荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

冬薔薇と都電

2018年01月10日 | 散文
例によって、大塚と向原の坂道です。
まだこんなに薔薇が咲き残っているとは思いませんでした。


名残の薔薇と都電ですが、薔薇は余り綺麗な状態ではないです。
綺麗な所を選んで、習慣的に撮る、みたいな感じです。


フランスの薔薇と都電です。




今年もこの電車の走る風景を追いかけます。

よろしくお願いします。
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こんにゃく閻魔訪問

2018年01月10日 | 散文
季節外れの春の陽気に誘われて自転車で走っていました。
最敬礼する小父さんに誘われて、十数年振りのこんにゃく閻魔訪問です。
基本、信心深くありません。


まだお正月の雰囲気です。


鐘楼にも紅白の布が巻かれています。


こんな風に新年を迎えるのですね。


境内には、こんにゃく閻魔堂だけでなく、毘沙門天も祀っています。
これも、各地で盛んな「七福神巡り」の一つになっているのでしょうね。


隣には塩地蔵堂もあります。


こんなものもあったのですね。2度めの訪問ですが、じっくり見るのは初めてです。
凄い塩の量です。


やっとこんにゃく閻魔堂です。
賽銭箱の脇の写真は、奥に鎮座している本尊、閻魔大王の写真だと思います。


沢山のこんにゃくがお供えされています。


閻魔堂から振り返れば、本郷台地に真っ直ぐ繋がる坂道です。

こんな所にこんにゃく閻魔は鎮座しています。
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東京大学は寒いです。

2018年01月09日 | 散文
銀杏の絨毯が嘘のように、灰色です。


柔らかな日差しがあるけど、寒いです。




ちょっと秋の風情を残します。






工学部前の銀杏です。


逆光から眺めます。


冬の光が影を引きます。


殆ど人通りが無く寒々しいです。






街灯が孤独感を増します。




赤門を見ます。


この周辺だけ異常に明るいです。


本郷通りもほら、寒いです。

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キャンパスは冬景色/こちら農学部

2018年01月09日 | 散文
黄葉を映していた硝子が冬色です。


キャンパスはすっかり冬景色です。






ハチと上野博士に冬の木漏れ日です。


そして、正門の扉が、冬景色です。








門の外も冬景色です。
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2018年漕ぎ初め

2018年01月08日 | 散文
神社でお祓いを受けた後、艇庫にやって来ました。
今年の漕ぎ初めです。
この駅は、テムズ川に架かる駅に倣って、全面ガラス張りのホームに改装中ですが一向に景色が変わりません。
同じ工事中写真を撮り続けています。


漕ぎ納め同様、約2km先のふれあい橋が目的地ですが、皆橋まで行きません。
練習熱心ではありません。


来月初めに、旧中川、北十間川、横十間川、小名木川を回る約10kmのカヌーマラソン大会が開催されます。
帰りに行き違った隣のクラブは、今日も大会コースでタイムを取って練習しています。

我がクラブはまだコースをノンストップで漕ぎ終えていません。
練習の機会はあと3回しかありませんが、この後、新年会です。
ダメだねこりゃ。
この緩いクラブ活動が私に合っています。
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相撲部屋の正月風景/2018年ー6

2018年01月08日 | 散文
深川にやって来ました。

「大嶽部屋」
「大鵬道場」の看板を掲げる玄関前です。
昨年、この部屋で嬉しい事がありました。
大鵬の孫、貴闘力の3男がこの部屋に入門したのです。


この建物は元大横綱大鵬が建てたものです。

移動する時に勝手口が開いて、故大鵬に体格と体型と顔がそっくりな女性が出て来てました。
なるほど。

移動先は道路案内板です。


この裏の店が元貴闘力の営む焼肉屋です。

彼は野球賭博で相撲協会を解雇され社会から弾圧されました。
当然です。
その彼が、東日本大震災の時、いち早くトラックに食料を満載して被災地に向かい炊き出しを行った事を、殆ど報道しませんでした。

人を評価する時には、偏った視点だけでなく総合的な見地で判断しなければなりません。
そして、得た罪に対する公的制裁を受け罪を償った人に対して、いつまでも後ろ指を指したり陰口をたたいてはいけません。

この度の相撲界の傷害事件に接して、人が人を評価する難しさを思います。

店頭には深川祭の神輿連合渡御の順番表が掲示されています。

報道によると、富岡八幡宮初詣の人出が前年比8割減、僅か3万人との事です。
3万人の参拝者と同様、当分参拝者が回復しないであろう氏神様に対する彼の誠実さを感じます。
この人は、人として優しいのだと思います。

近隣では深川七福神巡りの「布袋尊」を祀る深川稲荷神社が賑わっています。


そこには大横綱大鵬の名前が朱文字で残されています。

深川の人は待っています。
大嶽部屋に入門した彼の孫が出世して、「大鵬」の四股名を名乗ったりしたら、もう!


「錣山部屋」
すぐ近くに元関脇寺尾の部屋があります。
いつもの正月飾りの玄関前ですが、最近は大きな車が出入りして慌ただしです。


玄関先が狭いです。

彼は年末の傷害事件の後、時津風一門から脱退しました。


「時津風部屋」
両国に来ました。
寺尾に離脱された時津風部屋です。
いつも静かな玄関前ではありますが、今年は正月飾りがありません。
おそらく昨年2月に急死した、この部屋出身の間垣親方(元小結時天空)の喪中だと思います。


この部屋にもおめでたい事があります。
豊山が数年振りに幕内に復帰するのです。

豊山の活躍を期待しています。

以上、昨年話題になった相撲部屋の正月風景を訪ねました。
14日から1月場所が始まります。
栄枯盛衰は勝負稼業の常です。
負けたからといって腐らず、怪我をしないよう、良い相撲を期待しています。
長い間、本シリーズにお付き合いを頂きましてありがとうございました。

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相撲部屋の正月風景/2018年ー5

2018年01月07日 | 散文
ストーンとスカイツリーが見えます。


墨田区横川のタワービュー通りです。
綺麗な道路に整備されました。


「鳴戸部屋」
昨年ここに部屋を構えました。
この地で初めて迎える正月です。
それにしては建物が汚い・・・。
新年を迎えるに際して大掃除をする習慣を知らないのか?


親方は安藤カロヤンこと、元大関琴欧州です。
正月飾りも出ていないので喪中かも知れません。
それにしても、掃除しろよぉ。


部屋の正面にはスカイツリーが聳えています。

この部屋の弟子はまだ4人、三段目に1人と序二段に3人です。
序二段には「隅田川」という、純和風な四股名の力士も居ます。
苦しいとき、辛いときは、スカイツリーを見て頑張るんだよ。
小父さんコメントで締めます。


「友綱部屋」
昨年、元関脇旭天鵬が部屋を継承しました。
玄関前は町内会配布の正月飾りだけです。


看板が変わりました。


昨年迄の看板です。


看板が変わると、玄関の表情が変わりますね。


この部屋の屋根にもスカイツリーが聳えます。

ご推察のとおり、鳴戸部屋とすぐ近くです。
外国人親方同士が近くに部屋を持っているけど、小父さんは正月飾りが気に入らないなあ。

十間橋から新春のスカイツリーを見上げて、次の相撲部屋へ向かいます。
水面に渡る風は微風です。


この話、まだ続きます。
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相撲部屋の正月風景/2018年ー4

2018年01月07日 | 散文
「八角部屋」
いつもの、日本相撲協会理事長らしい玄関風景です。


どうも理事長として評判が良くないように聞こえてきます。

公益財団法人なんだから、見えない所でやっていると言われないように、理事長選挙の時には何をするのかマニフェストを発表してはどうでしょうか?

宮城野部屋の立行司式守伊之助がセクハラらしい・・・。
ここは理事長の手腕の発揮し処ですね。

「錦戸部屋」
既に何度もご案内のとおり、八角部屋の背中合わせにあります。


例年どおりの正月風景です。


おめでたい出来事がありました。
この部屋に初めて関取が誕生しました。


水戸龍が1月場所から、十両13枚目に昇進です。

春から縁起が良いです。

初稽古の後でしょう、真新しい白マワシが干されています。
ゴワゴワしていそうです。

おめでとう!
いつもより多めに撮りました。


「九重部屋」
立派な門松が復活しました。
去年は千代富士の喪中でお正月行事を行いませんでした。


名門部屋らしい正月風景の復活です。


「尾車部屋」
珍しく玄関前のシャッターが開いています。
立派な門松の正月風景です。


ご存知相撲協会副理事長の部屋です。
今回の傷害事件を機に、風通しが良い組織作りを期待しています。


最初と最後を正副理事長の部屋で纏めました。


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相撲部屋の正月風景/2018年ー3

2018年01月06日 | 散文
「田子ノ浦部屋」
おおぉ~!
これぞ地位を得た部屋の正月姿です。


去年の正月には門松がありませんでした。


やりました!
去年、横綱と大関を誕生日させました。


押しも押されもせぬ名門部屋になったのですが、稀勢の里が途中も含めて数場所連続休場しています。
また、大関高安も怪我をして、先場所カド番を脱出する8勝を挙げて即、休場しました。
栄枯盛衰は勝負事の常です。
マズイぞ。


いつものように商店街を廻ってみます。
ありましたありました。
応援の張り紙です。


でも、色褪せています。


まだ正月休み(訪問日は3日)なので、店の中は窺えませんが、張られているのは古い物がそのままです。


こう言うのって、商品まで古くイメージさせます。


この商店は横綱や大関になった時には手書きのポスターまで作ってセールを開催していましたが、今は「稀」の「高」も全くありません。

商売としては、こちらが正解です。


「宮城野部屋」
昨年と変わらない正月風景です。


40回、断トツ優勝の白鵬に非難が集まっています。
傷害事件の遠因を作った事及び、日馬富士が貴ノ岩を殴打するのをすぐに止めなかった事については、1月給与ゼロ及び2月給与半額との処分が決まっているので解決済みです。

処分が決まればいつまでもウダウダ言わないのがケジメだし、人物を見るときは過去にこだわる事無く多様な観点から評価すべきです。

土俵上で張り手・カチアゲを多用したり、ダメ押ししたりに批判が集まっています。
体力が弱って来た彼にすれば、相手に恐怖心を与えておいて、次の取り組みをも有利にしておこうとの思いがあると見ています。
でもそれはいけません。

横綱の理想像とは双葉山の「後の先」だと自らも言っていたように、横綱には横綱らしい取り口があります。
世間の批判の全てはそこに尽きると思います。

帰化しないで親方になりたい、との発言があるとか。
これは、上記の土俵上の姿勢に掛かっていると思います。

誰もが認める横綱であれば、白鵬が目標としていた双葉山や大鵬のようであれば、世論は、帰化しなくても親方にしたいとなると思います。
白鵬は、革命を起こせる位置に居ると思います。


「井筒部屋」
ここも例年どおりの素っ気無い正月風景です。

白鵬同様、鶴竜も日馬富士殴打事件の責任を取らされて、白鵬より一段軽い、1月給与ゼロの処分がありました。
やむなしです。気分を入れ替えて相撲を取るしかありません。

連続休場している鶴竜は、今場所引退が掛かっています。
鶴竜が居なくなると、鏡山親方のように親方が相撲協会の役員でもしていないと、部屋には三段目以下の3人しか居なくなって、部屋の維持が困難です。

以上3横綱の部屋の正月風景です。
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相撲部屋の正月風景/2018年ー2

2018年01月06日 | 散文
貴乃花部屋の後は、先ずこちらです。

「伊勢ヶ濱部屋」
相撲部屋の斜め前の角です。
マスコミ関係者らしき人が2人います。
1人は携帯電話でどこかと盛んにやり取りしています。


貴乃花親方が降格になったので、伊勢ヶ濱親方でも捕まえて、感想でも聴くのでしょうか?
人が嫌がる事をするのは大変な商売ですね。


いつもと変わらない正月風景ですが、玄関には張り紙が貼られたままです。


この部屋の昨年は散々でした。
日馬富士が横綱を引退しただけでなく、初優勝した時はすぐに横綱になれると思っていた照ノ富士が大関を陥落し、更に前頭十枚目まで落ちてしまいました。
怪我を完治させないで無理して出場した結果です。


日馬富士の引退は当然です。
もっと重い処分でもやむなしと思います。

年末、元(でいいのか?引退式までは名乗れるのか?)日馬富士に初めて出会いました。
この辺に日馬富士の自宅があるらしいよねと思いながら、図書館へ行こうと路地へハンドルを切った時、その向こうの角からも同じ路地へ歩み出た男と、お互いに突然の出現者に気付いて安全確認の為に目を合わせました。
マスクの上の目が日馬富士でした。
擦れ違って振り返って見たジーンズに厚手のセーター姿は、背が高く大柄な青年の背中でした。
角界では小さな体に負けん気を漲らせて突っ込む彼の相撲が好きだったのに・・・。

「鏡山部屋」
いつもと同じ正月風景です。
去年の正月に、車で出掛ける親方に出会いました。
相撲協会への初出勤の日だったのですね。

この部屋には力士が2人しかいません。
2人ともまだ幕下です。
早く関取を育てないと新弟子の獲得が益々難しくなるし、収入が増えないと部屋の経営が厳しいと思います。

協会の危機管理部長としては十分な機能をしていないように見えます。

貴乃花部屋への実績作りとしか思えない訪問が見るに堪えられませんでした。
彼の責任でなく、組織の拙さを露呈していました。
民間人をトップに置いたらどうでしょうか?



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深川江戸資料館の「手ぬぐい展」が好いです。

2018年01月05日 | 散文
正月の江戸を再現した資料館の普段は開いていない展示室に手ぬぐいが展示されていました。


和色鮮やかな手ぬぐいに惹かれて、「撮影可」の展示品を夢中で撮りました。


この辺りは伝統的な文様と絵柄です。




商品名が入ったのもあります。
宣材でしょうか?


この一角は風呂敷です。






風呂敷を使う事は無いけど、こんなのインテリアに欲しいなあ。


展示は現代的な手ぬぐいに移って行きます。




歌舞伎も浮世絵もあります。


こんなの持って、ふろ屋に行くのって、粋ですな。


一番上の、「チャーチル会」の命名と、その構成メンバーも粋です。
二番目の、首都高の図柄も好いです。

三番目も四番目もあれもこれも、みんなマルです。
この展示会気に入りました。
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江戸の正月風景/2018年

2018年01月05日 | 散文
昨年父を見送ったので喪中です。
正月行事をしない代わりに、バーチャル正月としました。

年末から4日間寝込んでいました。
洗顔歯磨きだけで、着替えもせず、食も3度3度食べないで伏せっていました。
鏡を見ると、そこに白熊五郎が居ました。
若い頃は熊五郎でした。
面積が広く耳脇から首中までビッシリの髭が、真っ白なのです。
サンタクロースにもなれるな・・・。

頭痛が直り、ダラダラの洟が乾いて息が通るようになったと思っていたら、冷風に吹かれて、紙マスクの中で洟がズルズルです。
咳もぶり返します。
それでもペダルを前向きに踏みます。

「深川江戸資料館」で江戸の正月を再現しています。
普段は殆ど居ないのに、非常に客が多いです。
この時期は「深川七福神巡り」のタイミングで、ここ資料館はその道筋でもあります。
外人さんの団体も入っています。ここのボランティアガイドは日本人にも良く分かる英語で説明してくれます。
江戸の街は正月です。
竹飾りがあります。


船宿の正月飾りです。
江戸時代の正月飾りは案外地味です。
幼松など切ったら、死罪でしょうか?


その相模屋脇の天麩羅の屋台から大道芸を見ます。


小唄の師匠於し津さんが住んでいる長屋も正月飾りです。


大道芸がクライマックスです。
「いつもより多く廻しています!」の物故者を思い出します。


獅子舞が「砂町囃し」にのって現れます。


子供に蜜柑を貰います。


獅子舞を後にして、長屋を巡ります。
木場の木引き職人松次郎の部屋です。


大鋸上の神棚にしめ縄です。
江戸っ子の嗜みとして、愉しみとして、正月を迎えたのでしょうね。
しばしの骨休みです。


ここ深川の氏神は、あの富岡八幡宮です。

「あぁ、参拝客は来たのだろうか・・・」などと、現実に帰ったりします。

長屋の路地からお稲荷さんが見えます。


共同井戸にも正月飾りです。


意外に思ったのですが、住人全員の「命の水」を司っているのだから、当然です。
現代よりはるかに、水を大事にしていた事が窺えます。


やがて照明が落ちていって、江戸の正月が暮れて行きます。

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相撲部屋の正月風景/2018年ー1

2018年01月04日 | 散文
横十間川では和船の「漕ぎ初め」が行われています。


今年も相撲部屋の正月風景を報告します。
先ずはここからでしょう。

「貴乃花部屋」
昨年と変わらない玄関の風景です。
もとから門松を出さない部屋です。
町内会配布の正月飾りだけです。


玄関前です。
今日の昼過ぎの光景です。


前の駐車場の奥にも居ます。
人が嫌がる事をしなければならない、大変な職業だと思います。

総勢でざっと40人位いるでしょうか。

午前中に貴乃花親方の理事解任が決定しました。
その処分に対する世論は貴乃花寄りに見えますが、私には判断できません。
貴乃花が何も言わないので判断のしようが無いのです。


貴乃花親方が今の相撲協会を気に入らないらしいのは噂として伝わって来ますが、相撲ファンに「何が悪くてどうしたい」と伝えるべきです。
今の黙殺行動は、相撲ファンをも黙殺していませんか?

今後理事に立候補すると思いますが、彼だけでなく全立候補者が、理事になって何をしたいのかマニフェストを発表すればどうでしょう?
「一門の派閥の代表として立つ」でもいいんです。
要は、そして派閥の代表として何をするかを表明するんです。
改革したいのなら、「何がどう悪くて、どう変えるか」を発表するんです。
昔のままに相撲界だけで決めれば良いのではなく、もう公益財団法人なのだから。
興行商売は、ファンを無視したら怖いですよ。

(玄関風景は昨日、報道陣は今日の撮影です。こんなに沢山の報道陣の前にしゃしゃり出て撮影する勇気はありません。)

予定以上にここで時間を喰いました。
次回に続きます。
次回以降は、やっぱり貴乃花部屋を中心として廻ると思います。
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好きな商店街ー21

2018年01月04日 | 散文
今日も在庫から。

「遊園地通り商興会」

入り口にちょっと変わった地蔵堂がありました。


何処をどう走ったか、名前からして「荒川遊園地」の近くだと思います。


入り口の2軒の奥が寂しいです。


住宅の向こうに店舗が見えます。


たこ焼き屋です。


下町らしい店です。


その先は完全な住宅街で、店舗がありません。


振り返ります。

この商店街は、3軒だけかい!


「えんま通り商店街」
文京区の「こんにゃく閻魔」の近くにあります。


この自転車屋でパンクを直して貰った事があります。

これだけ見ると繁盛商店街に見えるけど、

こんな商店街です。


商店街よ、頑張れ!












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「桜井の史跡と伝説」-22/法華寺(国分尼寺)

2018年01月03日 | 散文
生家の本棚にこんな冊子がありました。著者は未だに不明です。
この冊子に書かれた現場を訪ねています。


22.法華寺(国分尼寺)
法華寺は、天平時代に国分尼寺として創建され、律令期には繁栄しましたが、平安末期からは、動乱によって、次第に寺勢が衰えました。
寛永2年(1625)に現在の引地山に移転しました。
法華寺というのは法華滅罪寺の略した称号です。
創建当初は、現在の小学校校庭の西南隅にあったと言われ、そこには、多くの布目瓦と礎石が埋まっているということです。

法華寺は、真言律宗(真言宗西大寺派)で本尊は十一面観音像であります。(阿弥陀仏座像は、市指定有形文化財)


既存の報告書を参照願います。

久し振りに、小中学校(隣接している)の裏にあるお寺山に行ってみました。

生家の菩提寺でもあります。

この石段はここ十数年に出来たものです。

子供の頃にはありませんでした。

その頃はこちらに石段があったのですが、今は坂になっています。
一時期、こちらから踏切を渡って車を通す為に改造したものらしいです。

山上に新しい道路ができた今は、踏切に車が進入できないようにポールが立っています。

子供の頃、このお寺山に呼び出し、呼び出されて、時々喧嘩をしました。
この境内が少年の「決闘」の場でした。
当時は薄暗くて、誰も来なくて、学校から近くて、決闘に便利な場所でした。
「放課後お寺山に来い!」が決まり文句でした。

本堂が立て替えられて、庭も随分綺麗になっています。
何より、日差しが差し込んで随分明るい。

お寺山を下りて帰ろうとしたら、踏切の向こうにこんな看板がありました。
「伊予国分尼寺塔跡(県指定史跡)
奈良、天平時代に建てられた国分尼寺(法華寺)境内の東南隅にあたる。
因みに、創建当時の法華寺は今の桜井小・中学校を中心に広大な寺域を誇っていたが、江戸時代の初めに、現在地に移った。」

そこが既報ー20の場所です。
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