有田芳生の『酔醒漫録』

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嫌がらせか激励か?

2009-07-31 06:11:13 | 東京・板橋

 7月30日(木)090728_16100001 高島平在住83歳男性から有田および新党日本への激励をいただいた。定例の役員会。兵庫8区で奮闘する田中康夫代表に現地の事情を聞く。「ここはアマ(尼崎のこと)やで」と毒づき尾行する面々にさもありなんと思う。そういえば昨日のこと。大山駅前でマイクを持ったとき、ある中年男性が左手を口に添えて大声で叫んだ。「いよっ!スターリン」。マニアックな掛け声は世間にほとんど通じないだろう。あれは嫌がらせだったのだろうか、それとも風変わりな「激励」だったのか。夕刻の事務所。板橋で市民運動を続けている方々の来訪あり。民主党本部のNさんと菅直人さん応援とそれからの行動について打ち合わせ。電車で移動時の読書は日垣隆さんの『秘密とウソと報道』(幻冬社新書)。書店で目次を立ち読みしただけでレジへと向う。最近の読み物でこれほど面白いものはない。


民主党の菅直人さんが応援に

2009-07-30 08:48:09 | 東京・板橋

 7月29日(水)090728_13490001 朝は高島平駅。ある意図を持っての訴えは戦略的なもの。下赤塚駅前で降ろしてもらい長女と喫茶店でモーニングサービス。民主党の長瀬達也区議に案内されて訪問活動。大山の事務所に戻り、雑務をこなす。宣伝物の打ち合わせをして、夕刻から駅前で訴え。「日刊ゲンダイ」の撮影あり。フジテレビ特番のT記者の姿も。8月2日の午後12時50分から民主党代表代行の菅直人さんが応援に駆けつけてくれることになった。急きょチラシを配布する。


夜半の会議

2009-07-29 06:00:49 | 東京・板橋

 7月28日(火)志村坂上、加賀町、稲荷台、本町、南町、中丸町などなどを街宣していたときのこと。夕刻に携帯電話が鳴った。民主党の小沢一郎代表代行からだった。現状と問題点のアドバイス。夜9時に民主党本部選対のNさんが事務所に来てくださった。これからの行動について打ち合わせる。


大山に虹を見た

2009-07-28 08:50:58 | 東京・板橋

 7月27日(月)090727_18200001 ボランティアスタッフのAさん、Mさんに加えて、長男、長女、次女が揃って蓮根駅。「小沢一郎方式」でさらに西台駅。事務所に戻り東武東上線で某駅。商店街の役員と懇談。近くいっしょに歩いてくれることになった。再び大山。Eグラフィックスコミュニケーションズの担当者と宣伝物の打ち合わせ。参議院民主党総選挙対策本部で「有田担当」が決まった。家西悟さん、大石正光さん、池口修次さんのお三方で、すでに秘書から連絡をいただいている。民主党本部選対からの的確なアドバイスも日常的。その熱意に感謝するばかり。必要な文書を書いて外に出ると雨があがっている。空を見上げると見事な虹がかかっていた。


猛暑の一日に

2009-07-27 06:08:48 | 東京・板橋

 7月26日(日)猛暑。地表温度は57度という報道も。事務所に民主党都会議員の泉谷つよしさん(豊島区選出)が激励に来てくださった。成増で若手経営者と懇談。選挙本番に配布する政策ビラの第1稿を書く。政策文書は、当り前のことだが、自分で書かないと落ち着かない。


「 貫きし/ことに悔いなし/鰯雲」

2009-07-26 09:43:10 | 東京・板橋

 7月25日(土)090725_14590001 自分なりに深く思うところあり、都はるみさんの「散華」、テレサ・テンの「淡淡幽情」を聴く。上板橋の某店にポスターを貼っていただき、中台へ。あるマンション群を歩き、歩く。蚊が多いのに閉口した。ある女性は、何と私が編集者時代の先輩の奥様の中学、高校の同級生だった。歩けばこういう出会いが待っている。あるご家庭では「あらっ」とビックリされた。「どうしたんですか」と聞けば「いま有田さんと答えて電話を切ったところ」とのこと。電話世論調査が行われていることをじかに知ったのははじめてだ。こうしたご家庭が2軒。世間は夏祭りに盆踊り。また暑い夏がやって来た。事務所に戻れば田中康夫代表が推奨するブログ「誰も通らない裏道」筆者が、黙々と宣伝物の折り込み作業をしてくれていた。地元の書店で日垣隆さんの『〈北朝鮮〉はなぜ嫌われるのか』(大和書房)と吉村昭さんの『炎天』(筑摩書房)を入手。吉村さんの新刊を発見したとき「おっ」と小さな声をあげてしまった。私家版句集なのだ。いまの心境を吉村さんの往時の思いに託す。

 
貫きし/ことに悔いなし/鰯雲


加藤タキさんの応援メッセージ

2009-07-25 10:50:50 | 東京・板橋

「有田芳生さんの使命感」        加藤 タキ(コーディネーター)

 有田芳生さんと私は、日本テレビ系列の『THE ワイド』でコメンテーターとして10年以上ご一緒させていただきました。

 根が真面目。ものすごい勉強家。ものごとの本質をきちんと理解し、それに対する意見をご自分の言葉でいつも大変わかりやすく表現なさる。だれにも迎合しない。反権威なひと。公正なひと。自然体。庶民的。家族を愛している良きお父さん…などなど、彼を褒める形容詞はいっぱいあります。

 有田さんの公平でジャーナリスティックなコメントは、視聴者にとても信頼されていました。番組の中ではほとんど笑顔をお見せになることはありませんでしたが、有田さんのちょっと照れたような笑顔はじつにチャーミング。“思い邪(よこしま)なし少年”って感じです。

 その 有田芳生さん が、いよいよ国政に挑戦!
 
本来は国会議員のバッジをつけて赤い絨毯を歩く姿などおよそ似つかわしくない方だと思うのですが、いまの日本の政治、政治家たちを見ていて、彼は奮い立つものがあったのでしょう。外野でもの申すジャーナリストとして世直しを計ることも出来たとは思うのですが、有田さんの国を想う心意気が「立法に携わろう」という行動に移させたのだと思います。

 有田さんの“立法府”に対する情熱と信念。私には、わかるのです。

 私事で恐縮ですが、私の両親は1890年代に生まれた明治人。2人とも政治家でした。かつて明治~大正のはじめの頃、父は弁護士になって人間として不平等をこうむっている人たちの助けになりたいと、法学の勉強に励みました。その後、新聞記者を経て、労農運動の活動をしていましたが、父の初心を貫くには「まず法律を作るところに身をおくこと」と気がつき、昭和の初期から政治家をめざし、第19回総選挙(昭和11年)に初当選しています。父も母も、日頃の社会活動の延長線上で目指す“人づくり”、“国づくり”があり公僕として立法に責任をもつ政治家になることの意義があったのです。

 有田芳生さんは、長いことジャーナリストとして活躍をされていらした中で、
多分、私の両親と同様の熱い想い、使命感、責任感をもたれたのではないでしょうか…。

 有田芳生さんの公正なる主張と 勇気ある行動力にエールを送ります!


小さな出会いの大きな励まし

2009-07-25 10:25:41 | 東京・板橋

 7月24日(金)090724_12270001 朝は志村三丁目。強い雨のなかで2時間訴えたからだろう。東武東上線で上板橋駅から移動するとき、いささか疲れを感じていた。ホームで子連れの女性から激励される。電車が出ていくまでずっと手を振ってくれていた。その思いの奥にあるものに考えを巡らせる。車内は空席が多かった。それでも立ったまま榊原英資さんの『大不況で世界はこう変わる』(朝日新聞出版)を読んでいた。電車を降りる直前に男性から「有田さんですよね」と声をかけられた。「11区から出るんですよね」と言われたので「はい、そうです」。「いやー、さっきから見ていたんですけど、席が空いているのに立っていましたよね。そこに人柄が表れていますよ」と肩をポンと叩かれ強い握手を求められた。座るかどうか。そんなことでも印象ができるんだなと思ってしまった。先日も事務所に「どうしていつも有田は独りで電車に乗っているんだ」という内容の電話があったという。スタッフが不審に思っていると男性はさらに続けた。「秘書もいないで車でもないのが気に入った」。政治の世界への固まった印象がきっとあるのだろう。板橋を毎日毎日歩いて人々との交流を続けて約1年。意識の片隅にでも残ってくれているなら幸せなことだ。中台を歩く、歩く。再び上板橋で民主党の尾名高勝区議と打ち合わせ。帰宅すると小沢昭一さんから新刊の『道楽三昧ー遊びつづけて八十年』(岩波新書)が送られてきていた。読書どころではなくなった日常。本来なら感想をここに記すのだが、読むゆとりがない。最近お送りいただいた御著書をここに紹介して、とりあえずのお礼にしたい。やはり小沢昭一さんからは『五・七・五 句宴四十年』(東京やなぎ句会編 岩波書店)。三浦しをんさん『神去なあなあ日常』(徳間書店)、『星間商事株式会社社史編纂室』(筑摩書房)、釈徹宗さん『宗教聖典を乱読する』(朝日新聞出版)、イッセー尾形さん『言い忘れてさようなら』(徳間書店)、森達也さん『神さまってなに?』(河出書房新社)。岡田裕之さん『日本戦没学生の思想』(法政大学出版局)。


東京11区と兵庫8区での闘い

2009-07-24 06:13:46 | 東京・板橋

 7月23日(木)地下鉄を降りて帰宅しているときのこと。後ろから来た女性に声をかけられた。選挙への支援=日本を変えることを強く訴えられ感動。またたく間に一日が過ぎて行く。新党日本のヘッドオフィスで役員会。田中康夫代表は明日24日午後3時から尼崎市で兵庫8区から立候補の記者会見を行う。私の東京11区と兵庫8区。お互いに激烈な小選挙区で闘い抜く。紀尾井町の草野仁事務所へ。草野仁さん、裕さんと相談事および四方山話。大山の事務所へ。私が不在時に田中直紀参議院議員が事務所を訪問してくれた。都内某所へ。某党現役党員などに選挙協力の訴え。新党日本の政策を語れば共感してくださる。絵空事ではなく、イメージあふれる政策は田中知事時代の成果があってのこと。政策とは「干もの」ではなく「生もの」でなくてはならない。2年前のスローガンを想い出す。「長野革命を日本へ」。


雨の志村坂上で

2009-07-23 09:10:19 | 東京・板橋

 7月22日(水)090721_15440001 朝の5時。雨が降っている。ボランティアスタッフAさんに朝の宣伝はひとりでマイクを持つと連絡。ところが5時半には雨があがっていた。もういちど連絡して来ていただくことに。志村坂上駅で2時間マイクを持つ。途中で強い雨になったので、スタッフのみなさんには車に退避してもらい、傘をさして独りで訴えた。それでも握手を求めて来る方々、傘を振って「頑張って」と声をかけてくる方々などあり。大山の事務所に戻り、地下鉄を乗り継いで勝ちどきへ。JAM STUDIOに向っていると人だまりがあった。皆既日食を見ている人たちだ。それが撮影スタッフだった。曇り空を見上げて皆既日食を垣間見る。田中康夫代表とともに撮影。フォトグラファーは伊藤聖和さん。新橋に出てクリニックでニンニク注射。有楽町から大山。スタッフと各種打ち合わせ。