月日、本格的な秋の始まりである。
今日は第土曜日だからボラの相談会がある日だが、当区ガイドの会の例会&勉強会とラップしたために予めボラの方には出席出来ない旨を会長にメールでことわりをしておいた。
どうしてこういうことになったかというと本来、当区ガイドの会は今年度から毎月の例会&勉強会を第土曜日にするようになってボラの第土曜日に行なわれる相談会とはダブらないようにしていた。
しかし、たまたま月の第土曜日を含む~日に当区主催のイベントが行なわれることになったのである。
そのイベントの一環として当区ガイドの会がそのヶ日の各々の日に合計コースのツアーを行なうことになったために第土曜日の日には例会&勉強会が出来なくなった。
そこで月例会が今日、第土曜日に変更になったためにボラは不参加することになり、当区ガイドの会の方に参加することになったのである。
昨年度までは例会だけを時から正午までの時間行ない、時折勉強会が例会の終了後に開催されていたが、多くの会員の要望で毎月の例会の後に勉強会を行なうようにしたのである。
例会の時間が少なくなってはいけないということで時分から時分まで延長することになった。
ということで自宅を今まで以上に早く出かけなければならなくなった。
今日の例会は月を迎え、もっぱら秋のガイド本番を迎えることになったということなので区役所の担当者も入っての打ち合わせとなる。
その後、外部の講師を迎えての勉強会ということになったが、今までは内部講師ということで同じ会のベテランが講師になって講義をしていたが、今月は当区にある今年創祠年を迎えた一宮の若手権禰宜から講義を受けることになった。
国の重文に指定されたその神社に伝わる書物に記載されている内容を確認し、明治の初年まで摂社であったつの神社についての話が中心だったが改めて認識した次第である。
講義の後も細かい打ち合わせについて会議が続行される予定であったが、私は午後時から市内の北部にある城に移動することになるので早退させてもらった。
というのはこの城が市民の献金により年前の昭和の初め頃(戦前)に天守閣が再建されたのを記念して創建当時石垣を造る巨石が各地から運ばれて来た訳だが、それを再現しようということで記念イベントで行なう「石曳き」に参加してほしいと他区ガイドの会の会長から頼まれていたのである。
当区ガイドの会の例会場を出て先ず近くにあるスーパーで弁当と他の食品を若干買って急いで自宅に戻り食事を終えてすぐ近くのJR駅から城近くの駅まで電車に乗りイベント会場へと急ぐ。
このイベントは午前中は城の石垣で小学生相手に拓本取りが行なわれ、午後からは堀の外に場所を移して行なわれていたが私が到着した時は石切り場に伝わる踊りが行なわれている最中であった。
急いで歩いて来たが何とか間に合ったようで、その踊りが終わった後に「石曳き」になった。
この城が出来た頃はモチロン機械などがある訳がないから修羅に巨石を載せて多くの人間がコロを順番に敷きながら移動させていく訳だが、往時と同じように再現させる一員となり本日実際に曳いてきた訳である。
それだけのことだが、その後、城の石垣や石切り場などに関してのパネルディスカッションが行なわれ、参考になる話が聴けたことが今日の収穫である。
今日は第土曜日だからボラの相談会がある日だが、当区ガイドの会の例会&勉強会とラップしたために予めボラの方には出席出来ない旨を会長にメールでことわりをしておいた。
どうしてこういうことになったかというと本来、当区ガイドの会は今年度から毎月の例会&勉強会を第土曜日にするようになってボラの第土曜日に行なわれる相談会とはダブらないようにしていた。
しかし、たまたま月の第土曜日を含む~日に当区主催のイベントが行なわれることになったのである。
そのイベントの一環として当区ガイドの会がそのヶ日の各々の日に合計コースのツアーを行なうことになったために第土曜日の日には例会&勉強会が出来なくなった。
そこで月例会が今日、第土曜日に変更になったためにボラは不参加することになり、当区ガイドの会の方に参加することになったのである。
昨年度までは例会だけを時から正午までの時間行ない、時折勉強会が例会の終了後に開催されていたが、多くの会員の要望で毎月の例会の後に勉強会を行なうようにしたのである。
例会の時間が少なくなってはいけないということで時分から時分まで延長することになった。
ということで自宅を今まで以上に早く出かけなければならなくなった。
今日の例会は月を迎え、もっぱら秋のガイド本番を迎えることになったということなので区役所の担当者も入っての打ち合わせとなる。
その後、外部の講師を迎えての勉強会ということになったが、今までは内部講師ということで同じ会のベテランが講師になって講義をしていたが、今月は当区にある今年創祠年を迎えた一宮の若手権禰宜から講義を受けることになった。
国の重文に指定されたその神社に伝わる書物に記載されている内容を確認し、明治の初年まで摂社であったつの神社についての話が中心だったが改めて認識した次第である。
講義の後も細かい打ち合わせについて会議が続行される予定であったが、私は午後時から市内の北部にある城に移動することになるので早退させてもらった。
というのはこの城が市民の献金により年前の昭和の初め頃(戦前)に天守閣が再建されたのを記念して創建当時石垣を造る巨石が各地から運ばれて来た訳だが、それを再現しようということで記念イベントで行なう「石曳き」に参加してほしいと他区ガイドの会の会長から頼まれていたのである。
当区ガイドの会の例会場を出て先ず近くにあるスーパーで弁当と他の食品を若干買って急いで自宅に戻り食事を終えてすぐ近くのJR駅から城近くの駅まで電車に乗りイベント会場へと急ぐ。
このイベントは午前中は城の石垣で小学生相手に拓本取りが行なわれ、午後からは堀の外に場所を移して行なわれていたが私が到着した時は石切り場に伝わる踊りが行なわれている最中であった。
急いで歩いて来たが何とか間に合ったようで、その踊りが終わった後に「石曳き」になった。
この城が出来た頃はモチロン機械などがある訳がないから修羅に巨石を載せて多くの人間がコロを順番に敷きながら移動させていく訳だが、往時と同じように再現させる一員となり本日実際に曳いてきた訳である。
それだけのことだが、その後、城の石垣や石切り場などに関してのパネルディスカッションが行なわれ、参考になる話が聴けたことが今日の収穫である。
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