有田芳生の『酔醒漫録』

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「思いっきりDON」でコメントしています

2009-11-03 22:22:47 | 「ザ・ワイド」

 4日の「思いっきりDON」(日本テレビ)に出ています。午後1時からの「きょうは何の日」というコーナー。機会ある方はぜひ。とても重いテーマです。

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「“コメンテーター15年”始末記」

2007-11-20 12:29:11 | 「ザ・ワイド」

「週刊ポスト」11月30日号に「“コメンテーター15年”始末記」が掲載されています。この眼で見た政治家の素顔や「公平報道」の欺瞞などを書きました。青山の高級秘密クラブに出入りする国会議員についても少しだけ触れています。

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「ザ・ワイド」最後の一日に思う

2007-09-29 12:08:49 | 「ザ・ワイド」

 9月28日(金)汐留にある日本テレビの9階。「ザ・ワイド」が放送されるスタジオ横の控室に入ると続々とリポーターの人たちが入ってきた。最終日なので勢ぞろいなのだ。時間になりスタジオへ。その途端に感慨深いものが襲ってきた。14年半前の放送初日とこの最終日に出演したのは、私とデーブ・スペクターだという。初回は統一教会問題でのコーナーゲスト。94年には一度だけVTR取材で出演しただけだったが、95年の地下鉄サリン事件から10年間は月曜日から金曜日まですべて出演してきた。その後は「有田が行く」という企画のため、週3回から2回という時期もあった。日本テレビと読売テレビの共同制作という難しさもあった。入れ替えはあったものの常時100人前後のスタッフで支えてきた一つの番組は、まさに「生き物」だ。一つの小さな歴史とそこに生きるそれぞれの人生の一幕に終止符が打たれた。これからは細胞分裂のように「ザ・ワイド」と「草野仁学校」の精神が散らばり、再生されていく。エンディングではスタジオがスタッフでいっぱいになっていた。いよいよあと数分で終わりというとき、グッとくる思いを押しとどめるのに大変だった。そして終了。スタジオは大きな拍手に包まれた。廊下を歩いているとき32歳のときのある感情が蘇ってきた。出版社を辞めざるをえなくなったときのこと。最後の日だった。初台にあった会社を出たとき「振り返るまい」という気持ちが心に浮かんだ。同じ思いで日本テレビを出る。

070928_20300001  午後5時から新橋の第一ホテル東京でパーティがあった。氏家済一郎さんや草野仁さんの挨拶があり、コメンテーターの一人として私も挨拶。嬉しかったのは若いスタッフが何人も語りかけてくれたことだ。ある23歳の女性は「オウム事件のとき母といつも見ていました」と言った。何と11歳のときのことだ。こうした若いスタッフと次々に記念撮影。「衆議院選挙に出てくださいね」という声も多々あり。脚本家の市川森一さんは「もう作家の世界に戻るから、こんどは街頭でも応援演説をするから頑張ってよ」などと激励される。ふと「残心」という言葉が浮かんできた。武道における心構えで、一つの動作が終わってもなお緊張を解かないことを意味する。まだ「残心」はある。午後8時からはANAインターコンチネンタルホテルで草野仁さんが主催した「『ザ・ワイド』新たな旅立ちを祝う会」に出席。やくみつるさん、二宮清純さん、加藤タキさん、湯川れい子さん、南美希子さん、市川森一さん、デーブ・スペクターなどと四方山話。草野事務所のスタッフからは草野さんに大きなケーキが贈られた。午後10時半に散会。リポーターのみなさんは新橋で続いている三次会に向かった。私はひとりになりたくて地下鉄で銀座へ。そろそろ気持ちの重心をさらに低くして、しっかりと固定しよう。

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「ザ・ワイド」に幕が下りる(2)

2007-09-28 09:28:47 | 「ザ・ワイド」

 9月27日(木)「ザ・ワイド」もあと1日となってしまった。最後まで「発生ネタ」(今回は時津風部屋でのリンチ殺人事件)を報じるため、予定されていた特集が短くなっている。視聴者にはわからないが、その作業を求められたスタッフはぎりぎりまで大変だっただろう。この木曜班は「有田が行く」という企画を担当してくれていた。選挙に出たため、残念ながら実現できなかった二つの企画がある。一つは特攻隊の生き残りである松浦喜一さんのインタビューを中心に「あの時代」を描くことであり、もう一つは美空ひばりさんにまつわるスクープだ。すでに取材を進めていた。この「有田が行く」ではアメリカで性犯罪者の処遇を取材したことがいちばんの想い出となっている。性犯罪者にGPSを装着することや薬物治療など、アメリカでの性犯罪者処遇は厳しい。大阪の「ペッパーランチ」という店で起きた性犯罪の判決を報じるVTRのなかに、このアメリカ取材のエッセンスも入っていたが、時津風部屋問題で放送することはできなかった。それほど視聴率が落ち込んでいるわけでもないのに終了することに疑問を呈する人もいる。しかし森羅万象「はじめ」があれば「終わり」がある。常時100人を超えるスタッフがそれぞれの新しい道を歩き出す。まさしく「同志」が離れ離れになっていく。意気高く進みたいものだ。「ザ・ワイド」の想い出とテレビ界の現状について、週刊誌に原稿を書くことにした。こんな気分のときには竹内まりやだ。「Denim」というアルバムの「みんなひとり」「終楽章」「人生の扉」が心に染みる。

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「ザ・ワイド」に幕が下りる

2007-09-24 09:03:28 | 「ザ・ワイド」

 9月23日(日)成増の街を歩いて驚いた。美味しい蕎麦屋が借金のため閉店。そこから5分ほどの中華料理屋が夜逃げ。古書店もすでに閉店して久しい。光が丘団地でも夜逃げが増えているそうだ。もより駅のマンション1階にあったパン屋も店仕舞い。好きだったウインナーロールももはや買えない。福田康夫総裁の誕生で新政権が生まれる。福田さんもまた「構造改革」の継承を語るが、不良債権処理などの成果はあるものの、行き過ぎた市場原理主義は、地方のシャッター通りを作っただけではなく、都会をも破壊しつつある。小泉ー安倍と続いた政治の枠組みを変えなくてはならない。地元の書店でフランシス・ウィーンの『マルクスの「資本論」』(ポプラ社)を買う。「名著誕生」シリーズの1冊だ。著者はイギリスのジャーナリストで伝記作家でもある。その立場は、『資本論』には誤謬もあったが、資本主義という「野獣のようなシステム」について「透徹した正確な描写」をしていることで「世界に焦点を合わせる力」があるというものだ。これまでマルクスの解説書は難解な言葉で綴られるものが多かった。しかし、ウィーンのものは、一般的読者にも分かりやすいジャーナリステックな言葉で表現されている。「起訴休職外務事務官・作家」という肩書きの佐藤優は、「新自由主義政策がこのまま続けられると、格差社会などという生温かい状態でなく、貧困社会が到来すると危惧している」と解説で書いた。生活者=納税者の日常では大変な事態が進行している。

 「ザ・ワイド」14年半の歴史に幕が降りる。そのため24日の月曜日から28日の金曜日まで出演する。12年間出演し、そのうちの10年間はすべての曜日に出ていたから、コメンテーターのなかでも通算出演回数はいちばん多いだろう。もう少し正確にいえば、番組がはじまったときは統一教会問題が話題となっていたときだ。当時はコーナーゲストだったけれど、そこを加算すれば12年4か月ぐらいお世話になってきた。すっかり忘れてしまっているが、何と番組の初日に出演していたのだという。スタッフが冗談めかしていうところでは「奇妙なカメラ目線で笑っていた」という。何だか気持ち悪いが、きっと不慣れな場にいることで、たまたまカメラの方を見たということなのだろう。予定では木曜日の放送分でそのシーンが出るかもしれない。「ザ・ワイド」の草野学校ではさまざまなことを身に付けてきた。「コメント力」という課題ではNHK生活者新書を書いた。テレビや少年事件の背景などについては、いま新しい新書を書いている。多くのスタッフと仕事をして、楽しいことも悲しいことも、そして腹の立つこともあった。それも自分史の1ページ、いや数ページだ。日常的にスタッフの入れ替わりはあったものの、一つの大きな集団が消えていく淋しさがある。こんなことを書くときにはヨゼフ・スークが奏でるバッハの音楽が相応しい。

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「ザ・ワイド」終了報道について

2007-05-17 08:06:09 | 「ザ・ワイド」

 5月16日(水)藤田省三さんの対話集がみすず書房から送られてきた。『藤田省三対話集成3』に収録された会話はオウム真理教事件が起きた1995年に行ったものだ。単行本の帯にはこうある。「はじめて活字化された丸山眞男との会話から、オウム問題を有田芳生と語る対話まで。市民的自由を問い続けた思想家が同時代の世相をみつめた35年間の記録」。オウム事件以来この12年間仕事をしてきて、これほど光栄に思う惹句はない。テレビ朝日の女子アナが自民党から参議院選挙に出るという報道を聞いて、ああこのひとには藤田さんの「異端論」など理解できないだろうなと思った。番組でご一緒したときの印象はとてもよかったのに。ジャーナリズム精神があれば、権力からは距離を置くものだ。そうかジャーナリストではなくアナウンサーなんだと思えば納得。「ザ・ワイド」が9月で終るとスポーツ新聞や夕刊紙などが書いたらしい。「週刊新潮」から問い合わせがあったのは先週の土曜日。旅行に行っていたので、電話に出たのは日曜日の夕方だった。女性記者は「ザ・ワイド」が終ると聞きましたという。日本テレビ内部からの情報だ。「そんなことないんじゃないですか」と答えたものの、今日の報道は打ち切りで確定している。日本テレビが公式に何も言っていない段階でコメントするのはルール違反だろう。だからいまは何も言わない。それでも番組関係者や他局からも問い合わせの電話がある。系列テレビ局のある役員は「映画の再放送なんか買いたくないよ」と怒っていた。番組の合間に草野仁さんや森富美さんと報道について笑いながら論評する。憶測記事はとても面白いのだ。すべての現象ははじめがあれば終わりがある。この生さえも。

070516_16310001  地下鉄で新宿。あれっと立ちどまった。JRの再開発キャンペーンで新宿に関わりあるひとたちの肖像写真が路上にずらっと掲示されている。そこに新右翼「一水会」代表を務める木村三浩さんの全身写真があったのだ。ご本人に電話をして「どうして」と聞くと、「新宿で街宣活動をしていたからですよ」という。そうか新宿の顔なんだ。竹村文近さんに鍼を打ってもらう。体調万全。代々木の「馬鹿牛」。焼酎で豚ハツのタタキ珍味。常連と噂話に大笑い。午後7時半に店を出て品川。ホテルパシフィック東京のセラーバーへ。舟木稔さん、テレサ・テンの弟のジム?テンなどと待ち合せ。ところが時間を間違えたのか、いっこうに現れない。マティーニを飲んでから店を出る。舟木さんあてにメモを残す。タクシーの運転手さんはブラジル生活30年。この祖国?日本がどれほどダメになったかを慨嘆していた。「ブラジル人は貧しいですけど心は豊かです」と静かに語るのだった。帰宅して桑田佳祐の「明日晴れるかな」を聴いてたら携帯が鳴った。大学時代の知人だと思って偉そうにしゃべっていたら、どうも様子が違う。舟木さんだった。いまからバーに行くという。ジム?テンに会いたかったけれど、仕方がない。

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市原刑務所で幻を見た

2006-11-22 07:52:08 | 「ザ・ワイド」

 11月21日(火)朝8時。迎えのタクシーに乗って千葉県の市原へ。資料を読みつつ眼を閉じればウトウト。睡眠4時間はいささかきつい。それでも2006年はここまで風邪をひいていない。例年一度は熱を出していたから新記録。あと少し注意したい。9時45分ごろ市原刑務所に到着。「ザ・ワイド」スタッフと合流、取材を開始する。ここは交通事故を起し、逮捕、起訴され懲役刑を受けた人たちが入所している刑務所だ。俗に「交通刑務所」と呼ばれている。いったいなぜ飲酒運転をしたのか、それまでの実生活はどのようなものだったのか。再発は果して防げるのかなどを明らかにするのが目的である。飲酒運転で死者を出した20歳代の男性3人に話を聞いた。その内容はさらに取材を重ねたうえで近く「ザ・ワイド」で放送される。ここでは刑務所の印象を記録しておきたい。いまなお軍隊生活がここにあるからだ。「イッチニ、イッチニ」と大声で行進する受刑者たち。腕を大きく前後に振って、乱れずに歩いていく。こういう集団などこれまでに見たこともないから不思議空間だ。昼食、夕食時もそうなら、作業場でも同じだった。制服姿の刑務官が前に立ち、周囲を監視している。黙々と単純作業をする受刑者たち。その場を離れるときは真っすぐに挙手をして大声で理由を述べる。係官は「よしっ!」と指さしして受刑者は席を立つ。「姿勢を正して!いただきます!」これが食事をするときに受刑者のなかから選ばれた指揮官が発する言葉だ。起床は6時半、朝食は7時20分。時間は15分。仕事をして昼食。休憩はグラウンドや体育館。夕食は午後4時半。就寝は9時。朝食までまる14時間。お腹が空くだろうなと思った。

 体育館に集まった受刑者の姿を見ていて、ここでも遠くシンガポールのチャンギー刑務所で最後の時間を過ごした木村久夫さんの姿を思い出してしまった。ほとんどの受刑者は車座になって雑談をしている。そのなかに少数だが腕立て伏せなどをしている者がいる。受刑者の憩いの時間とは、おそらく60年前でも同じ雰囲気だったのだろう。この市原刑務所にいる受刑者は懲役4年未満。チャンギー刑務所では死刑囚から有期刑までがいっしょだった。生の終焉を間近にした受刑者に比べれば、この市原刑務所の雰囲気ははるかにのどかなものなのだろう。いくつかの発見がある。そのひとつは制服、制帽姿になることは誰からも個性を奪い取るという事実である。じっと顔を確認しないならば、そこにいる集団はみな同じに見えるのだ。軍隊とはそういうものなのだろう。密室空間で軍隊的規律を強制されたとき、人間は容易に一方向に染まっていく。まてよとここで思う。眼に見えなくとも特殊な隔離空間が出来てはいないか。飲酒運転とそれによる事故が減らないのも、そこに理由がありそうだ。その新しい視点は放送で明らかにしたい。日本テレビで降ろしてもらい神保町。「エリカ」マスターの弟さんと立ち話。亡くなったのは9月22日だったという。やはりいまのままでは再開店はないようだ。神保町文化の灯があちこちで消えていく。

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