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荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

初夏の薬研堀不動院

2022年05月14日 | 散文

薬研堀の交差点です。東日本橋なのに、静かな路地です。こんな日もあるんですね。薬研堀不動院の参道です。

 

おぉ〜艶やかです。

 

川崎大師東京別院だったのですね。知りませんでした。

 

 

ビルの谷間の寺院です。

東日本橋散策中です。

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「鶴屋三絃店」に惹かれたら、

2022年05月14日 | 散文

この看板に惹かれました。東日本橋の路地です。三絃って、三味線の事ですよね。流石は日本橋です。日本の文化が残っているんですね。行ってみようと思いました。

 

小さな神社に出遭いました。三絃と似合いそうです。

 

 

綺麗にお世話されています。お参りします。

 

 

縁起を読みます。「今日隆接する日本橋一丁目あたりが谷野と呼ばれていた頃、正保二年(1645)幕府が米蔵を建て谷野蔵矢之倉と称されていました  その庭中に御蔵の鎮神として三社を合殿した  三社稲荷神社をまつりました  三社は中央に『谷野蔵稲荷』左に『福富稲荷』右には『新左衛門稲荷』からなりたっておりましたが、五十年経て元禄十一年(1698)に御蔵を鉄砲洲に移転すると共に三社稲荷を一緒に移転されました 御蔵の後地に居住する人達がその名を惜しんで  そこに三社稲荷を残し今も尚東日本橋一丁目に『矢の倉三社稲荷』として祭られております

後年明治六年(1873)に『新左衛門稲荷』が昭和七年(1932)には『福富稲荷』が当町にある『初音森神社』に遷座合祀されたと伝えられ残る『谷野蔵稲荷』は幾多の変遷場所を変え現存地に社を構えるに至りました  その名称に使われている文字もいつの頃から『矢の倉稲荷』と特に『倉』の文字を強調した呼称に改められましたた祭神は『三社稲荷神社』と同様『宇賀魂命』と考えられ御神躰は勿論現存しないわけですが翁の形で手に鎌と稲穂を持つと伝えられております    昭和五十三年  二月    矢の倉稲荷世話人」・・・良く分からん。

 

鶴屋三絃店はここのようです。

 

老舗の風情です。

 

鶴屋三絃店が在る東日本橋の路地です。

 

ふと見ると、「金鳥」の看板が有りました。

 

このビルが「大日本除虫菊株式会社」の東京支店のようです。ビルの左に「矢の倉稲荷神社」が見えます。何となく、主力製品に似あう立地だと思いました。

こんな散策でしたが、神社に有った「縁起」の文章が下手だと思います。

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