有田芳生の『酔醒漫録』

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歩き、歩け!

2009-10-31 12:28:24 | 随感

 10月30日(金)091030_13080001 三遊亭円楽さんが亡くなった。フリーランスになって悪戦苦闘していたころ、「週刊サンケイ」の「マネー人生」という連載でお話を伺ったことを想い出す。莫大な借金の苦労話を真面目な顔で、ときにあの破顔で語ってくれた。「四天王」以降に若手落語家は育っているが、漫才世界では、「笑い」が変質している。バラエティ番組だけでなく、ワイドショーなどで出演者が自分で手をたたいてはしゃいでいるシーンはいつから一般的になったのだろうか。強い違和感を感じる自画自賛。新宿にある都庁の選挙管理委員会で手続きをして、九段下の東京法務局へ。ところが手続きに印鑑証明などが必要だと知らされていなかったので大慌て。平河町にあるヘッドオフィスに向う。一連の手続きなのに場所を異にしている不合理。おかげで半日を費やしてしまった。国会まで歩く。本を読んでいたら「アリタさん」の声。湯浅誠さんだった。テレビ局のスタッフといっしょだったので、取材なのだろう。「時の人」になってからも変わらぬ人柄は大したもの。いささかの脚光を浴びただけで人柄が尊大になる人物(複数)を見ているからよりそう思う。麹町の文藝春秋。資料室で調べごと。市ケ谷まで歩き、有楽町。銀座「てつ」は今年はじめて。「週刊新潮」のMデスクと懇談。福田和也さんお気に入りのバーを紹介してもらう。最近は1日の歩行数が1万6000を超えることが多い。かつての日本人は2万3000歩は歩いていたと、どこかで読んだ。もっと歩こう。


文化がまた消えていく

2009-10-30 10:20:52 | 随感

 10月29日(木)091029_15220001 定例役員会を終えて有楽町。資料を読むために「壹眞珈琲店」。誰も客がいないので書斎のようだった。ところがしばらくすると女性集団客が2組。大きな声が店にこだました。喫茶店とはもともと会話をする場所なのだから、べつにどうということもない。とはいえ喧騒のなかにいるようなので、店を出る。新橋まで歩いていると「開運狸」像があった。賽銭箱もあるから、きっと酔っぱらったサラリーマンが思いを託して小銭を入れているのだろう。「神頼み」ならぬ「狸頼り」。日本テレビでインタビュー取材。「ザ・ワイド」時代の仲間が何人も来てくれる。品川で舟木稔さんと待ち合せ。来年で没後15年になるテレサ・テンの催しなどについて相談。ホテルパシフィック東京のセラーバーで加藤和彦さんや阿久悠さんの想い出などを聞いた。このホテルが来年9月いっぱいで終わると聞いて驚く。親会社である京急の都市再開発への強い意向があったようだ。参議院選挙のとき、京都に行く最終新幹線が満席で急きょ宿泊したこと、飯干晃一さんが亡くなる直前、最後にここで酒を飲んだことなど、想い出の場所がなくなる哀しさだけではない。ホテルはいくらでも再建できるだろう。しかし、年季の入った穴蔵のようなバーは、いちど壊したらなかなか同じようなものはできない。かりにバー文化と呼べば、その消失は残念だ。


2人のマイケルを見て「Bar 三石」へ

2009-10-29 09:11:48 | 映画

 10月28日(水)091028_21480001 日本人は不幸だなと思った。その大きな原因はメディア報道にある。マイケル・ジャクソンの「THIS  IS  IT」が全世界同時公開された。2週間限定の一般公開前に丸の内ピカデリーで行われた試写会に行った。不幸だというのは、ワイドショーなどでマイケルが取り上げられたのは、たいていがスキャンダルだったから。これほど素晴らしい歌手だとは、勉強不足なのだが、知らなかった。全世界のトップミュージシャンやダンサーを配しつつ、誰かが証言していたが「フレンドリーで謙虚」な人柄がよく伝わってくる。しかもここでもロックンローラーという表現が出てきたように、全力投球の完全主義には、マイケルの心意気がある。この夏にロンドンで行われる予定だったリハーサル映像には驚くばかりだ。最上のエンターテインメントに仕上がっていたコンサートが実現しなかったのは残念だ。何よりもマイケルといっしょに仕事をしてきた多くのスタッフの悲しみの深さはいかばかりだろうか。翻訳監修に湯川れい子さんの文字があったので、上映後すぐに電話、感想を伝えた。湯川さんは日本人でいちばん多くマイケルにインタビューしている。「そうでしょ」と同意してくれた。新橋まで歩き、クリニックで再び体調管理。いまや主治医のようなS医師に健康維持の相談ごと。「壹眞珈琲店」で読書。期待外れの本にガッカリするのは、鑑識眼なきこの自分の責任だろう。有楽町の読売ホールでマイケル・ムーア監督の「キャピタリズム」を見る。アメリカ金融資本の無慈悲を記録した作品は、サブプライムローン問題の本質に迫る。バラク・オバマ大統領の誕生が、アメリカ国民のなかに闘う勇気を鼓舞していることがよくわかった。最後に「いっしょに闘おう」と呼びかける言葉にかぶせて、ポップス調の「インターナショナル」が流れた。日本の古めかしい翻訳に比べて、ずっと軽快だ。「自立した言葉」とは、こういうものだろう。本編の字幕で「持つ物」とあるのは「持つ者」の誤植。銀座まで歩いて今晩開店した「Bar 三石」(銀座6-4ー17 出井ビル4階。電話は03-3572-8401。営業は午後5時から午前2時まで)へ。「ル・ヴェール」にいた三石剛志さんが、はじめて自分の店を持った。バーボンのソーダ割を飲んで、すぐに店を出る。帰りの地下鉄はほとんど20代から30代。「わが世代」はどうしているんだろうか。(29日の「読売新聞」朝刊35面に「銀座7年 自前のバー」という大きな記事と写真が出ている。三石さんを紹介する記事で筆者は枝川公一さん。三石さんの言葉がいい。「ぼくの人生の面倒を見られるのは、ぼくしかいない。だったら自分の好きなことをしないではつづけていけない。そのための犠牲は覚悟している」)。


刺激的な「パイレーツ・ロック」

2009-10-28 10:42:33 | 映画

 10月27日(火)091027_17500001 書評原稿の推敲をしてから東京地裁。霊感商法会社「新世」公判は、検察による論告求刑。「伝道と経済は表裏一体」で、印鑑販売は「万物復帰」の教えによる「莫大な財産を吸い上げる」「生産ライン」システムだと喝破。社長に懲役2年、罰金500万円、取締役に懲役1年6月、罰金300万円、「新世」に罰金1000万円を言い渡した。統一教会側女性弁護士は何を言っているのかわからないほど早口で最終弁論、被告人が「酒やギャンブルもやらない真面目な人物」というところでは呆れた。これでは酒を飲み、パチンコや競馬をするものは不真面目だということになる。言葉には宇宙がある。きっと狭い人間観なのだろう。判決は11月10日午後1時半から。地下鉄で麹町へ。文藝春秋に歩いていたら、被告と女性弁護士に出会った。病気だと法廷で明らかにされた社長に「お身体を大切に」と声をかけると、複雑そうな表情だった。女性弁護士がいうように真面目な人たちなのだ。松井清人さんと意見交換して国会図書館。歩いて有楽町の「みゆき座」。チケット売り場には長い列ができていた。3時間を超える「沈まぬ太陽」を見ようとする人たちがほとんど。「パイレーツ・ロック」を見る。これほど面白い映画は久々だ。1966年当時のイギリスではBBCの音楽番組は1日に45分。それに対して海賊船からロックやポップスを24時間ラジオで放送した魅力的な人間群像がいた。新法を作り放送をやめさせる政府への抵抗はまさしくロックンローラー精神。恰好いい。とくに最後の10分は感動。しかし……。左隣にいた女性は上映中に携帯電話でメールを読んでいた。先日の「組曲虐殺」のときも左隣の女性2人が、ともに携帯でメールを見ていたことを想い出す。迷惑この上ない。ロビーならいいが劇場のなかでは携帯電話の電波が届かない機器を設置すべきだ。


理論的に正しくても、相手の心に響かない言葉

2009-10-27 09:21:31 | 読書

 10月26日(月)091025_15520001 国会がはじまり、酒井法子さんの初公判があった雨の東京。ある週刊誌は政治とノリピーで売り上げが150パーセント増えたという。2007年参議院選挙でいただいた得票を細かく分析。個人票は15万9814。いちばん多かったのが東京で2万8002票(得票率1・68パーセント)、最低は沖縄で326票(同前0・09パーセント)。東京でも世田谷区が2432票(2・15パーセント)、次いで練馬区 が2162票(2・10パーセント)。「傾向と対策」のポイントが見えてきた。石神井公園の自然が教えてくれたのは、「型」=スタイルの「創造的破壊」に必要なことは「軸」だということ。ジムで泳ごうと地下鉄に乗ったものの、突然ある思いがわきおこり、新宿3丁目で降りて銀座へ。「壹眞珈琲店」で本を読む。この喫茶店は神保町など都内にいくつかあるけれど、そのなかで読書の穴場を発見。案の定客は誰もいなかった。『心をつなぐ左翼の言葉』(かもがわ出版)は、高校3年生の山田千永さんの表紙絵とミヤケヨウコさんの装幀がとてもいい。内容は辻井喬(=堤清二)さんに浅尾大輔さんが聞くという作りになっている。まず疑問がわいたのは、辻井さんがよくこのタイトルで著作を出したなというところにあった。そもそも「右翼」「左翼」といった二項対立思考こそ過去のものだと思うからだ。辻井さんは「まえがき」でこう書いている。〈現実に学ぶという認識を中心にすえれば、私たちは右翼VS左翼、保守VS革新という思考枠を変えなければならないときに来ているのだろうか。とすれば、この著作の『心をつなぐ左翼の言葉』というタイトルにも大きな修正を施す必要があるということになる〉。辻井さんの「だろうか」「とすれば」といった遠慮がちな物言いはどうしたものか。「現実に学ぶ」辻井さんらしくない。浅尾さんは「赤旗」記者だったときに「家畜の朝」という小説で新潮新人賞をもらっている。新しい感性の人材が出てきたなと注目したことがあるが、その後記者をやめた浅尾さんは「ロスジェネ」編集長として活動。そんな経緯を知っているものだから、期待をして読みはじめた。ところが対話の出だしから〈いま、さきの十五年戦争下とよく似ていると指摘される「転形期」に、同じく小説を書く若輩者として、とても感動いたしました〉と浅尾さんは語っている。対話時期が今年のはじめとはいえ、この時代認識にまず強い違和感を覚えた。「指摘される」ではなく、ご自身の見解を語るべきだからだ。とはいえ辻井さんの問題関心ーー〈理論的には正しくても、相手の心に響かなかったり、相手を傷つける言葉がある〉ーーが基本にある対話ゆえ、じっくりと読み進めようと思う。「自立した言葉」の問題だ。


宇宙のなかの〈わたし〉

2009-10-26 10:37:41 | 随感

 10月25日(日)091025_15380001 選挙区を練馬から板橋に移してからというもの、石神井公園に行くゆとりもなかった。1年ぶりに公園を歩く。冬のような寒さに散策する人たちも少ない。東京に出てきて1年後にここで暮らすようになり、やがて新婚時代を過ごしたいわば私的原点でもある。スタイルを変えることは、定型にとらわれないこと。「原則居士」という言葉があるように、柔軟性を失えば、ただの意固地な杓子定規の経文読みになる。いわば「水のように」暮らすことだ。時代も変われば、人も変わる。せわしない流転のなかで、阿久悠さんが書いたように「時代おくれ」があってもいい。昨日路上で見た枯れ枝のようなカマキリは、微動だにせず、首をもたげていた。そんなイメージは大切な心構え。ここにあるのは宇宙のなかの〈わたし〉なのだから。開店翌年から33年断続的に顔を出している「珈路」へ。イタリアンのストロング珈琲を飲みながらマスターから選挙の慰労や界隈の話。そこへ常連(初対面)が何人か。みなさん応援していてくれたという。うれしい話をいくつか聞く。池袋リブロで高浜虚子『俳句の作りよう』、正岡子規の『仰臥漫録』(いずれも角川ソフィア文庫)を入手。前者は大正3年に刊行され、昭和27年に再刊された貴重な作品。後者は岩波文庫にはない子規直筆の彩色画が収録されている。子規が34歳で亡くなったことに改めて驚ろかされた。「言の葉に 秋忍び寄り 孤音聴く」。


微動もしないカマキリのように

2009-10-25 13:01:44 | 随感

 10月24日(土)091024_12420001 やしきたかじんさんのアルバムを聴きながら。選挙が終わってからブログもふくめた生活スタイルの一新をずっと考えてきた。その中心となる課題については、信頼できる知人たちの意見を聞いてきた。まず必要なことは原則を確定すること。伝説の雀鬼にして人間観察力にたけた桜井章一さんによれば〈人間は、なかなか今までに築いてきた自分を捨てることができない。「得る」という気持ちばかりで、「捨てる」という感覚になれない。仮に、それが自分にとって悪いものだとしても、いつまでも抱え込んでいたりする〉(『負けない技術』、講談社+α新書)。そのとおりだと思う。「悪いもの」ではなくとも「捨てる」ときがあるだろう。新宿で高世仁さんと待ち合わせて3丁目の「薩摩おごじょ」で焼酎を飲みつつあれこれと雑談。この店は代々木に勤めていた20代によく通っていた。店主の赤羽礼子さんが、特攻隊の面倒を見てきた知覧の「富屋食堂」の鳥濱トメさんの次女だと知ったのは、ずっとあとのこと。その赤羽さんもすでに亡い。「ESPA」に移動してワインを飲みながらさらに話し合う。高世さんの娘さんの通う学校に横田滋、早紀江夫妻を招いて講演をしてもらったそうだ。そのあとの食事時に娘さんたちも同席。そのとき横田さんが「こうして家族で食事ができることはとても幸せなことですよ」と語ったそうだ。幸福とはシンプルなものなのだ。おそらく生活の価値観もまた。路上で見つけた枯れ枝のようなカマキリがじっと動かないでいたように、いまはいる。


「ヴィヨンの妻」と広末涼子

2009-10-24 10:29:47 | 映画

 10月23日(金)大山の事務所で雑務。東武練馬のSATYで太宰治の小説が原作の「ヴィヨンの妻」を見る。主人公と心中を図る女性を演じる広末涼子が気だるい存在感。戦争直後の街並みがよく再現されているが、そこで生きている俳優が、どうしても現代風の顔つきなのは、仕方がないのだろう。筆坂秀世さんから送っていただいた『政党崩壊』(講談社+α新書)を読む。自民党が健全な保守として再生することを期待している根拠は、日本に3割から4割の保守層がいるからとある。それはそうなのだが、自民党を支持してきた無党派保守層の離反があったから、いまの政治がある。自民党の再生が難しいのは、国家目標を示しえていなかったからだ。野党になればマスコミ報道も驚くほどなされなくなった。世論はこうして形成されるのだなと実感する日々。大山に戻り「多奈べ」で事務所の大家Mさんと懇談。もよりの書店で文鮮明自叙伝『平和を愛する世界人として』(創芸社)と弘兼憲史さんの『社長 島耕作』(講談社)を入手。


「週刊ヤングジャンプ」の薦め

2009-10-23 10:46:13 | 随感

 10月22日(木)091022_12370002 フランスの「ル・モンド」に意見広告が掲載されたことは、すでにお知らせしたとおり。拉致問題を解決しなければならないとの全国からの強い意思がこうした国際活動を実現させた。とはいえ深刻な問題の解決にはまだまだ難題が多い。ここに「ル・モンド」紙面をご紹介する。難問というレベルでいえば「足利冤罪事件」もまた大変な課題であった。DNA鑑定があれば、多くの人びとが「犯人」と納得してきたのではなかったか。しかも最高裁で判決が確定している。その「常識」を疑い、冤罪を明らかにした「小さな集団」がある。その軌跡をリアルに描いた漫画が「週刊ヤングジャンプ」で連載開始となった。題して「VS.北関東連続幼女誘拐・殺人事件の真実」。実名の主人公は日本テレビ報道部の清水潔さん。「フォーカス」時代に桶川ストーカー殺人事件を暴いた人物だ。その清水さんがハードボイルドタッチで、「ザ・ワイド」元リポーターの杉本純子さんが少女マンガ風に描かれている。足利事件は真犯人が逮捕されていないのだから、核心部分を埋める取材や捜査はまだ終わっていない。マスコミ志望の若者たちだけでなく、足利事件の冤罪の構図を「内側」から見つめ直す大切な作品だ。ぜひ一読をとお薦めする。定例役員会を終えて東京地裁。霊感商法会社「新世」の裁判は、傍聴席48(これまでより7人分増えた)に対して希望者は149人。被告人質問では、都合の悪い押収資料については「知らない」の一点張り。女性弁護人(宮入陽子弁護士)に対して裁判長が「理屈はいいですから事実を聞いてください」とたしなめられたことが印象的だった。傍聴席には梶栗玄太郎会長の側近の姿もあった。11月に行われる統一教会の大幅な組織改編に関係あるのかもしれない。表参道のジムで泳ぐ。


小林多喜二を描いた傑作「組曲虐殺」

2009-10-22 09:24:42 | 随感

 10月21日(水)091021_15250001 19日のフランス「ル・モンド」紙に拉致問題解決を求める意見広告が掲載された。これで「ニューヨーク・タイムズ」、韓国3紙に続く、取り組みがいったん終わることになる。しかし拉致問題の進展は見られない。民主党政権のもとで新たな進展を実現すべく、何ができるだろうか。選挙公示前から足が遠のいていた竹村文近さんの鍼治療に行ってきた。最近どうですかというご連絡とともに「小説新潮」10月号などが送られてきたのは最近のこと。辛酸なめ子さんが竹村さんの治療体験記を書いていた。写真と記事を読む限り、相当に緊張していた様子が伺える。そこには治療院にドクロがあったと書いてあった。そんなものあったかなと思えば、最近南米で買ってきたのだという。新宿駅前の喫茶「凡」で読書をして浜松町へ。家人と待ち合わせて天王洲の銀河劇場で井上ひさしさんの新作「組曲虐殺」を観る。小林多喜二を描いた作品だ。ロビーで井上ユリさんに会ったので「3時間とはまた長いですね」と言ったところ、「あっと言う間ですよ」と言われた。そのとおり、舞台に見入っていれば時間は瞬く間に過ぎていった。井上芳雄、高畑淳子、石原さとみ、神野三鈴、山本龍二、山崎一の6人が、素晴らしい演技。多喜二の「蟹工船」ブームが話題になってきたが、小林多喜二をここまで見事に現代に蘇らせたのは、井上さんの筆によるものが最初だろう。終わり方も井上流で、悲劇のなかに喜劇の要素を含んでいるからすごい。新橋で降りて久々に「はら田」へ。