荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

阪神甲子園駅周辺

2024年04月29日 | 散文

一夜明けました。昨夜は甲子園球場横のホテルに泊まりました。

甲子園正面入り口がメジャーリーグの球場みたいに綺麗です。39年前の面影は全くありません。あの、有名だった外壁にへばりついていた蔦が見当たりません。あれは、甲子園改修に伴って、全国の高校に苗の育成を依頼したと記憶しています。無いのだろうか?無いのだったら、それは、綺麗になった甲子園でも寂しいです。今回、甲子園球場を一廻りしていません。行っていない、正門から左翼外野に至る、外壁の何処かにあったら嬉しいです。

阪神甲子園駅に向かいます。チームショップが在りました。あ!ここもお洒落です。

振り返ります。

高速道路の下に甲子園球場が見える風景は39年前と変わりませんが、阪神・淡路大震災を受けて、街と一緒にこの周辺もずいぶん変わりました。この右側は土手でした。松林が有って、沢山の屋台が出てました。甲子園球場周辺は、綺麗なボールパークに変わっていました。

土手と松林が在った場所には、タイガースローソン建っていました。

改札口のすぐ傍です。

叔母の家に行きます。昨年亡くなった義叔父の仏壇にお参りします。39年ぶりに従兄弟に会います。飲んで語ります。

改札の向こうに、「岡田語」のCMが流れていました。

全種撮りました。関西らしい演出です。

甲子園球場を振り返ります。また来ることがあるだろうか?

ホームに上がりました。

高校野球甲子園大会を題材にした沢山の漫画のヒーローたちです。甲子園球場は、今年誕生100年になる聖地です。

阪神電車も綺麗になっていました。

今夜は叔母の家に泊まります。4回の「いつの間にか骨折」で背中が丸まって小さくなった叔母が、亡母とそっくりになりました。そんな体で、今回は驚愕の頑張りでした。

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阪神甲子園球場で試合観戦

2024年04月29日 | 散文

84歳の老人を伴っての観戦です。混雑を避けて早めに入場します。

甲子園球場のスタッフに、親切丁寧にエレベーターにまで案内してもらって、エレベーターを降りたら別のスタッフに席まで案内してもらいました。その後で、入場時に叔母の補助で持てなかったグッズを届けてくれました。スタッフの数が多く、ホスピタリティが整っています。

ここに来るまでも、席の周辺を見回しても、甲子園球場に居る最高齢者は叔母です。それどころか、杖を持った人は居ません。ゆっくりゆっくり杖兼買い物カートと足を運んで、アルプス席の階段を上がります。叔母は2005年の優勝の瞬間を、ここ甲子園球場で見ています。「死ぬまでにもう1回観たい阪神タイガースの試合」です。

綺麗な球場です。席もゆったりしています。ベンチシートでも脇に荷物が置ける広さです。前後の椅子の間隔も広く、通路が広いので、老人の負担も少いです。さて、正面レフト側の外野席の上部、画面中央のちょっと黒く見える部分だけが中日ドラゴンズのファンです。後は、360度(三塁側ベンチ上の内野席も含めて)全部阪神ファンです。他球団が、「甲子園は特別」と言うのが理解できます。

今年ここまで点が取れなかったタイガースが、森下のホームランを初め、嘘のように打ちます。

青柳は打たれても0点で凌ぎます。

悩める「春の大山」が、今年の初ホームランをバックスクリーンに打ち込みます。

今年初の楽勝です。叔母は大喜びです。

私と叔母は誕生日が一緒です。長女だった母と末っ子の叔母は14歳違いです。貧乏農家の子沢山です。叔母は母に育てられました。

そんなこんなで、叔母は母の子供である私達を気にかけてくれました。  正面の「わかさ生活」と「ZETT」の看板下の最上段席、あの僅かなスペースだけが中日ファンの席です。

客が少なくなるまで、ヒーローインタビューも見て、「六甲おろし」も歌って、危険が少なくなるまで待ちます。その後、再度スタッフのお世話になりました。

ホテルに帰って部屋で話します。10年数年前の、母の葬儀以来の対面です。深夜まで話します。

コメント (4)
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