドキュメンタリーの世界とこの日常とは遠く隔たっている。そう自覚するほどに、虚しさを感じている。世界を嘆き、批判するならば、その悲惨な現実をどのように背負うことができるのか。先進資本主義国に生きるわたしたちは世界のあまりにも非合理な現実に確かな手触りを感じているだろうか。建て前の教科書的解答ではなく実感としての改革指針はあるのか。「ある」と無邪気に言える人はこのすぐれた映画をテキストにぜひとも答えて欲しい。

 わたしはこの「ダーウィンの悪夢」を身じろぎもせずに見た。その結果、タンザニアに住む「あの娘」や「あの子供」の顔が浮かび、いま気持ちは混とんにある。ナイルバーチを輸送するためにロシアなどからやって来た男たちに10ドルで売春する女のなかにエリザがいた。彼女はいつかコンピューターの勉強をしたいと希望を語っていた。そのエリザはオーストラリア人に殺害される。右足を失った少年は、木製の松葉杖で生きるために食い物を漁っている。夜間の警備で1ドルを得る男は、戦争が起きることを本気で望んでいる。ストリートチルドレンは、薬物を吸引し、灯もない路上で眠る。そのあどけない手の大きさを見れば、彼らがまだ小学生程度の年齢だとわかる。肉食のナイルバーチをヴィクトリア湖に放ったのは誰か。ナイルバーチをヨーロッパに運ぶための輸送機で武器がアフリカに持ち込まれている。武器商人や多国籍企業のたくらみが背景にあるのだ。確立されたこの世界構造とわたしたちの日常はつながっている。これでいいのか、いいわけがない、ならば何ができるのかを問うすぐれたドキュメンタリー映画だ。タンザニアのヴィクトリア湖は、もはや多くの生物が息づく「ダーウィンの箱庭」ではない。そこに定着した「悪夢」とは、じつはこの日本の華やかな表層を剥がした現実でもある。

コメント (3)

石堂清倫さんからの手紙

2006-08-30 10:34:10 | 人物

 8月29日(火)ジムのラウンジで携帯電話を通じてラジオに出演。泳いでから品川へ。舟木稔さんと食事をしながら、これからのテレサ・テンに関連するイベントの打ち合わせをする。第9回世界華商大会が2007年9月15日に神戸で開幕し、17日に大阪で閉幕する。この大会は世界で活躍する華商(中国系の企業経営者)が一堂に会し、経済活動の向上をめざす。日本では外務省、経済産業省、国土交通省が後援し、政治家や財界人が名前を連ねている。実行委員長は蒋暁松・中国人民政治協商会議委員。この蒋氏が台湾のテレサ・テン基金を訪れ、大会への協力を申し入れた。いずれ具体化されるが、この動きに中国政府のテレサという歌手への思い入れが現れている。テレサ・テンの遺志が大陸で形になる日も近い。いつものようにパシフィックホテル東京のバーへ。飯干晃一さんと何度か通った思い出の場所だ。帰宅して資料を整理していたら石堂清倫さんからの手紙が出てきた。人物ノンフィクションを1992年の「サンデー毎日」に書いたとき、掲載誌をお送りしたことへのお礼状だ。その後、奥様が2000年に亡くなり、石堂さんも2001年9月1日に97歳で逝去された。マルクス・エンゲルス全集を翻訳しただけではなく、イタリア共産党の指導者にして理論家のグラムシを日本に紹介した功績は不朽だ。戦争と革命の時代を生き抜いた世代の粒の大きさは、立場の違いを超えて作り上げられたものである。最近の政治家が小粒な理由について「戦争を経験していないからだ」と中曽根康弘元首相は語っている。これは戦争を肯定した発言ではなく、激動の時代が人間を規定するという意味である。創造的理論家がなかなか見受けられない現代にあって、石堂さんの遺したものは、いまなお光彩を放っている。

060829_21090002  清瀬の自宅を訪問したとき、よく手入れされた小さな庭と石堂さんの驚異的な記憶力が強く印象に残っている。私信の公開は本人や遺族の承認が必要だが、いずれも故人となってしまった。文面はプライバシーを侵害するものではなく、わたしの誤認を正す指摘がある。石堂清倫さんのお人柄を偲び、ここに個人的責任で公開する。

 有田芳生様

 このたびは御厚情に浴することができ まことにありがたく存じました 本日ご送付の十部を頂戴いたしました あなたは私のマイナス面には目をつむり「よいところ」をお書き下さったような気がします 本当はこんなではないのでしょうが 老残の私をおはげまし下さったものと ふかく感謝いたします むかしの友人や親戚のものに送ろうと思いますが 晴れがましすぎるようにも思ったりいたします    五月二十七日
                            石堂清倫
 二伸
 ことによるとお電話をいただいているかも知れませんが妻不在のときは 電話がわかりませんので失礼したかと思います それからどうでもよい事ですが、私が戦後東京駅にもどってきたときは三十五でなく四十五でした。 大学のバラック寮を渡辺銀行と結びつけてありましたが、この渡辺の方は 宏徳学寮で本郷へはそのあと移ったのでした べつに改めるほどのことはありませんが、事実だけ申しておきます
 この渡辺銀行の取付が昭和二年の金融大恐慌の発端になったのですが、当主の渡辺勝三郎は 大正デモクラシーの熱気をそのまま持続させたといいたいような人物でした 劇評家の渡辺保氏はその孫ではないかと思います

     (一九九二年五月二十七日付 文中の句読点も原文のまま)

コメント

日本は核武装するか

2006-08-29 10:04:02 | 政談

 8月28日(月)朝、モッツ出版の高須基仁さんから電話があった。「週刊朝日」のコラムに「有田芳生の“飄々”」という原稿を書いたと知らされる。日本テレビに行く地下鉄のキオスクで入手。締めくくりの言葉はわたしが飄々としながらも「永遠の不服従」をしているとある。そうだといいのだが、いや、そうありたい。「ザ?ワイド」で「24時間テレビ」のダイジェスト。そこで出演時の様子がコンパクトに紹介された。ああ、あれは泡盛に酔った顔だと思わず眼を伏せてしまう。番組が終わり赤坂。不安定研究会に出席。今回の講師は『核大国化する日本』(平凡社新書)を出したばかりの鈴木真奈美さん。はじめましてと挨拶をしたら、「昔、六本木で朝まで飲みましたよ」と言われてしまった。「朝日ジャーナル」の編集長だった伊藤正孝さんといっしょだったという。もう20年近くも前のことで、すっかり忘れてしまっている。鈴木さんの話は、原爆5000発分のプルトニウムを抱えている日本の核武装化はあるのかという大きなテーマだ。外務省は「当面核兵器は保有しないとの政策をとるが、核兵器製造の経済的・技術的ポテンシャルは常に保持するとともにこれに対する掣肘(せいちゅう)をうけないよう配慮する」(「わが国の外交政策大綱」)という方針を1969年に内部的に作成している。この文書は94年に新聞がスクープしたが、外務省は存在を否定。はたしていまも効力があるのかどうか。憲法や原子力基本法、さらには二国間協定がある以上、核兵器保持の意思が生れたとしても難しいと鈴木さんは見る。

 新鮮だったことは、原子力の平和利用という言い方への批判だ。本来、核物質に軍事利用も、平和利用もなく、そんな言葉遣いをしているのは日本だけだという。共同通信では北朝鮮が核実験を行う可能性があるとして、もし実行されたらどう報じるかの検討がなされたという。ところが朝鮮総連の国際局に顔を出したというある出席者は、「そんな気配はなかった」と語った。鈴木さんは北朝鮮が核実験を行ったとしても、それは自主開発であるから合法だと主張。わたしは「核の闇市場」で得た技術で開発されたならば、その核を「合法」といえるのだろうかと質問した。鈴木さんは「勉強します」という。ミツトヨの不正輸出などは日本の国内法に触れる犯罪だが、移転された技術を「合法的」に入手したなら、そこに問題は生じないのか。国際間協定を結んでいないから「合法」だという論理が通用するなら、中国で勝手に海賊版の書籍が発売されても、出版上の国際協定を結んでいないから印税を払わなくとも「合法」だという無法を認めることと同じではないか。議論のなかで21世紀にはインドとパキスタンの紛争のなかで核が使用されるという「予測」が紹介された。ありえないことではない。赤阪のバー「木下家」。開高健さんが通っていたと「週刊現代」で紹介された。客が誰もいなかったので「バーらしい静けさでいいね」と言っていたのに、店を出るときにはほぼ満席だった。

コメント

周防正行監督の痴漢冤罪映画

2006-08-28 07:04:03 | 事件

 8月27日(日)毎日のように痴漢で逮捕されたというニュースが報じられている。教師、警察官、官僚、政党職員などなどの肩書きを知っても、もはや驚かなくなった。ある警視庁幹部に聞いた話を思い出した。東京のターミナル駅(たとえば新宿や渋谷)では、痴漢として毎朝のように4、5人が警察に通報されている。ところが担当する署員は少ないから、鑑識まで行って事実かどうかを確認するまでには到らない。ほとんどが逮捕されずに釈放されるのだという。しかも、金銭目当てで痴漢されたと主張する「プロ」(女子高生が多い)までいるからややこしい。この痴漢冤罪をテーマにが撮影している映画は07年1月に公開される。タイトルは「それでもボクはやっていない」。事実でなくとも痴漢として逮捕されると、認めれば釈放すると言われる。ところがその事実がニュースになれば、多くの場合、職場を追われることになる。あくまでも否認すれば3週間は留置所暮らしで、ここでも「痴漢逮捕」は報道される。家族もふくめた人間関係にも亀裂が入り、社会的に抹殺される。痴漢冤罪を避ける方法はあるのか。先日、知人の編集者たちと酒を飲んでいてそんな話題になった。どうすればいいのか。まずは痴漢だという相手や周りにいる人物に名刺を渡したうえで走って逃げる。そして弁護士を連れて警察に対応する。あるいは痴漢だと騒がれたとき、逃げようがないときには、すぐ鑑識員を連れてくるように要求する。警視庁の幹部は、ちゃんと鑑識をすれば、本当に痴漢をしたかどうかは判断できると語っていた。いちいち面倒で、人員も不足しているから、そこまで出来ないのだ。「実際に痴漢をして逮捕されるヤツは、たまたまそのとき逮捕されたので、以前に何度も同じことをしているケースが多い」という言葉が印象的だった。わたしが夜遅くの満員電車に乗らず、金はかかってもできるだけタクシーで帰宅するのは、そんなトラブルに巻き込まれたくないからだ。

05main  いつものことだが、まれにバラエティ番組に出たあとは気分がどこか落ち着かない。今日は一歩も外出しなかった。長男のベッドに横になり、まずは昨日買ってきた奥野修司さんの『心にナイフをしのばせて』を読む。1969年に神奈川県のサレジオ高校で起きたのは、当事15歳の少年が同級生を殺害、首を切断した猟奇的な事件であった。この加害者は少年法に守られ、医療少年院を出てから大学に進学、いまでは弁護士をしている。一方、被害者の母と妹は精神的に追いつめられ、苦労をしながらこれまで生きてきた。事件後、すっかり白髪となり廃人のような時期もあった母親は、いまでは年金でつましく暮らしている。ところが弁護士となった加害者からは、いまだ謝罪もなければ、慰謝料さえ払われていない。日本ではこんな不条理が現実にまかり通っている。ひどいもんだ。精神の奥に平穏を求めて節談説教を聴く。広陵兼純師の「加典兄弟」と寺本明観師の「大根屋」だ。力と枯淡。仏教の教えが節を付けて語られる物語として伝えられる。会場から共振するようにわき起こる「受け念仏」は、説教が確実に聴衆に届いていることを示している。今日は「文化の日」にしようと、テレサ・テンの中国語版を聴く。「忘記他」がいいなと感じた。再びベッドに横になり本を読んでいたら、いつしか夢のなか。プールで泳いでいると、水が抜けていくので、栓をしたところで目が覚めた。再びテレサ・テンを聴きながら単行本『X』の資料を整理する。

コメント (1)

「24時間テレビ」に出演した

2006-08-27 10:12:42 | 酔談

 8月26日(土)夕方、池袋「おもろ」で泡盛三杯を飲み、リブロで新刊を漁る。購入したのは奥野修司さんの『心にナイフをしのばせて』(文藝春秋)と渡辺京二さんの『神風連とその時代』(洋泉社新書)。本を読むのに車内で眼鏡を外していたが、下車してからもそのまま歩く。浴衣を着た二人の女の子が両親と手をつないでいた。おぼろな視野。こんな時代もあったのだなとふと感傷的になる。遠くからは小学校で行われている夏祭りの音頭が聞こえてきた。夏休み最後の週末。2006年の夏も終る。そろそろ時間だと酔いを醒ますためにシャワーを浴びていざ出陣。日本テレビで明日まで放送される「24時間テレビ」に出演するためである。クリームシチューがフジテレビで仕事をしているため、その時間だけの代役。レーザーラモンHGと立ち話。「RGをよろしくお願いしますよ」と相方を気づかっていた。出演が終わり、銀座まで歩く。空腹を感じていたので「にしむら」に入ろうとしたが、中に人はいるのだが看板が消えていた。まだ開いていた「ル・ヴェール」でビールを飲み、ホッとする。最近は地下鉄のなかで吉村昭さんの『戦艦武蔵ノート』(文春文庫)を熟読している。かつて漫然と読んだときとは異なり、こんどは調査・叙述方法を「盗み取る」ためである。吉村さんがこの仕事に取り組んだのは1965年。戦争が終ってから20年目のことだ。「戦艦武蔵」の生き残った搭乗員はまだ40歳代、建造に関わった多くの人からも聞き取りが可能だった。「あとがき」を数えてみると調査協力者は73人。

060827_00060001  いま取り組んでいる単行本『X』は、戦後60年の時点で調査をしているため、多くの関係者がすでに鬼籍に入ってしまっている。史料の発掘はできても証言を得る難しさがある。それは生存者であってもだ。最近あるジャーナリスト(故人)の取材ノートを見る機会があった。1971年の取材ではわたしの取材対象からも話を聞いている。そこで疑問が生じた。1971年の時点で1946年のある劇的な一日のことを聞いているのだが、そこには新事実が記録されていた。それをご本人に確認したのだが、「そんなことはありません」という。もし事実ならば忘れようがないことだと思うのだが、否定の言葉が戻ってきた。単純に判断すれば、25年後の記憶の方が60年後の記憶よりも正しいはずだ。時間の経過のなかで忘れてしまったのだろうか。しかし、人生において深く大きな精神史的意味を持つ出来事を、細部が違うというのではなく、全否定なのだ。すると当事の証言が、事実ではなかった可能性も出てくる。「口が滑った」ということはありうるからだ。ならば、それから34年後のわたしの取材にも同じように答えただろう。かつて事実でないことを語ったため、それを訂正したということもありえるが、証言者はそんな人格ではない。残った可能性は、取材者が勘違いをして記録してしまったということだが、それもいまやわからない。そこで必要なことは、証言者が語ったことが現実に「ありえた」ことなのかを調べることだ。歴史を確定することは難しいものだ。

コメント (1)

高校野球残酷物語とバーボンソーダ

2006-08-26 09:47:36 | 酔談

 8月25日(金)ジムのラウンジで「サイゾー」の取材を受けてから泳ぎ、歩いた。体重に変化なし。東銀座の松竹試写室で「赤い鯨と白い蛇」を見る。愛すべき岩波ホールで公開されるので、嫌味は言いたくないものの率直な感想を一言。テーマ(意図)は理解できるが、枠組みと物語の展開でいくつもの疑問がある。何とも中途半端なのだ。テレサ・テンのドラマ化に関わっていて思うことは、脚本とキャスティングは決定的だ。提出された問題がきちんと説明されていない。そこに不満のある映画だった。そんなことを思いつつ銀座まで歩く。「てつ」のカウンターで店主と雑談。高校野球で早稲田実業が優勝したとき、実は先輩である王貞治さんは、なかなか厳しい感想を語っていた。そう言うと野球好きの店主は言った。「斉藤を持ち上げて美談に仕上げるマスコミは間違いですよ」。まったくその通りなのだ。いまだワイドショーで大きく取り上げられるようだが、もっと大事なことがこの日本にはあるだろう。「週刊文春」が両親にインタビューして「赤点人生」とタイトルに付けたら、多くの抗議電話があったという。「草木もなびく」日本人の精神風土は困ったものだ。斉藤佑樹投手は4連投、69イニング、948球を投げている。「残酷ですよ」とは店主の言葉。これほど投げれば毛細血管は大きく傷ついている。野球選手の将来を思えば、このような軍隊式の高校野球のあり方を考慮しなければならないというのだ。ところがメディアで氾濫するのは、ただただ「斉藤ブーム」を煽るだけ。早実を優勝に導いたのは、斉藤投手だけではあるまいに。ワイドショーならば、こうした機会に斉藤投手とボクシングの亀田の対談でもやってみたらどうか。ゲリラ的意味合いのあるワイドショーが、絶賛、絶賛では翼賛にすぎない。

060825_21480001_1  つまらんなと思いつつバー「ル・ヴェール」。いつものようにワイルドターキー8年のソーダ割りを注文。バーテンダーの佐藤謙一さんにどうして店によって味があまりにも違うのかと訊ねた。2日前は四ツ谷荒木町のバーもどき。カウンターで同じ商品を注文した。バーテンダーはグラスにまずバーボンを注いだ。そこで驚いた。ソーダ水を無造作にドボドボと注ぎ、まるで水割りのようにマドラーで力を入れてかき混ぜたのだ。口にして「まずい!」と思った。昨夜は目白のフォーシーズンズホテルのバー。友人の厳しい身の上話を聞きながら、やはりワイルドターキー8年のソーダ割りを頼んだ。これまた美味しくないのだ。佐藤さんに訊ねたのは、同じバーボンとソーダ水なのに、どうしてこうも味が違うのかという疑問だった。佐藤さんの説明はよくわかる。まずバーボンをグラスに注ぎ、さらに静かにソーダ水を注ぐ。そこでマドラーを静かに1回転半する。見ていてもそれだけなのに、味がまったく違う。美味しいのだ。どうしてですかと聞いたところ佐藤さんは言った。「かき混ぜるとソーダの美味しさが消えてしまうんです」。基本に基づいて丁寧に仕事をする。どんな世界にも必要なことだ。

コメント

米原万里のスゴイ本

2006-08-25 08:53:23 | 読書

 8月24日(木)ジムに行くか、それとも神保町に行くか。知人たちとの会合までの時間をどう過ごすかで迷った。銀 座線に乗ってからも決断がつかなかったが、赤坂見附でふと降りてしまった。半蔵門線で神保町へ。高岡書店でコミック新刊を眺め、東京堂書店。米原万里さん の遺作『他諺の空似』(「たげんのそらに」と読む。光文社)を買う。「ことわざ人類学」とサブタイトルにあるように、日本の諺が世界のそれと似ていること を、さまざまな物語として描いた傑作だ。「小説宝石」に2003年から06年まで連載されたエッセイは1月号で終っている。水道橋まで歩き、「珈琲エリ カ」でさっそく読みはじめる。最初のテーマは「医者の不養生」。最近の若い人たちの表現を使えば「あわわわ」という内容だ。エロにして高尚な文章。これが 万里さんなのだと感嘆する。急いで読むのはもったいないと判断し、本を閉じた。不快なことは、冒頭に作家の阿刀田高さんの文章が置かれていることである。 これはないだろう。遺作の冒頭に置くべきではない。万里さんに失礼である。わたしが編集者なら、どうということもない文章など、あくまでも解説として巻末 に置く。いったい誰がこんな判断をしたんだ!ボヤキ漫才なら声を荒げるところだ。「文字の配列?つまり文体」(吉村昭)の見事な手本がこの著作にはある。 『打ちのめされるようなすごい本』は、万里さんが書いてきた書評集。9月13日に文藝春秋から発売される。

 韓国の統一教会員700人ほどが東亜日報本社を襲撃、 社内に入り込んで8時間半にわたって暴力を振るった。『新東亜』9月号が「大解剖・統一教王国」を掲載したことへの抗議だという。まだ入手していないの で、その内容がどのようなものかはわからないが、言論に対して暴力で応じることなど、断じて許されないことである。襲撃部隊の人数から判断し、この暴力行 為が組織的であることは明白だ。この蛮行を日本のマスコミは報じたのだろうか。86歳になった文鮮明教祖の後継者問題があれこれと取りざたされているよう に、この宗教も世代交代の時代に入っている。日本の統一教会会長が代わり、その子息が文ファミリーに連なったことも新しい動きだ。最近は「摂理」と関係が ないとマスコミに抗議行動を行っている。わたしのところにも「抗議及び謝罪・訂正要求」が送られてきた。こうした問題はすべて公開した方がいいので、ここ に 回答書
とともに全文を紹介しておく。


コメント

現実に届く評論家の条件

2006-08-24 09:21:12 | 思索

 8月23日(水)テレビ朝日でテレサ・テンのドラマ化の打ち合わせをした。ジムの水のなかで思う。最近惑うことは理想と現実という問題。なし崩しの現実主義があちこちで横行している。そうした場面に遭遇したとき、人は黙するのか、あるいは「降りる」べきなのか。断固とした拒否も選択の一つだろう。理想と現実があれば、その理想に向うことが大事なのであって、「現実」という名目によって理想を歪めるべきではない。安倍晋三官房長官が憲法改正を総裁候補の政策とするというが、これもまた理想を現実に拝跪させる道だ。「集団的自衛権」の行使とはいっても、靖国問題と同じで具体的かつ概念的な説明は行われそうもない。「どなたさま」も「現実主義」という便利な捨てゼリフを掲げて強引に進んでいこうとする。ここにも本音=自己利益を隠した実感なき経験幻想がある。俗っぽい感情でいえば「冗談じゃないぜ」という言葉を投げつけたい対象があちこちにいるのだ。そんなときは迂遠に見えるけれどもいちど原理に立ち返り、対象から距離を置いて眺めてみるにかぎる。たとえば靖国問題。三上治、富岡幸一郎、大窪一志の鼎談をまとめた『靖国問題の核心』(講談社)が面白い。戦前は国家祭祀の非宗教施設だった靖国神社が、戦後になると私的な宗教施設となった。戦死者をどのように顕彰するのかという問題は、そこから検討していかなければならない。日本が近代国家として発展していくなかで、国家祭祀が重要だと唱えたのは、会沢正志斎の『新論』(1825年)だった。


 『新論』は明治維新で尊王攘夷の立場にある志士たちのバイブルだった。そうした視線で戦争を振り返ったとき、東京裁判によって日本人の認識から欠落していたものがある……。難しいのはこうした評論がなかなか現実的な社会力に結んでいかないことである。かつては羽仁五郎さんなどが、現実に生起している事象を取り上げて原理的分析を行うことで影響力を広げていたものだ。メディアでの言説を有効に発信できる評論家はいまやどこにいるのだろうか。たとえば昭和天皇が「A級戦犯」の靖国神社合祀に不快感を表していた問題がある。イデオロギー優先の評論家やジャーナリストは「検証が必要だ」との当たり前の言葉を吐くことで失望や戸惑いを隠した。『文藝春秋』9月号は、富田メモを実際に見た半藤一利さんや秦郁彦さんの座談を掲載している。そこではメモをスクープした「日本経済新聞」が書かなかったこともふくめて、富田メモの信憑性を明らかにしている。ここでも現実に届く評論とは何かという問題がある。使いかってのよい「現実」を自分の利益に負わせるのではなく、事実=現実を曇りない出発点とすればそこに説得力は生れる。タコ壺に入り込んだ評論家と、現実に届く評論家との違いである。ここでも立花隆さんの論説には説得力がある。


コメント

三浦しをんの「人生激場」

2006-08-23 08:37:59 | 人物

 8月22日(火)半蔵門で降りて東宝東和試写室で「ブラックダリア」の試写を見た。1947年にアメリカで起きた猟奇的事件を題材にした作品で、ドキドキする2時間だった。原作を映画化するときに、いかに見せるかの工夫は難しい。映像手法を活字でどう生かすことができるのかと思いながらスクリーンに見入っていた。人間関係の複雑な入り組み方は、文字でなく映像では、注意していないとあっと言う間に過ぎていく。物語としては現代のアメリカの犯罪事情を象徴することとなるが、日本でも話題のジョンベネ事件とも関わって意外な発見があった。大きく報じられる事件があると、そこには必ず「自白マニア」が出てくるという。世間の注目を浴びたいという意識が、逮捕されたり事情聴取される苦痛よりも優先する人物がいくらでも生れるのだ。人間とは何と不可解な存在なのだろうか。タクシーで東京会館へ。午後6時から芥川賞と直木賞の授賞式とパーティが行われた。華やいだ席には原則として出席しないことにしているのだが、今回は例外だ。直木賞を29歳で獲得した三浦しをんさんから出席してはどうですかというメールをいただいたからだ。わたしと知り合ったエピソードについては『人生激場』(新潮文庫)に書いてある。会場では朝日新聞文化部の中村謙さん、岩波書店社長の山口昭男さん、作家の藤田健二さんなどなどと会った。渡辺淳一さんは和服姿で、華やかな女性たちに囲まれていた。不思議に思うことは文学関係のパーティにはいつもクラブの女性たちが来ていることだ。作家の声がかかって入り込むのだろうか。会場は満杯。金原ひとみさんと綿矢りささんが芥川賞を受賞したとき以来の賑わいだという。中村さんと最近の文壇事情などを話しているうちに受賞式がはじまった。

060822_18260001  直木賞の選考委員では宮城谷昌光さんが三浦さんと森絵都さんの作品について語った。印象的だったことは、三浦さんの受賞作は「出したものをちゃんと仕舞っていること」だという。作品のなかで提出した問題を、曖昧にすることなくすべて解決させているという意味だ。小説によっては、読み終えたところで「あれっ、あの問題はどうなったんだろう」と思うことがある。三浦さんの作品にはそれがないというのだ。受賞挨拶が終わり、歓談の時間となった。用意された料理は見るからに質がいい。それにほとんど手を付けず、知人たちと雑談。三浦さんにお祝いを告げようと会場の前に向ったところで「古事記」研究などで知られる千葉大学教授の三浦佑之さんに会った。しをんさんの父だ。そのうれしそうなお顔を見て、こちらまでほんわかとした気持ちになった。奥様と息子さんを紹介していただく。しをんさんに次の作品を聞いたら、9月に新潮社から『風が強く吹いている』という書き下ろしが出るそうだ。テーマは駅伝で、ここ4、5年ほど書いてきたという。二次会に誘われたが、またまた深夜になりそうだと判断して神保町に。「家康」で日本酒を飲み、「ジェイティップルバー」でバーボンを飲む。三浦しをんさんの受賞をうれしく思うとともに、活字世界の雰囲気がやっぱりいいなとしみじみ感じ入る。頑張らなくっちゃ。

コメント

永井荷風と寅さんの「飯田屋」

2006-08-22 10:35:02 | 酒場

 8月21日(月)西浅草2丁目を歩く。午後7時前にしてすでに商店街の多くは閉まっていた。刃物や麺類などの専門店、歴史を感じさせる喫茶店が眼を引く。風格あるたたずまいの料理屋を見ると浅草だなと思う。晩年の永井荷風が好んで通い、「フーテンの寅さん」の撮影現場となった「飯田屋」の暖簾をくぐる。どじょう料理の店だ。寅さんが甥の満男にはじめて酒を飲ますが、本人が酔ってしまうシーンを撮影したという。明るい玄関口には多くの客がいた。階段の上がりかまちにいた高須基仁さんに案内されて二階へ。広間はほぼ満席。話し声の飛び交う明るい雰囲気がいい。個室に入る。雑談をしていると安西水丸さんが入ってきた。この会食はブログ用の似顔絵を描いてくれた安西さんにお礼をするためのもの。高須さんが安西さんを紹介してくれたのだった。「ぼくの似顔絵は似ていないんですよ」とご本人は言うものの、見慣れてくると似ているようになじんでくるから不思議だ。「村上春樹さんの似顔絵も、だんだん似てきたんですよ」という。どじょう鍋で日本酒を飲みながらあれこれとエロス雑談。やがてお二人の共通の知人「善吉」さんがやってきた。浅草で生れ、育ってきただけある粋人の風貌だ。「飯田屋」を出て「善吉」さんが予約していた「萬鳥」へ。そこに東京新聞したまち支局長のSさんが合流。ここで終るかと思っていたのが誤算だった。

060821_18430001_1  高須さんが「最近はスナックがないでしょ」と言い出し、「行きましょう」と連れていかれたのが「ハレム」という店だった。「バー」という看板だが、昔風のスナックといったほうがわかりやすい。テーブル席には中高年客がぎっしり。店の犬と客が連れてきた犬が自由に歩き回っている。「やりましょう」と安西さんのカラオケは井上陽水の「とまどうペリカン」。高須さんは島倉千代子の「東京だよおっかさん」。わたしは加藤登紀子の「時には昔の話を」。選曲にも世代が現れている。客も和気あいあい。店主は元SKDの女性で、マイクを持てば迫力ある声で絶唱。75歳だというから元気なものだ。カラオケボックスが流行っているが、これからは中高年を相手にした店が必要になってくるだろう。そういえば牧太郎さんがご贔屓にしている「ひまわり」も浅草にあることを思い出した。いい喫茶店、いいスナックが消えていくなかで、浅草にはまだまだ庶民文化の拠点が残っている。深夜営業の蕎麦屋に行き、店を出ると午前2時半になっていた。26日には日本テレビの「24時間テレビ」に出演することになっているので、体調を整えておかなくてはならない。しばらく自重の身だ。

コメント