1月31日(火)オウム信者だった平田信容疑者、斎藤明美容疑者の起訴が報道されている。そこで捜査当局からの情報とコメントが流れている。ポイントは出頭時に800万円を持っていたから、教団の支援があったのではないかというもの。「半年で500万円ほど使った」との供述が使われている。しかし平田容疑者は「500万円」との供述はしていない。さらに17年も前の逃走資金の使途を詳細に思い出せるのかどうかの疑問もある。ここでサリン事件実行犯だった林泰男死刑囚の逮捕時の供述調書を紹介しておく。林が平田と名古屋で会ったのは、1995年8月20日。その夜の会話を逮捕された翌96年12月に語っている。「いま、いくら持っているんだ」との林の問いに平田は「100万円くらいだ」と答えたという。林はさらに「いままでいくらもらった」と聞く。「3月に石井(元教団大蔵省大臣)から、野田(元教団車両省大臣、平田の上司)に渡すお金を1000万円受け取った。それをそのまま野田に渡し、そこから200万円もらったんだ」。事件からそう時間の経過していない時点での供述のほうが、より事実に近いだろう。しかも逃走資金を渡す任務を与えられていた平田は、誰にいくら渡したかを語りたくないのかもしれない。罪にもならないことで人の名前を出せば、捜査が及ぶからだ。オウム真理教と残党に対する警戒感を持つのは当然だ。しかし平田容疑者たちが「何かを隠しているにちがいない」との思いで情報を操作するのはいかがなものか。ここで斎藤明美容疑者のコメントを全文紹介しておく。「今日、私は犯人蔵匿の罪で起訴されました。しかし私が償うべきは、オウム真理教の信者だったということから始まります。私は心も体も教団にあずけ、財産を布施し、ワークをしたことで、教団が引き起こした数々の犯罪を支えてしまいました。大変申し訳ありません。これから裁判にあたっては、真摯にすべて正直に話すことを約束します。最後に、逃亡し続けたことで、オウムの犯罪被害者の方はもとより、社会に不安感を与え、本当に申し訳ありません。また職務を全うして来られた警察関係の方々にも、お詫び申し上げます」。
3月30日(火)東京新聞から警察庁長官銃撃事件の時効についてコメントを求められる。警視庁がオウム真理教の犯行だとする文書を公表したからだ。ツイッターに感想を書いた。〈「警察庁長官銃撃事件の捜査結果概要」。麻原彰晃指示で「教団信者グループにより敢行された計画的、組織的なテロであったと認めた」と結論。「認めた」のは警視庁。疑われた信者は誰も「認めていない」。最難点は実行犯の不特定と特殊な拳銃・銃弾の入手ルートが全く未解明なこと。〉どこで方向を転換すべきだったのか。初期段階では平成8年にそれまで実行犯と推測されていた平田信逃走犯や元自衛隊員信者の関与がほぼ否定されたときであり、最終的にはK元巡査長の変転供述に振り回されたあと平成16年に4人を逮捕、不起訴処分となったときである。それからでも6年の時間があった。麹町で雑用を済ませて神保町「萱」。K社長から興味深いネット新兵器「ポーケン」を紹介される。
3月29日(月)京橋のホテルで読書。駅前の立ち食いうどんで朝昼食。読売テレビ「情報ライブ ミヤネ屋」に出演。15年前に起きた國松孝次元警察庁長官銃撃事件が時効を迎える。はたして犯行はオウム真理教によるものか、それともスナイパー中村泰によるものか。事件当時からいままで警視庁公安部幹部たちは「120ぺーセントオウムの犯行だ」と断言してきた。しかしK元巡査長のブレまくる供述に振り回されてきたのが、捜査の実態だった。一方で銀行強盗など銃器犯罪を行った中村は自ら「長官を撃った」と供述し、警視庁刑事部の捜査によって犯行に使われたコルト・パイソンやホローポイント系357マグナム・ナイクラッド弾を所有していたことも明らかになっている。オウム捜査の無理と中村の高い可能性については鹿島圭介『警察庁長官を撃った男』(新潮社)が、中村による「秘密の暴露」をふくめて、きわめて詳細な事実をつまびらかにしている。新聞記者だと推測される筆者のすぐれた取材が、紙面に充分には反映されないことにメディアの深い問題がある。この中村の「自白」をもとに捜査を進めるなら、偽造パスポートによる海外渡航時間は時効の停止となるので、まだ10か月ほどある。警察幹部がこれまでの面子にとらわれずに真相を明らかにする立場を取ることを期待する。大阪駅近くの立ち食い串揚げ「松葉」で一休み、東京へ。六本木の森タワーにある「JーWAVE」で「JAM THE WORLD」に出演して、竹橋の毎日新聞。二木啓孝さんと落ち合って10時半から情報交換。
10月16日(金)
東中野にある「ポレポレ東中野」で橋本信一監督の「1000年の山古志」を見る。中越地震で被災した山古志はこれまでメディアで何度も取り上げられてきた。しかしそこで再建をはかる人たちの「等身大」の努力はなかなか伝えられることはなかった。苦難のなかから新しい挑戦をする姿は感動的だ。たとえば「上田さん」という女性は自ら山のなかに入り、ホースを延ばして田んぼに水を引く試みをする。ナタで雑草を切り払い、目的に向って進んでいくシーンは素晴らしい。人間はこうして自然のなかで生きてきたのだ。ごく普通の人々の淡々とした、しかし着実な営みは気高い。日本橋の「丸善」へ。新刊書籍を見渡すものの購入を控える。ここまで来たならと下山事件でしばしば登場する「ライカビル」へ向う。佐藤一さんの遺作『「下山事件」謀略論の歴史』(彩流社)を読んでいると、「他殺説」よりも「自殺説」の方がよほど説得力があるように思えてきた。近所の商店で聞いたところ、数年前に取り壊され、ビルに立て替えられたという。たしかに立派な食品会社になっていた。近所の人たちにかつての様子を聞いたが、30年も商売をしている人なども「ライカビル」の来歴をまったく知らない。立派な乗用車の近くで白い猫が悠然と佇んでいた。この猫は「ライカビル」を見ただろうか。この眼で確かめたかった。歴史はこうして消えていく。歌舞伎座裏の「越」で選挙の慰労会。招いてくださったのは、共同通信編集委員の岡田充さん、元編集局長の林雄一郎さん。林さんのベトナム(サイゴン)特派員時代のこと、バラク・オバマ大統領の評価、鳩山政権の外交政策、中国の今後など、何だか個人授業を受けているようでとても刺激的かつ楽しかった。
4月16日(木)板橋の大谷口北町、中丸町などを歩く。道行きつつ、顔見知りになった方々と、何度かすれ違い、ご挨拶。「週刊新潮」の「騙された」との記事。このままでは終わりそうもない。朝日新聞社が新潮社に求めている謝罪が居丈高であるように私は受けとめている。しかし、新潮社は朝日新聞にあくまでも謝らないそうだ。だが、このまま突っぱねていれば、朝日はさらに取材を続けるだろう。「週刊新潮」は抗議してきた「右翼」への対応が明らかになってもいいのか。記事を書いた編集長は「右翼」にどのような「謝罪」を行い、具体的にどうしたのか。「人の口に戸は立てられない」。「週刊新潮」だけでなく週刊誌界全体への信頼性が問われている。それゆえに新潮社の対応がさらに必要だ。朝日新書編集長の岩田一平さんから電話があった。保阪正康さんから私への伝言を教えてくれた。単行本『X』の主人公である木村久夫さんについての情報だ。日本経済新聞に現在連載中の「私の履歴書」は、博報堂最高顧問の近藤道生さん。その近藤さんが木村さんの上官だったと書いているそうだ。知らなかった。現場周辺では新聞販売店も見当たらない。記事を入手することを知人に依頼した。
4月15日(水)
「週刊新潮」が朝日新聞襲撃「ニセ実行犯」に騙されたとの編集長手記を読み、がっかり。たんなる経過報告だ。「騙された」というが、結果として読者を「騙した」との苦悩がまったく見られない。社内処分がないことにも違和感がある。「完全な誤報」というが、「架空話ではない」とする。作られた物語を普通は架空という。第三者の検証委員会を設けるべきだろう。徳丸、赤塚、四葉などなどを走り、歩き、挨拶をし、了解を得てポスターを貼っていく。ひとつの定式化したリズム。これを定石とせずに新しい試みをするつもりだ。赤塚でポスターを貼っていたとき、バイクに乗った創価学会の青年が話しかけてきた。路上対話で政治の現状と板橋のことを聞き、とても興味深かった。近くの区立美術館で「幻惑の板橋 近世編」を展示していると知ったのでしばし観賞。入場は無料。
室町時代から江戸時代まで400年も続いた狩野派の始祖である狩野正信などの作品が鮮やか。係員に美術館の現状を伺う。広報方法など、さまざまな課題を思う。「赤のれん」で昼食。店主夫人の紹介で近所の会社に勤める女性3人に挨拶、リーフレットを渡す。大山の事務所から東武東上線で池袋へ。座席に座れば、前の席に座る男性が「非正規の労働者の待遇を改善してください」と握手を求めてきた。リーフレットを渡したところ、左隣の和服女性も声をかけてきた。さらに右隣の女性も。宣伝物を手渡し、それぞれと握手。こんな経験ははじめてのこと。形態は異なるとはいえ、小選挙区での闘いとはこうした連続ばかり。麹町で下車。草野仁さんと相談事しばし。再び事務所へ。拉致問題の解決を求める意見広告運動で、「7人の会」と寄附を寄せてくださった多くの方々を代理して書類にサイン。これで4月末の紙面掲載はほぼ確実となった。
3月20日(金)
テレビ朝日「スーパーモーニング」に出演した。地下鉄サリン事件から14年目に当たる特集だ。事件を振り返り、被害者の現状を明らかにするのがひとつ。もうひとつのテーマはオウムの最新事情と若者。終わってから「早口でしたね」と知人たちからいくつかの感想をいただいた。ごく限られた時間に「語らなければならない」ことを口にするには、そうするしかなかった。事件当時は大学生だったというキャスターは、常連コメンテーターに「そのとき何をしていましたか」という質問からはじめた。私にすれば「どうでもいいこと」。スタジオ時間は限られている。ゲストを2人呼んだなら、できるだけじっくりと語らせるべきだ。スタジオにいながら「ザ・ワイド」を思いだしていた。草野仁さんは専門ゲストを招いたなら、予定時間を超えてでも、語らせていた。視聴者もそれを望んでいると判断していたからだ。オウム事件の影響は、97年の神戸少年事件、さらに99年から2000年に起きた「17歳の犯罪」、さらには「いま」にまで連鎖している。広瀬健一被告の貴重な手記を取り上げたのだから、もっと内容を紹介すべきであった。「時間がない」のではなく「時間を作る」ことが大事なこと。おざなりでスケジュール報道をするばかりのニュース番組。それに比べれば、「特集を」という志ある判断に敬意を表しつつ、番組進行に工夫をと思う。局を出れば強い雨。表参道のジムへ。誰もいないプールでひとり泳ぎ、歩く。地下鉄で池袋経由、大山。雨も上がり、弥生町、清水町、小豆沢2丁目を歩く。いまでは珍しい「一里塚」を志村に発見。事務所に戻り、夜は高世仁さんと打ち合わせ。
1月29日(木)定例の役員会を終えて大山の事務所へ。近く貼りだす田中康夫代表とのポスター見本を事務所入り口に掲示。その間もIさん、D君が志村、大原町、前野町を走ってくれる。あちこちでポスターが剥がされていることを発見。そこに再度掲示していただく作業は14か所。近くの喫茶店「ディラン」で珈琲を飲みながら資料を読む。未知のお客さん4人から声をかけられる。事務所に戻り、31日に開催する「有田塾」の準備。遅くに家人と近くの「鏑屋」。他のお客さんと相席で食事。店を出るときにあちこちのテーブルから声がかかり、それぞれにご挨拶。「鳥の眼」で日本を見つめつつも、いまは板橋を「虫の眼」で探索。それでも書いておけなければならないことがある。それは「週刊新潮」に掲載された「私は朝日新聞阪神支局を襲撃した」という「実名告白手記」についてである。1987年5月3日の事件のことは絶対に忘れることができない。あの事件の直後には「万が一のため」に「朝日ジャーナル」で仕事をしていた私の自宅の所在を記者が確認しておくという出来事まであった。ちょうど霊感商法批判キャンペーンに加わっていたからだ。尾行まで付いていたときだから緊張しつつ仕事をしていたことを思い出す。私にとっても「赤報隊」事件はずっと取材対象でもあった。
今回の記事で告白した人物についていえば、事件についての「秘密の暴露」が(いまのところは)ない。それどころか私が知る限りでは、事件現場について事実とは異なる証言をこれまで行っていた。たとえば犯行に使った散弾銃は自動式だと語っていたのではないか。それがこんどの告白では「2発撃つと、一旦空薬莢を取りだして新しい弾を込めなければ次を撃てない」と変更している。動機もふくめていくつもの証言変更がある。それをいまここに書くことはしない。これまでにも国松警察庁長官銃撃「実行犯」の告白や坂本弁護士一家殺害事件「実行犯」(オウム信者ではない)の告白などがあった。いずれもきわめて詳細でリアルなものであった。ところが事件現場と細かく照らし合わせると、事実と異なることがわかり、結局はいずれも事件とは無縁であることが判明する。こんどの告白者によれば依頼者は「ある公的な組織に属する人物」だという。その人物がこれからの連載で具体的に!語られるのかどうか。連載は3回だという。この事件を真剣に追ってきたひとりとして「週刊新潮」の今後の展開に期待したい。
11月22日(土)
厚生元次官夫婦殺害事件の犯人が出頭。その生活環境などを知るにつけ、疑問はふくらむばかり。無職から自営業。父親は「フリーターのようなもの」という。しかし、その仕事が何かはよくわからない。「ペットを保健所に殺されて腹が立った」との供述が年金改革をした事務次官経験者と結びつくはずがない。何より現住所をどのように知ったのか。「識者」が「インターネットで知ることはできる」などといい加減なことを言っていたが、それはない。オウム事件当時の村井幹部刺殺事件を思い出す。実行犯は逮捕、服役したが、その背後にいた暴力団の意図はいまだ解明されていない。どうも「司令塔」があるような気がしてならない。
都内某所。統一教会問題の解決を求める家族の集会でディープな情報を語り、選挙への支援を訴える。統一教会が相も変わらず政治家への接近を図っている最大の意図は、文鮮明教祖の入国だろう。次期総選挙で危ない政治家にとっても、組織的支援は背に腹をかえられない。統一教会の機関紙「中和新聞」を見ていたら、いまから16年前の私の写真(テレビに出演しているもの)が掲載されていた。関連記事では経歴まで紹介されていたが、事実誤認が多い。筆者は統一教会広報部長。かつて大阪の「一心館」で印鑑や壺などを売っていた人物だ。まさに霊感商法の販売員。プロテスタント系のクリスチャンだったから印鑑販売には多少抵抗を感じたようだが、「神の御旨」ゆえに熱心に販売していたとの証言がある。
大久保にある東洋鍼灸専門学校。竹村文近さんたちと待ち合わせて「東鍼祭」の展示を見る。即売で「集毛鍼」を購入。肩凝りなどに使う鍼は自分で使用できる。シンポジウム「鍼灸医療の可能性」を少しだけ聞き、無料の「あんま」と100円の「棒灸」を体験。代々木の「馬鹿牛」で腹ごしらえをして六本木のサントリーホール・ブルーローズ(小ホール)へ。日本リヒャルト・シュトラウス協会の例会。高橋アキさんのピアノ、吉行和子さんの朗読で、ピアノのためのメロドラマ「イノック・アーデン 作品38(1897年)」を観賞。