有田芳生の『酔醒漫録』

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野田聖子さんからの電話

2006-11-30 09:27:30 | 人物

 11月29日(水)「アリタさん、危ないですよ。顔色はとてもいいですけど、腰のあたりの色が悪いですから」竹村文近さんが鍼を打ちながらこう説明してくれた。たしかに風邪の気配を感じながら、危ういところでやりすごしている。鍼を終えて身軽な感じで歩いていたら野田聖子さんから電話があった。「ザ・ワイド」に出演をお願いしていたのだが、その返事だった。残念だが東京にいないので無理だという。今日の番組を見ていたのは、平沼赳夫さんが出演したからだという。立花隆さんは多くの問題で政治的見解は違うが平沼さんだけが「男をあげた」と評価している。復党した議員は「男や女をさげた」というのは、「翼賛政治」に迎合したからだ。立花さんは平沼さんのことを「平成の非翼賛議員」とまで言っている。それに比べたとき、やはり野田さんたちへの疑問は多い。反対していた郵政民営化法案に賛成したからだ。政治家としての信念が問われている。おそらくいまテレビなどに出演することにメリットはないという判断もあったのだろう。平沼さんとは控室で会ったけれど、これまで抱いていた印象とは大きく違っていた。拉致問題の集会で何度か演説を聞いたとき、いつも「何だか偉そうだな」という感想しかなかった。「押しが強い」というのだろうが、支持者にはよくても第三者には必ずしも肯定的に受けとめられないことがある。ところが眼の前の平沼さんはとても腰が低い。印象で人を判断するのは問題だなと痛感。かつて猪瀬直樹さんもそういう人だった。会うまでにはあれこれと批判的なことを聞かされていた。形作られた印象を持ってお会いしたとき、拍子抜けした。とても「いい人」だったからだ。思い込みは怖い。

061129_22050001  地下鉄で神保町。午後6時半から小宮山書店の「書斎」で忘年会。もう5年ぐらい前のこと。出来根達郎さん、森まゆみさん、服部真澄さん、岩田一平さん、五十嵐茂さんなどと忘年会をした。たしか2年連続だったような記憶がある。ところがそれからそれぞれ多忙でそのままになっていた。今年はぜひ再開しようと思ったのは、気心の知れた仲間で年に一度ぐらいは飲むのもいいからだ。そんな催しをするというと高知新聞の依光隆明さん、浅田美由紀さんも上京するといい、わざわざ銘酒「美丈夫」を持ってきてくれたのだった。そんな経緯で15人が集まり、深夜まで酒と会話とカラオケで楽しんだ。それから銀座「四馬路」に流れる者もいたが、わたしは小林健治さん、なかだえりさんと「人魚の嘆き」に顔を出した。人生は変転する。森まゆみさんが新しい環境で暮らすことにも驚いたが、ある知人が政治に進出する情報にもびっくりした。現実政治が実は人間臭い嫌な世界であることを知れば関わらないものの、それを実際に知らない無垢なときには理想を持つということがある。それでも政(まつりごと)としての世界で生きるというのもひとつの選択なのだろう。レッテルを貼られてもいい人生なら、それもまたいい。2006年でいちばん飲みすぎた夜だった。

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「新風舎」のあくどい商法

2006-11-29 08:57:01 | 立腹

 11月28日(火)朝からずっと雨。予定では午後から二つの試写会に行くつもりだった。それをやめて葉書書きなどの雑務をこなす。藤原新也さんの日記が「新風舎」のあくどい商法を取り上げている。「週刊文春」でも小さな記事になったが、「霊感商法」ならぬ「希望商法」とでもいえるようなやり口だ。エッセイや写真の賞を設け、そこに応募し、落選した人たちに「共同出版」を持ちかける。会社として制作や流通に責任を持つから、費用の半分を出さないかというわけである。それが200万円だと最初は提案するそうだ。多くの出版社、とくに中小の会社は経営問題を抱えている。そんな出版社にとって自費出版は経営を潤す。一般的には100万円(80万円でも可能)も出せば製作費(編集、印刷、製本など)は充分なのだが、相手から300万円ほど出させる。自分史やエッセイなどを単行本にしたい人は多い。しかし、そうした希望を持っていても、実際に出版できるまでにはさまざまな困難がある。原稿への不安もあれば、負担金額の問題もある。そこに懸賞募集へ応じる根拠がある。「新風舎」のやり方は、被害を受けたという人たちの証言を読むかぎり、出版への期待を利用した悪質さが見受けられる。この出版社は事件やノンフィクションなどを文庫本で出しているので、何冊かを購入したことがある。実は『歌屋 都はるみ』が文春文庫で絶版となったので、増補版の出版を「新風舎」に話をしてみようかと思ったこともあった。やめてよかった。いまのように問題が続出してくると、これまでの出版物は、悪質な出版方法を隠すための役割を結果的に果していることになるからだ。長引く出版不況と著作を持つことへの願望が背景となっているのだが、「希望商法」は限度を超えている。

061128_23050001  外岡秀俊さんの『情報のさばき方』(朝日新書)をふと開けてみた。赤線を引いたところが眼に入った。外岡さんが何度も触れた疋田桂一郎さんの文章についてである。「疋田さんは文章の綾や表現の襞よりも、全精力を費やして事実関係の細部の確認にこだわる方でした」と外岡さんは書き、その心がけは「巧みな文章よりも、正確に伝えることに大事を置いた無味無臭の文章」だったと引用している。新聞記者による報道記事のことなのだが、ノンフィクションでも基本は同じだ。「事実関係の細部の確認にこだわる」ことに何ら問題はない。単行本『X』のために国際シンポジウムの記録『東京裁判を問う』(講談社学術文庫)を読む。夕方から長女と有楽町ビックカメラと銀座アップルショップ。留学に必要な電器類を買う。地下鉄で田原町。浅草の雷門まで歩く。家族と待ち合せをして米久本店で牛鍋を食べながら送別会。鷲神社まで歩き、酉の市を楽しむ。入り口では長女と二女の知人が熊手を売っていた。そぞろ歩きつつ少し大きめの熊手を購入。アントニオ猪木に顔が似た男性の発声に合わせて「いょーっ」と手をたたく。深夜に近くなったので帰るべく歩いていたところ七味唐辛子売りが気になった。眼の前に並べられた一味、胡椒、胡麻などの7種類をその場で混ぜ合わせて売っている。香具師(やし)の渋い口上は芸だ。小沢昭一さんが『日本の放浪芸』(岩波現代文庫)で紹介したように、「舌先三寸しゃべくりの面白さ」に感激。酉の市の興奮を身体に感じて鷲神社をあとにした。

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倉田真由美の弁明

2006-11-28 08:41:38 | 人物

 11月27日(月)午前3時半に眼が醒めた。吉村昭さんの遺作『死顔』を再読する。津村節子さんの「遺作について」には、吉村さんの最後の時間が綴られている。「ビール」を求め、津村さんが吸呑に入れたものを口にして、「ああ、うまい」と語ったそうだ。さらに「コーヒー」を一口飲んだ。吉村さんが自ら点滴の管を外し、首の下に埋め込んであったカテーテルポートの針を引き抜いたのは、その夜のことだった。7月31日午前2時38分、吉村さんは息を引き取った。吉村昭なき世界がもう4か月も過ぎるのか。「ザ・ワイド」が終わり、銀座を歩く。「瑞花」で京都にいる長男に「うす揚げ」を送り、地下鉄に。街並みはすでにクリスマスの装いだ。赤坂見附で降りて「不安定研究会」に出席。講師はこの6月に共同通信をやめた青木理さんで、テーマは「わたしが共同通信を辞めたわけ」。青木さんはやはり共同通信からフリーランスとなった魚住昭さんとともに、『共同通信が握りつぶした安倍スキャンダル』を「月刊現代」に書いている。そのスキャンダルとは下関にいる安倍秘書と暴力団との関係を暴露した記事だった。議論はマスコミ全般から日本の右傾化に及んだ。格差社会になぜ反乱が起きないのか。それは何とか生きていけるだけの物質的基盤があるからだといった意見などなど。食事でビールを口にして、吉村昭さんのことを思い出した。たしかに「うまい」。こうして健康に酒を味わえることがきっと幸せなのだろう。午後9時過ぎ、赤坂まで歩き、ひとりでバー「木下家」へ。カウンターに座り、「山崎」をストレートで飲み、ぼんやりとしていた。気持ちがむずむずしてきたのは、両隣の会話が聞こえてきたからだった。

061127_16350001  右手の男女はベトナムのハノイやホーチミンの話をしている。開高健さんが定宿にしていたマジェスティックホテルが改装中だったというのだ。このホテルに宿泊してサイゴン川を見つめたのはもう18年も前のことになる。左手の集団は万年筆とボールペンの会話だ。筆記にはペリカン、インクはウオーターマン、ボールペンはカランダッシュで、インクは太字です、などと語る男性がいる。何だいっしょじゃないかと思いつつ、ここでも口出ししたくなる。我慢して黙考。マスコミは平沼赳夫議員を持ち上げるけれど、拉致問題の集会で聞く演説は傲慢そうで嫌だな、結局は復党したいだけで、自民党の論理だけ、復党願いを出したことを夕刊紙が腰砕けだと書く根拠はある……藤原紀香が結婚しようがしまいが世界には関係のないことだけど、芸能関係者に聞けば、来年1月の結婚はないが2月はありうる、もしそうなら妊娠していると言っていたな、二人はその気なのにバーニング先行の結婚報道に吉本興業が強く反発したらしい……そうだ、「週刊朝日」で倉田真由美さんが北芝健さんと手をつないで歩いていたことを弁明していたなあ、テレビで「北芝さんは、近寄ったら妊娠しそうだ」なんて発言していたのか、だから誤解されるんだろうな。こんな泡みたいなことをふと思い浮かべつつ、今朝から読み出したガルシア・マルケスの『わが悲しき娼婦たちの思い出』(新潮社)を思う。物語の世界を普遍へと昇華させる仕事の面白さ。読者にそんな喜びを与える小説家は実に偉大だ。そしてここでも吉村昭さんを追悼する。

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藤原紀香の結婚はまだまだ

2006-11-27 08:00:53 | 単行本『X』

 11月26日(日)朝起きてパソコンの前で雑務をこなし、長男のベッドで吉村昭さんの遺作の続きを読む。静謐な書き出しではじまった世界にやがて小さな波紋が起きる。そこから意外な展開があることで読者は作品世界に引き込まれていく。山場へと一気に進み、そこから再び静寂が訪れてなだらかに結びの言葉が置かれる。何時間が経過しても余韻が残っている。うーんこれは相当に計算され、熟慮された構成だなと思った。これまで吉村ファンとしてただ興味深く楽しみつつ読んできたが、その方法を意識したとき、意外な叙述がわずかだが見えてきた。吉村さんの方法が垣間見えても、難しいのはそれを自分の文章で「真似ること」だ。書いて書いて推敲を重ねていくしかない。遺作のなかに納められた「クレイスロック号遭難」(津村節子さんがタイトルを付けた)は、未定稿で、さらに調査と推敲を重ねて公表するつもりだったという。作家にとってここまで徹することができることはすごいことだ。ある売れっ子作家と話をしていたときのこと。締切りが重なるので「この程度でいい」と手放す原稿があるという。出版社にとっては締切りがある以上、依頼した原稿を落とすわけにはいかない。頼まれた作家の方も追いつめられながらも何とか綱渡りで執筆し、えいとばかりに完成させるのだ。できのいい作品でないことは本人がよくわかっている。吉村昭さんはそういう仕事とは無縁な作家だったのだろう。完成度の高い作品がこうして残っていく。

061123_16200001  木村久夫さんの妹の孝子さん、木村さんの恩師だった塩尻公明さんのご長男にお礼と依頼の手紙を書く。時間ができたので年賀状の依頼も済ませた。例年なら12月20日を過ぎたあたりから大慌てするのに、今年は早い。みどりプリントの工藤英治さんに「どうしたんですか」と言われてしまった。午後から送別会続きの長女と池袋へ。東武にある「伊東屋」でファイルを3冊買った。単行本『X』の資料を5冊のファイルに区分けするのは、執筆を合理的に進めるためだ。テレサ・テンを書くときには、収集した資料を最初は段ボールのなかに放り込んでいた。いざ執筆になり、何冊かのファイルに納めたものの、そこに基準はなかった。ここで得た教訓は、ファイルしておけばいいというものではないことだ。こんどはいくつかの大項目に区別して、目的の資料がすぐにわかるようにする。名刺ファイルも単行本『X』のために出会った人たちだけを収録して保存する。資料をちゃんと整理している人たちには当たり前のことなのだろう。喫茶「蔵」でジャズを聴きながら読書。藤原紀香さんの結婚問題を取材した友人から電話。紀香さんと話をした芦田多恵さんが言っていた。「ご本人はそのつもりでしたよ。でも時期はまだまだのようでした」。陣内智則さんと話をした石川敏男さんはこう教えてくれた。「『言えないんですよ、そうなるよう努力しています』だって」。これが現状なのだろう。来年1月の結婚はない。報道がパッタリと途絶えたことが面白い。

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吉村昭さんの遺作を熟読する

2006-11-26 08:22:05 | 読書

 11月25日(土)桜田淳子さんが単行本を出したことについて、問い合わせがあった。週刊誌が3つ、テレビが1番組。いまだ統一教会の広告塔になっていることへの驚きがあるようだ。ここに桜田さんが歌い、踊った「入宮式」(韓国の清平に「天正宮」(てんせいぐう)が完成し、そこに教祖夫妻を迎える儀式)のスナップ写真を掲載する。桜田さんは何を生業にしているのだろうか。ご主人のAさんは敦賀から西宮に戻り、さらに東京へと転居した。世田谷の高級マンションはキャッシュで購入したとも言われている。それだけの資産があったとしても、いつまでも続くものではない。他人の懐を詮索するものではないが、統一教会との関係で気になるところだ(単行本の「監修者」がネットから削除された)。

060612003 060613001  「おもろ」で泡盛の古酒をお湯割りで飲む。常連と雑談ののち西武へ。リブロで新刊を眺める。このごろは手に取って見るだけで、筆者がどれほどのエネルギーをその本に費やしたかがすぐにわかるようになっている。読書時間も限られているから、自分にとってどうでもいい読書などできるだけしたくない。筆者のエネルギーとは、単に執筆時間や文章のうまさなどというレベルではない。書き手にとっての切実感がその著作に込められているかどうかなのだ。言葉の華麗さ、軽やかさなどは問題外だ。たとえば夕刊を眺める。ある女性のエッセイが目に入った。生活を描いたキレイな文章だ。しかし空虚だなとしか思えない。言葉を転がすだけで、そこに筆者の生活実感がみじんも感じられないのだ。こんな筆者の新刊が目立つように書店の棚に並べられていると、いささか不快感さえ催してくる。小綺麗なしゃれた言葉を巧みな文章に紡ぐことには相当な努力があったことだろう。それが素敵だという人はそれでいい。しかし軽みだけが目立つ観念言葉で生活を表現することに人々はどこまで共感を寄せるのだろうか。編集者や書店員は何を読者に届けたいのだろうか。ここまで思うのは何も泡盛の酔いが為せることではない。吉村昭さんの遺作となった『死顔』を読んでいたからだ。まだ冒頭の「ひとすじの煙」、その次の「二人」を読んだだけだが、そこには質感ある人生が描かれている。実存をただただ軽く漂白したような薄っぺらい言葉などひとつもない。そういえばエッセイの筆者がいかにも作家然とした態度で酒を飲んでいる姿を何度か目撃したものだ。言葉だけでなく姿まで飾っていることを思い出すと、たしかに「文は人なり」だと納得する。

 吉村昭さんの小説を読んでいて思うところがあった。文章の「山場」という問題だ。先日、服部真澄さんと話をしていて「おやっ」と思ったことがある。いま新聞連載している小説の「山場」で苦吟しているというのだ。単行本『X』の資料を朝から読みつつ、構成を考える。きれいな言葉をできるだけ使いたいと思うものの、まず必要なことは事実の発掘だ。そして構成。文章を書いて出版する意味は、読者と共感をともにしつつ、新しい視野や事実を提示し、記録することだろう。「うまい」「読ませる」と評価されるのは、表現力と構成だ。しかしその基礎となるものは、ノンフィクションの場合は事実の提示だ。単行本『X』についていえば、歴史的事実として「山場」は3つ。そのどれもがいまだ明らかにされていない新事実だ。ここに責任という問題が生れてくる。ノンフィクションであっても事実が蓄積されないとき、そこで文章上の処理が行われる。こうした傾向は困ったものだ。

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桜田淳子の熱唱再び!(2)

2006-11-25 09:46:35 | 人物

 11月24日(金)桜田淳子さんが出した『アイスル ジュンバン』に不思議なことがあると先日書いた。本質的にはどうして統一教会にまったく触れないのか、いや隠しているのかという問題がある。桜田さんが日本の芸能界から離れて久しい。それは統一教会がいまなお行っている霊感商法を肯定したからだ。黙したままの桜田さんは、教会の行事や関連組織の催しで歌ってきた。その事実はときどき週刊誌でも取り上げられてきたが、その姿をアップで紹介するのは昨日のブログがおそらく初めてだろう。6月13日に「天正宮博物館開館式」「天宙平和の王真の父母様戴冠式」が行われ、そのセレモニーで桜田淳子さんは熱唱したのであった。この機会に韓国の清平で行われた「入宮式」の様子をもう少し公表しておこう。施設外観と文鮮明教祖が到着したときの歓迎場面である。文教祖夫妻はここで暮らすことになるという。ところで桜田さんの新刊の監修者の存在がもう一つの不思議であった。単行本では奥付にもいっさい名前がないのに、ネット上では「監修者」として出てきたからだ。その佐藤泰雄さんとは、かつて桜田さんが所属していたサンミュージックで舞台制作などに関わっていた人だとわかった。最初は教会の関係者が内容をチェックしたのかなどとも推測したが、そうではなかった。だとすれば芸能界復帰に向けての可能性を計るアドバルーン的な出版なのだろう。この本を取り上げたテレビ朝日の「ワイドスクランブル」は、内容を紹介しただけだったが、スタジオでコメンテーターが霊感商法との関わりを指摘したようだ。これが世間の桜田淳子さんを見る眼なのだ。

060612002 060613006  今朝は6時に起きて雑務。満員電車で有楽町。日本テレビで「ザ・ワイド」スタッフに合流して千葉県の市原刑務所に向う。昼食も取らずに午後まで取材を続ける。建物雑観を撮影するスタッフとわかれ、タクシーで五井駅。JR内房線で蘇我駅。ここで「わかしお13号」に乗り換え、外房線を終点の安房鴨川へ。改札を出たところに磯崎勇次郎さんが迎えに来てくれていた。磯崎さんは近衛兵として入営、インド洋のカーニコバル島に派遣される。木村久夫さんがいた島である。ここでの住民虐殺事件が戦後問題となり、木村さんたちは「BC級戦犯」に問われた。磯崎さんはその現場にいたのだ。生々しい証言を聞いた。近衛兵のときのポートレートは20歳。それから65年。85歳の磯崎さんが眼の前にいた。これが人生なのだ。電気技師としての活躍は戦後テレビを普及するときにも役立ったそうだ。お年寄りや子供たちに何とかテレビを見せてやりたいという思いで、電波が届くような工夫をした。その想い出を語るとき、まぶたに涙が浮かんでいた。街場の「プロジェクトX」はどこにでもあったのだ。鴨川からバスで東京へ。単行本『X』の構成を考える。東京駅に着いたのは午後9時すぎ。寒いのでおでんでも食べて帰ろうと「てつ」に行けば「バルサン使用中」の紙が貼ってあった。世間の給料日、しかも金曜日にバルサンを焚くとはなあ。これが「てつ」らしさなのだが。

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桜田淳子の熱唱再び!

2006-11-24 07:03:01 | 人物

 11月23日(木)灰谷健次郎さんが亡くなった。「朝日ジャーナル」時代に経験したイヤな想い出しかないが、いまではそれも懐しい。桜田淳子さんが単行本を出したことをテレビ朝日が報道したようだ。統一教会にまったく触れないことをどう報じたのだろうか。桜田さんは日常生活では統一教会の広告塔として熱心に活動している。それが「素顔」だ。今年6月13日に韓国の清平にある教会施設で「入宮式」が行われた。文鮮明教祖が臨席したオープニングセレモニーには桜田さんも参加。舞台で熱唱し、踊る姿を多くの教会員に披露している。日本では歌手や女優として活動できないゆえの苦悩もあるのかもしれない。しかし、これでは永遠に復帰などありえない。残念だなと思いつつその一端をここに公表する(拡大するには画像をクリック)。日本テレビを出て銀座方面へと歩く。「瑞花」は祝日で休み。4丁目交差点へと向かい、「あけぼの」で単行本『X』の取材に持参するお菓子を購入。その足で「伊東屋」。来年の手帳でいいものがな いかと探し歩くが輸入物もふくめてどうもピンと来ない。リフィルを毎年入れ替える形式もどうもなじまないことは、何度か使ってみてわかってる。やはり「文化手帳」(潮出版)に落ち着くような気がする。フリーランスになってから、ほとんどこの手帳を使っているのは、名簿が充実していることもあるが、何より紙質がいいから書きやすいのだ。筆記用具売り場でLAMYのピンク色をした水性ボールペンを買う。祝日の雑踏を歩きながら、どこか感じのいい喫茶店で本でも読むかと思った。そこへ長女からメールが届く。池袋へ向うべく地下鉄の改札でメトロカードを入れた。カードは出てくるものの、通行は遮断。駅員に持っていくと磁気異常だという。昨日もこれだ。

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 どうしてですかと駅員に言ったところでハッとした。ポケットにはマネークリップを入れていた。この磁石が強力なことに気がついたのだ。駅員にそう伝えると、その影響だろうという。そういえば百貨店のカードも磁気異常だと言われた。原因はマネークリップと同じポケットに入れていたことなのだろう。東急ハンズに行ったところで長女と家人にばったり遭遇。西武から東武に移動して旅行用品などを探す。12月からアメリカに留学する長女のための買い物に付き合う。睡眠不足で疲れていたけれど、こうした時間が貴重なのだろう。旭屋書店で村上春樹さんが翻訳したスコット・フィッツジェラルドの『グレート・ギャッビー』(中央公論新社)を購入。今朝の「産経新聞」に村上さんからの回答メールが掲載されている。「僕にとって、もっとも大事な書物のひとつになりました」とある。小説のテーマは、個人の、そして時代の「成熟」である。午後8時を過ぎ、夕食のために「萬屋松風」に行く。25歳で東京に出てきたとき、職場の同僚としばしば通っていた由緒正しい居酒屋だ。何度か長男を連れてきたが、こんどは長女だ。人生の持ち時間がこうして過ぎていく。どぶろくを飲み、最後に焼きおにぎりでも食べて帰ろうかというときに、二女から電話。しばらくして店で合流。計らずしてこんなことがあるものだ。外に出ると小雨が降っていた。

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桜田淳子が本を出した

2006-11-23 08:58:35 | 人物

 11月22日(水)テレビ朝日から連絡があった。『私の家は山の向こう』を原作にして放送されるドラマのテレサ・テン役が決まった。いずれ発表されるだろう。台本も第3稿が完成。2007年は没後10年をはるかに上回る「テレサ年」になる。山口百恵、森昌子、桜田淳子が「花の中三トリオ」ともてはやされたのは1973年。ただの歌謡ファンとしていちばんいいなと思っていたのが桜田淳子さんだった。92年の合同結婚式に桜田さんが参加すると知ったときには心底驚いた。それまでに教団内部からの噂として聞いていたものの、まさか自分から公表するとは予測もできなかった。テレビ、週刊誌で統一教会、とくに霊感商法への批判キャンペーンが行われ、わたしもその先頭に立って批判をしてきた。桜田さんがかつて所属していたのはサンミュージック。都はるみさんがいた芸能事務所でもあった。これは弁護の余地はないと諦めたのは、リポーターの霊感商法についての質問に「どこが悪いんですか」と言ったことだ。正直だけれどこれではダメだとも思った。これが転機だった。歌手そして女優として知られていた桜田淳子さんは、この発言をきっかけに芸能界からすっかり消えてしまった。合同結婚式に参加し、ご主人と暮らすようになって、いまでは3人の子供を育てている。その桜田さんが『アイスル ジュンバン』(集英社)を出した。グラビアがあるとはいえたった186ページで1680円。部数は少ないのだろう。タイトルのセンスはとても悪い。愛するのは夫が一番で子供は二番だというのだが、不思議なことがいくつもある。この本のどこを見ても出てこない名前がネット上で登場する。

061122_21000001  「佐藤泰雄・監修」と入っているからだ。何をしている人だろうか。家族の生活を綴った記録にどうして監修などが必要なのか。もっとも疑問を感じることは統一教会のことにまったく触れていないことである。統一教会の「と」の字さえない。桜田さんは完全に触れないことを基本としたのだろう。ここに世間とのズレがある。かつてのファンもふくめ、多くの人は桜田淳子を統一教会という枠組みを通して見つめている。2004年から東京で暮らすようになってから、統一教会との関係はどうなっているのか。少しでも情報を持っている人ならそんな疑問がわくだろう。ときどき週刊誌でも取り上げられるが、いまでも統一教会の集会に参加し、そこで歌うのが桜田淳子さんの現状である。桜田さんが芸能関係者に会ったことがこの本のなかで書かれている。それ以上のことは触れていないが、芸能界のなかでは桜田淳子さんの復帰を期待している人たちもいる。わたしに意見を求めたヴェテランもいた。桜田さんがどう思っているかは不明だが、霊感商法を肯定した問題を解決しないかぎりは、残念ながら無理だ。その霊感商法をいまでも行っている(とくに静岡)統一教会にいるかぎり舞台復帰はありえない。育児のなかで大声を出すことを表現するとき、都はるみさんをたとえに出していた。サンミュージックの先輩だったから意識にあるのだろう。惜しいな、でも仕方がないなと思うしかない。片桐舞子さんの食事会に招かれたが、出席できず。夜遅くに銀座「ル・ヴェール」。

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市原刑務所で幻を見た

2006-11-22 07:52:08 | 「ザ・ワイド」

 11月21日(火)朝8時。迎えのタクシーに乗って千葉県の市原へ。資料を読みつつ眼を閉じればウトウト。睡眠4時間はいささかきつい。それでも2006年はここまで風邪をひいていない。例年一度は熱を出していたから新記録。あと少し注意したい。9時45分ごろ市原刑務所に到着。「ザ・ワイド」スタッフと合流、取材を開始する。ここは交通事故を起し、逮捕、起訴され懲役刑を受けた人たちが入所している刑務所だ。俗に「交通刑務所」と呼ばれている。いったいなぜ飲酒運転をしたのか、それまでの実生活はどのようなものだったのか。再発は果して防げるのかなどを明らかにするのが目的である。飲酒運転で死者を出した20歳代の男性3人に話を聞いた。その内容はさらに取材を重ねたうえで近く「ザ・ワイド」で放送される。ここでは刑務所の印象を記録しておきたい。いまなお軍隊生活がここにあるからだ。「イッチニ、イッチニ」と大声で行進する受刑者たち。腕を大きく前後に振って、乱れずに歩いていく。こういう集団などこれまでに見たこともないから不思議空間だ。昼食、夕食時もそうなら、作業場でも同じだった。制服姿の刑務官が前に立ち、周囲を監視している。黙々と単純作業をする受刑者たち。その場を離れるときは真っすぐに挙手をして大声で理由を述べる。係官は「よしっ!」と指さしして受刑者は席を立つ。「姿勢を正して!いただきます!」これが食事をするときに受刑者のなかから選ばれた指揮官が発する言葉だ。起床は6時半、朝食は7時20分。時間は15分。仕事をして昼食。休憩はグラウンドや体育館。夕食は午後4時半。就寝は9時。朝食までまる14時間。お腹が空くだろうなと思った。

 体育館に集まった受刑者の姿を見ていて、ここでも遠くシンガポールのチャンギー刑務所で最後の時間を過ごした木村久夫さんの姿を思い出してしまった。ほとんどの受刑者は車座になって雑談をしている。そのなかに少数だが腕立て伏せなどをしている者がいる。受刑者の憩いの時間とは、おそらく60年前でも同じ雰囲気だったのだろう。この市原刑務所にいる受刑者は懲役4年未満。チャンギー刑務所では死刑囚から有期刑までがいっしょだった。生の終焉を間近にした受刑者に比べれば、この市原刑務所の雰囲気ははるかにのどかなものなのだろう。いくつかの発見がある。そのひとつは制服、制帽姿になることは誰からも個性を奪い取るという事実である。じっと顔を確認しないならば、そこにいる集団はみな同じに見えるのだ。軍隊とはそういうものなのだろう。密室空間で軍隊的規律を強制されたとき、人間は容易に一方向に染まっていく。まてよとここで思う。眼に見えなくとも特殊な隔離空間が出来てはいないか。飲酒運転とそれによる事故が減らないのも、そこに理由がありそうだ。その新しい視点は放送で明らかにしたい。日本テレビで降ろしてもらい神保町。「エリカ」マスターの弟さんと立ち話。亡くなったのは9月22日だったという。やはりいまのままでは再開店はないようだ。神保町文化の灯があちこちで消えていく。

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吉村昭の遺作『死顔』が出た

2006-11-21 06:51:12 | 読書

 11月20日(月)「ザ・ワイド」が終ったところで小雨の銀座を歩く。宵闇の街並みはすでにクリスマスだ。まずは教文館で吉村昭さん最後の著作『死顔』(新潮社)を買う。やはりとうれしかったことは、未公開短編が収録されていること。そういう作家だったのだ。原稿を頼まれもしないのに書きたいことを遺していた。こういう仕事が理想的だが、なかなかできることではない。さらに推敲して公表するつもりだったのだろう。心して読まなければならない。吉村さんや阿川弘之さんは、出版社から取材費をもらわずに自費で調査を行ってきた。吉村さんの場合は、編集者や出版社に義理を作りたくないからだとエッセイで書いていた。それが理想的なのだが、そこには取材費を出しても生活できる財政基盤が必要だ。単行本『X』が出版されても、すでにその印税額は使い果しているとわかるから複雑である。それでもやりたい仕事ができることは幸せだ。鳩居堂で柚子の絵の入った季節の葉書などを購入。山野楽器店でビートルズのアルバム「LOVE」を入手。風月堂で珈琲を飲みながら資料を読む。「瑞花」に寄ってから午後6時半に日本テレビに戻る。「太田光の私が総理大臣だったら」の収録へ。前半の討論に時間がかかり、待機時間があったので「ビックコミック」などを読む。こうした時間がのんびりしていていい。「瑞花」の「うす揚ゆずこしょう味」が好評。「爆笑問題」の太田光さん、田中裕二、国会議員の山本一太さん、原口一博さんも「美味しい」とぱくぱく。店舗の住所を何人かがメモしていた。収録がはじまったのは午後8時20分。9時半過ぎに終って「はら田」。常連Mさんの切実な話を聞く。

061120_16550001  木村久夫さんが23歳のときに書いた文章を読んだ。いまから65年前のものだ。原稿用紙にびっしり書かれた心境には驚くばかり。この原稿に向う若者がかつて確実にいた。それが歴史なのだ。いまだつたない文字がここにある。ところが尊敬する師を見出したときから、呆れるほど筆跡が似てくる。28歳に独房で記した文字は、恩師の筆跡にそっくりなのだ。おそらく口調なども似てきていたことだろう。木村さんの恩師である塩尻公明さんは1969年まで存命だった。探せば肉声はどこかに残っていることだろう。無理だろうなとわかっていながら木村さんの肉声が聞きたい。シンガポールで行われた裁判は録音されていたのだろうか。いま眼にすることができるのは裁判速記録だけだ。木村久夫さんたちが罪に問われた「カーニコバル島」での住民虐殺事件。その生き証人が見つかって数週間。会うことになったところで入院された。85歳。いまだ退院の時期は不明だが、会話は不自由しないというから、いましばらく待つしかない。木村さんが存命なら88歳。人生のそれからの60年が杜撰な裁判で暴力的に奪われてしまった。その不当を証言できる人はまだどこかにいるのだろうか。時間がない。気持ちが急いているところにテレサ・テンについての大きな仕事が入ってきた。2007年前半に、台北、香港、北京、チェンマイ、桂林、パリなどを歩かなくてはならなくなりそうだ。実現すればテレサにとって最高の舞台となるはずだ。生きていればいいこともある。木村久夫さんの人生を追っていると、実感としてそう思う。

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