有田芳生の『酔醒漫録』

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「愛の流刑地」は退屈だった

2007-02-28 08:46:15 | 映画

 2月27日(火)中村一好さんから電話があった。川内庚範さんと森進一さんのトラブルには「絶対関わらないように」とのアドバイスだった。「大やけどするから」という注意には具体的な根拠がある。「騒動」の周辺には現行著作権法の問題点など、多くの問題があることを教えられた。上杉隆さんに連絡したのは、そのブログで田中康夫さんの書類送検のことに触れていたからだ。その結果、都知事選や参議院選への出馬が「ほぼ断たれた」と書いている。根拠を問うと起訴されたなら選挙は無理だろうというのだ。それほどの問題ではないだろう。上杉さんも「嫌がらせ?」と書いたように、1年前の県議による告発を「いま」動かすのは、政治状況を見ての嫌がらせ以外の何物でもない。権力の怖さをかいま見たようだ。そもそも人間の評価など単純に行ってはならない。誰も完全な者などいない。だからこそ7割でも評価できる、あるいは一致できることがあれば、そこで協力をすべきなのだ。「あいつがやるからすべて反対だ」といった狭い価値観からは、新しいものは絶対に生れてこない。そんなことを思いつつ『「脱?談合知事」田中康夫』(扶桑社新書)を読みはじめる。午後から文藝春秋。『私の家は山の向こう』の文庫本の見本を受け取る。三浦しをんさんの解説を読む。超多忙ななかでよく書いてくれたと改めて感謝の気持ちがわいてきた。帯にはテレサ・テンを演じた木村佳乃さんの写真が使われている。ドラマ放送までにこの原作が広がればいいなと思う。「文庫版あとがき」は「テレサは北京オリンピックで歌ったか」という内容だ。

Teresa032  資料室でいくつかの調べもの。1992年に細川護煕さんが新党を結成したときの「宣言」をコピーする。地下鉄で銀座。アップルストアから伊東屋へ。夕方からシネパトス銀座で「愛の流刑地」を見た。何人かの知人から「涙を流した」と聞いていた。ところが上映5分ぐらいから退屈で眠気に襲われ、出るのは涙などではなく欠伸(あくび)ばかり。長谷川京子が演じる女性検事は、その演技のひどさにも驚いたが、現実にもありえない服装や態度には愕然とした。まったくリアリティにかけるのだ。結論からいえば寺島しのぶと豊川悦司の好演だけが目立つ作品だった。観客は約40人。数えていたら幕が降りるまでに9人が席を立った。義務感で見ていたわたしの気持ちを入れると10人ということになる。映画館を出て本当にホッとした。午後6時半から銀座で市川森一さん、劇団民藝の川岸紀惠さん、映画監督の河合勇人さんたちと会食。河合さんは監督初作品をこれから撮る。その作品が市川さんの書き下ろした「花影」である。在日韓国人を主人公にした日韓共作で山本未来さんが主演だ。へたな役者がへたな演技を見せるのは台本の問題だと市川さんは説明する。未熟をカバーできる台詞があるというのだ。そうなのだろう。しかし問題は電通などの好感度調査などを基準に配役を決めることにあるのではないだろうか。好感度という曖昧なものとタレント(能力)という実体とは別次元のものだからだ。ひれ酒を楽しんでから「ル?ヴェール」。「BRIO」に掲載された佐藤謙一さんの渋いポートレイトを話題にウィスキーを飲む。


桜田淳子の動画を公開する

2007-02-27 08:35:14 | 仰天

 2月26日(月)「そのまんま東」という人物の行動は「さもありなん」。かつての「イメクラ」不祥事の体質は変わるものではなかったのだ。県議会での答弁が情けない。日本テレビ記者も軽率だが、まだ新人。知事に特別扱いされれば断り切れなかったのだろう。主要な問題は知事にある。東京都知事選挙に浅野史郎さんは出馬するかどうかが注目されている。家庭問題を抱えていると聞いているので、なかなか難しいのではないか。歌手の森進一さんと作詞家の川内庚範さんの「おふくろさん」をめぐるトラブルがエスカレート。何が本当なのか。川内さんの関係者に話を聞いた。そもそもはここ数年の森さんの不義理にあるという。感情的なもつれがあるとき紅白歌合戦で歌詞の付け加えられた「おふくろさん」を聴き、怒りが再び爆発した。2月17日には森さんが川内さんに会う予定だった。ところが当日になり事務所の女性から体調が悪いと電話があった。そこで川内さんは「もう歌わせない」と通告する。女性は「仕方ないですね」などと言うのだが、その向こうで森さんが「もうどうでもいいよ」といった言葉を語ったという。川内さんからすれば自分で電話に出ろと怒りは最高潮に達した。その後の展開は報道されたように川内さんの宿泊するホテルに森さんが出向き、それでも拒否されるというところまで来た。そこで森さんは国会議員を仲介者とした。それが川内さんには許せなかった。あくまでも権威を使う体質が許せないという思いなのだ。これは川内さんサイドの情報だ。森さんはこれにどう答えるのだろうか。ある仲介者は「アリタに相談しろ」と森さんに伝えたらしいが、そんな気持ちにはまったくなれない。

 桜田淳子さんが統一教会の文鮮明教祖夫妻の米寿の式に参加したことは昨日のブログで紹介した。全世界の合同結婚式参加者を代表しての花束贈呈だった。古参の芸能関係者も「もうダメだ」と驚いている。キリスト教のなかでどんなに異端だと非難を受けようと、反社会的な活動をしていなければ何ら問題はない。ところがいまだ霊感商法を行い、信者にも献金を強要し、なかには自己破産する者まで頻発するようでは話にならない。そうした問題を内部資料などで明らかにすれば、すぐに嫌がらせを殺到させる。まさしく宗教的イデオロギーの弊害だ。そこにあるのは理性ではなく方向を失ったただの情念だ。真っ当に生きてきた者を騙して金を巻き上げる。信仰心を利用して財産を供出させる。とんでもないことだ。そんな実情を知らされていない過保護な桜田淳子さんたちは、あくまでも教祖と組織を奉る。どうして現実を見ようとしないのだろうか。教会のイベントに出ればギャラを支払っていると関係者は語っている。夫の株の運用だけで生活が成り立つはずもないだろう。特別扱いの「ぬるま湯」のなかにいることは気持ちもいいだろう。その庇護のもとで一般信者が苦境にあることをどうして知ろうとしないのか。 


桜田淳子のスクープ写真を掲載する

2007-02-26 08:00:37 | 人物

 2月25日(日)「アリタさん」と声をかけられたのは京都市役所の近くを歩いているときだった。振り返ると「Hです」という。その顔を見てすぐに思い出した。18歳から23歳ぐらいまでの時期に時々会っていた男性だった。リーガロイヤルホテルを出たのは午前11時前。市役所の近くでタクシーを降りたのは「新進亭」で味噌ラーメンを食べるためであった。高校、大学時代には蛸薬師にあったこの店によく通ったものだ。ふと懐しくなりわざわざ出かけたのに定休日。近くの三月書房に寄ると、ここも閉まっていた。四条河原町あたりで食事をしようと歩いていたとき、すれ違いざまに呼び止められたのだった。Hさんは共産党の専従をしていた。ところが28年前にその仕事をやめ、いまでは愛知県で会社を経営しているという。そのHさんが京都に来るといつも行くという「志る幸」に連れていってくれた。幕末維新の池田屋騒動ゆかりの場所だ。日本酒を飲み、お弁当を食べる。想い出話に近況など。Hさんは「いま64になったけど、人生は一回や。自分がやりたい生き方をすることやで」とあのころと同じ口調で語るのだった。昨夜行った「てらさき」で警察の間違い電話を受けた60歳の男性もまた「人生、一度やからなあ」と何度も繰り返していた。毎日のようにそう思うようになる年代があるのかもしれない。「まだ時間がある」と思う方が「もう時間がない」と思うよりもずっといい。「もう」よりも「まだ」。河原町でHさんと別れて京都駅の「イノダ」で珈琲を飲む。新幹線ではずっと原稿を書いていた。東京駅に着いて八重洲地下の「東京温泉」へ。

Junko01 Junko02 Junko03  人生が一回という真実は誰にでも共通したことだ。それはどんな立場の人物にあっても同じこと。もしもあのとき……という岐路は誰にでもあるものだ。統一教会の文鮮明夫妻の「ご生誕日」の式典が韓国?清平の「天正宮」で2月23日に行われた。そこで「全世界祝福家庭」を代表して桜田淳子さんが夫とと
もに教祖夫妻に花束を贈呈した。その写真を入手したのでここに公開する。芸能界へ復帰したいという希望を持ちながら、霊感商法をいまでも行っている統一教会の教祖夫妻に忠誠を誓う。もはや芸能界への復帰は完全に無理だ。1992年の国際合同結婚式。そこで桜田さんは自分が信者であり、合同結婚式に出ると公表した。それは当時の神山威会長の判断であったという。反対する幹部もいたが、桜田さんの意思だという理由で押し切られたと聞いている。カミングアウトすることでマスコミに追われた彼女は霊感商法を肯定する発言を行ってしまった。女優として期待されていた桜田淳子さんの芸能界人生はそこで途切れてしまう。関係者はそれ以来桜田さんの復帰を目指してさまざまな行動を取ってきた。わたしにも何度か問い合わせがあったことはこれまでにも書いた通りだ。本気で復帰を考えるのならば超えなければならないいくつかのハードルがあった。残念ながらもはや乗り越えるべき時期を失してしまった。日本の芸能界に花咲く才能はもはや見ることができない。


田辺元の手紙を見つけた

2007-02-25 09:58:01 | 単行本『X』

 2月24日(土)書評のために朝倉喬司『スキャンダリズムの明治』(洋泉社)を読む。そのうちにしばし二度寝してしまった。ホテルオークラ神戸を昼前にチェックアウト。このホテルで最大の会場は立食で1800人入る。テーブル席にすれば1200人。5月30日に行われる藤原紀香さんの披露宴は、おそらく1000人規模で行われるのだろう。ホテルではすでに準備がはじまっている。ホテルで昼食を取り、2階ロビーで原稿を書く。タクシーで移動。単行本『X』のための調査。歩けば得ることができることをここでも思った。木村久夫さんが昭和18年秋に出征する前夜、恩師に書いた最後の手紙など3通を入手。いまから戦場へと向かう緊迫感、もしものことがあった場合を想定しての挨拶などが切々と述べられている。この手紙が書かれたことは記録にあるが、現物が残っているとは思わなかった。さらに驚くような手紙も発見された。木村さんはシンガポールの獄中で田辺元『哲学通論』欄外に遺書を書き連ねていく。戦後それが社会的衝撃を与えたのは、恩師だった塩尻公明さんが「ある遺書について」を発表したからである。鶴見祐輔さんだけではない。多くの人たちがこの文章によって木村久夫という青年の死を知ることになる。その遺書の書かれた『哲学通論』の著者である田辺元の感想が見つかったのであった。コープでコピーを取りながら、去っていった世代の知識や教養の深さに改めて驚いた。それに比べたとき後発世代の浅さがこのニッポンを作り上げた、いや破壊してきたと思うのだった。この国の再生はまだ可能なのだろうか。

070224_21010001  東京に戻る予定だったが変更して京都へ。「ザ・ワイド」の仕事が入ったからだ。京都駅の書店や文房具店を歩く。タクシーで「てらさき」へ向かう。東京から来た小林浩司さんと待ち合わせ。2007年ミス日本「空の日」の島村実希さんもやって来た。先日の「ザ・ワイド」で取りあげた女性だ。食事をしながら店とあるテーマの交渉をしていたときのこと。隣に座っていた知人男性の携帯電話が鳴った。そのうちに「俺には息子なんておらんよ」と怒鳴りだすのだった。そして電話を切ってしまった。何かと聞けば警察からの電話で息子が交通事故を起こしたという内容だったそうだ。これは詐欺だなと思い、通知された番号に電話をすると「四日市南署」だという。出てきたのは「市川」といい「当直」だと語った。おかしな電話があったと聞いてもはっきりしない。調べようともしないのだ。怒った小林さんは外に出て会話を続けた。その間に番号案内で調べると確かに四日市南署なのだ。するとあの電話は何だ。しばらくして再度電話で問い合わせると間違いだったという。「市川」という「当直」は何度呼び出しても出ることをしなかった。詐欺電話を警告する警察が間違い電話をしても居直っている。ここでもニッポンの破壊を思うのだった。町家を改築したバー「K家」へ。長男と合流して4人で飲む。深夜1時になり原稿もあるので一足先に店を出た。
 


「叶姉妹騒動」の真相

2007-02-24 08:04:13 | 芸能

 2月23日(金)雨あがる。「朝日ジャーナル」の原稿を推敲して昼前に編集者に送る。タイトルは「笑いの復権のために」とした。テレビを中心として振りまかれている低俗な「笑い」を淘汰して、戸坂潤の喝破したように意外性から生まれる本当の笑いを取り戻すべきという趣旨だ。端的にいってテレビ批判。東京駅で新幹線までの時間に本屋へ行く。いきなり怒鳴り声がした。「何してんだよ~、アルバイト情報はどこにあるんだ!」女性店員に叫んでいるのは30歳代後半から40歳代の男だった。事情は詳しくはわからない。それでもどこか病んでいることは確かだ。いまだ1日中ウィルス汚染されたトラックバックを送り続ける壊れた人格と同じく、哀しみを感じる。新神戸に着いてタクシーに乗る。運転手と話になるのはやはり景気だ。神戸のタクシー運転手の給料は平均で手取り約20万円前後だという。会社が決めた売り上げ金額を下回ったときは、総売り上げのなかで40パーセントが給与となる。しかし、かりに60万円を超えたときには58パーセントが給与となる。完全な歩合だ。そんな情況だから独身が多い。50代でも60代でも。給料が少ないので離婚が多いのだという。「格差社会」を語る政治家にどこか切迫感がないのはやはり現実を知らなさすぎるからなのだろう。生田神社の横にある「又平」で食事をする。藤原紀香さんの結婚式の情況を聞く。あるビルの8階に行けば中の様子を見ることができたようだ。女将も嘆くのは最近のテレビのひどさだ。やらせ詐欺番組だけではない。「お笑い」の水準が情けないほど低下していると意見が一致する。

070224_07400001_1  お騒がせ「叶姉妹」問題で関係者から意外な真相を聞いた。詳しくは書けないが、あらましこういうことのようだ。叶姉妹には多額の借金があった。かつては週に3回は行っていた赤坂の「すっぽん屋」に顔を見せなくなったのも金欠だったから。借金は返さなければならない。そこで姉の意向を受けて妹が貴金属を売りに出す。ところが「取りっぱぐれ」で金が入らなかった。だから返せない。そこで貸し手は残っている貴金属や家具を持っていった。そこで被害届などを出すから面倒なことになった。週刊誌などが書いている「ベルギー人」の男などはまったく関係ないそうだ。弁護士はそのことも知らされていなかったという。自国民の名誉の問題だとベルギー大使館が動き出した。来週には問題の「二女」がマスコミに出る可能性がある。本当のことは言えないから、詐欺に遭ったとでも説明せざるをえないのだろう。基本的には「やらせ」。もっとも44歳と39歳の女性が芸能界で生きていくにはさまざまな「努力」が必要なのだと思えば、それでいい。週刊誌もワイドショーもそれで潤っているのだから。ジャリタレとマスコミとの関係でも、評価されても批判されても話題になることでお互いに依存していることはもっと知られていい。酒を飲んでも2軒目を自粛。5月30日に藤原紀香さんの披露宴が行われるホテルオークラ神戸でコミックを読む。


「野戦服宣言」の輝き

2007-02-23 09:26:27 | 人物

 2月22日(木)このブログを書きはじめてからいくつかの傾向がある。特定テーマを取り上げると瞬時といっていいほどトラックバックが殺到する。しかもそれはウィルスに感染するような仕掛けが施されている。そのテーマとは統一教会だ。先日もここで最新の内部文書を公表した。ある人物がそれをきっかけにしつこいほどのトラックバックを朝も深夜も送ってくる。本人は嫌がらせのつもりな のだろう。暇なことだ。瞬時に削除できるからいささかの打撃にもなっていないし不快感さえ覚えない。何年でもやっていればいい。薄汚い精神を秘めてつまら ない行為に及ぶことは恥ずかしいことだと自覚して欲しいものだ。午前中は「朝日ジャーナル」の原稿を書く。テーマは「美しい国」について。「週刊朝日」創 刊85年を記念して「ブックインブック」という形で24ページだけ「復刊」される。フリーランスになってからいちばん想い出ある週刊誌が「朝日ジャーナ ル」だ。「休刊」したのは1992年。藤森研さんと霊感商法批判キャンペーンを行ったことも貴重な経験だったが、書きたいテーマをすべて認めてくれた伊藤 正孝編集長の支えがあったことが何よりの財産になっている。人の上に立つ編集長とはこういうものだと身体で理解したからである。そこにあるものは「知性」 の輝きであった。しかも「野戦服を着た知性」。伊藤さんの最後の著作『野戦服宣言』(朝日新聞社)は、「朝日ジャーナル」巻頭言「風紋」を収録している。 いま読んでも何と新鮮な言葉なのだろうかと思う。文章が弾んでいる。きっとそこに伊藤さんの精神が込められているからなのだろう。なかでも編集長に就任し たときに書いた「野戦服宣言」はあれから20年が経過したいまこそ光彩を放っているかのようだ。文末はこうだ。

 
砂 漠の薄い皮膚に現れる風紋は、砂嵐の前兆である。風のメッセージを敏感に読みとらなければ、人も車ものまれてしまう。そんな危うい時代に「朝日ジャーナ ル」はどうあるべきか。かつて本誌は「背広を着た知性」として端麗に登場した。背広がくたびれたころ、筑紫哲也前編集長がカジュアルなジャケットを着せ た。そしていま「野戦服を着た知性」が必要なときかもしれない。「闘う雑誌」として、さあ、前へ。

  わたしにとって宝のようなこの著作のなかに「故伊藤正孝告別式式次第」が挟んである。1995年6月6日。場所は千日谷会堂。オウム事件に追われるなか、 しばしの時間をそこで過ごし、遺影に向って黙とうをしてテレビ局へと向った。そのとき弔辞を読んでいたのが自民党の国会対策委員長を務めていた山崎拓さん であった。もし伊藤さんが存命ならば、山崎さんの毀誉褒貶にどんな評価を下していたであろうか。いや人のことはどうでもいい。伊藤さんはわたしに「君は鎌 田慧のようにならなくてはいけない」と常々語っていた。その思いから遠く外れてしまったわたしにいまなら何を語ってくれただろうか。久しぶりに『野戦服宣 言』(「日本の古本屋」で購入可能)を読み、伊藤さんと無言の対話をしてみたい。


上戸彩の「李香蘭物語」は成功したか

2007-02-22 07:58:53 | 芸能

 2月21日(水)麹町の都市センターホール。午後6時半から山口県岩国市にある旭酒造主催の「新酒の会」に出席。「獺祭」で知られる酒蔵だ。会場には勝谷誠彦さんがいた。何でも午後8時すぎの飛行機で神戸に行くというので、落ち着かない様子だった。挨拶が続き乾杯にまでなかなかいかないからだ。挨拶がいささか長い。ちらりと見れば勝谷さんは配られたおちょこでぐいとひと飲み、会場を後にした。福島の梅酒を送ってくれた村上佳子さんと話をしていたら、酒徒である吉田類さんが現れた。「読売新聞」の連載で「獺祭」を紹介したのだという。吉田さんとは昨年に高知で飲んで以来のこと。新橋の飲み屋に向うといって会なかばで出ていった。明日になれば「ザ・ワイド」のスタッフと飲むことになるだろう「由緒正しい」五島列島の居酒屋だ。今日は渡辺淳一さん原作の映画「愛の流刑地」が話題となった。芸能リポーターの石川敏男さんと南美希子さんは「涙が出た」という。アナウンサーの森富美さんは仕事で見たので、質問のことばかり考えていたからか涙など出なかったという。わたしは見ていないので何ともいえない。それでも石川さんと南さんには「これまでの人生と共振したんじゃないですか」とだけ伝えた。「そうだよなー」とは石川さん。芸術作品とはそういうものなのだ。涙を流す人もいればそうでない人もいる。感動する人があれば駄作だと切って捨てる人もいるだろう。芸術評価の一般的基準などはない。すべて主観的なのだ。それを「客観的基準」などを作り上げて評価することから政治の悪しき介入がはじまった歴史がある。

070221_19510001  先日テレビ東京で放送された「李香蘭物語」をわたしは評価していない。そのことと主人公を演じた上戸彩さんの努力を認めることとはまったく別次元のことだ。それでも作品は結果で評価される。何か絶対の「物差し」があるわけではない。それでも上戸さんが実際には歌っていなかったこと
(すべての曲かどうかは不明だが他人が歌っているものの吹き替え)、したがって口の動きと歌声とが合っていなかったことなどがドラマの専門家からも厳しい評価を受けていた。「やっぱり李香蘭を演じるには若すぎたよね」というのだ。視聴者がどれほど関心を抱いたかの指標がある。視聴率だ。それがすべてではない。しかし予算もかけ2か月もの上海ロケを敢行した以上、少なくとも15パーセントの視聴率が欲しかったと関係者は語っていた。ところが初日の11日は9?1パーセント、2日目の12日は8?5パーセント。期待は見事に裏切られた。個人的な真情が作品と共鳴するかどうかが問題なのではない。テレサ・テン物語の主役を選ぶとき、わたしは提示されたある女優の起用に猛反対した。それはテレサを演じるにはどう見ても無理があると確信したからだ。そのような思いからすれば李香蘭を演じるのが上戸彩さんが相応しかったかという問題は残る。何度もいうが、ご本人の努力というレベルではなく、適材適所かどうかという選択の課題なのだ。「作品の批評は作品についてなすべきで、作品の意図についてなすべきでない」(ロマン?ロラン)。


松井秀喜の『不動心』を読む

2007-02-21 07:56:22 | 読書

 2月20日(火)誕生日。大江健三郎さんが小説のなかで書いている言葉がある。「人は死に向って年を取る」。めでたさを感じるよりもこれから何ができるのかということの方に思いの比重がある。午後から茗荷谷クリニック。血液検査をして銀座。山野楽器で長女から頼まれた安室奈美恵のDVDを買う。新曲を見ていたら椎名林檎と斉藤ネコの「平成風俗」があったのでこれも入手。教文館で新刊を見て伊東屋。誕生日だからとカランダッシュの復刻版ボールペンを買おうかと迷ったがやめた。ホテル西洋銀座で知人と雑談。隣にあるテアトル銀座に行くとき、遠くのソファーから挨拶をしてくれる男性がいた。こちらもお辞儀をしてから「あれっ」と思った。あれは藤原新也さんではなかったか。「世界最速のインディアン」を見る。加藤タキさんから「絶対に見て」と勧められた映画だった。主演はアンソニー?ホプキンス。結論からいえば心がぐっと広がる作品だ。人間とはどれだけ年齢を重ねても夢とそこに立ち向かう勇気さえあれば挑戦できることを教えてくれる。21歳で見た夢を61歳の男が実現する。成熟とはこういう人格をいうのだろう。神保町「萱」で飲む。知人の通夜があるのに花だけを贈って済ませたのは自分なりの追悼をしたかったからだ。迷いに迷ったけれど、飲み友達の笑顔はもはや斎場にはない。「世界最速のインディアン」のように懸命に駆けてきた「団塊世代」の知人に心からのお悔やみを抱きつつ、通夜の人群れにいたくなかった。

 そんな合間に読んでいたのは松井秀喜選手の『不動心』(新潮新書)だ。先日、草野仁さんのお誘いで松井選手たちと飲んだとき感じた謎が解けた。ホームランを打ったときも、悔しいプレイをしたときも感情を表情に出さないのは、星稜高校時代に山下智茂監督から厳しく注意されたことが大きいようだ。松井選手は「自分の心が乱れる」ことを避けることで「次の可能性」を生かしていった。いくつもの赤線を引き、ページを折って読んできたなかでとくに印象に残っているのはこんな言葉だ。


 過去の自分をコントロールすることはできません。しかし、未来の自分はコントロールできます。少なくとも、過去よりは思い通りにできる可能性を秘めています。それならば、前に向うしかありません。


 一流の人物は年齢に関わらずそれなりの哲学を持つものだ。この読みやすい新書は多くの人たちに届いて欲しい。松井選手の恩師は、心が変われば行動が変わり、それが習慣や人格の変化につながると教えていた。そうした集積が運命をも変えていくという。「世界最速のインディアン」の主人公も25年間も抱いていた夢を人生の後半で実現していく。大切なことは諦めないことなのだ。テレサ・テンのテレビドラマ撮影が今日で終った。中国大陸でもテレビドラマの構想が具体化しつつある。天安門事件はもちろん描かれないが、テレサが大陸に凱旋する日もそう遠くはない。テレサはもういない。それでも彼女が抱いていた夢は実現していく。歴史とはそういうものでもある。


統一教会の内部文書を公開する

2007-02-20 10:10:52 | カルト

 2月19日(月)ジムでたっぷり身体を動かした。銀座「はら田」へ。女将から言われた。「ピッチが速いですね」。3日ぶりに飲んだので焼酎がどんどん口に入るのだった。さらに「ル?ヴェール」。バーボンを飲んでいたら「酒とつまみ」の大竹聡さんがやってきた。雑談しばし。帰宅してからは「景虎」の梅酒を飲んだ。この梅酒の美味さを知ったのは、田中康夫さんから教えられた西麻布「韻」でのこと。「週刊朝日」(3月2日号)のグラビアは「極上プレミアム梅酒に酔う」。ここにも「景虎」梅酒が紹介されている。この梅酒についてブログに書いたところ、日本酒を楽しむ女性の会「美酔」の村上佳子さんが、自分としてはいちばん美味しいと思うと、福島の第七酒造の「生もと梅酒」を送ってくれた。梅酒に目覚めたのもどうも身体が求めるように変化しているのではないか。その「週刊朝日」に芸能界のスクープがさりげなく掲載されている。藤原紀香さんが17日に結婚したことに関することだ。紀香さんは婚約の前まで同棲していたという。お相手は「スクープ?オン?サムバディ」というバンドのTAKE=武田雅治さん。二人とも結婚の意思があり、紀香さんのマンションで同棲していた。武田さんが出ていったのは昨年10月はじめ。荷物を引き上げたのは11月だというのだ。おそらく紀香さんの気持ちが陣内智則さんに移ったからだろう。つまり陣内さんと婚約する直前まで武田さんと同棲していたことになる。そんな話を紀香さんの友人に伝えた。その女性は「おかしいんですよ」と言う。

 それまではボーイフレンドができるといつも進んで紹介していたのに、武田さんだけは教えなかったというのだ。「加藤雅也さんと付き合っているときも紹介されて食事もいっしょにしたのに、武田さんのときだけはそれがなかった」と不思議がるのだった。武田さんとのことはかつて「女性セブン」が新恋人と報じたことがあるが、昨年までのことを書いたのは「週刊朝日」がはじめてではないか。おめでたい話題なので遠慮したのかも知れないが、もう少しセンセーショナルにタイトルを付けるのが山口一臣流ではなかったか。オウム事件が起きてからというもの、統一教会の動向を取り上げる週刊誌も少なくなった。ところが霊感商法はいまだ続き、信者への経済的負担もさらに重たくなっている。自己破産も増えているのが現状だ。統一教会では2月23日の文鮮明教祖夫妻の誕生日(偶然、夫婦ともに同じ月日)を「御生誕日」として、文教祖の年齢88歳に(数えで)順じて88万円(夫婦だと176万円)の献金を強要している。また、2月23日までに過去の罪を赦すという「恩赦」のための「特別修練会」が開催されている。信者はこの修練会に出ないと救われないとの脅迫概念から参加し、多くの献金が強要されることになる。ここにその
指示文書を公開する。最後にある「K」とは「献金」を意味している。今年は統一教会にも大きな動きがあるだろう。山崎拓自民党元副総裁との関係もふくめ、引き続き情報を公開していく。

 

 


中島みゆきとクミコの「十年」

2007-02-19 07:56:20 | 人物

 2月18日(日)朝から強い雨。この冷たい音に見送られて知人が逝ってしまった。「おもろ」で泡盛を飲みながら最後に話をしたのはひと月ほど前だったはずだ。一級建築士として老後は石垣島に暮らすと夢を語っていた。まだ58歳。入院したのは3週間前。いったいどんな病魔が襲ったのだろうか。単行本『X』に関わる何人かに電話をする。呼び出し音が鳴るだけだ。年齢が年齢だけに気になるが、仕方がない。証言を得る。そこで「新発見」がある。それを確認すべく別の当事者に連絡をすると「そんなことはありません」と一言で否定される。事実を確定するには客観的史料が必要となる。難儀な仕事だなと思うものの、その確定作業がまた面白いのだ。不意討ちのような切断がある。急がなくては。茨木のり子さんが遺した詩集『歳月』(花神社)を読む。親族がクラフトボックスのなかから見つけた未発表詩の多くにはタイトルが付けられ、目次もできていた。その最後に配置された(これは甥の判断による)「歳月」という作品は、「真実を見きわめるのに/二十五年という歳月は短かったでしょうか」とはじまり、こう結んでいる。

 けれど/歳月だけではないでしょう/たった一日っきりの/稲妻のような真実を/抱きしめて生き抜いている人もいますもの

 そう、たとえ「稲妻のような真実」を経験することでも人は生き抜くことができるのだ。クミコさんから送られてきた「十年」という新しいアルバムを聴く。イッセー尾形、大石静、椎名誠、筑紫哲也、弘兼憲史など10人の著名人がクミコさんに歌わせたい70年代の歌ーーたとえば「北の宿から」「神田川」「〈いちご白書〉をもう一度」「喝采」などーーを選び、それを収録したユニークなアルバムだ。その冒頭にあるのが中島みゆきさんの書き下ろした「十年」である。「十年は長い月日か/十年は短い日々か」と歌うクミコさんを聴いていて、人生の実時間の意味を感じる悲しい一日であった。「十年」発売を記念するコンサートは3月21日、東京国際フォーラムCホールで行われる。

070218_15520001  午後から調布の日活撮影所へ。テレビ朝日で放映される「テレサ・テン物語~私の家は山の向こう」の撮影を見学。第8スタジオで舟木稔さんご一家にご挨拶。放送に向けて週刊誌などにも記事を書くため、いくつかの打ち合わせ。テレサ・テンを演じる木村佳乃さんは、まさに役にはまりこんでいる。短い休み時間の笑顔が撮影になると一瞬にして変化する。舟木さんを演じている高島政伸さんの「すさまじい」姿も目撃した。テレサにとっては緊迫したシーンだった。高島さんは、ドアを開けて入っていく直前に、腰をかがめ真剣な表情でうつむいていた。精神を集中していたのだろう。「その人」になり切る刹那がある。没我とはこうした瞬間をいう。他人に伝わる演技、あるいは届く言葉とは、真剣かつ邪念がない心境で生れるのではないか。テレビでコメントをするときも、ふと何か別のことが脳裏に浮かんだ時などには、言葉と身体がどこかで剥離していることを感じる。役者とはすごい仕事だと再確認した数時間。京王線の調布から新宿まで舟木さんとご一緒し、そこで別れる。池袋リブロで安田弘之さんの4コマ漫画「ラビパパ」(太田出版)を探すが在庫切れ。帰宅してクミコさんの「喝采」を聴く。