有田芳生の『酔醒漫録』

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「菅首相が電撃訪朝を狙う」ーー仰天報道の真相

2011-07-26 15:35:13 | 参議院

 7月26日(火)「中井洽元拉致問題担当相が21、22の両日、中国・長春で北朝鮮の宋日昊・朝日国交正常化交渉担当大使と極秘に接触」との報道があった。25日にフジテレビがスクープ、各紙が追っている。報道では今春から接触があったというが、菅首相も中井元担当大臣も公式に否定している。これは事実ではない。フジが報じた昨25日。朝鮮労働党幹部から日本の某人物に「中井元大臣に会ったのはよかったのだろうか」との問い合わせがあった。「山崎拓ルートより悪い」が返事である。北朝鮮にとって中井元大臣は「許し難い」存在だ。強硬に批判を繰り返してきたからである。ところが菅首相の「信任状」(「首相親書」の可能性もある)を持参していたから会わないわけにもいかない。宋日昊氏は上部機関に伺いを立てて会談に及んでいる。そもそも5月中旬に北朝鮮筋から菅首相に「非公式の打診」があった。北の基本的方針は、「強い政権」のもとでの日本との交渉である。念頭にあったのが、小泉訪朝であることはいうまでもない。しかし日本政治における菅内閣はきわめて脆弱な基盤にある。それでも交渉に引き出したいとの方向に変換したのは、経済状況の悪化である。「菅首相が電撃訪朝を狙う」との報道がなぜいまなされたのか。交渉が決裂したからである。北朝鮮との交渉は田中均氏がかつて25回も極秘会談を続けた末に小泉訪朝が実現したように、最後まで情報が漏れない人物と体制で行わなければならない。

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東日本復興計画私案(2) ?少子高齢社会のモデル都市をー

2011-07-22 16:10:03 | 参議院

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 私は東日本の創造的復興は、これからの日本の将来を見とおしたうえで、先験的なモデル社会を建設すべきだと思っている。漁業や農業をいかに再建するか等々多くの課題があるが、ここでは二つの構想を示したい。第一に高齢社会に対応した居住モデルを建設することであり、第二に「省エネ型」の医療、研究センターを誘致することである。関東大震災、敗戦を通じて大規模な復興が行われたが、「居住モデル」といえるようなものは建設されなかった。しかし例外的に関東大震災後の復興では東京や横浜に同潤会アパートが建設されている。近代日本で最初の鉄筋コンクリート集合住宅である。とくに大塚女子アパート(小石川区、当時)は、エレベーター、売店、食堂、共同浴場などを備えた最先端居住施設であった。ただしコスト面から広く社会的広がりを見ることはなかった。

 高齢社会に相応しい居住モデルとは何か。介護や医療施設が併設された集合住宅である。保育所も設置することで「宅老幼所」(デイサービスと保育を同じ空間で行う。高齢者は子供から元気を、子供たちは高齢者の知恵をもらう)も運営する。建築基準法の改正を伴わない「復興特区」とすることで、容積率を高め、建ぺい率を低くすることによって、高層住宅を建設する。そこでは建物の下部に公共空間??たとえば音楽や演劇などを行う舞台施設も設置する。映画館などもあればいい。高齢者が24時間好きなときに入れる浴場があってもいい。基本的には高齢者から若者や子供たちまでが「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」(憲法25条)を行使することのできる居住空間の建設である。高齢者が安心して暮らすこともできれば、若者たちや働く世代が地元に魅力を感じ、安定した雇用も生まれる。若者たちが都市部に移らなくてもいいような街作りである。専門家は、工場化・規格化をすれば、マンション建設費は三分の一で済むと指摘する。もちろんデザインなどは住民参加で決定していく。

 渡辺慎也さんは、大津波の経験からすれば「避難所にもなる集合住宅は楕円形がいいだろう」と提案する。もしも船などが流れてきても激突することなく逸れていくからである。海岸線から100メートルほど離れたところに防潮堤になる道路を建設することも現実的だろう。住居はそこからさらに離れた土地に確保する。(続く)

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楢崎弥之助  「菅直人総理の即時退陣を求める」

2011-07-22 12:49:31 | 参議院

 7月22日(金)菅首相の「古くからの政治的同志」「盟友」である楢崎弥之助前衆議院議員が民主党国会議員に文書を配付した。91歳になる老政治家の諌言をここに紹介する。

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東日本復興計画私案(1) ?少子高齢社会のモデル都市をー

2011-07-20 15:25:38 | 参議院

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宮城県石巻市の日和山に登る。地震と津波に襲われ破壊された街路で眼にした光景とはまったく異なり、そこでは何事もなかったかのように家屋が整然と並んでいる。太平洋や旧北上川を見渡すことができる場所に佇み、息を呑んだ。広大なる廃虚。表現しようとすれば揮発する。言葉が現実に追いつかない。戦後世代の私にとっては経験したこともない写真のなかの世界だ。ヒロシマやナガサキ。そして空襲で焼け落ちた東京……。しかし眼前に広がるのは、まごうことなき事実である。つい先日まであまたの日常生活が続いていた実時間の強力で暴力的な破壊だ。

 海岸線に長く連なって広がる被災の空間。それをいかにして復興させるのか。江戸時代には地震災害に遭ったとき、関東では「万歳楽」、関西では「世直し」と民衆は唱えた。「鯰絵」に描かれた「地震鯰」が破壊者であるとともに救済者としてのイメージを与えたことにも重なる願望の表明であった。苦境を新生へのきっかけにすることだ。そのためにはまず日本全体のなかで被災地が置かれている現状を出発点としなければならない。言葉を替えれば「少子高齢時代」における創造的復興である。日本は人類史にもまれな高齢時代に入っている。人口に占める65歳以上の比率は23・1パーセント(男性20・3パーセント、女性25・8パーセント。平成22年9月1日。推計人口概算値)。ところが岩手県は27・1パーセント、宮城県は22・2パーセント、福島県は24・9パーセント(いずれも平成22年)。朝日新聞の調査でも死者の55・4パーセントが65歳以上の高齢者であることが判明している(4月10日付)。被災地の高齢化は日本のなかでも進んでいるのだ。医療技術の発達、経済成長による豊かな食料・福祉制度の充実などによって、日本人はいままでに考えられないほど寿命が延びた。高齢化率は2050年には37・8パーセントになると予測されている。こうした時代の大きな枠組みのなかで東日本復興を位置付けなければならない。

 石巻を歩き、出会った被災者の方々に意見を伺った。ある高齢世代の男性は語った。「私たちはここで生まれ、育ってきた。これからどうなるかわからないが、この街を出るつもりはない。でも若い人たちは違うだろうね」。こうした意見が多い。高齢者は被災地に残り、若者は街を出て行く。この傾向は一時的には避けられないにしろ、それでいいわけはない。地震や津波を前提にした生命を守る復興はいかにあるべきか。私は仙台に向かった。4年ほど前の河北新報(平成19年9月4日付)に掲載されたある記事を見つけたからである。「大津波への備え 自らの判断で命を守る」(渡辺慎也)。冒頭にはこう書かれている。

「仙台東部に10メートル超す巨大津波/死者・行方不明者 数万人にも/逃げ切れず次々と波にのまれる/二〇××年×月×日、各新聞は号外にこのような大見出しを付け、未曾有の巨大大津波被害の惨状を報じる」

 「仙臺文化」編集人だった渡辺さんに話を聞いた。地震と津波の予測はなぜ可能だったのか。それは東日本大地震で大きな被害を被った仙台市若林区にある弥生時代の水田跡(沓形遺跡)で津波によって運ばれた海の砂が層になって発見されたこと、貞観津波(869年)があったこと、そこから大津波の周期性を勘案したところ、2010年から2210年までの200年間に再来がありうると判断したからだ。その論考のなかで眼にとまった部分がある。「直ちに行動しても、残念ながら避難場に恵まれないことが、仙台東部の特性でもある」「町内ごとに二十メートルの津波に耐え得るよう八階建て以上の集合住宅」(拠点避難場所)を設けるべきで「最上階には津波防災設備を施した『地域民集合室』」を置くべきだと提案している。「地域民集合室」は電源と通信機能を備え、食料、毛布、医療用品、簡易トイレなどを備蓄しておく。

 渡辺さんは東日本の復興防災都市構想について「住民から意見を公募すればいい」という。仙台は戦災復興が速かった。渡辺さんも「焼け跡がすごいスピードで変わっていった。とくに青葉通りの広さには驚いた」と回想する。「私権」を制限してでも復興計画を進めた当時の岡崎榮松市長の強力な指導力があったからこそできたことである(注1)。関東大震災時に後藤新平がアメリカの都市計画家チャールズ・ビアードから「新しい街路を設定せよ、その路線内の建築を禁止せよ、鉄道駅を統一せよ」と電報でアドバイスされた手法を実行したのだという。(続く)

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国会漫録(2)ー小沢一郎の肉声

2011-07-20 14:22:09 | 参議院

 国会議員が特権に甘んじているエピソードを紹介しよう。参議院にはいろいろな店舗が入っている。議員会館地下には食堂、コンビニ、喫茶店、タリーズコーヒー、「てもみん」(マッサージ)、写真屋、理髪店などがある。議事堂に向かえば、本館中庭に五車堂書房があり、その隣に「一茶そば」がある。驚いたのはこの蕎麦屋での習慣である。暖簾をくぐると左側に自動販売機があり、注文したチケットを従業員の女性に渡す。そして奥にあるカウンターに並ぶ。ところが議員が来ると従業員は湯のみ茶わんを持って席を取る。議員はそこに座り、蕎麦が運ばれてくるのをじっと待っている。店のサービスなのだ。

 私はそうした特別扱いがイヤなので、秘書や衛士など国会職員と同じように列に並んでいる。理屈以前の感性レベルで受付けないのだ。目撃したところ、民主党、自民党、公明党、共産党の議員が恩恵を受けていた。もちろん「すべて」の議員がどのような対応をしているかは不明だ。しかし与野党ともに「小さな特権」を享受していることは、ただ「小さな」問題ではなく、議員意識を象徴しているのではないだろうか。残念ながらこれが現実だ。「院車」という世間でいう「黒塗り」の車についても、あるドライバーから私に内部告発があった。こうしたエピソードに事欠かないのが国会である。

 政治は「干物」ではなく「生もの」だ。菅内閣が小幅な内閣改造を行い、いま第二次補正予算などの国会審議が行われている。巷間ささやかれているように、菅首相が「脱原発」を争点に解散・総選挙に打って出る可能性も、少ないとはいえ否定できない。まさに「政界の一寸先は闇」なのである。こうしたときこそ大局に立った判断が必要だ。いずれ菅直人首相は退陣し、民主党代表選挙が行われ、次期総理が決まる。それは誰なのか。

 小沢一郎元代表と懇談する機会が最近あった。朝日新聞は小沢グループが「ポスト菅」に野田佳彦財務相を推すと書いたが、本当なのだろうか。小沢元代表に聞いた。「野田さんが増税反対の立場になれば支持するとありましたが」「そんなことは言ってないんだ。野田さんが財務省推薦候補だとは言ったけどね」

 小沢元代表にはメディアで報じられている次期総理候補について一人ひとり名前をあげて評価を伺った。結果は総じて否定だった。しかし小沢元代表の脳裏にはベテランかつ人格者の議員があるようだ。東日本大震災からの復興を課題にする日本政治の現状をいかに捉えるべきか。小沢元代表の眼にはどんな光景に映っているのだろうか。

「日本は大変なときにある。しかし政治の世界でいえば、いささかおかしな首相がいる以外は大した政局ではない。佐藤派から別れるときがいちばん苦労したよ」。小沢元代表はそれ以上を語らなかった。1972年に佐藤(栄作)派から田中(角栄)派が独立したときのことだ。97人いた佐藤派から81人が離れ、田中派が形成されたのである。派閥抗争は永田町界隈の嵐にすぎない。それでも日本政治史においては、ましてや当事者たちにとっては大きな出来事なのだ。当時に比べれば大した政局ではないという小沢一郎元代表の証言には重みがある。

 「この時代に政治家でいることはやりがいがあるよ」。小沢元代表がそう言ったので「こうした政治状況のもとで読むべき本はありますか」と私は訊ねた。「歴史物を読む」という小沢さんが薦めてくれたのは、鄧小平の三女・毛毛が書いた伝記だった。『わが父 鄧小平 「文革」歳月』(中央公論新社)である。 実は小沢元代表は昨年12月6日に建設関連会社の忘年会で鄧小平の伝記を読んでいると挨拶、こう語っている。「鄧小平は私と同じ六八歳のとき、文化大革命で 地方に飛ばされていた。それに比べれば今の自分はまだましだ。その後、鄧小平がどうなったかご存知ですよね」。

 先夜は「3回失脚しても毛沢東は鄧小平を殺さなかった。それだけの評価があったんだろう」とも語っていた。「ポスト菅」にはさまざまな政治家の名前が取りざたされている。10月ぐらいにはじまるといわれる裁判の帰趨と世論の流れによっては、「小沢待望論」が起きることは充分にありうる。小沢一郎と菅直人。私の眼が見た二人の政治家は対照的だ。(未完)

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「国会漫録」(1)ーー参議院選挙当選から1年

2011-07-11 17:58:43 | 参議院

 【漫録】「筆のおもむくままに書くこと。また、その書いたもの」(日本国語大辞典)

 参議院議員になって一年。文字通り「光陰矢の如し」の時間だった。二〇一〇年七月十一日に当選してから、実にさまざまな経験をした。国会でまず仰天したのは野次のひどさだった。それまでテレビを通じて本会議や予算委員会での審議を見ることはあった。そこでしばしば野次が飛んでいるということは知っていた。当事者の言葉にかぶさって不規則発言が聞こえるからだ。ところが現場はすさまじい。聞くに堪えない悪口雑言のオンパレードだ。菅直人首相に対して「空きかん」「すっからかん」「最低の政治家」「あんたは粗大ごみ」などなどと野党は叫ぶ。「主権は国家にある」と時代錯誤な野次まで放たれる。そんな場面を小学生や中学生が傍聴する。これほど「非教育的」な場はないだろう。これが「国権の最高機関」(憲法第四十一条)である国会の現実なのである。

 戦後最初の第一回参議院選挙が行われたのは一九四七年四月。当選者には作家の山本有三、歴史学者の羽仁五郎など、知識人と呼ばれる人たちがいた。そのひとりである作家の中野重治は、議員になった感想をこう嘆じている。「はじめて国会へ出たとき私は全く閉口した。逃げたいという衝動にとらえられた。それから片手間仕事としてやって行こうというふうな考えが頭の隅にひらめいた。そういう考えがいかに非文学的だかということは次の瞬間にわかったが」「実際われわれは、つまり文学者は、国会ででもどこででもくそ真面目に働く必要がある。一般論どころではない。議院にはいった文学者なんかは、なれぬことを一心に勉強して、いっぽう政治屋連中から馬鹿にされあしらわれながらやり、いっぽう各論主義者からやはり馬鹿にされあしらわれながらやり、失敗した場合は両方の側から来る嘲笑を受け入れてそれこそ原論の正しさを証明するものとして真面目にやることを肚(はら)に入れねばならぬだろう」(「政治と文学」一九四七年七月)。

 参議院選挙に当選して三か月目の志である。中野が目撃したものは「政治屋連中」や「各論主義者」の集団だったのである。おそらく文学者としての繊細かつ剛毅な精神とは遠く隔たる世界が広がっていたのだろう。当時の議事録を見れば、やはり野次が飛んでいることが記録されている。「良識の府」と評されてきた参議院は、現況で判断すれば、一部の野次集団によって「非常識の府」を世間に印象づけているのである。しかも「政治屋連中」や「各論主義者」が跋扈する姿はおそらく変わっていない。それでも参議院を「原論の正しさ」を明らかとする立法府として機能させる努力が継続して行われてきたこともまた事実なのである。

 国会議員が特権に甘んじているエピソードを紹介しよう。(続く)

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統一教会の後継者争いーー内部文書を公開する

2011-07-10 11:26:41 | 統一教会

 7月10日(日)札幌に向かう前に統一教会の内部文書(一部)を公開する。「神山威」という人物は桜田淳子さんが合同結婚式に出席したときの日本統一教会会長で、現在は名誉会長。文鮮明教祖の側近とされる。跡目争いは続き、後継者である国進(4男)、亨進(7男)と韓国の黄会長との対立が表面化している。組織図の印は教祖が自ら記したものという。一連の動きの分析は「北風と太陽」に詳しい。

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「国会議員って『偉い』と思う?」へのコメント

2011-07-10 09:49:05 | 参議院

 7月10日(日)昨日の朝日新聞「be」に「国会議員って「偉い」と思う?」という読者アンケート記事が掲載された。この欄はいつもひとりの当事者からのコメントが掲載される。大嶋辰男記者から問われた「偉いか」というテーマについて答えた内容が次のようにまとめられている。見出しは「『先生』には困惑した」。〈実際に国会議員になってみたら偉かったかーー。ジャーナリストから参院議員になった有田芳生さん(59)はこう語る。「役人からも記者からも「先生」と呼ばれる。やっぱり異常な世界ですね。ジャーナリスト時代から付き合いのある新聞記者から「先生」と呼ばれたときは驚きました」もちろん、世のため人のため、朝から晩まで働き頭が下がる議員もいるが、公私混同して公用車を使う議員、ゴルフの話ばかりする議員、赤坂で飲み歩いている議員もいる。自身は、周囲に「先生と呼ぶな」と注意している。国会議員は市民が選んだ代表。同じ市民より偉いなんてあるはずないと思っているからだ。「でもね、医師や弁護士も「先生」と呼ばれるでしょう。国会議員の仕事も彼らと同じ人を救う仕事。働いた結果として「先生」と呼ばれることはあってもいいし、そうあるべく働くべきなんだろうね」。〉

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韓国冬季オリンピック決定で潤う統一教会ー「冬ソナ」撮影現場も会場に

2011-07-08 15:52:47 | 統一教会

 7月8日(金)【第2版】韓国の平晶(ピョンチャン)が2018年冬季オリンピック開催地に決定した。韓国「ニューデイリー」は、「平晶誘致最大受恵者は統一教?」という記事を掲載。平昌にある龍平(ヨンピョン)スキーリゾートが、統一教会の拠点だからである。いまから数年前のこと。リゾートにあるホテルの別棟売店には「愛天愛人愛国」と書いた色紙が飾られていた。統一教会の文鮮明教祖が揮毫したものである。そこでは日本人信者も働いている。

 龍平(ヨンピョン)スキーリゾートは、ソウルから215キロの距離にある韓国で最も古いスキー場だ。高原開発社によって開場したのは1975年。経営悪化で別会社に吸収されるなどして、2000年に龍平リゾート法人が設立される。それでも経営悪化は続き、2003年2月には株式の約91パーセントを1900億ウォンで統一教会系の世界日報社に売却した。この時期にたまたま「冬のソナタ」が日本でもブームになる。

 ぺ・ヨンジュンとチェ・ジウがレストランで食事をするシーンなどが龍平リゾートで撮影されたため、日本からの「冬ソナ」ツアーの観光客が殺到する。文鮮明教祖の揮毫が掲げられたのもこの時期のことである。統一グループは、もともと防衛産業、統一重工業(機械、自動車部品)、「一和」(高麗人参茶、メッコール)、世界日報などを経営していた。しかし赤字企業が続出したため、いまでは龍平リゾートなどのリゾート会社が主力になっている。2010年の龍平リゾートの売り上げ高は1152億ウォン(約88億円)、営業利益は21億ウォン(約1億6000万円)である。

 龍平リゾートの最大株主は世界基督教統一神霊協会財団で、49・99パーセント、世界日報が12・59パーセントである。 ここにはホテル、コンドミニアム、スキー場などがあるが、2004年2月から3月にかけて、日本の統一教会信者たち(区域のリーダー)が集まり、文鮮明教祖も出席して3度にわたって特別修練会が行われた。

 冬季オリンピックの「開会式」と「閉会式」は横城(フェンソン)にあるアルペンシア・クラスターで行われるが、アルペンスキー大回転・回転は、そこからバスで30分以内にある龍平アルペン競技場で開催される。統一教会の文亨進(ムン・ヒョンジン、文教祖の7男)は、龍平リゾートなどの投資を拡大すると語っている。冬季オリンピックの「最大受恵者」が統一教会だと評される根拠である。(さらに補筆などを行うかもしれません)。

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福島原発ー「4号機建屋が完全崩壊の危機」

2011-07-03 14:16:43 | 参議院

 7月3日(日)原発の危機的現状については、大震災発生以来、政府も東電も「後追い」で事実を公表してきた。いま何が起きているのか。「社会新報」(7月6日号)に知人の田中みのる記者が衝撃的な記事を掲載する(クリックすると拡大)。田中さんは村山富市内閣のとき首相補佐官に任命された。6日には参議院で予算委員会が開かれる予定だ。福島瑞穂議員がこの問題を追及するといわれている。

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