京都楽蜂庵日記

ミニ里山の観察記録

コゲラ(小啄木鳥)

2020年09月21日 | ミニ里山記録

コゲラ(Dendrocopos kizuki)

書斎の窓際のいろは紅葉に止まって、幹をコツコツとつつく鳥がいるので、あわてて撮影した。付近の吉田山一帯に生息するコゲラであった。スズメと同じくらいの大きさで、日本に生息するキツツキとしては最も小さい。オスよりメスがやや大きく、灰褐色と白の斑模様の羽色をしている。雌雄の羽色の違いは、オスにある後頭部にある赤い斑の有無らしいが、この写真では判別しがたい。

 

     (サントリーの鳥百科より引用転載)

 

 

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動物行動学の昨今

2020年09月03日 | 評論

 一昔前に、日本でもエソロジー(動物行動科学)というものがはやった時代がある。コンラッド・ローレンツの『ソロモンの指輪』がベストセラーになり、サロンでは、ちょとした知的なご婦人もその分野の話題をしていた。

動物行動における鍵刺激とか解発因という用語が使われ、本能、生得的(innate)と学習の区別は何かといった議論がよくなされた(アイベル・アイフェルベスト著 『比較行動学 1,2』みすず書房 1978)。

 たとえばイトヨ(魚)の求愛行動では1)ジグザグダンス、2)求愛、3)導入、4)追尾、5)巣口提示、6)入巣、7)身体の蠕動、8)産卵、9)射精といった美しいシークエンスが、その手の教科書に掲示されていた。

イトヨには何の意志力も思考力もなく、本能に組み込まれたプログラムを順番にとりだしていけば、目的を達することができると考えられた。このシークエンスが、途中で遮断されると、最初にもどってはじめるか、葛藤行動が起こるとされた。庵主は昔これを聞いて、イトヨはそんなに頭が悪いのに、よくぞこれまで滅びずに生き延びて来たものだなと思ったものだ。

無論、あの頃も動物の記憶、知性や意志などの存在と働きを論ずる人もいたが(たとえばインベルト・グリフィンの『動物に心があるか』など)、心の存在などと言うと、たちまち「擬人主義」というレッテルを貼られ、批判が浴びせられた。

 しかし、最近の動物行動学では反対に、動物一般の「心の問題」をとらえる方向にすすんでいるように思える (National Geographic 別冊『動物の言葉—驚異のコミュニケーション』を参照: 2020/07/06)。AIの開発によって、人の意識とは何かを探求する傾向が、この背景にあると思える。様変わりしたようだが、心の起源の探求こそ生物学の本来の目的の一つだった。

 旧エソロジーが人間以外の動物を「機械」と見なしていたのに対して、21世紀のニューエソロジーは彼らをヒトと同じ「心的存在」と見なして研究しはじめている。彼らは多様な感覚器をそなえ、言語を使用し、感情を持ち、文化や学習を行う。ヒトにおけるこれらの心的特性はヒト起源ではなくて、段階的に前の祖先から進化してきたもののようである。

このように考えると、人がイルカを殺して食べる根拠はあるのだろうか?ライオンがリカオンを捕食するのとは違うように思える。イルカにも家族がおり、知性を使い、感情を持っている。イルカにも惻隠の情があり、溺れた人を助けることもある。一方でチンパンジーは、群れで他の霊長類を狩るという。ライオンーイルカーチンパンジーーヒトー人の境目は何なんだろう?

 

追記 1 (2020/12/27)

エマ・タウンゼンドの『ダーウィンが愛した犬たち』(勁草社 渡辺正隆著2020)は、まさに動物の感情表現が人のそれと同等にあることをダーウィンの観察を通じて述べているものである。少し言い過ぎかもしれないが、ダーウィンの進化論は、ガラパゴスフィンチの研究よりもむしろ愛犬の行動(表情)の観察から出たとしている。ダーウィンは『人間の由来』で、人間と動物は深淵によって隔てられた世界ではなく、地続きだと主張している。犬が棒をくわえて行ったり来たり走り回るのは主人をからかうというより認識力によるのであり、それにより人間と動物に共通の起源がある証拠の一つとしている。人間的な美徳というものも、もとはというとヒトと動物の共通の祖先から受けついだものと言える。

 

追記2(2020/12/28)

人と犬が共感できる背景はそれぞれのネオテニー化であると思える。自然の動物は、食う食われる、安全な場所で寝る起きる、子孫を増やす育てるで精一杯の生活をしている。余裕のあるのは親によって保護されている子供の頃だけである。ある意味、文化は幼児期にしかない。人は寿命が延びて幼児期が延長してネオテニーがすすんだ。人類はますます幼児化してきて、コロナ禍の対応で分かるように、危機に対応できなくなっている。犬は本来、猟犬や番犬として選抜されたが、いまでは形態や性質の可愛い品種が好まれる。

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時間についての考察 : コロナ禍による社会的脱同調が体内時計に及ぼす影響

2020年09月02日 | 時間学

María Juliana Leone, Mariano Sigman, Diego Andrés Golombek (2020)

『Effects of lockdown on human sleep and chronotype during the COVID-19 pandemic』Curr. Biol. 17;30(16):930-931 (DOI: 10.1016/j.cub.2020.07.015)

 

動物の体内時計の同調因子としては、光や温度が主なものであるが、哺乳動物やラットなどでは、社会的コンタクトもその一つとして考えられる実験結果がある。

たとえば、ラットやマウスを複数同じゲージで育てると、それぞれの自由継続リズムが相互作用をおよぼして変化する例が知られている。

 

人の場合は、学校生活、仕事、集団作業などが体内リズムに影響を与えている(下図)。光や温度など本来の同調因子 (Zeitgeber)よりも、むしろこれらが生活のリズム性を支配している。そのために、文明社会では若者のほとんどが、太陽出入りと関係なく夜中の12時過ぎまで起きている。

中国発のCOVID-19(コロナ禍)は、世界中でロックダウンや活動自粛をもたらし、深刻な社会問題を引き起こしている。それによるライフスタイルの変更、外出自粛、自己隔離、社会的距離のために、人々は今までにない生活を送らざるをえない。

こういった社会的脱同調が体内時計にどのような影響を及ぼすか、厳しいロックダウンをしたアルゼンチンで調べたのが、上掲の論文である。それによると、正常な睡眠阻害、就寝や起床時間の遅延、活動中央時間のずれが観察された。

体内時計は人の生理的、精神的健康におおいに関わっている。これの乱れは、免疫力の低下を誘発して、病気のリスクを高める。こういった観点からの対応も今後必要である。

 

  追記 (2022/02/05)

 バイオリズム(Bioryhthm)は体内時計を表す科学的な現象であるが、占星術と関連した用語でもある。本屋のコーナーにこの手の本がずらりと並んでいる。会社や工場での労務管理にはどの時刻に身体活動が盛んか、あるいは低下するかを知ってラインの動きを調整する事が重要になってくる。それゆえに生理学としてのバイオリズムの知識は大事なことだ。ところが、鎌田慧著「自動車絶望工場」(講談社文庫2005)には、豊田(トヨタ)自動車の組み立て工場において、占星術のバイオリズムで各労働者の「要注意日」を「計算」して勤務時間を割り当てていたと書かれている(p168)。1970年代の話だが、いまでもそんな事がそんなことしてるのだろうか?

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COVID-19と各国政策の違いの背景

2020年09月01日 | 環境と健康

 世界中でCOVID-19(コロナ禍)は、深刻な社会問題を引き起こしている。このパンデミック以前の世界が抱えるリスクは、実体経済と乖離した金融経済の破綻、すなわち世界大恐慌、地球環境変動による異常気象、突発的な大国間の戦争などであった。

感染症によるパンデミックは、可能性としては考えられたが、今世紀になってSARS、MARS、ブタインフルエンザなどを押さえ込んできた“実績”もあって、すぐにおこるものとは考えられなかった。1908年のスペイン風邪のようなパンデミックは、科学や医療が進歩した現代世界では起こりえないという幻想のようなものがあったのだ。要するに想定外事項。

 しかし、中国発のSARS-COV-2によるCOVID-19は、世界中で次のような深刻な社会問題を引き起こしている。

ライフスタイルの変更(ロックダウンのよる門限、外出自粛、自己隔離、社会的距離、検疫)

情報過多(陰謀論、起源、規模、徴候、症状、伝染、予防および治療に関する誤報とストレス)

世界的な社会経済危機 (流通阻害、生産停止、渡航制限、職場の危険、スポーツ、文化、娯楽のイベントの延期と中止、パニック買いと買いだめ)

政治外交危機(米中軋轢、独裁国家の権力集中、アジアアフリカ諸国の貧困)

差別問題 (外国人恐怖症、感染者差別、偏見、心理的圧力、疎外、暴力)

医療危機(医療センターや医療機関の崩壊、不信)

 これらの問題は、コロナ禍以前から存在していたが、これを契機に一気に矛盾が吹き出したと言える。Covid-19の感染防止のために、人と物流を止めるロックダウン(欧米諸国)や活動自粛(日本)を行ったたために、経済も文化、教育活動などが止まった。いわば身体の血流を止めたために、潜在的な病巣が悪化して症状として、一挙に出始めたのである。COVID-19はウィルス感染による直接的な健康被害よりも、社会が被った間接的被害がむしろ問題になっている。

直接被害 =Ni x Y+ Nd x X + M

ここで、Niは全感染者数、Yは感染者一人あたりの平均の社会的被害額。

    Ndは全死者数、Xは死者一人あたりの平均の社会的被害額。

         Mは全感染者の治療に要した社会の費用

間接被害 = Nt x Z

           Ntは全人口、Zは国民一人当たりの平均被害額

 近代資本主義社会のリスク学では、この直接被害と間接被害のバランスの上で政策を決定せよという。ロックダウンや自粛をして感染者を減らし直接被害額を抑えると、経済や社会が止まり間接被害が大きくなる。どれぐらいに見極めて制限をかけるのかは、決まりはない。その国の状態によって、為政者が恣意的に決定しているわけである。感染症の捉え方や哲学によっても違ってくる。国によって対処法が違っている背景の構造はこういったところである。実は正解は誰にもわからないのである。

何故なら、政策決定で重要なパラメーターはNiやNdであるが、ウィルスは気ままで場所により、時により、変幻自在で定まる事がない。人間はいつまでこれに振り回されるのであろうか?

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