有田芳生の『酔醒漫録』

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木村久夫「最後の努力」

2007-05-31 17:58:57 | 単行本『X』

 5月30日(水)カーテンを開けるとまた曇り空だ。ロンドンの天候はころころと変わる。不思議だったのは傘をさしている人が少ないことだ。あわてるでもなく悠然と歩いている。日本人の何人かに聞いてみると「すぐに晴れると思っているのだろう」という答えがあった。小学校のなかには傘を持ってくることを禁止しているところもあるという。ふざけて怪我をするかもしれないから、レインコートで通学せよというのだ。そんな子供時代を送っていたら、大人になっても傘をさす気持ちにはなれないのかもしれない。日本ではすぐに傘をさしているが、たしかに小雨のなかを濡れて歩くというのも心地よいものだ。このランガムホテルに滞在6日目。オープンは1865年。建物の外観に荘厳な雰囲気がある。朝食はあまりにも単調だが、サービスはきめが細かい。できれば居着きたいほどだが、目的が完了したので日本に戻ることにした。木村久夫さんが提出した嘆願書では、カーニコバル島住民虐殺事件の「真相」が暴露されていた。英文で書いた文章には、本当の責任者などの名前も明らかにされていたようだ。死刑判決を受け、シンガポールのチャンギー監獄で執行を待つ間に、生きなければならないと思った木村さんは、最後の賭けに出た。裁判でも弁護士によって嘆願書は出されたが、個人によるものは木村さんによるものだけ。ところが戦犯裁判には上告がない。一時的に刑の執行を遅らせることはできたが、もはや手遅れだった。遺書全文にはこう書かれている。

 
私は生きる可く、私の身の潔白を証すべくあらゆる手段を盡した。私は上級者たる将校連より、法廷に於て真実の陳述をなす事を厳禁され、それがため命令者たる上級将校が懲役、私が死刑の判決を下された。之は明かに不合理である。(中略)判決のあった後ではあるが、私は英文の書面を以て事件の真相を暴露して訴えた。上告のない裁判であり、又判決後のことであり、又元来から正当な良心的な裁判ではないのであるから、私の真相暴露が果して取上げられるか否かは知らないが、親に対して、国家に対しての私の最後の申し訳として最後の努力をしたのである。

P5260083  木村久夫さんの「最後の努力」は報われなかった。1946年5月23日午前9時5分に刑が執行される。このとき同時に執行された3人の直筆と指紋を昨日この眼で見たときの気持ちは重いものであった。木村久夫さんを単行本『X』で描くことによって、多くの〈彼ら〉の鎮魂にしなければと思うのだった。昼前にチェックアウト。荷物を預けて小雨降る市内を歩く。HMVに入ったところ新曲のアルバムが気になった。ジョー?クッカーという男性歌手だ。こちらを見つめるジャケット写真が渋い。「HYMN FOR MY SOUL」というタイトルも気に入った。ホテルの近くのパブに入り、ギネスを飲む。つまみに「フライドポテト」を頼むのだが通じない。ここでは「CRISPY FRIES」なのだ。さらに「ロンドン」というビタービールを飲む。スターバックスでカフェモカを飲みながらボーッと外を見ていると、韓国人女性から「大英博物館はどう行けばいいのか」とハングルで問われた。その問いがわかったのは日本人が同行していたからだ。昨日はヨーロピアンから中華街を聞かれた。アジア人はみんな同じように見えるのだろう。空港に早く着きすぎたが、もはやビールを飲む気にもなれない。と書きつつラウンジでパソコンを開けば缶ギネスを飲んでしまった。


歴史の闇を探る旅

2007-05-30 07:03:46 | 単行本『X』

 5月29日(火)ようやく晴れたロンドン。窓を開けるとそれでもひんやりした空気が入ってくる。最高気温は17度だという。朝9時にBBCに勤めていた通訳のMさんと待ち合せ。タクシーで南西部にある公文書館(the national archives)へ向った。開館は10時。緑と池のある敷地は住宅街の近くにある。最初に入館証を作成。そこにはデジカメで撮影された顔写真もプリントされる。2階に上がる。指定された16番の透明の戸棚に行くと、すでに茶色い箱が置いてあった。土曜日に閲覧したい史料をネットで請求していたから、すべてスムーズに運ぶ。閲覧室のやはり16番の机で箱を開ける。そこには灰色のファイルが4冊。これが1946年3月にシンガポールで行われた木村久夫さんたちの裁判記録だ。おごそかに紐を解くと、そこにはタイプ打ちされた薄い紙の綴りがあった。すでに日本でコピーを手に入れていたのだが、これが原本だと思えば、不思議な緊張感が生れてくる。1枚づつ眼を通すと、今回持参したコピーのオリジナルが出てきた。その文章を読むと、木村さんが提出した英文の嘆願書は、ここに添付されていなければならない。ところがそれが見当たらないのだ。当時すでに破棄されたか、それともその後の時間のなかで失われたか、あるいはほかのファイルに混入しているか。可能性はそれぐらいだろう。史料をよく見ると、裏面に通し番号が打ってある。嘆願書が出されたという文書の前後は数字がつながっている。調べたところ綴りが作成されたのは、木村さんたちが絞首刑となった1946年5月23日から1か月半ほど経過した7月9日。そのとき通し番号が打たれたから、最初の時点から木村嘆願書は失われていたことがわかった。

P5290035  ならばどのようなことがあったのか。それは単行本『X』で明らかにしようと思う。綴りをめくっていくと、16人の被告が直筆でサインして母印を捺した紙が出てきた。もちろんコピーでは持ってるのだが、いささか愕然としたのは、赤い印肉で捺された指紋が鮮明に残っていることだ。1946年3月30日の日付だ。木村さんの指紋に人さし指をそっと当てて、単行本の完成を心に誓う。相談員に聞いて嘆願書が紛れている可能性のある史料を探る。もとより真相がほぼわかりながらの作業は、いささか虚しいものだ。ここで切り上げようと決めた。市内に戻るとき、Mさんと松岡農水相が自殺したことが話題になる。「日本的ですね」というのは、キリスト教文化のなかでは自殺は少ないからだ。しばらくは膨大な憶測情報が流れることだろう。死を選ぶ前に逃げる道はなかったのだろうか。午後7時半からハー?マジェスティーズ?シアターで「オペラ座の怪人」を観た。この劇場が設立されたのは1705年。ともかく楽しかった。幕が降りて役者が一人ずつ挨拶するときには、万雷の拍手と大歓声。指笛と掛け声がすごい。こんな熱狂ははじめての経験だ。ミュージカルを観るためにだけロンドンを訪れても損はないなと実感。生ギネスを探そうかと思ったものの、ミュージカルの前にイタリアレストランで5分もしないうちに出てきたスパゲティに胸焼けしていたので自粛。いささか幻想的な街並みを歩く。


雨の倫敦を彷徨う

2007-05-29 06:24:08 | 随感

 5月28日(月)ロンドンは祝日。今日もまた雨で寒いほどだ。午前中は書評原稿の推敲を行いながら部屋でのんびり。11時半過ぎにホテルを出て、ミュージカルのチケットを受け取りに行く。12時から6時までの時間に引き換えると言われていたからだ。ところが地下鉄駅に向う通路にある店が閉まっている。あれっと思うものの仕方がない。ピカデリーサーカスから中華街へ行き、見当を付けた店で雲呑麺を食べる。ベトナムで食べた調味料たっぷりの味とは異なり、コシのある細麺とひき肉のたっぷり詰った雲呑は美味しかった。再びチケット屋へ。午後1時を過ぎているのにまだ開いていない。「これはやられたか」と不安になるとともに、ガムをくちゃくちゃ噛みながら接客していた男の顔が眼に浮かぶ。雨のなかをハイドパークに向うものの雨足が強まる。これでは寒さのなかで震えるだけだと方針変更。重厚な雰囲気のある書店に入った。10年前にプリチャード博士が書くと公言していた著作を探すものの、見当たらず。インド洋のカーニコバル島で起きた日本軍による住民虐殺事件。そこで通訳を兼ねて取り調べにあたったのが、のちに絞首刑となる木村久夫さんだった。どうも博士はこのテーマを書けなかったことがわかる。スターバックスでカフェラテを飲みながら赤線を引きながら読書。午後3時を過ぎて再びチケット売り場へ。こんどは違った入り口から地下へ降りた。するとあのガムのお兄さんが店に座っているのを発見。勘違いで同じような店に行っていたのだった。印象判断はいけないと深く反省。チケットを入手してホッとする。

P5280026  あまりにも寒いので長袖シャツを買おうと店に入るのだが、ほとんど半袖だ。ときどき長袖があってもデザインがどうにも気に入らない。結局、薄緑色のベネトンのポロシャツを購入。生地が少し厚いのでこれで遣り過ごすことにした。よく見れば商品タグには日本製とあり、製造地は韓国だった。VirginストアでDJ-KICKSの「HOT CHIP」というCDを買った。寒さをしのぐためホテルに戻る。ミュージカルは午後7時半から。それまでに食事をしようとレストランを決めて、チケットをよく見れば明日だとある。引換券には「28日」と確実に書いてあったから、店の間違いだ。まあいいやと紅茶を入れてCDを流しながらメールなどのチェック。明日はようやく国立公文書館に行く。時間ができたおかげで準備に充てることにした。まずは木村久夫さんの遺書を読み、裁判記録を確認する。木村さんたちが被告となり、5人が死刑となったイギリスによる戦犯裁判は、きわめて杜撰なものだった。木村さん直筆の英文嘆願書の行方は、それを証明することになるかも知れない。通しナンバーが打たれた膨大な裁判記録のなかで、2枚だけが消えているのだ。連合軍東南アジア司令部にとって都合の悪いものだったのではないか。そう仮定を立てているのだが、はたして謎は解けるだろうか。午後8時を過ぎて近くのパブへ。ここもまた冷えたギネスしか置いていない。いったいどこに「生ギネス」はあるのだろうか。ひとりグラスワインを飲みつつ、あれっと気付いた。日本にいるとき、朝起きるとともに吐き気を伴う不快感があったのに、ロンドンに来てからまったくそれがない。無意識のストレスだったのだろうか。


イギリス文化の深さに触れる

2007-05-28 13:58:27 | 随感

 5月27日(日)ロンドンは雨。朝4時に目が覚めて再びうとうと。朝食を食べてから懸案の原稿をひとまず完成させる。雨のなかを外出。まずは大英図書館だ。ここは「資本論」などを書くためにマルクスが通った場所だ。午前11時の開館を待ち50人ほどの人たちが集まっていた。時間になると職員がやってきて重厚な鎖を鍵で開けた。先頭集団が急いで図書館に向う。つられてついていくと、近代的で広々とした建物に入っても、早足でエスカレーターを昇っている。3階にはガラスのなかには重々しい単行本がずらりと展示されている。その下にテーブルがあり、パソコンも接続できるようになっていた。場所とりに急いでいるのだった。周囲をまわるけれど、特に何もない。もういちど1階に戻ったところ、ギャラリーがある。これが目的なのだ。入ったところにシェークスピアの初版本、ケインズの直筆などが展示されていた。興味を抱いたのはヴァージニア?ウルフの初期のメモ、マーラーの楽譜、そしてマグナカルタの原本だった。ビートルズの「Help!」「Yesterday」などの直筆歌詞などもある。館内の椅子に座って草薙厚子さんの『僕はパパを殺すことに決めた』(講談社)を読み終えた。16歳の少年による放火により継母、弟、妹が焼死した奈良県の事件を、供述調書を引用することで描いた著作だ。リアリティあふれる内容だが、精神鑑定が断定した広汎性発達障害をそのまま認めているところに異論がある。書評ではそこにも触れるが、それにしてもこうした内容が広がり、議論されることではじめて事件の再発防止につながる。図書館を出て「REAL」というピザの店で昼食。イタリアの「PERONI」というビールが美味。

P5270025  雨のなかをロンドン大学を通って大英博物館へ。これには驚いた。ひとつの小さな街のような博物館なのだ。どこからどう回っていいのかがわからず、適当に歩く。どうしてこういうものがあるのかと思えば、そうか大英帝国の時代があったのだと納得。古代エジプトのミイラがいちばん人だまりができていた。ペルーの人形がかわいい。古代からの展示を見ていると、人類は科学技術を発達させたが、人間の手先の技能はほとんど変わらないことがわかる。もしかしたら退化さえしているのではないか。まさに悠久の歴史のなかにいることを思うと、この〈わたし〉という存在は何と小さいものかと気付くのだった。昨日に続いて5時間歩くだけで、足が重くなってくる。博物館を出てスターバックスでカフェラテを注文。イギリスがすごいところは、大英博物館でも、大英図書館でも、展示物を見るのが無料ということだ。日本でもそうすれば文化の広がりが期待できるのだけれど、無理なのだろうか。歩きながらアメリカにいる長女に電話。いったんホテルに戻り、書評原稿に取りかかる。夜になり三越レストランで食事。帰りにパブに入ったけれど、ここにも「生ギネス」のないことがわかり、何も飲まずにホテルに戻る。バーに入ってギネスを注文したところ瓶には「生」と表示があったが、飲みたいのはこれではない。明日も祝日で公文書館は閉館。あと1日自由な時間がある。


倫敦で東京の無計画を嘆く

2007-05-28 01:05:27 | 随感

5月26日(土)ロンドンと東京の時差は8時間。ウェスト?エンド地区にあるランガム?ホテルで、昨夜は現地時間夜中3時ぐらいに起きて、再び眠った。イングリッシュブレックファーストなるさしたる特徴もない朝食を食べてから、部屋で差し迫った原稿をしばらく書く。朝10時から街を歩く。「摩天楼」という表現が相応しいニューヨークとも違う。歴史的風格を感じさせる街並みだが、ポーランドのクラクフのような歴史の古層を主張する土地でもない。建築物には伝統を見るのだけれど、どこにでもあるスターバックスやベネトンなど資本主義を代表するショップが建ち並んでいる。それでも無計画な都市計画で破壊された東京などと比べて素晴らしいのは首都の真ん中に緑豊かな公園があちこちにあることだ。ピカデリーサーカスからさらに歩くとセント?ジェームス?パークに入っていた。池には白鳥がたおやかに浮かび、散策路にはリスが遊んでいる。広場ではどこかの楽隊が演奏をはじめ、置かれた椅子にはのんびりと時間の流れを楽しんでいるひとたちの姿がある。ともかく長閑(のどか)なのだ。バッキンガム宮殿からウエストミンスター寺院、国会議事堂を通って、さらにカウンティホールへ。テムズ川をのぞむ広場には街頭芸人たちが、それぞれのパフォーマンスを披露していた。子供たちの喜ぶ顔を見てホッとする。5時間も歩くと足が重たくなってきた。サヴォイホテルの横にあるシンプソンズというレストランに入った。クラシカルなイギリス料理で知られる店だ。ところが昼の営業は終っている。夜も予約で満席だという。

P5270103_1 P5270104_1  仕方なく近くのパブへ。ギネスを飲んだけれど、生ギネスではなかった。最近では時間のかかるものより、簡単に供することのできる冷えたギネスが多くなっているのだろうか。これでは鹿児島のバーで飲んだ生ギネスの方が美味しかったと、いささかがっかりする。今回ロンドンに来ることを何人かに伝えたところ、一様に語ったのが「食事には期待しない方がいいですよ」というアドバイスだった。パブで注文したクラブサンドも全部食べれば腹は膨れるだろうけれど大味だ。外に出ると雨。スーパーで折畳みの傘などを買う。レジではセルフサービスの支払いをした。画面にバーコードをかざして勘定をしてゆき、カードで決済、最後にレシートが出てくる。そこで店を出ようとしたところ、大きなブザーが鳴った。よく見れば折畳み傘には商品タグが付いたままだった。中華街を歩きチケット売り場へ。文房具屋でSTABILOの水性ボールペンを買う。これは銀座の「伊東屋」にもないものだ。月曜日の夜に「オペラ座の怪人」を観ることにした。ガムをくちゃくちゃ噛みながらチケットを売っている若い店員は、どうにも怪しげなのだが、さてどうなることか。当日夕方に店でチケットを引き取ることになっている。ホテルに戻り産経新聞に頼まれた書評のために本を読むうちに軽い眠りに落ちる。


深夜3時の倫敦から

2007-05-26 11:42:23 | 随感

 5月25日(金)ロンドンに向う機内でビールを飲み、竹内まりやの新しいアルバム「Denim」を聴いている。今朝デーブ・スペクターから携帯にメールが来た。何かいいワープロソフトがないかというので、EGワードを紹介したところ、快適だという。確かにMacに内蔵された「ことえり」より、ずっと使いやすい。いまは日本時間午後1時55分。ハバロフスク付近を飛んでいる。「ザ・ワイド」のはじまる時間だなとすぐに思うのは、12年間も出演していたからだろう。10年間は月曜から金曜日まで出ていたからストレスも大きかった。この2年間は週に3回ほどの出演だったから、こうして週末を利用して取材旅行に出かけることができるのだ。ラウンジでパソコンの調子を確認し、搭乗してからは筆坂秀世さんと鈴木邦男さんの『私たち、日本共産党の見方です。』を読んでいた。いちばん関心を持ったことは、若い世代と政治との関わりだ。この本では共産党が若者たちを獲得できていないという問題が話し合われているけれど、それは他の政治勢力でも同じことだろう。何が欠けているのか。それは個別の政策的提案ではなく、ロマンティシズムを示しえていないということではないのか。「マニフェスト」などいう外来語で政策を主張するだけではなく、ちゃんとした日本語で希望を届けることができるかどうか。いまのままの延長ではなく、新しい日本はどうすれば実現できるかを説得力を持って宣言できるかどうかなのだ。旧知のお二人からインスピレーションを与えられた。対談のなかではわたしに触れたところがあった。

 
鈴木 ジャーナリストの有田芳生さんはかつて共産党から査問を受け、90年に除籍処分とされています。有田さんは自身の著作が利敵行為であるとして党からにらまれたわけですけれども、痴漢のほうがよほど罪が重いですよね(笑)。

P5260073  このくだりはわたしも知っている「前衛」元編集長が痴漢で逮捕されたにもかかわらず、除籍も除名にもならなかったと筆坂さんが語ったことを受けた発言だ。下段では22行にわたってわたってわたしの説明がなされている。そこでは「統一教会やオウム真理教に詳しいジャーナリストとして活躍、メディアへの露出が増え、現在に至る」とある。この文章は対談をまとめた旧知の荒井香織さんがまとめたのかもしれないが、都はるみさんとテレサ・テンを入れて欲しかったなあと思うのであった。ボルドーの赤ワインとコニャックを飲みながら「ドリームガールズ」を見た。「世間も捨てたものじゃない」「夢を持ち続けよう」という台詞がこの映画を端的に表現している。この映画を見て長女は「よかった」といい、今日20歳の誕生日を迎えた二女は「よくわからなかった」という。ヒースロー空港に到着したのは現地時間午後4時ごろ。空港に知人に迎えに来てもらい、市内へ。ある日本食レストランに行く。取材の打ち合わせをしていたところ、隣の席の男性が声をかけてきた。読売新聞欧州総局長の森千春さんたちだった。ここぞとばかり探している史料について相談する。


いざ倫敦(ロンドン)へ

2007-05-25 06:34:06 | 単行本『X』

 5月24日(木)麹町の「あさひ」で弁当を買って日本テレビ。控室に入るのはたいてい午後1時すぎ。ところが今日は早く到着したのでゆっくり食事をする。しばらくして東映のプロデューサーたちが現れた。「俺は、君のためにこそ死ににいく」の新聞コメントなどを出したことへのお礼だった。映画館の情況は平日はお年寄り客が多いけれど、週末には若い世代が増えるという。戦争はいけないという世論になればいい。いまの動きでは200万人の観賞ということになる。「ザ・ワイド」が終わり、特攻隊員に話を聞いた柳ディレクターと打ち合わせ。「ザ・ワイド」が9月で終るとはいえ、社会の課題は消えはしない。銀座のアップルストアへ。いくつかの疑問点を解決。タクシーで草野仁事務所へ行って雑談。驚いたのは日本の教育状況だ。草野さんが子供に質問したところ、小学校3年生にならなければ理科という科目はないという。江戸時代に寺子屋は1万4000もあったそうだ。授業は朝の8時から午後3時まで。休みは年間で50日。いまの学校教育では150日が休みだという。基礎教育が崩れているのだろう。問題は山積している。話を終えたところで神保町。長女に頼まれたDVDをキムラヤで購入してから「萱」へ。常連と四方山話。「家康」の親爺は元気だなあということで一致。草野さんにいただいた薩摩藩献上焼酎を持っていたところ、常連客たちが気にしているのがわかった。じゃー、みんなで飲みましょうと30度の芋焼酎を味わう。みなさんお喜び。よかったよかった。

070524_12360002  帰宅して郵便物を見れば、そのなかに筆坂秀世さんと鈴木邦男さんの対談『私たち、日本共産党の見方です』(情報センター出版局)があった。目次を見ると「党組織の疲弊と原因」「共産党の歴史と精神」「格差社会と共産党の役割」「本当の愛国者とは」「共産党は再生できるか」という興味深いものであった。明日25日朝からロンドンに向う。BC級戦犯として絞首刑となった木村久夫さんの失われた2枚の嘆願書の行方を求める旅だ。ところが公文書館は火曜日にしか空かない。仕方なくまる3日間は時間ができる。イギリスに向かう機内ではまず筆坂さんと鈴木さんの対談を読むことにした。現地に着けばミュージカルや大英博物館を訪れる予定だ。そして1946年に28歳にして生命を奪われた木村さんの名誉回復のための取材を行う。発売となった「週刊新潮」の「掲示板」でも情報を求める記事を掲載してくれた。いまでも単行本『X』を書くことはできるけれど、どこまでも取材を重ねたいと思うのだ。もちろんロンドンではパブに顔を出して本場のギネスを飲むつもりでいる。「週刊文春」の石井謙一郎記者によれば、ギネスよりマーフィーズのほうが美味いという。帰国前に空港の「シェークスピア」というパブに行くことを勧められた。ラストシーンのそうした楽しみを抱きつつ現実をしばし忘れる。時差もあるので、このブログ更新も不規則になる。


年金制度の崩壊

2007-05-24 08:11:36 | 立腹

 5月23日(水)年金を払いながら「宙に浮いた」ケースが5095万1103件もあることが政治問題となっている。問題を指摘された安倍総理は「不安を煽るな」と国会で答弁した。深刻な過失を指摘したことが間違っているとでも言いたげな馬鹿げた発言だ。賃金のなかから保険料を支払ってきた人たちへの詐欺行為だと断言していい。97年に厚生年金と国民年金を基礎年金番号として一元化したとき、加入者に葉書を送り、そこで返信のなかったケースで問題が生じたのだと思っていた。ところがそうではなかった。国会の参考人として怒りの発言をした谷澤忠彦弁護士が「ザ・ワイド」に出演されたので、控室で疑問点を聞いてみた。すると97年どころか、はるか昔に問題が起きていたという。80年から85年にコンピユーターによる記録がはじまったが、その時点から誤記があったという。さらには手書きのときから問題があったとなれば、四半世紀前から年金制度は崩れていたということだ。柳沢厚生労働大臣は「申請制度」だから、問題があると思ったひとは年金を支払ったという領収書を提出せよという。誰がそこまでさかのぼって保管しているだろうか。年金を支払っていない対象者には督促状を送るだけでなく、自宅まで訪問している。そこまで強制するなら、自分たちの誤りはきちんと精算しろと思うのだ。5000万件を調べるには4兆円がかかるからできないという。この国は相当に腐っている。国会で問題となったため、社会保険庁の事務所のなかには出入りを閉ざしたところもあるという。谷澤弁護士が出向いたところ「何のご用ですか」と入れてくれなかったそうだ。

 「ザ・ワイド」が終わり雑用が終ったところで長男に電話。飯田橋にいるというので神保町で待ち合せ。「家康」で飲みながら親爺と雑談しばし。この店にはじめて来たのは長男が2歳ぐらいのとき。わたしは編集者をしていた。あれからいろんなことがあったなあ。お勘定をしたときそんな話題となり、時間なんてあっという間だとしみじみ感じるのだった。「北京亭」に行くかと思ったものの、変更して「人魚の嘆き」。日本酒で作った梅酒を飲む。常連は読売新聞グループ。なにしろ狭いカウンターのこと。中上だ、小林だ、中原だ、などという威勢いい会話が聞こえてきた。人間の評価って面白いなと思うのだった。他者を厳しく批判しつつ、自分の評価などには無関心。やれやれだ。自宅に戻ると木村佳乃さんを描いた「AERA」の「現代の肖像」のゲラが届いていた。ここに書くのは服部真澄さんが新田次郎新人賞を獲得したとき以来のこと。人物を書く面白さと難しさをまたしても思うのだった。人生の年輪を他者がどこまで理解できるのか。これまでに取り上げたのは阿木耀子、花田凱紀、服部真澄、そして木村佳乃だ。作家の須賀敦子さんを提案したときにはデスクに「誰ですか」と驚くような返事をもらった。それから「現代の肖像」への情熱は失せてしまった。ある女性テニスプレイヤーを書きませんかと言われたときには関心がないのでお断りした。次には誰をいつ書くことになるのだろうか。


神戸「酒鬼薔薇聖斗」事件から10年

2007-05-23 08:27:31 | 事件

 5月22日(火)朝から原稿書きに呻吟。午後から新宿デボネールで散髪。テレビ朝日に電話をする。待ち受けのアナウンスはすべてテレサ・テン。「私の家は山の向こう」という言葉やテレサの「時の流れに身をまかせ」の歌声が聞こえてくる。テレビスポットもしばしば放送されてるという。有楽町のビックカメラでMacのノートパソコンを購入。これまでのものより画面が大きい。しかしネット環境がとても悪いことが判明。ウィルコムでは通信速度が遅いのだ。しかも現在はUSBモデルは在庫切れ。専門店にもないという。これでは実体としての欠陥ではないかと思う。外出時の接続に問題あることをアップルコンピューターはどう理解しているのだろうか。日本ではネットに接続できるフリースポットがまだまだ少ない。たとえば先日宿泊した那須の旅館などでもまったく通信不可能であった。ICT(情報通信技術)革命の基礎的整備はまだまだだと痛感する。赤坂の全日空ホテル。テレビ朝日「スーパーモーニング」のインタビューに答える。テーマはテレサ・テン。ドラマは6月2日に放送される。その前日に約30分の特集が準備されている。スタジオでは木村佳乃さんがゲストで登場。わたしの役割は、中国と台湾の狭間にいたテレサについて説明することだった。話をしているうちに発見があった。日本でスパイ説などが当たり前のように報道されたのは、歌手としてのテレサという認識しかなかったからだ。香港や台湾ではテレサの政治的役割がある程度理解されていたから、偏った情報が出ても、それが広く信じられるということはなかったのだ。約1時間ほど語る。車が用意されていたのでそのまま帰宅。酒も飲まずに原稿を書く。うーん、難しい。

 少年による凶悪事件が深刻な問題として話題となっている。神戸の少年Aの事件が起きて、今年は10年目だ。あの事件を特殊なものとしてではなく、普遍的問題として捉えるならば、そこからさまざまな課題を引き出すことができたはずだ。わたしは確実にオウム事件の影響があったと推測し、少年を担当した精神科医から長い事件話を聞いたことがある。なぜオウムかといえば、犯行ノートのなかに「聖名」などという表現があったからだ。これはオウム真理教内部で使われていたホーリーネームの日本語訳だ。彼は自分で作り上げた「バモイドオキ」という神様を信じていた。「アングリ」という「聖なる儀式」を実行したならば「聖名」を欲しいと「神」と内心の会話を交わしていた。そして事件を起し「酒鬼薔薇聖斗」という名前(ホーリーネーム)をもらうことになる。精神鑑定でこうした分析は行われなかった。しかし鑑定医は「オウム事件の影響はあった」と語ったのだ。結論的にいえば「あの程度の事件は許されるだろう」と思ったという精神情況が生れていたという。いま発生している猟奇的ともいえる少年事件の背後に、オウム事件以降に起きた事件の影響はないか。精神鑑定を時間をかけて行うことだろう。コメント欄にも寄せられていることだが、特定の用語を当てはめて事件の精神的背景を判断するのは危険だ。あるテレビ番組ではキャスターが「不登校というシグナルが出ていたのですから」などと語り、それを受けたコメンテーターが「そうですね」など言っていることを聞くと、何を言っているんだと怒りの気持ちが湧いてくる。事件の背景に精神的疾患の恐れを推測することを不登校レベルにまで広げることは完全な誤りだ。


「僕はパパを殺すことに決めた」

2007-05-22 08:32:34 | 読書

 5月21日(月)テレビ朝日で6月2日に放映される「テレサ・テン物語」についてさまざまな動きがある。テレサを演じた木村佳乃さんは、テレビの番組宣伝に出るだけでなく、台湾で記者会見も行う。放送当日に時差はあるものの、同日放映されるからだ。ちょうど伊勢谷友介との「熱愛報道」があったため、女性週刊誌なども現地入りするようだ。28日からはテレサの歌声を流しながら大型宣伝トラックが東京都内を走る。テレビ朝日の「スーパーモーニング」などにも木村さんが出演する予定だ。テレビドラマ化は個人的にはすでに遠い過去の出来事のようだったけれど、ここにきてうれしい問い合わせがあった。文庫版あとがきに書いたテレサ・テンの北京コンサートに関することだ。もしテレサが生きていれば、コンサートの依頼があれば引き受けただろうとわたしは思った。もちろん彼女は12年前に亡くなった。しかし、テレサのコンサートを意外な方法で実現できる可能性がでてきた。ただのフィルムコンサートなどというレベルではない。もちろんテレサは生きていないから、中国政府も彼女の政治的発言に不安を感じることはない。文化支配のためにテレサ・テンを利用しようという目的は明らかだ。それでも「精神汚染」とまで断罪された歌声が中国大陸に浸透していくことは、まさに凱旋なのだ。テレビドラマの撮影も動き出している。なし崩しの政策変更はいかにもご都合主義だ。それでも「わたしのこれからの人生のテーマは中国と闘うことです」と逝去の半年前にわたしに語った意思が形となっていく。うれしいことだ。

 「週刊朝日」を定期的に送付してくれるというのを断ったのは、郵便事情で発売から数日後に到着するからだ。今日もキオスクで購入。日本テレビに向う地下鉄のなかでページを開く。今週号はできるだけ多くのひとに読んでもらいたいと思う。先日、24日に発売となる草薙厚子さんの『僕はパパを殺すことに決めた』(講談社)が送られてきた。昨年6月に奈良県で起きた事件は、16歳の少年が自宅に放火して、継母、弟、妹が亡くなるという悲劇を招いた。その少年には4歳のときから勉強を強要し、暴力を振るう父親への憎しみがあった。草薙さんの著作は、少年の供述調書などを紹介しつつ、殺人へと到る心境を綴った少年直筆の「殺人カレンダー」を公開している。「僕はこれまでパパから受けた嫌なことを思い出しました。パパの厳しい監視の下で勉強させられ、怒鳴られたり蹴られたり、本をぶつけられたりお茶をかけられたりしたことを。なんでパパからこんな暴力を受けなければならないんや。一生懸命勉強しているやないか。何か方法を考えてパパを殺そう。パパを殺して僕も家出しよう。自分の人生をやり直そうーー。僕はそう思うようになりました」。父親は少年の言葉がいまだ理解できないようにも思える。悲劇は続いている。「週刊朝日」は、草薙さんにインタビューした内容をコンパクトにまとめている。単行本を読まないひとでも、この記事を読めば、親子関係のどこに問題があったかを特殊な問題としてではなく、普遍的課題として問いかけてくる。ここには現代社会が抱え込んでしまった宿痾が具体的に明らかにされている。