下町にこんな説明板が有ります。
読みながら話を進めます。 「かつてこの場所には、路面電車が走るための『竪川専用橋』が水神森〜大島間の開通に合わせ、大正十年一月より架設されていた。 当初の運営は大正二年十月に設立された城東電気軌道(株)で、昭和十七年の大空襲により甚大な被害を受けた。しかし復興に努め、昭和二十四年には区内全域が開通した。」説明板の裏にあるモニュメントです。2系統がここを走っていたようです。
「『チンチン電車』と呼ばれて親しまれ、便利だった都電も昭和三十年代の高度成長政策の頃から、自動車交通の急激な発達により道路が渋滞し、輸送力低下による赤字決算の連続となった。その結果、昭和四十七年、区内全線が廃止された。」
「そして、昭和五十年、この橋は歩行者専用橋として改修され『竪川人道橋』と呼ばれるようになり、同五十四年、橋の南北の軌道敷は緑道公園に生まれ変わった。」首都高小松川線の高架下です。
高架下は、埋め立てられた元「竪川」です。
「以来、この橋は平成7年の景観整備工事にて都電をモチーフとして修景され、地域の歴史を伝えるモニュメンタルな橋として地域に親しまれてきたが、老朽化が進んできたこともあり、竪川河川敷公園の大規模改修に合わせ一体整備されることとなり、平成23年には撤去され、現在の姿となっている。」
そこにあるのは、当時の(埋め立てられる前の)竪川を横断する都電の姿です。
「なお、モニュメントのレールの一部は『25系統』の亀戸九丁目で使われていたものを再使用しており、車両は当時の写真等を参考にオブジェとしてデザインされたものである。」
現在都電の線路は緑道公園となって、住民に愛されています。
その隣は、「城東高校」です。都立ながら2回甲子園に出場した野球部があります。地元民が応援している「下町の星」です。
この後、散策が続きます。