京都楽蜂庵日記

ミニ里山の観察記録

環境問題 III 火の利用と人類の進化

2024年06月05日 | 環境問題
   人間は生物的進化と個体的発生の帰結として今ここに存在している。それ故に、人間は生物的特性を持った現存在として規定さる。人間は神様が創りあそばしたと信ずるのは自由だが、ヒトは類人猿の一種で数百万年前にチンパンンジーとの共通祖先から分かれて進化してきた事が明らかにされている。そして個体は母親の卵子と父親の精子が受精し、発生・発育がすすんで形成される。ヒトは時間論的には二つの「時間の矢」の先端に位置している。いずれの過程にも環境が大いに関わっている。人間は環境の産物であるが、人口が増え過ぎてその活動が地球環境に影響し始めている。まさに原始地球におけるシアノバクテリアのごときものである。シアノバクテリアは、当時の嫌気性生物に毒である酸素を発生し、大気の雰囲気を変えてしまった。
 
ヒトと人の違いは「自然の中のヒト」と「社会の中の人」という風に表現できる。人がヒトから分離した時期を知ることはむつかしい。この二つは完全に分離する事はなくその割合を変えつつ、今でも人間の中で存在していたと考えられる。二分法で自然(ヒト)か社会(人)かを問題にされはじめたのは、つい最近のことである。産業革命以降に、この二つの深刻な乖離と相克が始まった。
 
   人類が進化した理由はいろいろ考えられる。二足歩行や道具の使用、言語の発達などである。他に大事な要因は火の使用ということがあげらえる。40万年前のドイツのヒトの遺跡からも火打石や炉の跡が見つかっているし、ネアンデルタール人も火を使っていたことは確かである。火は食糧加工、暖房、野生動物防御と野焼きなどに利用された。加熱処理で食べられる食物のレパトリーが広がり、かつ保存がきいた。火を利用して青銅器や鉄器がつくられ、それらが文明の礎になった。一方でそれは、環境破壊の原因ともなった。ユバアノア・ハラリは「たった一人の女性でも、火打ち石か火起こし棒があれば、わずか巣時間のうちに森をそっくり焼き払うことが可能だった。火の利用は、来るべきものの前兆だった」と述べている。時代がすすむと蒸気機関のエネルギーとなって産業革命をおこし、今では火力発電所で電気の源になっている。「人類の文明進化は火とともにあり」というわけである。
 
人類が火を使うことによって地表の様相は大きく変化した。地球環境変動の端緒は初期人類による野焼きであったが、それは現代にいたるまで継続されている。最も大きい影響を受けたのはオーストラリア大陸であった。乾燥した気候のせいで火が簡単に広がった。サバンナや温帯の森林でも乾燥期には容易に火が放たれた。火はバクテリアよりも素早く有機物を分解し、栽培植物のために灰分を供給した。火に耐性の植物が人類の移動とともに地球に広まった。
 
 
火の利用で初期人類の生活に重要であったのは「炉端話」であったと思える。夜中に仲間と一緒に火を見つめ合いながら談話し、今日の出来事を振り返り明日の行動を確認しあった。仲間の結束がこれによって固まり、知識が伝承された。子供の教育にもなった。このような過程で言語の発達がうながされたかもしれない。この時代は火を怖がる子供は淘汰されたのではないか?時には周辺の他の家族や集団を招待し、炉端の周りに食べ物を並べたパーティーも開かれたに違いない。このようにして部落社会が生まれたものと思う。
 人間がまだ自然と共存していたヒトの時代の話である。いまでも寒い冬の日、道端でたき火をすると、いつのまにか人が周りに集まってくるのは、あのころの遺存形質が残っているからに違いない。
 
参考図書
ユヴアル・ノア・ハラリ 「サピエンス全史」河出書房新社 2017
ピーター・S・アンガー( 河合信和訳) 『人類は噛んで進化した』 原書房 2019
武内和彦他 『環境学序説』 岩波書店 2002
ウィリアム・H・マクニール、ジョン・R・マクニール 『世界史 I』桑工社、2015
ロバート・ボイド、ジョーン・シルク 『ヒトはどのように進化してきたか』松本晶子。小田亮訳 ミネルヴァ書房 2011
佐倉統 『現代思想としての環境問題』 中公新書1073 中央公論社 1992
  (この本の読後感想ー環境問題について生態学と進化生物学の視点から軽快なテンポで論議しているのでよく書けていると感心して読んでいたが、途中で「DNAメタネットワーク」などというわけの分からない話が提案されてガックリきてしまった。)
 
追記(2020/05/28)
ウイリアム・マクニールという歴史研究家の説によると、原始人は狩猟の前後に焚火を囲んで踊りをおどったそうだ。集団をなす人間が長時間にわたって拍子をそろえて一斉に手足の筋肉を動かしていると、非常に強力な社会的紐帯が生ずると言っている(W.マクニール 『戦争の歴史』(高橋均訳)刀水書房 2002年)(高島俊男 『ちょっとヘンだぞ四字熟語』(文春文庫)文藝春秋、2009)
 
追記(2022/03/13)
コーディー・キャッイーの「人類の歴史を作った17の発見」(河出書房)は読むに値する。火は火打ち石(黄鉄鉱)で起こしたとしている。食物の熱処理がどれほど生理的影響をあたえたかポイントになったいる。
 
追記(2024/06/05)
岡本 剛(「焚き火の脳科学ーヒトはなぜ焚き火にはまるか」(九州大学出版:2024)によると、脳科学的研究によってヒトは焚き火のそばにいると、脳波のアルファー波やシーター波が増えるそうである。これは脳活動の覚醒化を表していrのだそうだ。ただ上でのべたような文化人類史的な考察は無い。
 
 
 
 
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サバクトビバッタの大発生 : なんでも小さなクラスター段階で押さえる事が大切!

2020年04月26日 | 環境問題

アフリカ東部を中心にサバクトビバッタ(Schistocerca gregaria)が大量に発生し猛威を振るっている。熱帯収束帯と呼ばれるゾーンにはバッタの大群が発生しやすいが、今回はバッタパンデミックとなってアフリカからアジアに拡大しつつある。過去70年で最悪の被害を与えているそうだ。日本では対岸の火事のように思っていたが、新型コロナウィルス症(COVID-19) とのダブルパンチで、おそろしい食料危機の可能性がある。

 

空から見た白い雲のようなサバクトビバッタの大群飛(参考文献より転載)

 

 大規模な飛蝗の記録は昔からある。旧約聖書の『出エジプト記』には「バッタはエジプトの全地に上がり、地上のすべての面を覆い、木も畑の青物など緑のものは何も残さなかった」と記されている。紀元前125年には、北アフリカのローマ植民地で、飛蝗のために約80万もの人々が餓死したという記録が残っている。

パールバックの小説「大地」にも中国の飛蝗の話しがでてくる。「ある日、南の空に小さな雲が見えだした。はじめは地平線に小さく霞のように見えた。風に吹かれる雲のようにあちこと動くのではなく、じっととまっていたのだが、やがてそれが扇形にひろがりはじめた」という下りがある。

ベ・エス・ソツノフの書にやはりサバクバッタの甚大な被害の記録がある。この群れは小さいものでも全重量が1万トン以上に達する。巨大なバッタの大群は、数百、数千平方キロメートルにひろがることがある。ある博物学者が紅海を横断しているバッタを観察し、この大群の占める面積は、約5800平方キロメートルにおよび、その数は概算で25京匹、総受量はなんと4400万トンになった。

 サバクトビバッタは単独で生活しているときは、孤独相(solitary phase)の形態を示し、一方群れで生活するときは群棲相(gregarious phase)を示す。体色や行動が、それぞれはっきりと違っている。群棲相のものは集団を形成し、広範囲に移動する。これらは見た目で全然違うので、昔は別種のバッタと考えられていた。しかし、イギリスの昆虫学者ボリス・ウヴァロフ (1912)がこれらは同種のものであり、生育環境の違いで相変異することを発見した。視覚ではなくアンテナを通じた接触刺激が、バッタのホルモンバランスを変えて相変異をおこすようだ。最近では、遺伝子レベルでのバッタの相変異の研究も進んでいる。(Nature Communication 5, Art.Num. 2957, 2014)。日本にはサバクトビバッタは生息せず、かわりに孤独相のトノサマバッタがいる。

群飛するバッタの一群は1000億匹にもおよぶので、これを絶滅させるのは不可能である。捕食者は主として鳥だが、焼け石に水。大群はいずれ周りの食料を食い尽くして消滅するが、一部のバッタが孤独相になって生き残る。これがもとになって、環境が変わるとまた集団になって群翔を繰り返す。

結局、サバクバッタの大群形成を防止するには、孤独相の小集団が群棲相集団になりかける段階で、殺虫剤を散布するなどして撲滅するほかない。そのためには広いエリアーのモニターが必要になるが、その後の被害を考えるとたいしたコストではない。

これは感染症の拡大を防止するのに、小さなクラスター段階で閉じ込めてパンデミックを防ぐのと同じ原理である。

 

参考文献

C.B. ウィリアムズ『昆虫の渡り』(長澤純夫訳)築地書館株式会社、 1986

ベ・エス・ソツノフ 『生物たちの超能力』東京図書、 1973

 

追記(2020/06/03)

サバクトビバッタはヒマラヤを越えることはできないが、輸送用のコンテナに付着して西に移動している。ウィルスと同様にグローバルな拡大を起こしているらしい。下手したら日本もバッタ感染が起こる可能性があり、これの検疫が必要かもしれない。

 

 

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急激な気候変動の歴史ーヤンガー・ドライアスの不思議

2020年02月02日 | 環境問題

ジョン・D・コックス『異常気象の正体』東郷えりか訳 河出書房、2006年

  約11万年前に始まった最終氷期は約15,000 年前に終り、地球の気候は一時的に温暖化した。ところが約1万2900年前ごろから急激に気温が下がりはじめ(これは数十年という短い期間で起こった)、それが約1300年間続いた。地質学的な「寒の戻り」と呼ばれるこの時期を、ヤンガー・ドリアス(Younger Dryas)という。この後、気温は唐突に再び上昇しはじめ現在に続く温暖な完新世に移行した。これを契機にして農耕文明に移行したといわれる。

 

(『地球環境学事典:総合地球学研究所編 弘文堂 2010より引用転載)

 

 どのようにして何万年もの古気候の気温データーが得られたのであろうか?それはサンプル(氷床コアー)の酸素の安定同位体(O16とO18 )の割合を質量分析装置(MASS)で分析する事によってである。この方法はコペンハーゲン大学の地球物理学者ウイリ・ダンスガードと米カルテクのサミュエル・エプスタインが、それぞれ別々に開発したものである。気温が高めのときはO18の割合が多い雨や雪が降る。氷床コアーはグリーンランドで採集されたものである。1387mのコアーで218箇所から1600個ものサンプルが切り出され分析された。それまでは地層のチョウノスケソウ(Dryas octopetala )の花粉分析がなされていた。

 ヤンガー・ドリアスの寒の戻りの原因はまだよく分かっていない。一説には天体(隕石あるいは彗星)衝突説がある。北アメリカ大陸に大きな天体が衝突し、大量の塵が大気圏へ巻き上げられて、太陽光を遮ったとする説である。一方、大西洋深層水の循環が停滞したとする学説もある。その前の温暖期に氷河が融け、北アメリカ大陸にアガシー湖という巨大な湖ができ、それが決壊して大量の淡水が北大西洋へ流れ込み表層海水の塩分濃度が低下して、海洋深層水の潜り込みが止まり気候を変えたというものである。いずれにせよ、地球の気候は長い年月をかけて徐々に変化していくものだと我々は信じ込んでいる。しかし、カタストロフィーがおこり、わけもわからず急激な変動が起こりものである事を認識していなければならない。

 

 

 

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環境問題 IV 地球のリズムと気温の変動

2019年12月11日 | 環境問題
 
 
 少し古い本だが、川上紳一 著『縞々学 - リズムから地球史に迫る』を本棚から引っ張りだして読みなおしてみた。「縞々学」とは聞きなれぬ分野であるが、地球が示す様々な周期現象をまとめたもので、環境問題を考えるにはなかなかの参考書である。これによると、気温を含めた地球環境はいままで安定に維持されていたものではなく、地球史的にはかなり上下に変動していたことが分かる。
 
地球が示す周期は12.4時間の潮汐サイクル、一日(24時間)の自転による日周リズム、、月の公転による14.8日の半月周期や29.5日の月周期、さらに地球の公転による1年の周期などがある。いずれも地球の局所あるいは全体の温度はこれらによって変動する。もっと長いサイクルとしては南方振動といわれるエルニーニョやラナーニャがあり、太平洋を中心に大規模な気候変動がみられる。前回述べた太陽の黒点周期は約11年で、これにともない穀物の収穫量が変動するともいわれている。
 
図1太陽の黒点数と平均海水表面温度変動(参考図書より転載引用)
 
太陽黒点は11年周期以外に長期変動や樹木のC14の変動を分析すると、約88年のグライスバーグ周期というものが見られるそうだ(図1)。これが地球表面温度ときれいな相関があるとされている(この図をみるとC02の増加はあまり関係ないようにみえる)。さらに長大な周期現象としてはミランコビッチサイクルが知られており、これは数万年単位で繰り返されている。
 
図2過去の地球の平均温度の変動(参考図書より転載引用)
 
今、地球温暖化防止が声高にさけばれている。この一世紀余で気温が0.7度C近く上昇し今後それが続くと、異常気象現象が続発し南太平洋のサモアのような小島が海没すると危惧されている。しかし、このように時間のスケールを拡大して気温をトレースすると、1度ぐらいの狭い幅ではなく数度の幅で変動していることがわかる(図2)。
この一世紀の気温変動は、図2の上から2番目のグラフにおける黒抜き部分にすぎない。この間の気温上昇には人類が出した炭酸ガスをはじめとする温暖化ガスがいくばくか関わっているのは、間違いないだろうがどれほどそうなのかは確かでない。 
確かでないからバンバン放出してもよいというのではなく、人類の生産活動を総体として反省しエネルギー問題を考えようと言うのが庵主の考えである。
 
現在は第四紀最終氷期(ウルム氷期)が終わり約1万年後で、間氷期の比較的温暖な時期にいる。次の氷期が到来がいつかについては諸説ある。現在は間氷期の終末で氷期が急速に来るという説や、まだだいぶ先の話という説もある。ようするによく分かっていない。
 
参考図書
川上紳一  『縞々学 - リズムから地球史に迫る』 東京大学出版会、1995
清水勇、大石正編著 『リズム生態学ー体内時計の多様性とその生態機能』東海大学出版会 2008
 
 
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環境問題II 中世のペストと太陽黒点

2019年12月02日 | 環境問題
 
 
 太陽黒点の数は年により増えたり減ったりするが、それにはほぼ11年の周期がある事を発見したのはドイツのジュワーペである。19世紀の前半のことである。その後、イギリスの天文学者ウオルト・マウンダーは黒点活動をくわしく調査し、1645-1715年までの70年間にこれが異常に低下していることを明らかにした。この時期が、いわゆる中世のマウンダー極小期(ミニマム)と呼ばれるものである。通常であれば4-5万個も見られるはずの黒点の数がわずか30個しかみられなかった。
 
この期間、地球は全般に寒冷な気候に見舞われた。ヨーロッパ、北米大陸や他の温帯地域の冬は酷寒で夏も冷夏が続いた。黒点の減少は太陽活動の低下を表すが、これにともなって太陽風と磁場が弱まる。地球には宇宙放射線が降りそそいでおり、それが雲核を形成する。太陽風はこの宇宙放射線を吹き飛ばす役目をしている。太陽風の低下は、結果として地球の雲の量を増加し気温を低下させる。これが太陽黒点の少ない時期は気候が寒冷で湿潤な理由である。それ故に、この期間は「中世の小氷期」と呼ばれている。
 
マウンダーミニマムは、気候の寒冷化とともに当時のヨーロッパにとんでもない試練を与えることになった。ペストの流行である。黒死病と呼ばれたこの病気が都市を中心に蔓延してヨーロッパの人口は半減したといわれる。何故ペストが流行したのか?その原因は、太陽活動の低下による寒冷化と湿潤な気候により穀物の収穫が激減しネズミが餌を求めて都市部に入り込み、ノミを媒介にしてペストをはやらしたからである。
 
この中世の小氷期において、人々は暖房のために森林を乱伐したので木材が枯渇した。そのために代替エネルギーとしての石炭の採掘と利用がさかんになされるようになった。まさに必要は発明の母といえる。これによりイギリスにおける産業革命の基盤の一つが成立したのである。
 
この話をまとめると、太陽活動の低下→黒点の減少→太陽風と磁場の低下→地球の宇宙放射線の増加→雲の増加→地上平均気温の低下→作物収穫の減少と森林破壊→ネズミの移動→ペストの流行と中世社会の崩壊→農村から都市への人口移動と石炭の利用→産業革命→現代文明の興隆となる。なんだか「風が吹けば桶屋がもうかる」といった話のようだが、いずれもまともな学説として出されている。
 
人類の歴史において気候が社会の仕組みをかえた例は多い。太陽活動は約200年の周期で変動しているといわれる(ただそれほどはっきりした周期ではない)。いつか来るであろう極小期における世界の経済や政治に及ぼす影響はいまのところ予想できない。ただ地球温暖化よりも深刻であることは確かだ。この場合、冬場はいたるところ凍りついた世界となる。
 
補遺:中世の寒冷期の一方で、「中世の温暖期」(Medieval Warm Period)というのもある。これは、およそ10世紀から14世紀にかけて続いたヨーロッパが温暖だった時期を指す。この時期にはイングランドの南部地方でもブドウ畠が広がり、グリーンランドは文字どうり「緑の島」であった。一方、モンスーン地方では洪水や干ばつが続いた。地球の気候というのは安定したものではなく平均気温も上がったり下がったりしていた。この一世紀の温度上昇の一部はCO2によることは間違いないが、それが主因かどうかは確かでないと思える。
 
参考図書
坂田俊文 『太陽を解読する』 ー環境問題の死角を探る 情報センター出版局 1991年
 
桜井邦明 『夏が来なかった時代-歴史を動かした気候変動』 吉川弘文社 2003
 
 
 
追記(2022/02/24)
 
太陽活動と疾病との関係を研究したのはソ連時代のロシア人アレキサンダー・レオニドビチ・チジェフスキイであった。彼は地上の生態的現象の多くを太陽黒点の出現周期(11年周期)と関連ずけて論じた。彼の研究には「とんでもない科学」にかたずけられる話ようなもあったが(例えば赤血球の連銭状態)、因果律に合理的な説明がされる現象もみられた。彼の業績は、フェリックス・ジーゲリ著「太陽のバイオリズム」(東京図書:浦川よう子1976)に詳しく述べられている。
  
 
 
 
 
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環境問題 I 地球温暖化問題の総合的考察

2019年11月27日 | 環境問題
 
 
 本日の京都新聞朝刊の第一面に次のような記事がのせられていた。 
国連環境計画(UNEP)は、世界の温室効果ガス排出が今のペースで続けば、今世紀末には気温が産業革命前に比べて最大3.9度上昇すると発表した(2019/11/26:京都新聞朝刊1面)。さらに国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)も2050年には干ばつなどが深刻化し穀物価格が23%も上がり、今世紀末には海面が1.1メートル上昇するという。
またこの話題かという話ではあるが、未来の世代のためには繰り返し警鐘をならす必要があるということであろう。一方で、地球はすでにミランコビッチサイクルの氷期に入りかけており、今後は地球の平均気温が急速に低下するとする真逆な説もある。
 
 地球の平均気温については19世紀から始まった科学的な気温の観測をもとに統計が取られている。これは1906年から2005年の100年間で0.74℃(誤差は±0.18°C)上昇しており、長期的に上昇傾向にある。これは大部分の地球環境学の研究者が認めている事実である。ただこの原因については、多くが産業革命以降の人間の工業活動にともなう廃棄炭酸ガスを主因とするのに、そうではなく主因は別の原因(たとえば太陽活動の消長)であるとする学者もいる。
 
 CO2の大気中濃度が気温に著しい影響を与えることは地球史的な事実である。
大昔の地球、石炭紀(約3億6000万年から2億9900万年前)には炭酸ガス(CO2)の大気濃度は現在のそれよりも数倍高かったとされている。そのため地球の平均気温は数度も高く、シダ植物が繁茂しトンボの一種メガネウラ (Meganeura)などの巨大昆虫が飛翔していた。CO2濃度も温度も高かったので、地球のいたるところ熱帯のように緑色植物が生い茂っていた。
 このような植物は光合成によってCO2を大気中から取り除くので、そのうちCO2は減少しはじめた。その結果、温室効果が弱くなって気温が下がり、繁茂していたシダ植物は衰退死滅したとされている。一種のフィードバッグ作用である。植物の枯死残骸は化石燃料となって地中に蓄積した。当時はリグニンを分解する腐朽菌などがいなかたのではないかといわれている。
 そのうち中生代三畳になって恐竜があらわれ地球を支配したが、白亜紀末期の隕石衝突によって数多くの動植物とともに絶滅した。そのおかげもあって哺乳動物が繁殖しはじめ、なぜかその内から人類が登場し地上に満ちあふれるようになった。この種はいまや地球上に70億以上も棲息し、化石燃料を掘り起こしとじこめたはずのC02を地球大気にばらまいて温暖化を促進している。この種が持つ願望はひたすら生産の向上だけで、周りの生物や地球環境の迷惑なんかおかまいなしである。
 
 以上の話をまとめると、以下のようなシーケンスになる。石炭紀における高い炭酸ガス(CO2)濃度→シダ植物の繁茂→森林拡大→温暖化ガスCO2の低下→温度の下降→環境変動→シダ植物の衰退死滅→化石燃料の蓄積→隕石による恐竜の絶滅→人類の登場→化石燃料の利用→CO2の増加→環境変動(地球温暖化)→文明の衰退→?
これは一例ではあるが、地球環境は棲息する生物とフィードバック的にカップルしながら変動していることがわかる。
 
 このような地球環境問題の背景によって、温暖化ガスを出さないクリーンなエネルギーが要求されてきた。人類のエネルギー獲得は風力、水力、火力、原子力、太陽光発電と発展・変化してきたが、温暖化ガスを直接に排出するのは、火力発電だけである。風力発電は場所が限定され、水力発電ダムも森林などの自然破壊をもたらす(中国の三狭ダムはその辺りの気候さえもかえたといわれている)。原子力も廃棄使用済み核燃料はC02以上に危険でやっかいである。それに東京電力福島第一発電所の事故が示したように、何かおこるととんでもないことになる。ともかく原子力は廃熱の問題を含めても全然クリーンではない。それでは太陽光発電が一番理想的かというと、いまのところ設備の製造、維持と廃棄にかかる費用やエネルギーを考えるとそれほど効率のよいものではない。
 
 燃料が枯渇しないでクリーンな無限エネルギーとして提唱されたのは核融合である(廃熱の問題はあいかわらずある)。核融合反応は未来エネルギーとして研究されていたが、数千万度の高温が必要で巨大な設備を必要として、いまだ継続的な出力には成功していない。ところが1989年3月のユタ大学のポンズ博士とフライシュラー博士の二人が、高校の化学実験室にあるような電気分解装置で核融合反応がおこり、中性子と熱エネルギーが生じたと発表した。電極には特殊な形のパラジュウムを使い、純水のかわりに重水を用いたとしているとしている。これがいわゆる常温核融合である。
このニュースはたちまち世界に広まり、いたるところの研究室で追試が行われた。ある研究所では同様な現象がみられたとされ、別の研究室では何もおこらなかったといわれる。結局、現在では彼らの実験結果は否定されている(ミクロの核融合反応がおこっている可能性がまだ主張されているがとても実用化できる話ではない)。
 
 この常温核融合は今では科学者の笑い話にすぎないが、もしこれがほんとうに実現していたら、経済、産業、政治の構造はすべて枠組みが変動していたと思える。これにより20世紀前半の石油利用と同様に劇的は社会の変動がおこっていたろう。いまはエネルギー制約のもとに人はまだ自制している。いや自制せざるを得ない状況がある。もし無限で価格のかからない水を燃料にする常温核融合がうまくいったら、強欲の種ヒトが何をしでかすのかは明白である。別の有限な資源はたちまち枯渇して、文明の衰退が早まることは必然。これはは極端な例であるが、たとえば太陽光発電で革命的に効率の良い発電パネルが発明されても同じことがおこる。
 
 庵主の愚見としては、環境問題の解決というのはどれがよいかという方法論ではなく、いかにしてよく生きるのかといった哲学の問題でなければならない。ようするにクリーンなエネルギーなら何をしてもいいというのではなく、エネルギーを使う生産の意味そのものを問い返す必要がある。人間が地球そのものと、どのように共生して生きてゆくのかが問われているのである。なにゆえの成長戦略なのか?文明は本当に人を幸せにするのか?????
 
参考文献
 F.D. ピート 『常温核融合』ー科学論争を起こす男たち 青木薫訳、吉岡書店、1990(F.D.Peat, cold fusion -The marking of a scientific controversy).
 
 
 
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