2011年の夏の話です。
文京区本郷に、明治38年に建てられた木造3階建てのアパートがありました。
多くの学生が暮らした建物で名前を「本郷館」といいます。
長い間街に風情を提供してきた本郷の顔役で、山の手ウォッチャーにも有名な建物です。何度も何度も取り壊しの話が起こり、何度も何度も反対運動が起こって、その都度話が沙汰止みになって108年間も生き延びてきました。
取り壊しの噂を耳にしながら、本郷に行く度に何度も何度も訪れて、坂の上下からその佇まいを味わってきました。
その本郷館がとうとう本当に取り壊される事に決まった、と新聞記事で知りました。
お別れに行かなければ・・・。
工事用のフェンスが張られ始めました。
これで見納めです。
私と同じように、お別れに訪れた人たちが居ました。
次の週、建物全体がシートに包まれていました。
言問通りから見た工事前の本郷館の裏側です。
いよいよ解体工事が始まりました。
私の横で、本郷館に住んだことのある人たちでしょうか、女性を含めた数人の集団が目を真っ赤に泣き腫らして「メリメリ!」と取り壊していくパワーショベルの動きを見ていました。
彼らの気持ちが心に沁みました。
次の日も見に行きました。
解体が進み、玄関部分だけが残っていました。
ポッカリ開けた空が悲しい・・・。
翌週、本郷館が消失していました。
そして街の姿が変わりました。
次の日、跡地が整地されていました。
青い空と白い雲が眩しくて悲しい・・・。
その翌週、すっかり工事が終わり、フェンスが張り巡らされていました。
心の中が喪失感でいっぱいです。
隣のアパートの2階に上がって覗いてみました。
ブルーシート上に整然と並んだ土嚢の姿が悲しいです。
もう杉山先生のペン画で偲ぶだけです。
昔、本郷館という素敵な木造3階建てのアパートがありました・・・。
文京区本郷に、明治38年に建てられた木造3階建てのアパートがありました。
多くの学生が暮らした建物で名前を「本郷館」といいます。
長い間街に風情を提供してきた本郷の顔役で、山の手ウォッチャーにも有名な建物です。何度も何度も取り壊しの話が起こり、何度も何度も反対運動が起こって、その都度話が沙汰止みになって108年間も生き延びてきました。
取り壊しの噂を耳にしながら、本郷に行く度に何度も何度も訪れて、坂の上下からその佇まいを味わってきました。
その本郷館がとうとう本当に取り壊される事に決まった、と新聞記事で知りました。
お別れに行かなければ・・・。
工事用のフェンスが張られ始めました。
これで見納めです。
私と同じように、お別れに訪れた人たちが居ました。
次の週、建物全体がシートに包まれていました。
言問通りから見た工事前の本郷館の裏側です。
いよいよ解体工事が始まりました。
私の横で、本郷館に住んだことのある人たちでしょうか、女性を含めた数人の集団が目を真っ赤に泣き腫らして「メリメリ!」と取り壊していくパワーショベルの動きを見ていました。
彼らの気持ちが心に沁みました。
次の日も見に行きました。
解体が進み、玄関部分だけが残っていました。
ポッカリ開けた空が悲しい・・・。
翌週、本郷館が消失していました。
そして街の姿が変わりました。
次の日、跡地が整地されていました。
青い空と白い雲が眩しくて悲しい・・・。
その翌週、すっかり工事が終わり、フェンスが張り巡らされていました。
心の中が喪失感でいっぱいです。
隣のアパートの2階に上がって覗いてみました。
ブルーシート上に整然と並んだ土嚢の姿が悲しいです。
もう杉山先生のペン画で偲ぶだけです。
昔、本郷館という素敵な木造3階建てのアパートがありました・・・。
加藤登紀子さんも保存運動していました。
最後は、所有者の生活をどうするのか?所有者がどうしたいのか?になると思います。
結局、所有者がしたのか、売却した先がしたのか、学生向けアパート「本郷館」に建て替えています。