有田芳生の『酔醒漫録』

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北朝鮮難民と人道問題をめぐる現状

2011-09-27 18:06:30 | 参議院

 9月27日(火)北朝鮮難民と人道問題に関する民主党議員連盟の総会が終わった。難民定住支援日本語教育センター視察の報告、北朝鮮人権国際会議(9月7日開催)の報告が行われ、以下に報告する決議が採択された。なお加藤博さん(北朝鮮難民救援基金理事長)が脱北者をとりまく状況を報告、さらに09年に平壌から脱北した36歳男性から証言を聞いた。

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街場では議員を名指しで厳しい声が飛び交っている

2011-09-24 11:37:35 | 参議院

 9月23日(金)板橋区の成増から大山へ。ハッピーロードを歩き、「街の顔」の変化を実感。歩くたびに小さな変化が進行して行く。震災で歪んだというお茶屋さんが店を閉めて立て替えをしている。かつては回転寿司だった店は、いまでは週代わりの店舗になり「閉店セール」。吉田類さんの「酒場放浪記」で取り上げられ、私もたまたまそのとき飲んでいた「多奈べ」も10月末で閉店する。小選挙区と参院選時によく通った喫茶「でぃらん」で矢崎泰久さんの『あの人がいた』(街から舎)を読む。読売新聞記者からフリーランスになった本田靖春さんが矢崎さんに語った言葉が印象的だった。「何か気に食わないんだ、オレは何をやってんだろうって、近ごろどうもすっきりしない」。「あの頃は最高だったな」というのは、察回り(警察回り)の記者時代のことだという。私もまた「何か気に食わない」。「でぃらん」店主と雑談。「あの議員、何とかやめてもらえないですかねぇ」と新聞や週刊誌で何度も賭事などが報道された民主党参院議員を名指し。そういえば昨夜「はら田」で数年ぶりにお会いした鹿児島の福祉関係社長の藤井勝己さんからもある自民党参院議員について苦情を言われた。「さっきまで会合でいっしょだったんです」と呆れていた。挨拶でこんな趣旨を語ったそうだ。「次の選挙もよろしくお願いします。実は昨年も当選するとは思わなかった……」。次の選挙など現職である「いま」の仕事の延長だろう。どれほど国民のために働くか。その結果として次の期待もあるだろう。実はこのブログとは別に「国会漫録」なるものを書いていた。あきれ果てることどもを実名で記録していた。最近やめてしまったのは、あまりにもキリがないからだ。「人はその言うに任せよ」。私は私にしかできない課題を地道に進めていくだけだ。

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不条理との折り合いをどうつけるかーー畠山重篤さんがカキ養殖から悟ったこと

2011-09-20 17:07:45 | 参議院

 

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9月20日(火)大震災から続けているボランティアと取材・調査活動。第3日曜日には竹村文近さんとお弟子さんたちの鍼灸施術による心身回復のお手伝いしている。相馬市の避難所では帰るときに涙で送ってくれた人たちが印象的だった。前回の石巻に続いて気仙沼に入った。週末に車で先乗りした有田事務所スタッフとは別に新幹線で一ノ関へ。車内で内山節さんの『文明の災禍』(新潮新書)を読む。ある部分に眼がとまった。気仙沼の旧唐桑町でカキを養殖している畠山重篤さんのことが書いてあるところだ。畠山さんは「森は海の恋人」と提唱し、仲間たちと山に落葉広葉樹を植えてきた漁師だ。被災したとき山の上にあったご自宅の玄関近くまで水がやってきた。山ひとつ超えた介護施設で暮らしていた母親は津波で亡くなっている。大震災から時間もたっていないとき、畠山さんは「それでも海を信じ、海とともに生きる」とメッセージを出した。内山さんは「おそらく、津波との間で折り合いがついたのであろう」とこう書いている。「もちろん、折りあいなどついているはずはない。多くの漁師仲間も町の人たちも亡くなった。お母さんは津波にのまれた。海辺の集落も消え、彼の養殖施設も崩壊した。どう考えても折り合いがつくような事態ではない」。ではどこで折り合いがついたのか。内山さんは「魂の次元」だと分析していく。一関では太田和彦さん推薦の「こまつ」で夕食を食べた。店主と話をしていると、料理に出すカキは畠山さんから仕入れているという。どうしても会おうと思った。

 翌朝早くスタッフと気仙沼に向かう。仮設住宅での鍼灸治療は9時にはじまった。続々とみなさんがやってくる。竹村さんが出したばかりの『腰鍼??心身の痛みを断つ!』(角川oneテーマ21)を読みながら順番を待つみなさん。軌道に乗ったところで自治会副会長を務める鈴木さんの案内で畠山さんの自宅に向かう。なにしろ前夜に知ったばかりの畠山さんの存在。早朝に出発したから約束もしていない。市街地から壊滅した地区を通って山を越えた。地元民に所在地を聞いてたどり着いたのは、リアス式海岸の入り江が見渡せる小高い山にあるご自宅だった。畠山重篤さんは上京して留守だったが、次男の耕さんが対応してくれた。名刺には「森は海の恋人」「牡蛎の森を慕う会」とある。「少し待っていてください」そう言われ、私たちは海辺を歩いていた。「船に乗りましょう」と誘われ、養殖場を見に行った。はじめての貴重な経験だ。日差しが暑い。最初に見せてもらったのは被災後に養殖されたカキだ。牡蛎殻に小さな「粒」が付いている。ひとつの殻に20個ぐらいだ。これが成長し3年で収穫となる。さらに入り江の奥に向かう。「奇跡的に助かった石巻のカキです」と説明された。1年半ほど経ったもので、引き上げるとずっしり重たい。世界に誇る三陸のカキは、おそらく来秋から冬にかけて収穫できるだろうという。耕さんに畠山重篤さんの『鉄は魔法つかい』(小学館)をいただいた。冒頭に「東北再生への希望」という小文がある。内山さんの「魂との次元」での「折りあい」とはこういうことなのだろう。少し長いが引用する。

「海面から十数メートルを越す濁流に蹂躙された海から、生きものの姿が消えていました。六十年も続けてきた、養殖業もこれで終わりかと思うと、絶望感だけが漂っていました。一か月ほどして、すこしずつ水が澄んできました。なにか動いています。目を近づけると、ハゼのような小魚です。日を追うごとに、その数がふえてきています。大津波によって海が壊れたわけではないのです。生きものを育む海はそのままなのです。森・川・海のつながりがしっかりしていて、鉄が供給されれば、カキの養殖は再開できる。そう思ったとき、勇気がわいてきました」。

 
畠山さんは「復興オーナー」を募集しているそうだ。一口1万円。復興したときカキとホタテの合計20個送られてくる。私も参加しようと思った。養殖場を案内していただき、新鮮な驚きがあった。子供のときから場所は変われども都会で暮らしている者として、自然とともに生きる感覚がわからないことに気づいたからだ。畠山さんたちは苦境に陥り、絶望感にとらわれつつも、そこから回復していく。その基本原理は自然の摂理を信じているからである。内山さんは「三陸の漁師たちのように津波をも自分たちの営みのなかに飲み込んでいく力強さを、われわれは失っていた」と書き、それを「現代文明の敗北」とする。都会に生活しながら畠山さんたちのような人生観、自然観を身につけることはできないだろう。ならばどうするか。重い課題をつきつけられた。仮設住宅に戻るとき、鈴木さんがポツンと口にした。「そこが私の家でした」。そこには住宅の土台だけが残っていた。全壊だ。鈴木さんは地震が起きたとき海辺にいた。奥さんが心配で自宅に戻ろうとしたが、途中で通行どめにあい、山に向かった。再会できたのは翌日だった。奥さんは自宅から車で駅の横にある山へ。そこで自宅が流されるのを見た。やがて大きな漁船が住宅街に流れてきた。涙が出て身体が震えた。2人は四畳半の仮設住宅に暮らしている。「狭いですよ。それに将来のことがわからない……」。義援金が200万円でただけだからだ。

 

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 石巻にしても気仙沼にしても復興が遅い。これから半年が経っても現状ではあまり変わらないだろう。内山節さんも指摘するように人間的感情に基づいた復興計画が必要なのだ。机上のプランではカネは動いても生活の基本からの復興には結びつかない。ある仮設住宅では2つの住居を確保する者もいれば、狭い住居に入れられた者もいる。どうにも不透明なところが散見される。復興組織は被災者の現場に視野を置いた機能的なものでなければならない。仮設住宅に戻ると午後5時。鍼灸を受けた人たちは約70人。ひとり30分の治療はここでも喜んでいただけた。竹村さんたちは午後7時すぎの新幹線で東京へ。私は「足利・太田幼女連続事件家族会」の行動のため、大宮で一泊、太田市に向かった。

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米本和広さん代理人による「警告書」(笑)を公開する

2011-09-10 11:17:26 | 統一教会

9月9日(金)霊商法被害弁連の集会に出席。満席の会場。統一教会信者Uがストーカーで逮捕、起訴され、裁判が続いている。その被害者Kさんの証言が興味深かった。ルポライター米本和広さんから彼女に届いた慇懃無礼な手紙が映像で公開された。ブログで被害者の名前を公開したことに対する言い訳だ。会場からは呆れたといったため息があちこちで漏れていた。私は統一教会の現状、別働隊である尾行・盗聴・盗撮グループ「白い旅団」の動向や統一教会本部職員が興信所を雇っていたこと、事実無根の名誉棄損の記述をブログで広げることで謀略勢力と連動する米本和広さんの主張を報告。さらに届いたばかりの米本さん代理人による「警告書」も紹介した。文書は私が米本さんを統一教会を利するという意味で「御用ライター」だと評価することを「虚偽」だとする。冗談ではない。虚偽ではなく事実である。根拠をいくつか示そう。

(1)統一教会本部(渋谷区松濤)の前にある「愛美書店」では教会関連書籍が販売されている。そこには統一教会のいう「拉致・監禁」(実際には反社会的行為を繰り返す組織から子供たちを脱会させる家族の営為)を批判する米本さんの『我らの不快な隣人』が平積みされている。発売当初は「配慮」(信者の証言)から置いていなかったが、キャンペーンが行われるようになってからは、大量に購入するようになった。

(注) 米本和広さんと依存関係にある統一教会系「光言社」の小林浩(信者)社長。ブログでつまらない詭弁を吐いている。米本さんも「爆笑」とうれしそうだが、まったく虚しいカラ笑いだ。U裁判でも傍聴席で大笑いして裁判長に注意されていたという。「ゆとりがあると見せたいんでしょう」と傍聴者は感想を述べている。統一教会信者とはぐれ信者だけに支援されているのだから心情察してあまりある。「愛美書店」に米本さんの著作が「いま」置かれていないことは、かつて置いてあったことを現認したように、原稿を書くとき書店に確認している。それを「平積みされている」と表現したから、「いまでも」あると書いたと批判する。

 日本語の時制がまったく理解できていない。「いる」とは補助動詞で「ある動作、作用が行われない状態の継続を表わす」(『日本国語大辞典』)。最初は「置かれていなかった」ものがあるときに「置かれるようになった」経過を表現しているにすぎない。後段の「なった」に対応して読むべきで、「いま」置いてあるとはどこにも書いていない。

 「愛美書店」に私たちが書いた『脱会』が置かれていたこともある。そんなことは百も承知だ。米本さんに便宜を計った小林社長は、「愛美書店」で販売されていたから私も統一教会の「御用ライター」だとうれしそうだ。平常な思考があるならば低俗な詭弁だと容易にわかる水準の「忠言」だ。「愛美書店」が米本さんの著作を置いていたのは、統一教会の信者たちに肯定的に普及するためである。『脱会』を置いていたのは、統一教会に反対する私たちを批判・警戒するためのテキストとしてである。文脈が読めない懲りない面々である。狙いは問題を枝葉末節にすり替えることである。

 米本さんは「1年余り深い付き合いがあった」(米本さんの文章)女性と統一教会についてしばしば語り合っていた。ところが女性から昨年8月上旬に別離されると、「なんだったのかあの一年は」「心が冷え冷えしてくる」と5月20日に手紙を送り、「火の粉ブログ(注、米本ブログ)…、有田つぶやきへの返信などなど公開の場はたくさんありますが、その前にときおり、この住所や実家に(家人が読める)を出すことにします」と脅し、7月25日には実際に葉書(「さいたま局」消印)を送っている。不本意ながらこんなことまで書かざるをえないのは、米本さんが統一教会別動隊の尾行・盗聴専門の謀略グループ「白い旅団」と連動しているからだ。「白い旅団」統一教会「反対派」(弁護士、牧師、キリスト教関係者)の女性スキャンダルなるものを完全に捏造、その内容をブログで紹介した。米本さんはそれを事実と判断してブログで拡散した。他人について捏造された虚偽を公開する米本さんこそそんなことが言えるのか。「白い旅団」が創り上げた下品な捏造でなく米本さんの事実を最小限明らかにした理由だ。小林社長には米本さんの手記を「光言社」から出版して「愛美書店」に平積みすることを提言する。

(2)米本さんは2009年春に足立区と荒川区の青年信者たちに「手相勧誘、頑張ってますか~」と1時間半ほど講演を行った。この集会のことを米本さんはブログでこう書いている。〈「拉致監禁をなくす会」は、青年信者を対象にした勉強会の企画を考え、会のメ ンバーが北東京教区の教区長さんに申し入れました。当日、主催者側として参加したのは「拉致監禁をなくす会」から2人、それにゲストとして私。聴衆者は同教区の青年信者350人弱(大半は女性)。500人の青年信者がいるそうですから、かなりの信者が集まったわけです。私が会場で配ったのは、レジュメとPTSDに関する精神科医の論文などでした。会場となったのは足立教会の大広間。教区の幹部によれば、統一教会に批判的な人間が大広間でしゃべるのは、教会始まって以来のことだそうです〉。会場では『我らの不快な隣人』を販売、50冊ほどが売れた。

(3)米本さんはこの本の一部をハングルに翻訳してもらい、文鮮明教祖の4男で「拉致・監禁」問題を指導する国進氏に読んでもらうよう依頼している。

(4)米本さんは信者が組織した「拉致監禁をなくす会」代表の小出浩久さんから顧問就任を依頼されるほどの信頼関係を築いている。それもそうだろう。メンバーしか交流できない「メーリングリスト」で会員を「指導」していたのが米本さんだ。たとえばこんなことも書いていた。「後藤さん(注1)、「~~被害者の会」(注2)のサイトづくりは人不足のようです。エネルギーが余っているこの総務さんを サイトの共同管理者にし、いろいろやってもらえばいいのではないかと思います。文クッチンさんもきっと褒めてくれるに違いないと言えば、飛び込んでくると思いますが」。こんな記述は枚挙にいとまがない。

(注1)後藤徹さんのこと。 「拉致監禁をなくす会」副代表。12年5か月「拉致監禁」されたというが警視庁も東京地検も完全否定、東京第4検察審査会も「不起訴相当」と 判断。
(注2)「全国拉致監禁・強制改宗被害者の会」のこと。このサイトでも米本さんの著作は「お薦め本」として紹介されている

(5)何よりも統一教会最高幹部は私に「(米本さんは)利用できる」と語っていた。米本さんが取材の便宜を図ってもらっていた内部証言もある。

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【資料】森達也『A3』の講談社ノンフィクション賞受賞に対する抗議書

2011-09-03 22:23:27 | 人物

           抗  議  書

2011年9月1日
青  沼  陽 一 郎
滝  本   太  郎
藤  田   庄  市
(50音順)
株 式 会 社 講 談 社  御中
代表取締役社長野間省伸  殿


               記
貴社にあって、「A3」森達也著(集英社インターナショナル刊、2010年11月)に平成23年の講談社ノンフィクション賞を授与するとの報に接し、ここに、次のとおり抗議する。

1 オウム真理教およびその事件の重大性と特質 
いわゆるオウム真理教とその事件は、1995年発覚した戦後日本における最大かつ一連の刑事事件として、果ては化学兵器まで使った無差別大量殺人事件として、また教祖の麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚と実行犯ら弟子の関係の異様さから大きな関心を集め、その裁判も様々な分析ともども、日本国中のみならず世界的な関心事となっている。
それら内容は、過去の事件にとどまらず将来にわたって類似の事件を再来させてはならないという観点から、今後とも関心が持たれ続けるべき事柄である。

2 「弟子の暴走」論に帰着する「A3」
  書籍「A3」は、オウム真理教を内側から描いたという映画「A」「A2」の監督である森氏が、月刊PLAYBOYに連載していた記事をもとに集英社インターナショナルから平成22年11月30日発行された。
  「A3」は、松本死刑囚にかかる刑事裁判を軸として様々な記述をしているところ、地下鉄サリン事件を中心として、ほぼ確信しているものとして「弟子の暴走論」を結論づけている(485ページ)。すなわち
       *******
  連載初期の頃、一審弁護団が唱えた「弟子の暴走」論について、僕は(直観的な)同意を表明した。二年半にわたる連載を終える今、僕のこの直観は、ほぼ確信に変わっている。ただし弟子たちの暴走を促したのは麻原だ。勝手に暴走したわけではない、そして麻原が弟子たちの暴走を促した背景には、弟子たちによって際限なく注入され続けた情報によって駆動した危機意識があった
          *******
というのである。

3 司法の認定や実行犯の供述と真反対の「弟子の暴走」論
「弟子が暴走」したとすることは、松本死刑囚は刑事法上も無罪であって、「首謀者ではない」という主張に帰結する。森氏にあってどのような文学的な修辞を施そうと、そう把握される。森氏自身も、「A3」の94ページで、「弁護側は、起訴された13の事件すべての背景に『弟子の暴走』が働いているとして、被告の全面無罪を主張した。」と無罪主張に帰結することを認めている。
しかし、松本死刑囚が被告となっていた一連の事件に関しては、最高裁判所での判決を含めすべて松本死刑囚の指示があると認定し、また松本死刑囚を「首謀者」と認定している。例えば、土谷正実死刑囚に対する最高裁判所2011年2月15日判決では「被告人の本件各犯行が,松本死刑囚らの指示に従って行われたものであること,被告人は,サリンやVXを使用する殺人等の実行行為に直接関わっておらず,また,これらを用いた個々の犯行の具体的計画を知る立場にもなかったこと,被告人には前科もなく,犯罪的性向を有していたわけではないことなど,所論指摘の諸事情を十分考慮しても」として松本死刑囚の指示を認めている。
さらに、「首謀者」の裏付けとなる「グルと弟子」といった異様な服従の関係は、弟子らについて鑑定をしてきた精神科医・社会心理学者らによっても認定され、また弟子らの判決文にも多く示されている。
新実智光死刑囚に対する東京高等裁判所2006年3月15日判決でも「いずれも教祖の指示があって,被告人はこれに従って実行したものである。被告人がどう言おうと,客観的には,他の弟子らと同様に被告人は,松本被告によって,その帰依の心を最大限利用されて,悪質な実行行為をさせられたというべきものである。」としている。さらに例えば、林泰男死刑囚への2000年6月29日東京地裁判決には「麻原および教団とのかかわりを捨象して、被告人を一個の人間としてみるかぎり、被告人の資質ないし人間性それ自体を取り立てて非難することはできない。およそ師を誤るほど不幸なことはなく、この意味において、被告人もまた、不幸かつ不運であったと言える」とある。死刑判決の中にかような文脈があるのは、まさに異例中の異例である。
松本死刑囚が首謀者であり、その指示に基づく犯罪だと言うことは、傍聴し続けた多くの識者の分析からも指摘されてきたことであり、何よりも実行犯である弟子らが明白に証言してきていることである。松本死刑囚の東京地方裁判所の判決公判を傍聴しただけの森氏にあっては、直接には見聞しなかったことであろうが、様々な記録から極めて容易に分かることである。なお、松本死刑囚の刑事弁護人らが被告人の有利になすべく様々な主張をなすは、職務上当然のことである。
  一連の事件の首謀者が誰であるのかは、司法のみならず、歴史上オウム真理教と事件を正しく把握しようとするとき極めて重要な論点であり、その点に誤りがあっては、事柄の本質をまったく違えてしまうという外はない。
しかるに、「A3」の「弟子の暴走」論は、オウム真理教事件にあって松本死刑囚の指示とか「首謀者である」という結論をつまりは否定しているのである。なおさら十分な検証が必要となる。

4 講談社が「A3」にノンフィクション賞を授与することの意味
書籍は、単に一般に出版されるだけでならば、所詮一筆者の論述にすぎないとして格別の影響力を持たないことがある。森氏の月刊PLAYBOYでの連載も書籍「A3」にある「弟子の暴走」論は、司法判断をあまりに無視したものであったこともあろう、社会的な影響力をほとんど与えなかった。
しかし、権威を備えておられる貴「講談社ノンフィクション賞」を受賞したとなると、後世に残り得るものとして、多くの人が関心を持つことになる。そしてその権威からして、後世に、その内容にわたっても相当の信頼性があるものと思われる蓋然性がある。
まして、事件発覚から16年を経過している今日、若者はオウム真理教の実態もオウム裁判の情報も得ていないことが多い。その状況で、かかる受賞までしている書籍だということとなれば、影響は看過しがたいものがある。
オウム真理教にあっても、有力な出版社である御社から賞まで与えられて「弟子の暴走」論を支持しているとか「教祖の無罪」を支持しているとして、信者の勧誘・維持のために有力な材料として使えることとなる。事実、後継団体の一つであるアレフは未だ残存しており、オウム事件は他からの陰謀事件であった、教祖は無実だが「殉教」されてしまうなどとも言っているところ、その維持・拡大の助力となるのである。
貴社が、「A3」にノンフィクション賞を授与することは、このような重大な意味を持つ。

5 刑事事件・裁判と「ノンフィクション」について。
講談社ノンフィクション賞は、受賞基準といったものが事前に決まっていないようであるが、ノンフィクションは、「創作をまじえない、事実そのままのもの。記録文学、紀行文、記録映画など」であるから(講談社『現代実用辞典』第二版2010年2月1日第一七版)、作品である以上創造的な再現描写や主観部分が入ることはあり得ても、事実を歪曲させてまで個人の見解を披露している創作については「ノンフィクション」に値しないことも、また明らかであろう。
刑事事件や裁判に関する事柄の著作でも、優秀な「ノンフィクション」が成立することはもちろんある。戦後日本の作品群にあっても、いくつもの裁判、特に確定判決についてさえも判決の信用性、説得力のなさや証拠との矛盾、またさまざまな証拠の別の見方、新たな証拠の呈示・説明をするなどしたノンフィクションも多くあり、中には後に再審無罪となった事案にかかるものまであるのである。そのような水準に達していると思われる「ノンフィクション」の場合、推薦されるべき優秀に作品として、賞に値することも十分にあろう。
したがって、「A3」特にその中の弟子の暴走論についても、ノンフィクションとして十分な報告、分析をふまえてなされていて質が高ければ、多くの確定判決とは矛盾するが、1つの視点、考え方を示したものとして、授賞に値することも、論理上はあり得なくはない。
しかし、「A3」がこれに達していないこと明らかである。

6 教祖の指示など確定判決を検討・記述せず、考察していない「A3」
  すなわち森氏は、1995年3月20日朝の地下鉄サリン事件につき、「弟子の暴走論」と矛盾する多くの事実について、確定している2004年2月27日の東京地裁判決文に示されている松本死刑囚の関与さえ記述せず、また考慮もしていない。
そもそも森氏は、531ページにものぼる「A3」の中で、27ページの1カ所のみにてこの判決文のごくごく一部を紹介したにとどまるのであって、実に驚くべきことである。
松本死刑囚の地下鉄サリン事件における指示は、3月18日未明のいわゆるリムジン謀議を別としても、具体的には、別紙1のとおりである。
  その他の事件についても、まったく同様である。森氏は、起訴されている事件だけでも1989年2月の田口修二君殺人事件以降、実に多くの事件があって、それらには松本死刑囚の指示などあると具体的に認定されているのに、これをほとんど書いておらず、「弟子の暴走論」の矛盾点を覆い隠している。具体的には別紙2のとおりである。
  これらは様々な反対尋問をも経て認定されている松本死刑囚の指示であり、遺体の状況、サリン副生成物の検出その他の多くの客観的な証拠とも合致していることからこそ、判決で認定されている。
それは多くの判決書、傍聴記を検討すれば勿論得られる情報であり、インターネットでも検索できるものである。もとより、森氏が唯一傍聴したと自認している公判は、この判決文が朗読された東京地裁での判決公判であって、知らないとは言えない筈であろう。それをも確認、分析そして記述しないままに、どうしてノンフィクションと言えるのであろうか。
森氏は、地下鉄サリン事件の動機についてミスリードもしているが、これが原因かとも思われる。すなわち、「A3」の冒頭8ページには、地下鉄サリン事件の犯行動機について「そもそもが『自己が絶対者として君臨する専制国家を建設するため』と『警察による強制捜査の目をくらますため』なる理由が共存することからして、論理として破綻している。もしも麻原を被告とする法廷が普通に機能さえしていれば、この程度の矛盾や破綻は整理されていたはずだ」と指摘する。しかし、前記判決は、地下鉄サリン事件の動機をこう認定している。「被告人は,国家権力を倒しオウム国家を建設して自らその王となり日本を支配するという野望を抱き,多数の自動小銃の製造や首都を壊滅するために散布するサリンを大量に生成するサリンプラントの早期完成を企てるなど教団の武装化を推進してきたものであるが,このような被告人が最も恐れるのは,教団の武装化が完成する前に,教団施設に対する強制捜査が行われることであり,(中略)現実味を増した教団施設に対する大規模な強制捜査を阻止することが教団を存続発展させ,被告人の野望を果たす上で最重要かつ緊急の課題であったことは容易に推認される」と。森氏は、地下鉄サリン事件の動機について、判決文を示さないままに、明白なミスリードをしているのである。
これらが、森氏の意図的なものでないとするならば、取材の意欲と取材力、何より真摯な態度が圧倒的に不足していることを示している。それにもかかわらず、「A3」では「弟子の暴走」論を実に安易に結論づけられているのである。
いわば先入見を記述しているに過ぎないこのような「A3」が、いったいどうしてノンフィクションとして推薦できるのだろうか。

7 実行犯と面談・手紙のやり取りを先入見で利用している「A3」
森氏は、面談した被告人らの話を軽視し過ぎている。松本死刑囚のもとで極悪な事件を起こした被告人らは、死刑が確定せんとする状況下で森氏との面談に協力し、また文書を送るなどしてきた。
その中では、多く森氏の「弟子の暴走」論を遠慮がちに諫めているところ、その一部を紹介しつつも自らの「判断」を率直に顧みることなく、つまりは「弟子の暴走論」に終始させている。
  これら面談内容や供述や文章は、『最終解脱者』『教祖麻原彰晃』の桎梏を離れた獄中で死刑判決を受けた立場になっていた者らが、喉から血を吐くようにして述べているものであり、ノンフィクションであらんとするとき、あだや疎かにしてはならない情報である。疎かにするはたとえ重大な罪を犯した者らだとはいえ、人の命に対する冒涜である。
  もとより、それぞれの視点とアプローチ、さらには「先入見」が異なろうことは当然にあるが、ノンフィクションとする以上、真実に肉薄しようとしなければならないはずである。ノンフィクションは「フィクション」ではないし、矛盾した多くの情報までも捨てて、自分の先入見を披露する場でもないのである。
そんな、「A3」が、どうして優秀なノンフィクション作品として、推薦できるのだろうか。

8 松本死刑囚の陳述についても記述、分析していない「A3」
森氏は、実は、松本死刑囚の弁論更新時になされた罪状認否、すなわち1997年4月24日の意見陳述のほとんどを記述せず、また分析していない。一部記述はあるが、精神状態の説明として利用するために記述しているだけである。すなわち陳述の最終部分の記述のみ示し(19-24ページ)、森氏はこれを引き合いにして、松本死刑囚の精神状態が普通ではないと主張しているのである。
しかし、松本死刑囚は、当日、実に驚異的な記憶力にて起訴された順番に個別具体的に認否しているのである。後に裁判の早期の進行のために起訴が取り下げられた事件を含めて認否している概要は、別紙3のとおりである。
これらの陳述の部分も、文献やインターネットで容易に入手できるものである。しかし森氏は、これらをなんら記述していない。本人の陳述自体からして「弟子の暴走論」が成り立つのかをつまりは分析しようとしておらず、先入見を記載しているだけなのである。「弟子の暴走」だったのかどうかにつき、この松本死刑囚本人の陳述を考察しないなどあり得ない態度である。
このような手法の上で「弟子の暴走」論に帰着させる「A3」の、いったいどこがノンフィクションなのであろうか。


9 切り貼りと恣意的な引用、信用性のないものまでの引用
「A3」が優秀なノンフィクションとは到底考えられず、むしろ事実を歪曲するまでしている作品であるのは、なにも「弟子の暴走」論にいたる記述だけではない。
「A3」は、多くの文献、証言、手紙その他を引用して記述されており、切り貼りでできた作品といった趣でもある。その合間の文章は森氏本人の見解のように記載されてあるが、裁判で判明しまた報道もされている事柄を初めて分かったような書き方をしている所が少なくなく、面喰ってしまう状況でもある。
たとえば、「A3」を通じて問題に挙げられている地下鉄サリン事件直前のサリン原料のジフロ保管に関連する事柄は、降幡賢一著「オウム法廷」に強調して記述してあるところである。また、中川被告の「巫病」指摘とそのエピソードは、藤田庄市氏が雑誌『世界』2004年4月号で初めて指摘し、同著「宗教事件の内側」(岩波書店、2008年10月)にて記載してあるが、藤田氏文献はなんら参考文献ともされていないのであり、不可思議である。
さらに、「A3」には、恣意的また信用性のないものまで引用しているという大きな問題がある。また明確な事実誤認をしたままの記述も多く記述されている。
  恣意的な引用としては、刑法上の責任能力と刑事訴訟法上の訴訟能力の混同において如実である。森氏は、青沼陽一郎氏の「思考停止しているのは世界ではなく貴方の方だ」(諸君!、2005年3月号)を68ページで引用している。青沼氏は、「諸君!」の中では、森氏が「世界が完全に思考停止する前に」という書籍の中で法廷での松本死刑囚の様子を根拠に「逮捕されてから現在まで、彼は一度も精神鑑定を受けていない。通常なら逮捕直後に実施されたはずだ」としていることから、森氏が刑法上無罪となり得る責任能力の鑑定を求めていると理解し、これを批判している。この青沼氏の批判の文脈は正しいものである。しかし、森氏は、自らが傍聴したのは逮捕から9年近く経った2004年2月27日の判決公判にのみであり、たったそれだけの状況から鑑定が主張できるのは刑事責任能力ではなく、言うべきは訴訟能力だけだとようやく刑事司法の基本に気付いたことから、自身の過ちには口を拭ってしまい、青沼氏こそ両者の能力について混同していると批判しているのである。さらに「A3」の242ページでは、森氏は「少なくとも逮捕直後の彼は訴訟の当事者としては問題ない精神状態を保っていたと思う」と記載し、自らの言説を巧妙に変更している。ノンフィクションを志すものとして誠意ある態度ではない。そのような文章がどうして「ノンフィクション賞」に値するのだろうか。
  作家・司馬遼太郎氏の発言の引用についても同様である。森氏は、司馬氏が雑誌の対談(「週刊文春」1995年8月17日・24日合併号)において、「僕は、オウムを宗教集団として見るよりも、まず犯罪集団として見なければいけないと思っています。とにかく史上希なる人殺し集団である」と発言したことを引用しつつ、「『人を殺すならばそれは宗教でない』とのレトリックはあまりに浅い。」と断言している(「A3」124-125ページ)。だが、司馬氏はこの雑誌の対談の中で、オウムは人を殺すから宗教集団でない、などとは一切発言していない。森氏は、人の発言を歪曲してもしくは言ってもいないことをでっち上げて読者を欺いているという外はない。この司馬氏との対談の相手は、選者のひとりでもある立花隆氏であった。立花氏がこの点をどう考えたか判然としないが、甚だ遺憾である。
信用性のない情報の引用としては、「一橋文哉」なる正体不明者であり証拠関係が何ら示されていない文章の引用さえも見られる。その他、旧上九一色村にある慰霊塔に「日本脱カルト協会」の銘があるなどと、実際に行けば間違うはずもないのに記述しているといった細かいところもあるが(482-3ページ)、これ以上は避ける。

10 松本死刑囚の視力障害につき、水俣病説の無責任すぎる流布
森氏は、藤原新也著「黄泉の犬」に記載ある松本死刑囚の水俣病による視力障害説を数カ所にわたって引用しているところ(112ページ、363ページ以降)これは少し検討すれば誤りであることが判明するのに、そのまま引用しているのであって極めて重大な問題である。未だ呻吟している方も多い水俣病患者への偏見をも生みかねないからである。1995年以降しばらくの間、松本死刑囚の被差別部落出身説や親の朝鮮半島出身説などまで流布させた者がありそれが未だ一部で言われているが、これと類似して大きく誤解を招くものである。
ところで、水俣病により視力障害の状況は、次の通りとされている。「水俣病診断総論」(2006年11月医師高岡滋水)による。
「水俣病では、メチル水銀による大脳の視覚野が障害されることによって、これらの視覚障害が現れる。とりわけ視野狭窄に関しては、視野の周辺部分から欠損する求心性視野狭窄が特徴的である。この求心性視野狭窄は、水俣病以外では極めてまれにしか見られない症候であり、八代海沿岸住民にこれが認められる場合は、水俣病と診断して間違いない。視野沈下等についても、水俣病との関係を考えなければならない。視野を調べる方法は、医師が向かい合って調べる対面法と、フェルスター視野計やゴールドマン視野計などの器械を用いる方法がある。視野障害をきたす水俣病以外の疾患で頻度の高いものとして緑内障や網膜色素変性症がある。いずれも放置すると進行することが多く、眼科的に診断が容易であるため、水俣病との鑑別に問題となることは少ないが、緑内障による視野障害は、通常、求心性ではなく不均一な分布を示すことが多い。網膜色素変性症は進行性で失明にいたることも少なくなく、鑑別は容易である。」
  一方、松本死刑囚の視力障害は先天性緑内障または網膜色素変性症と見られている。それは、上記のとおり水俣病による視力障害とは著しく異なって鑑別も容易である。もとより松本死刑囚についてはその他の水俣病、慢性水俣病にかかる症状は一切報告されていない。それにもかかわらず、藤原新也氏は、松本死刑囚の実家を訪れて水俣市が近いことに気がつき(地理を知る者なら行かずとも分かる情報であるが)、またその兄の話を聞いただけで、水俣病である蓋然性があるような記述をしている。
それを森氏は検討することなく引用し、更にハマグリのエピソードを記載して強調し(410ページ)、松本死刑囚の国家に対する恨み「ルサンチマン」を滔々と述べている。
しかも、森氏は、「A3」139ぺージにあるとおり、関係者から網膜色素変性症だろうと推測を聞いているのに、このように視力障害についての水俣病説を延々と記述し、無責任に流布しているのである。
  事実を追及しようとするものであるならば、これが水俣病の症状としてあり得るのかを確認すべきこと、実に当然である。森氏は、ノンフィクションとして刊行する者として基本的な「真実に達しようとする姿勢」に欠けていると言うべきではなかろうか。
  恣意的な引用、信用性のない情報の分析なき引用、単純すぎる取材間違い、他の論者の論を歪曲して記載するような「A3」のどこにノンフィションとして優秀な点が見られるのであろうか。

11 映画「A」についての基本的な情報を提供していないこと。
森氏は、書籍「A3」に至ることとして、各所で映画「A」「A2」の撮影制作関係の事柄を記述している。これは「A3」を著わす経緯、森氏がオウム真理教を考察する際に重要な事柄であり、記述するは当然であろう。読者にとっても、映画「A」を踏まえての書籍「A3」の理解、または書籍「A3」を読んだ後に映画「A」の視聴を得る方らにあっても、重要な経緯であろう。
しかし、その中には、いくつかの重大な事柄が記述されないままであり、読者らに大いに誤解を招いていると言うべきである。
  すなわち、映画「A」は、オウム真理教側にあって、その撮影に全面的に協力したのみならず、信者に「映画A推進委員会」まで作らせその上映普及を支えられたものである。当時そのメンバーであった信者が後に脱会し、森氏がそれを知らなかった筈はないとまで述べているが、この指摘について森氏は一切答えず、本書「A3」でも示していない。
  そもそも森氏は、「A3」の原点とする映画「A」は、テレビ局から排斥され番組放送ができなくなったものを自主映画にした、と主張するが、森氏の自著の中でも制作中止を命じた人物が二転三転しており、その具体的な体験の真偽が問われる事態でもある。
また、書籍「A3」の374ページに掲載されている「オウム真理教家族の会」からの内容証明郵便に記載の「A」君について「一生背負い込む責任」など言っても実際上できないものであるとの指摘には、森氏自身は未だに何ら答えていない。「A」君は案の上、未だオウム真理教の1つ「アレフ」の幹部として活動し続けているのである。
  そのほか、佐川一政氏が、雑誌月刊サイゾー2002年11月号81ページ「凶悪犯罪に群がる進歩的文化人の本音とは」にて、森氏が「「(A)君は、撮影の初っ端に、オウムの信仰についてとうとうと延べ、その信仰のためには人を殺めても構わないという発言までしたんです。これでは最初から観客が引いてしまう。自分はあくまで(A)青年を、普通の若者として撮りたかったんです。そこで、この(A)君の一連の『弁明』をすべてカットしてしまいました。案の定、上映の折、『オウムの信者も僕らと同じ普通の青年だったんですね』とある観客に言われ、とても嬉しかった」としているところ、これが事実であれば映画「A」自体に、現実の信者の姿として重要な本質が抜けているものという外はない。その釈明もないままに、「A3」にあって映画「A」の諸々を記載するのは、信者の姿を再び恣意的に扱ったものと言う外はない。
  これらの立場の説明がないことや状況は、その1つだけをとっても、ドキュメンタリー作品として避けられないとして許容される範疇を超えており、これを作る立場として許されない態度であって、意図的な誤導だと言う外はない。そして、そのような瑕疵について説明もしていない書籍「A3」が、ノンフィクションとして優秀である筈もない。
 
12 選者に中沢新一氏が含まれていることについて。
選者の中に中沢新一氏がおられたことは、今年度の「A3」への授賞につついて疑義をもたせ、同時に貴ノンフィクション賞の価値を減じるものである。
  中沢氏が著わした「虹の階梯」(平河出版社 1981年7月、 中央公論社文庫1993年5月)などは、オウム真理教の教義の成立、「グルと弟子の関係」の確定に多大な寄与をした。書籍の影響のみならず、中沢氏にあっては、坂本事件直後の1989年11月という教団にとって危機的状況の中で、真っ先に松本死刑囚と対談し、同人を宗教家としてほめたたえるなどしている(週刊誌SPA1989年12月6日号「狂気がなければ宗教じゃない」)。これが教団の危機を救ってさらなる拡大に寄与したことは明らかである。外部の者、知識人としてもっともオウム真理教の拡大に寄与したのが中沢新一氏である。
中沢氏が1995年当時、そうは批判されていなかったのは、「週刊プレイボーイ」1995年5月30日号にて、揺れ動く信者の心をつかみつつ、心からの脱会にはならずとも組織から離れるための文章を寄稿し、また1995年当時、「学問の独立」と矛盾しても被疑者の調べ方法について工夫をしていた東京地方検察庁に協力していたことによる。
しかし、中沢氏は、現在に至るまで結局は自らの言説を総括せず、「サリン事件の被害者が、一万人、あるいは二万人だったら別の意味合いが出てくるのではないか」などと脱会したばかりの元出家者に言ってきた存在である。その中沢氏らにより、森氏の「A3」がノンフィクション賞として選出され、貴社から授与されようとしている。
いったい、これがまともな「ノンフィクション賞」の授与であろうか。

13 結論
  森氏は「麻原彰晃という圧倒的な質量だ。」(88ページ、37ページ)と表現もする。オウム真理教教祖である松本死刑囚に幻惑されてしまったのであろうか。それを心配する。
「A3」はいかなる背景からか、判決公判でのたった1回の傍聴での印象から始まって、情報も分析も足りないままあるいは矛盾点も隠したまま、「弟子の暴走論」を記述しているなど、「ノンフィクション」としては多くの過ちを犯している。
  よって、貴社にあって、「A3」に2011年のノンフィクション賞を授与することにつき、ここに強く抗議する。
以 上

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福島第一原発の最高幹部は菅退陣が決まり祝杯をあげた

2011-09-03 10:56:29 | 参議院

 9月2日(金)議員会館から神保町へ。「にんげん出版」の小林健治さんに紹介してもらった「萬寿堂」で整体。東京堂書店で西館好子さんの『表裏 井上ひさし協奏曲』(牧野出版)を入手。帯び原稿には「誰も知らない『井上ひさし』がここにある」とあり、若き日の好子さんとサングラスをかけたひさしさんの写真がカバーになっている。ひさしさんと離婚した好子さんの複雑な心情がここでも表現されている。「井上好子」さんにインタビューしたのは、「こまつ座」が軌道に乗ったころだった。波乱があると虚実確認できない噂が伝わってきた。人生にも四季がある。東京會舘に移動して小学館ノンフィクション大賞の授賞式。メディアの知人たちと懇談。椎名誠さんと久しぶりに懇談。椎名さんの体力作りをお聞きした。スクワットは300回、腹筋200回、腕立て伏せが100回。毎日続けているという。「夜ですか」と聞くと「いつでもいいんです。その気になったとき」。スリムな身体の秘密だ。「『波』読みました」とお伝えすると笑っていた。椎名さんは『波』(新潮社)で「ぼくがいま、死について思うこと」の連載をはじめた。朝日新聞の岩田一平さんと築地の朝日新聞社へ。午後9時からネット配信で山口一臣前編集長と野田新政権と代表選の実体などを語る。終わってから近所の居酒屋。福島第一原発の幹部たちが菅首相の退陣が決まり祝杯をあげたことなどを話題にこちらも酒を飲む。「福島第一原発“最高幹部”が本誌だけに語ったフクシマの真実」(連載)は話題にならないが重要な内容だ。深夜の築地を歩きながら「朝日ジャーナル」で原稿を書いていたころを思い出した。 

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佐藤優の「思想研究会」と辺見庸の孤独な闘い

2011-09-02 10:11:02 | 参議院

 9月1日(木)夕方から衆議院議員会館で石川知裕議員主催の「思想研究会」。講師は佐藤優さん。テキストはアーネスト・ゲルナーの『民族とナショナリズム』(岩波書店)。参加者がテキストを読み、佐藤さんが野田政権誕生の意味など時評を語りつつ、解説を加えていく。国会議員だけでなく、外部からの参加者も多い。来年の正月に公開される「灼熱の魂」を見た私は、民族問題を主体的に捉えなければ、世界の重大課題であるナショナリズム問題もわかりはしないと思っていた。とくに日本人にとって民族問題を感性レベルから理解するのはなかなか困難だ。佐藤さんは外交官として民族問題の課題を実感として経験している。それゆえにアーネスト・ゲルナーの理解もまた深いのだろう。終了後に議員との懇親会があったが、参院同期会の先約があったので残念ながら欠席。多人数での食事は楽しいが、精神のクールダウンも必要。開高健さんが通った「木家下」のカウンターでひとり飲む。電車のなかで「近現代 問い直す指標に」とタイトルの辺見庸さんのコメント(「日経」8月31日夕刊)を何度も読んだ。「思想としての3・11」などと観念的に語るものは多いが、必要なことは被災地の人々の苦悩に寄り添った自己のありようだ。辺見さんは語っている。「あの巨大な破壊と炉心溶融の後に、以前と同じ言葉、文法、発想は使えないという気持ちが非常に強い。書くそばから消して、死産ばかりだ。出てくる言葉が3・11前と同じであることに、どうしても納得がいかない」。地下鉄を降りたら大粒の雨。びしょ濡れのなかを心地よく歩く。

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回り灯籠のような人生は

2011-09-01 10:36:01 | 参議院

 9月1日(木)昨夜は御徒町の「さかえ寿司」。北海道HBCで「中村美彦の一筆啓上」を続けている中村さんと一献。オウム事件当時に筑紫哲也さんの推薦でラジオ番組の出演や講演に呼んでいただいて以来のおつき合いだ。「さかえ寿司」は中村さんの御指名だが、実はつき合いが長い。会社をクビになりフリーランスになり、数年後にはじめて海外に行った。香港だ。東京都知事選に出た毎日新聞の松岡英夫さんと競作で「ノンフィクション・ノベル」を書く予定だった。内容は終戦を目指す「日中和解工作」。その舞台が香港のペニュンシュラホテルであった。ちなみに無職になった私を松岡さんに紹介してくれたのが上田耕一郎さんだ。お二人ともすでにいない。香港にいっしょに行ったのはデザイナーのIさん。取材半分、遊び半分。乱気流のなかを成田に降りたとき、乗客が拍手をするほどの飛行だった。その帰りにまったく偶然に立ち寄ったのが「さかえ寿司」。あれから24年。寿司職人はあのときと同じ。ほぼ同い年。回り灯籠のような人生とひとの縁。中村さんと別れ、池袋で降りて「バー11」(イレブン)。1956年に開店した店のカウンターで静かにハイボールを飲む。今日は夕方から国会で佐藤優さんの勉強会。テキストはアーネスト・ゲルナーの『民族とナショナリズム』(岩波書店)。12月に公開される映画「灼熱の魂」は文字通り衝撃的だ。民族問題を捉える視点なくして現代世界は理解できない。

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