アーノンクールの(声楽付きの)最後の来日公演がモーツァルトでもベートーヴェンでもなくハイドンであった事は幸福だったかも知れない(勿論モンテヴェルディでも、ヴェルディでも、シューマンでも、ドヴォルザークでも、シュミットでも歓迎しただろが)。
ロ短調ミサで聴かせた「いびつさ」はもはや天地創造にはない。ミサでは合唱団のしなやかさと反比例するかのような、ソリスト(特に男声は素人かと思う部分すらあったのだが)はおそらくは指示だったのだろう。作り込まれた演奏は陳腐で窮屈にも聴こえた。
ヘンデルが作曲することのなかった台本につけたオラトリオは演奏効果の現れにくい曲(特に第3部)という認識にはこの日の演奏でも変わることはない。ハイドンだけを聴いているという人生はおそらく幸せなのだろうと感じられた。
モーツァルトは行かないので、アーノンクールの来日公演とはこれで終止符。
健康に留意され演奏を続けてくれることを!
ついでに極東の端にも演奏の一端でに伺えるとうれしい。
しかし、2時間の演奏会を終え、おそらくそれと同じくらいの時間サインをしている80過ぎってどうなのよ。