京都楽蜂庵日記

ミニ里山の観察記録

世界一清潔だった江戸のライフスタイル

2020年04月27日 | 環境と健康

 江戸時代の日本の人口はおおむね3000万人余りであった。当時の江戸は、約100万人が住む世界で最大の都市であった。鎖国によって、食料も物資も輸出入のない状態であった。それ故に、自然のエネルギーと有機資源に依存した閉鎖経済の社会を構築していた。節約と無駄を一切省いた持続性の循環系社会であった。

ここでは物のリサイクルが徹底的に行われて、幕府や各藩によって厳しい資源と自然の管理が行われた。江戸におけるゴミ処理も行政機関によって合理的に行われ、幕府指定のゴミ処理船が、月に3回町内のゴミを集めて水代島に捨てにいった。

人の排泄する「し尿」も値段の付く商品として、金銭や野菜と交換され近郊の農村に運ばれて下肥として利用された。し尿を窒素肥料とする見事な循環生態的な社会構造が当時の江戸にはあった。この時代、ロンドンでは市民の住宅には十分な便所がなく、窓から便器にためた糞尿を道に捨てていたといわれる。

当時の江戸は上水道も誇るべき世界で有数な都市であった。井の頭池を水源とした神田上水が日本における最初の水道事業として1590年に完成した。木管で67KMにわたる水道であった。時代がすすむと水道は拡張されて、人口の60%が直接利用できるようになった。「縦横に鮎の流れる江戸の町」という俳句がある。木管の水道に鮎が入り込んで泳いでいたというのだ。

    (江戸時代の上水道遺構)

上で述べたように、し尿は下肥として便所から直接くみ出していたので、下水は生活排水と雨水だけが流れ汚染度の少ないものであった。それ故、江戸を流れる川はいつも清浄なものであった。

この時代のパリは、ビクトル・ユーゴの「レ・ミゼラブル」に出てくる下水道が街に張り巡らされていたが、し尿も生活水も雨水も一体となってセーヌ川に流されていた。これがコレラなどの発生の原因となっていた。

 

江戸の人々は身体も清潔にするようにつとめていた。男女とも風呂好きで一日一回は公衆浴場(湯屋)に出かけた。お湯の温度はかなり熱目であったそうである。この公衆浴場が”生ワクチン”になって感染予防になっていた可能性がある。

衛生思想が発達していたせいか清潔好きだったせいか、理由はわからないが、ともかく江戸時代はあまり感染症が問題にならなかった。それ以前には天然痘などが流行ったことを考えると稀有な時代であった。

ただ幕末になってコレラが流行った。これはペリー艦隊の水兵が持ち込んだもので10万−30万もの江戸市民が犠牲になったと言われる。江戸時代における最悪のエピデミックであった。

グローバリズムとかインバウンドなどといって、目先の利益に飛びつくと、とんでもないオミヤゲをもらう事を歴史は教えてくれている。今度の新型コロナウィルス騒動も多分にその傾向がある。

 

 

参考図書

鈴木孝弘『環境科学』昭晃堂、 2006

 

追記(2020/04/28)

(内山純蔵『文化の多様性は必要か?:生物多様性ななぜ大切か?』(日高敏隆編)昭和堂, 2005 より引用転載)

我々は歴史は何事も進歩の連続だと思い込むくせがある。その根底には生産力の大きさを基準に価値を措定する「生産力思想」がある。「生産力の拡大」(下図の下線)と平行して文化の進歩が自ずとあると思っているが、これは間違いではないだろうか? 文化に人生の価値観も含めるとすると、果たして現代のほうが江戸時代より幸せといえるかどうか。

 

 

 

 

 

 

 

 


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