有田芳生の『酔醒漫録』

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手帳に惑う

2010-10-30 14:45:38 | 随感

 10月30日(土)台風襲来予定の東京。ヨハネス・ブラームスを聴きながら「芸術百科」の原稿を書く。第1稿完成。至福の時間だ。夜は大山へ。来春の区議選や次期衆院選候補者の相談があるという。今年もあと2か月。手帳で迷っている。ここ20年以上、人名簿が充実していて、紙質もいい「文化手帳」(潮出版社)を使ってきた。いまでもオウム事件当時の予定欄が真っ黒になるほど忙しかった手帳を手にすると、さまざまな想い出が蘇ってくる。野口悠紀雄さんの「新・『超』整理手帳」(現在は講談社)を使い、そのために特製のカバーを作ってもらったこともある。しかし2006年の1年だけで使わなくなった。どうも相性が悪かった。とくに理由があるわけでもなく、感性的なものだ。今年も最初は「文化手帳」を使い出したが、すぐに「ティーズスリム」(高橋書店)に変えた。参議院選挙があるので、1か月の行動予定が一目でわかるものにしたかった。しかも財布を持たないので、紙幣が収まる大きさもよかった。黄色も好きな色だった。さて来年はどうするかと迷いつつ、昨日新宿の紀伊国屋書店で「ティーズスリム」の黒を購入した。ところが帰宅したら2011年版の「文化手帳」が届いていたのだ。今年のものは国会議員会館のデスクの上に置いてある。さてどうするか。手帳で惑うのもまた楽しい。

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中村稔『立ち去る者』の少数者精神

2010-10-19 23:22:31 | 随感

 10月19日(火)午後11時。鈴木宗男さんとの打ち合わせが急きょ延期となったので泳ぎに行こうと思った。そこへ吉田類さんから「大山にいる」との電話。単行本の表紙の撮影で「多奈べ」に行くという。残念ながら委員会質問の準備があり断念。そこへ「週刊文春」の石井謙一郎さんから連絡。荻窪で宮村峻さん、韓国からの記者とともに雑談。みなさんと別れて「萬龍軒」で餃子を食べていたら朝日新聞記者に声をかけられる。帰宅するとまるで宝箱に包まれた中村稔さんサイン入りの限定300部の詩集『立ち去る者』(青土社)が届いていた。中村さんの存在を知ったのは辺見庸さんから。ひもを解いて上製本の詩集を開く。「この詩集は、世に問うというようなつもりではなく、私の作品に心をとめてくださっている少数の方々のために刊行することを決めたものである」と「後書」にある。「少数の方々のために」という思いに共感する。中村稔さんは1927年生まれ。いま83歳だ。

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出版記念会を終えて

2010-06-01 09:47:50 | 随感

 100515_164501 5月31日(月)憲政記念館で開いた『闘争記』(教育史料出版会)の出版記念会が終わった。どれほどの参加者があるだろうかと不安もあったが、事前申し込みをしていない方々が多く駆けつけてくださった。人数を確保するための「ばらまき」ではなく、旧交を温めるような意味合いを持たせていたので、実質的な集まりだったと思っている。しかし事務上の不備もあり、案内状が届いていない方たちもいた。申し訳ないかぎりだ。出版記念会は『歌屋 都はるみ』を出した1993年以来のこと。そのとき挨拶をしてくれたひとりが『朝日ジャーナル』元編集長の伊藤正孝さんだ。伊藤さんの命日が5月31日だと会場にいらした伊藤一三子さんから教えられた。いまから15年前。オウム事件が起き、テレサ・テンが亡くなった年でもある。

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言葉はいかにして届くのか

2010-05-15 09:20:37 | 随感

 5月14日(金)言葉への不信がある。誰が発しても同じ「言葉」はいかにして相手の心に届くのか。街頭でマイクを持って「思い」=言葉を語る「辻説法」。言葉は揮発していないか。「同じ言葉」に質量の違いはあるか。「ない」ならば誰が語っても同じではないか。嘘っぽい言葉、口先だけの言葉……。山崎ハコさんのバースデーコンサートで気付いた。子供時代の経験を歌うハコさん。住まいもない時代を乗り越えたハコさん。本質は言葉に実感があるかどうかだ。聴衆は言葉の背後に存在する事実と経験を通して認識する。やはり国会で聞いた横田早紀江さんの訴えを聞いていてもそう思った。届く言葉は確実にある。

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「唾棄」と「自律」

2010-05-12 10:12:42 | 随感

 5月11日(火)「唾棄すべき」という言葉がある。「はきすてるべき」という文字通りの意味。「唾棄すべき」は己なのか他者なのか。狭い価値観のなかで自己を絶対化することは、自律過程から遠ざかる「老い」の現象にほかならない。あそこにもここにも。誰か自ら「唾棄」せんか。そうすれば「浮かぶ瀬もある」かもしれない。

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沖縄海兵隊はグアム移転を基本に交渉すべき

2010-04-26 10:32:37 | 随感

 100425_125101 4月25日(日)沖縄の普天間飛行場移転集会を気にしながらお台場。吉田類さんの「昼呑み」イベントにゲスト出演。異様な盛り上がりに驚いた。子供連れもいて、福島、新潟、愛知などからも参加者がいた。終了後に関係者と二次会。池袋で降りてひとりで「ふくろ」。カウンターに座れば「お久しぶり」と店員に言われ、未知の客たちにも声をかけられ雑談。今日だけで名刺を100枚ほど配ったことになる。30代のころ代々木「千代竹」の主人に「どんなに貧乏してもホッピーを飲むようになったらおしまいだぞ」とアドバイスされたことがある。そんな時代はもはや遠い昔。いまやホッピーブームだ。普天間基地移転問題。解決への道は複雑だが、基地問題がこれほどまで国民的話題となったことは政権交代の効果である。鳩山首相は昨夏の総選挙で自ら語ったように「国外・県外」移設と地位協定の改定を堂々と主張すべきだ。マスコミの政権批判と連動しての普天間基地報道は低劣で、建設的提案をふくめた報道をしないところに問題がある。沖縄の吉田健正さんからメール。NHK教育特集「普天間基地問題・沖縄から本土への問いかけ 全国を奔走する元沖縄県知事・大田昌秀」は、鳩山内閣・民主党議員のすべて、全国民に見て欲しいすばらしい内容だったという。大田さんはグアム移転についても詳しく伝え、政府はなぜ堂々とグアム移転について国民に伝え、米と交渉しないかと怒っていたという。

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沖縄の負担軽減なき偏狭ナショナリズム

2010-04-23 11:23:19 | 随感

 4月22日(木)姫路から東京へ。夕方から新宿で竹村文近さんに鍼を打ってもらう。「立花」に立ち寄り「桂花ラーメン」を食べて帰宅。ツイッターで普天間移転問題を書くと「日の丸アイコン」グループがすぐにやってくる。不可思議なことに彼らが建設的対案を語ることはない。すでにアメリカの軍事戦略では海兵隊のグアム移転は既定の路線。多国籍訓練もテニアンをふくめた地域で行うことが決まっている。全世界での米軍再編のなかで普天間問題を考えなければ「答え」など出てこない。日本の基地問題。沖縄の負担軽減という立場なき偏狭ナショナリズムがいかに無責任かがよくわかる。もちろん政権の迷走も困ったものだ。

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大阪、京都、東京の旅

2010-04-20 12:10:03 | 随感

 4月19日(月)ホテルを出て養精中学校から道路を隔てたところにある大黒屋へ。あのころと味が変わらないというホットドッグなどを購入。ハンドボールクラブの練習を終えたあとでときどき買っていたものだ。JRで山崎。両親の住む下植野へ。弟の運転で長男ともども新福菜館へ。再び戻ってしばらく雑談。新幹線で東京へ。車内ではベートーベンを聴きながら『闘争記』のゲラ刷りを点検。この4月は移動の連続で身体がこわばっていると自覚。新橋のサウナでゆっくりして村上春樹『1Q84』の続きを読む。

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想い出の街ーー千駄木、谷中を歩く

2010-04-17 08:38:50 | 随感

 4月16日(金)綾瀬の「ナチュラルカフェ・コンポステラ」で『闘争記』装幀の打ち合わせ。辺見庸『生首』の装幀に使用された梅田恭子さんの作品から使わせてもらうことにした。梅田さん、デザイナーの渡辺美知子さん、教育史料出版会の中村早苗さんとあれこれ相談。銅版画10作品から1点を選定。一足先に店を出て千代田線に乗った。ふと思うところがあり千駄木で下車。フリーランスになり生活のために某業界紙の記事を書いていた時期がある。月に一回校正のために通っていた毎夕新聞印刷に立ち寄った。街の様相が変わっているのでしばらく迷う。会社を探している路上で「私のこと覚えている?」と女性から声をかけられた。「すみません」と言えば、有楽町のキオスクで新聞などを販売していた方だった。かつて「AERA」の「現代の肖像」を書くときに取材したのだった。毎夕新聞印刷では社長の川島毅さんと16年ぶりに再会。当時はまだ活版印刷が残っていた。もちろんいまやパソコン処理で、男性がほとんどいなくなり、女性の職場になっていた。出張校正に行ったとき、必ず顔を出した谷中の「一寸亭」。味噌ラーメンの味は変わっていなかった。店主に「久しぶりですね」と言われ、短い会話。渋谷でテレサ・テンの新しいアルバム「デュエット&ベスト 新生」普及のための打ち合わせ。銀座の山野楽器でグレン・グールド演奏によるベートーベン・ピアノソナタ第30番、第31番、第32番を入手。壹眞珈琲店で単行本ゲラに手を入れる作業。

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ベートーベンのピアノソナタ作品111を聴きながら

2010-04-14 11:51:03 | 随感

 4月13日(火)大山の事務所。読売新聞の候補者写真撮影を終えて、引き続き朝日新聞の撮影。すでにNHKの撮影は終わっている。報道各社からは「調査票」という経歴書の提出を求められている。3年前も昨年も同じ繰り返しだ。各社で協議して写真撮影と「調査書」を共有できないものか。それぞれのメディアの労力を一元化できるだけでなく、候補者(事務所)の合理化にもなる。経歴書はこれまでほとんど自分で書いてきたから、その繰り返しにはイヤになる。「あおい珈琲店」でフレンチブレンドを飲みながらマスターと雑談。新橋のクリニックに向ったものの、麹町で下車して文藝春秋。資料室で井上ひさしさん関連の記事をコピー。松井清人さんとサロンで情報交換。池袋経由成増。「兼祥」で餃子を食べながら支持者と懇談。帰宅して井上ひさしさん、大江健三郎さんが好きなベートーベンのピアノソナタ第32番ハ短調作品111を聴きながら普天間基地移転問題の原稿を書く。

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