荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

「稲荷通り」に「竹の湯」の在る風景

2024年08月24日 | 散文

下町の賑わい商店街の2本北の通りに「竹の湯」が在ります。

銭湯はおめでたい名前を付けます。「松竹梅」なんて代表的な屋号です。シャッターアートが好いです。

下町の賑わい商店街「砂町銀座」には、数年前まで「桜湯」って銭湯が在りました。銭湯受難の時代ですが、桜より竹の方が老舗です(たぶん)。順番は「松、竹、梅、桜、桂、桐」だと思います。私の小学校は組の名称が松竹梅でした。後進が先に廃業したのは、界隈の住宅に内湯を持った家が増えたということです。この界隈はまだ銭湯の利用があるということです。

砂町銀座とここ竹の湯のある商店街の間に1本の路地が在ります。名前を「上野通り」と言います。あの、吉良上野介の下屋敷の堀を埋め立てて造った路地です。竹の湯は、吉良上野介屋敷の敷地跡に立っている訳です。

ウオールアートが目立ちます。この路地を左に行くと、上野通りはすぐそこです。

竹の湯の所属する商店街です。半分くらい民家になりました。すぐ近くの砂町銀座に客を取られてしまいました。「バカ値市」とか「七夕祭り」とかのイベントをやらなかったせいです。

商店街の東側です。左奥に木々が見えます。

小学校の手前に神社が在ります。この通りを「稲荷通り」と言います。

「治兵衛稲荷神社」です。社は小さいですが境内は広いです。昔は盆踊りの輪ができて賑わったと思います。

下町では時々出遭います。界隈を干拓した人の名前を付けた神社です。住民にとっては、ここに定着して子孫が繁栄した神様の「治氏衛さん」です。

銭湯は人が集まる場所でした。町の中心でした。そんな名残りが玉垣に残ります。

神社から竹の湯方面の「稲荷通り商店街」を眺めます。

各地の商店街では廃業する商店が後を断ちません。稲荷通り商店街が無くなって、神社行事が無くなって、上野通りも無くなって、砂町銀座も無くなって、味気ない民家だけの、ただの下町の路地になってしまうんだろうか?我々世代は、その栄枯盛衰の過程を見ているんだろうか?


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