昨日までの雨もすっかり止んで今日は晴れ渡った秋空になったものの気温はグッと下がって冬の気配を感じさせている。
今日は朝9時30分に北隣区の更に北にある区の南端にあるターミナル駅近くのよく知られた公園に4区合同で企画された古道を歩くツアーの2回目(南コース)の下見歩きの日である。
本番は来月早々の第一日曜に行われるのですぐに本番であるが、南コースは当区ガイドの会のエリアなのでガイドし慣れた場所なので別に参加せずともいいようなものではあるが、これも当会だけで行なっている訳じゃないので合同で動くことになる。
ということで古道連協のスタッフは前回(第一回目:北コース)と今回の2つのコースを通しで案内するが班の数は前回と同じ8班体制である。
つまり古道連協は北コースと同様に南コースも2つの班を担当するので別段問題はないが、北コースの時は北隣区のそのまた北隣区のガイドの会が中心で4つの班を担当したが今度の南コースは当区ガイドの会がそれに代わって4つの班を担当するので北隣区のそのまた北隣区は2つの班の担当と言う風に交代することになる。
集合場所までは地下鉄でそんなに時間がかからないので9時15分ほど前に自宅を出て現地には集合時刻より25分程前に到着したが未だスタッフは見かけなかったが近くにあるバスの降車場にあるベンチシートの空いた席に座って持参した缶コ-ヒーを飲んでいたら昨日一緒に回る筈だったIさんがやって来て開いた隣の席に座ろうとしたがその席には水が溜まっているので立ったまま昨日はご苦労様でしたなどと話をすることになった。
しばらく話した後、当区ガイドの会ののスタッフの顔が見えたのでIさんはそちらの方に行ったが、その時の話を聴いていた横に座っていた男性が「今日の古道歩きする人ですか?」と訊くので「そうです、下見ですけどね」と答えると、「私も参加します」と言う。
その後すぐに、当区ガイドの会のメンバーであるMさんがやって来て私と話し出したので席を譲ろうと思ったのか別のスタッフらしき人が見えたかで立ち上がって行ってしまったので、Mさんがその席に座り2人で世間話をしたが、今座っていた人は多分4区の中のどこかの区役所の人じゃないかと話し合う。
集合時刻5分前になったので集まっている場所に行くとガイドの会毎に集まってそれぞれ自己紹介をし、区役所のスタッフも自己紹介したが矢張り先程の隣に座っていた男性は当区の北隣区の区役所の3人のうちの一人だった。
定刻になったので集合場所から一斉に歩きだしたが、いきなり先頭の方が地下に潜る階段を下りて行ったので全体をまとめる女性が大声を出して地上の横断歩道を渡るんだと言ったが聴こえたのか聴こえなかったのかそのままずんずん地下の方へ下りて行った。
後ろの方にいた私達は横断歩道の信号を待って青になって亘って行ったが、地下の方に潜って行ったグループは地上に上って来て待機していたが、追いついて地上なのか地下なのかと口論が始まった。
が結局地下に降りて行った先導車は2回下見歩きをした時に陸橋を渡ればという話も合ったが人が多過ぎて参加者が分からなくなるということだったし、地上の横断歩道を渡るには信号待ちで時間がかかり過ぎるとのことで地下を歩くと決めた筈だという。
一方、私やいっしょに歩いていた当区ガイドの会のIさんは地下を歩くと参加者が何処をどう歩いたか分からないから陸橋を歩くべきだとIさんが言ったが結局下見の時に決めた筈だと押し切られてしまった。
これは言い出したらきりがないのでどこかで決着を付けるべきだが、私が引っ張る班は陸橋を上がることにしたいと思う。
そうすれば歩いて来たルートが一望に見えるし、どの方向に歩いたか後から自分たちだけで歩く時でも目安になるし、何より上から見れば眺めもいい。
最初のルートは別として、その後のルートは一旦地下に潜ることになる。
というのもかなり以前は地上を歩き踏切を渡るようになっていたがその後、民鉄駅の改札口が地下に潜ったために踏切ではなくコースも地下に潜って立体交差にした訳である。
その道と言うのが今回の街道コースより東にとっているが、初日に川から上陸後最初に宿泊した寺院と出立する場合にその寺院の南門から出ることが多かったと言うことでこの東寄りの街道を歩く訳である。
この東寄りの道を歩いたのは、現在の区の名称とも重なる寺の名前から来ていて、寺の創建者が当時の左大臣でかなりの勢力があったことに由来する廃寺がその通りに沿ってあったことからもこの街道を通る意義があるからである。
廃寺跡は西に少し入ったところにある小さい神社の祠がある境内から塔心礎が出土したし、その北の方には金堂か若しくは講堂の基壇も発掘され、更に北の方の敷地には外部と遮断するためと思しき塀があった外の堀の跡から古代の瓦を始め室町時代までの色んな瓦などが出土している。
そこから更に東の方に戻って本来の街道筋にやって来た辺りにその区の区民センターがあり、先ほどの古代の廃寺から出土した瓦などががガラスケースに入って展示されている。
その横にあるガラスケースにはその区民センターの建物の東にある駐車場入り口や自転車置き場になっているが、弥生時代の漁具で網の周りにつける土垂やヤス、それに竪穴住居の柱穴や壺なども出土してこの台地一帯には古くから住みついていたことを示している。
区民センターの東出入り口から出て、南北の通りに路面電車が走っているが、その通りに沿ってずっと南下して行く。
しばらくはただ歩くだけで黙々と歩いて行き途中で路面電車のレールが道路と分かれる道に入ってしばらく行くと広い道と別れて東側に斜めに入って行く昔の街道の雰囲気を残す道に入る。
しばらく歩くと陰陽で有名な人物が生まれた場所とされる神社があり、その中に入り、その後はまた少し南に下ると王子社がある。
さらにドンドンとその古道をあるいて最後には当区に入り更に南に下ると有名な神社の東側に入る出入り口に通ずる四差路にやって来て、最後にその神社には行った所にある新宮社と呼ばれる王子社が祀ってある。
その小祠は南にあった廃寺の南側にあったとされているが、その寺の地は今は小学校になっている。
この小祠の辺りがゴールとなる。
このコースの下見にかかった時間は正味3時間だったが本番では説明を簡単に済まさないととても同じ時間で終わるとは思えないから、そのことを考慮に入れたガイドのタイムを守る必要がある。
今日は朝9時30分に北隣区の更に北にある区の南端にあるターミナル駅近くのよく知られた公園に4区合同で企画された古道を歩くツアーの2回目(南コース)の下見歩きの日である。
本番は来月早々の第一日曜に行われるのですぐに本番であるが、南コースは当区ガイドの会のエリアなのでガイドし慣れた場所なので別に参加せずともいいようなものではあるが、これも当会だけで行なっている訳じゃないので合同で動くことになる。
ということで古道連協のスタッフは前回(第一回目:北コース)と今回の2つのコースを通しで案内するが班の数は前回と同じ8班体制である。
つまり古道連協は北コースと同様に南コースも2つの班を担当するので別段問題はないが、北コースの時は北隣区のそのまた北隣区のガイドの会が中心で4つの班を担当したが今度の南コースは当区ガイドの会がそれに代わって4つの班を担当するので北隣区のそのまた北隣区は2つの班の担当と言う風に交代することになる。
集合場所までは地下鉄でそんなに時間がかからないので9時15分ほど前に自宅を出て現地には集合時刻より25分程前に到着したが未だスタッフは見かけなかったが近くにあるバスの降車場にあるベンチシートの空いた席に座って持参した缶コ-ヒーを飲んでいたら昨日一緒に回る筈だったIさんがやって来て開いた隣の席に座ろうとしたがその席には水が溜まっているので立ったまま昨日はご苦労様でしたなどと話をすることになった。
しばらく話した後、当区ガイドの会ののスタッフの顔が見えたのでIさんはそちらの方に行ったが、その時の話を聴いていた横に座っていた男性が「今日の古道歩きする人ですか?」と訊くので「そうです、下見ですけどね」と答えると、「私も参加します」と言う。
その後すぐに、当区ガイドの会のメンバーであるMさんがやって来て私と話し出したので席を譲ろうと思ったのか別のスタッフらしき人が見えたかで立ち上がって行ってしまったので、Mさんがその席に座り2人で世間話をしたが、今座っていた人は多分4区の中のどこかの区役所の人じゃないかと話し合う。
集合時刻5分前になったので集まっている場所に行くとガイドの会毎に集まってそれぞれ自己紹介をし、区役所のスタッフも自己紹介したが矢張り先程の隣に座っていた男性は当区の北隣区の区役所の3人のうちの一人だった。
定刻になったので集合場所から一斉に歩きだしたが、いきなり先頭の方が地下に潜る階段を下りて行ったので全体をまとめる女性が大声を出して地上の横断歩道を渡るんだと言ったが聴こえたのか聴こえなかったのかそのままずんずん地下の方へ下りて行った。
後ろの方にいた私達は横断歩道の信号を待って青になって亘って行ったが、地下の方に潜って行ったグループは地上に上って来て待機していたが、追いついて地上なのか地下なのかと口論が始まった。
が結局地下に降りて行った先導車は2回下見歩きをした時に陸橋を渡ればという話も合ったが人が多過ぎて参加者が分からなくなるということだったし、地上の横断歩道を渡るには信号待ちで時間がかかり過ぎるとのことで地下を歩くと決めた筈だという。
一方、私やいっしょに歩いていた当区ガイドの会のIさんは地下を歩くと参加者が何処をどう歩いたか分からないから陸橋を歩くべきだとIさんが言ったが結局下見の時に決めた筈だと押し切られてしまった。
これは言い出したらきりがないのでどこかで決着を付けるべきだが、私が引っ張る班は陸橋を上がることにしたいと思う。
そうすれば歩いて来たルートが一望に見えるし、どの方向に歩いたか後から自分たちだけで歩く時でも目安になるし、何より上から見れば眺めもいい。
最初のルートは別として、その後のルートは一旦地下に潜ることになる。
というのもかなり以前は地上を歩き踏切を渡るようになっていたがその後、民鉄駅の改札口が地下に潜ったために踏切ではなくコースも地下に潜って立体交差にした訳である。
その道と言うのが今回の街道コースより東にとっているが、初日に川から上陸後最初に宿泊した寺院と出立する場合にその寺院の南門から出ることが多かったと言うことでこの東寄りの街道を歩く訳である。
この東寄りの道を歩いたのは、現在の区の名称とも重なる寺の名前から来ていて、寺の創建者が当時の左大臣でかなりの勢力があったことに由来する廃寺がその通りに沿ってあったことからもこの街道を通る意義があるからである。
廃寺跡は西に少し入ったところにある小さい神社の祠がある境内から塔心礎が出土したし、その北の方には金堂か若しくは講堂の基壇も発掘され、更に北の方の敷地には外部と遮断するためと思しき塀があった外の堀の跡から古代の瓦を始め室町時代までの色んな瓦などが出土している。
そこから更に東の方に戻って本来の街道筋にやって来た辺りにその区の区民センターがあり、先ほどの古代の廃寺から出土した瓦などががガラスケースに入って展示されている。
その横にあるガラスケースにはその区民センターの建物の東にある駐車場入り口や自転車置き場になっているが、弥生時代の漁具で網の周りにつける土垂やヤス、それに竪穴住居の柱穴や壺なども出土してこの台地一帯には古くから住みついていたことを示している。
区民センターの東出入り口から出て、南北の通りに路面電車が走っているが、その通りに沿ってずっと南下して行く。
しばらくはただ歩くだけで黙々と歩いて行き途中で路面電車のレールが道路と分かれる道に入ってしばらく行くと広い道と別れて東側に斜めに入って行く昔の街道の雰囲気を残す道に入る。
しばらく歩くと陰陽で有名な人物が生まれた場所とされる神社があり、その中に入り、その後はまた少し南に下ると王子社がある。
さらにドンドンとその古道をあるいて最後には当区に入り更に南に下ると有名な神社の東側に入る出入り口に通ずる四差路にやって来て、最後にその神社には行った所にある新宮社と呼ばれる王子社が祀ってある。
その小祠は南にあった廃寺の南側にあったとされているが、その寺の地は今は小学校になっている。
この小祠の辺りがゴールとなる。
このコースの下見にかかった時間は正味3時間だったが本番では説明を簡単に済まさないととても同じ時間で終わるとは思えないから、そのことを考慮に入れたガイドのタイムを守る必要がある。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます