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京都楽蜂庵日記

ミニ里山の観察記録

人類の遺伝子多様性と感染症パンデミック

2020年04月28日 | 環境と健康

 大型類人猿(ヒト、チンパンジー、ゴリラ、オランウータン)におけるミトコンドリアDNA配列を比較して得た系統関係と個体変異の程度が下図に示されている。

 

(川本芳『遺伝子からみた多様性と人間の特徴:生物多様性ななぜ大切か?』(日高敏隆編)昭和堂, 2005 より引用転載)

 

 これを見ると、ヒトでは集団内の遺伝子多様度がたいへん少ない事が分かる。人類は民族によって、容姿、皮膚、眼、髪の色などが著しく違うので意外な事実である。一方、他の類人猿では、熱帯の限られた場所に生息しているのに、遺伝子タイプはバラついている。

これは前に拙ブログ (2020/04/08「パンデミック新時代」)で述べたように、ヒトの祖先が森から平地に降りさらにアフリカからユーラシア大陸に進出した際に、何度かボトルネックが起こったためである。その後、ネアンデルタール人との出会いと遺伝子交流などがあったが、相手は何故か絶滅した。

 こういった遺伝子の均一性は、集団における病原体による感染爆発のリスクを著しく高めた。寄生性の細菌にしろウィルスにしろ、侵入すべき相手の体質(遺伝子形質)が同じであるほど、戦術は単純でやり易い。たとえば、ウィルスが細胞に入り込む時の宿主の膜レセプター蛋白が個人レベルで変異が少ない(多様性が少ない)ほうが、寄生者にとっては都合が良い。

これは植物にも適応される原理である。農作物で遺伝的に均一な品種は、病原体にいったん襲われると、またたくまに見渡す限りの畑に広まってしまう。

チンパンジーはアフリカの森の中で様々なウィルスを持った動物に囲まれて生きているが、感染症で群れが全滅したと言う話しはない(この種はヒトによる乱獲が最大の絶滅危惧原因)。これは遺伝子レベルの多様度が高いせいであろう。

 ともかく、古代のころから人類の歴史に「パンデミック」が付きものになっているのは、その集団性とともに、このような遺伝子組成が世界中で均一という背景があるからと思える。

 

追記

植物のエピデミックで、歴史に残る事件は19世紀におけるアイルランドでのジャガイモの疫病である。これの病原菌は、Phytophtbora infestansという真菌であった。これに罹るとジャガイモはたちまち萎れて腐った。当時、アイルランドではランバーと呼ばれる単一品種ばかり栽培しており、この菌によって全てのジャガイモ畑がやられた。政府の対応も悪く、多数の市民が餓死した。”モノカルチャー”の悲劇と呼ぶべき出来事であった。

山本紀夫 「ジャガイモ飢餓」地球環境学事典(総合地球環境学研究所編)P450, 2010

 

 

 

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世界一清潔だった江戸のライフスタイル

2020年04月27日 | 環境と健康

 江戸時代の日本の人口はおおむね3000万人余りであった。当時の江戸は、約100万人が住む世界で最大の都市であった。鎖国によって、食料も物資も輸出入のない状態であった。それ故に、自然のエネルギーと有機資源に依存した閉鎖経済の社会を構築していた。節約と無駄を一切省いた持続性の循環系社会であった。

ここでは物のリサイクルが徹底的に行われて、幕府や各藩によって厳しい資源と自然の管理が行われた。江戸におけるゴミ処理も行政機関によって合理的に行われ、幕府指定のゴミ処理船が、月に3回町内のゴミを集めて水代島に捨てにいった。

人の排泄する「し尿」も値段の付く商品として、金銭や野菜と交換され近郊の農村に運ばれて下肥として利用された。し尿を窒素肥料とする見事な循環生態的な社会構造が当時の江戸にはあった。この時代、ロンドンでは市民の住宅には十分な便所がなく、窓から便器にためた糞尿を道に捨てていたといわれる。

当時の江戸は上水道も誇るべき世界で有数な都市であった。井の頭池を水源とした神田上水が日本における最初の水道事業として1590年に完成した。木管で67KMにわたる水道であった。時代がすすむと水道は拡張されて、人口の60%が直接利用できるようになった。「縦横に鮎の流れる江戸の町」という俳句がある。木管の水道に鮎が入り込んで泳いでいたというのだ。

    (江戸時代の上水道遺構)

上で述べたように、し尿は下肥として便所から直接くみ出していたので、下水は生活排水と雨水だけが流れ汚染度の少ないものであった。それ故、江戸を流れる川はいつも清浄なものであった。

この時代のパリは、ビクトル・ユーゴの「レ・ミゼラブル」に出てくる下水道が街に張り巡らされていたが、し尿も生活水も雨水も一体となってセーヌ川に流されていた。これがコレラなどの発生の原因となっていた。

 

江戸の人々は身体も清潔にするようにつとめていた。男女とも風呂好きで一日一回は公衆浴場(湯屋)に出かけた。お湯の温度はかなり熱目であったそうである。この公衆浴場が”生ワクチン”になって感染予防になっていた可能性がある。

衛生思想が発達していたせいか清潔好きだったせいか、理由はわからないが、ともかく江戸時代はあまり感染症が問題にならなかった。それ以前には天然痘などが流行ったことを考えると稀有な時代であった。

ただ幕末になってコレラが流行った。これはペリー艦隊の水兵が持ち込んだもので10万−30万もの江戸市民が犠牲になったと言われる。江戸時代における最悪のエピデミックであった。

グローバリズムとかインバウンドなどといって、目先の利益に飛びつくと、とんでもないオミヤゲをもらう事を歴史は教えてくれている。今度の新型コロナウィルス騒動も多分にその傾向がある。

 

 

参考図書

鈴木孝弘『環境科学』昭晃堂、 2006

 

追記(2020/04/28)

(内山純蔵『文化の多様性は必要か?:生物多様性ななぜ大切か?』(日高敏隆編)昭和堂, 2005 より引用転載)

我々は歴史は何事も進歩の連続だと思い込むくせがある。その根底には生産力の大きさを基準に価値を措定する「生産力思想」がある。「生産力の拡大」(下図の下線)と平行して文化の進歩が自ずとあると思っているが、これは間違いではないだろうか? 文化に人生の価値観も含めるとすると、果たして現代のほうが江戸時代より幸せといえるかどうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

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サバクトビバッタの大発生 : なんでも小さなクラスター段階で押さえる事が大切!

2020年04月26日 | 環境問題

アフリカ東部を中心にサバクトビバッタ(Schistocerca gregaria)が大量に発生し猛威を振るっている。熱帯収束帯と呼ばれるゾーンにはバッタの大群が発生しやすいが、今回はバッタパンデミックとなってアフリカからアジアに拡大しつつある。過去70年で最悪の被害を与えているそうだ。日本では対岸の火事のように思っていたが、新型コロナウィルス症(COVID-19) とのダブルパンチで、おそろしい食料危機の可能性がある。

 

空から見た白い雲のようなサバクトビバッタの大群飛(参考文献より転載)

 

 大規模な飛蝗の記録は昔からある。旧約聖書の『出エジプト記』には「バッタはエジプトの全地に上がり、地上のすべての面を覆い、木も畑の青物など緑のものは何も残さなかった」と記されている。紀元前125年には、北アフリカのローマ植民地で、飛蝗のために約80万もの人々が餓死したという記録が残っている。

パールバックの小説「大地」にも中国の飛蝗の話しがでてくる。「ある日、南の空に小さな雲が見えだした。はじめは地平線に小さく霞のように見えた。風に吹かれる雲のようにあちこと動くのではなく、じっととまっていたのだが、やがてそれが扇形にひろがりはじめた」という下りがある。

ベ・エス・ソツノフの書にやはりサバクバッタの甚大な被害の記録がある。この群れは小さいものでも全重量が1万トン以上に達する。巨大なバッタの大群は、数百、数千平方キロメートルにひろがることがある。ある博物学者が紅海を横断しているバッタを観察し、この大群の占める面積は、約5800平方キロメートルにおよび、その数は概算で25京匹、総受量はなんと4400万トンになった。

 サバクトビバッタは単独で生活しているときは、孤独相(solitary phase)の形態を示し、一方群れで生活するときは群棲相(gregarious phase)を示す。体色や行動が、それぞれはっきりと違っている。群棲相のものは集団を形成し、広範囲に移動する。これらは見た目で全然違うので、昔は別種のバッタと考えられていた。しかし、イギリスの昆虫学者ボリス・ウヴァロフ (1912)がこれらは同種のものであり、生育環境の違いで相変異することを発見した。視覚ではなくアンテナを通じた接触刺激が、バッタのホルモンバランスを変えて相変異をおこすようだ。最近では、遺伝子レベルでのバッタの相変異の研究も進んでいる。(Nature Communication 5, Art.Num. 2957, 2014)。日本にはサバクトビバッタは生息せず、かわりに孤独相のトノサマバッタがいる。

群飛するバッタの一群は1000億匹にもおよぶので、これを絶滅させるのは不可能である。捕食者は主として鳥だが、焼け石に水。大群はいずれ周りの食料を食い尽くして消滅するが、一部のバッタが孤独相になって生き残る。これがもとになって、環境が変わるとまた集団になって群翔を繰り返す。

結局、サバクバッタの大群形成を防止するには、孤独相の小集団が群棲相集団になりかける段階で、殺虫剤を散布するなどして撲滅するほかない。そのためには広いエリアーのモニターが必要になるが、その後の被害を考えるとたいしたコストではない。

これは感染症の拡大を防止するのに、小さなクラスター段階で閉じ込めてパンデミックを防ぐのと同じ原理である。

 

参考文献

C.B. ウィリアムズ『昆虫の渡り』(長澤純夫訳)築地書館株式会社、 1986

ベ・エス・ソツノフ 『生物たちの超能力』東京図書、 1973

 

追記(2020/06/03)

サバクトビバッタはヒマラヤを越えることはできないが、輸送用のコンテナに付着して西に移動している。ウィルスと同様にグローバルな拡大を起こしているらしい。下手したら日本もバッタ感染が起こる可能性があり、これの検疫が必要かもしれない。

 

 

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悪口の解剖学: パストゥール伝説の崩壊

2020年04月21日 | 悪口学

ジル・アルプティアン『疑惑の科学者たちー盗用・捏造・不正の歴史』(吉田春美訳)原書房 2018

ルイ・パストゥール (1822-1895)は19世紀フランスの生物学(生化学・細菌学)の巨人として知られている。庵主は若い頃、パストゥールの伝記を読んで、一人の人間がどうしてこんなに次々と画期的な発見を成すことができたのかと驚嘆した憶えがある。そして自分の非才を嘆いた。

分子の光学異性体の発見、低温殺菌法(パスチャライゼーション)の開発、生命の自然発生説論破、蚕微粒子病の解決、酵母によるアルコール醗酵の発見、ワクチン開発などを行なった。パストゥールは世界の偉人伝に必ず登場する人物である。

 

 ところが、最近になってパストゥールの評価は急降下した。その原因は彼自身が残していた「研究ノート」によるものである。そのノートはパリの科学アカデミーの金庫に保存されていたものであるが、規約により100年間、開示されないまま管理されていた。それが、1988年に開かれて読めるようになった。そこには、信じられない研究不正の事実がパストゥール自身によって記録されていたのである。上掲のアルプティアンの書の一章に、その仔細が述べられている。それは以下のごとし。

 醗酵の研究では教え子であるアントワーヌ・ペシャン(1816-1908)の研究を盗用して自分の発見のようにしている。ワインの低温殺菌法もニコラ・アベール(1749 - 1841)とアルフレッド・ド・ヴェルニット(1806-1886)の二人がそれに関する研究論文を発表しているのに、知らないふりをして自分の発見のように装った。

さらに驚くべき不正は、羊の炭疽ワクチンについての研究である。パストゥールが作った「酸素で弱めた」ワクチンは羊の炭疽に全く効力がなかった。そこで、アンリ・トウッサン (1847-1890)が殺菌剤を利用して作ったワクチンを密かに手に入れ、それを公開実験で使い自分のワクチンは効果があると主張した。この恐るべき所業はパストゥールの「研究ノート」に自分の手で記録されている。彼の助手のアンドリアン・ロアールによって、死後に告発されていた事実であるが、誰も信じなかったのである。

狂犬病ワクチンはパストゥールの偉業の一つとして有名であるが、これもピエール・ヴィクトル・ガルティエ (1846-1908)のものである事は周知の歴史的事実である。これに関しても、パストゥールは厚かましく自分の成果のように宣伝した。不思議な事に、多くの伝記では彼の発明のように書かれてきた。

現代の科学者社会の倫理基準によると、炭疽ワクチンの不正実験だけでもパストゥールはその研究機関を懲戒免職されるに値する。そしてアカデミーの全ての地位と名誉を剥奪されていてもおかしくない行為である。たとえ、他にどんな公正な研究成果があったとしてもである。

しかし、伝記作家のパトリス・ドブレは次のように述べている。

「パストゥールはときに、他人が記述した研究成果を確認してから横取りしているだけのように見える。けれども、ほったらかしにされた実証実験、すなわち活用されずにいる研究結果をふたたび取り上げている点で彼ほど革新的な者はいなかった。彼の天才たる所以は総合の精神にある」と。これはあまりに甘すぎる評価である。

神格化された人物の遺骸を掘り起こして断罪する事はむつかしいようだ。Wikipediaの[炭疽菌]の項目をみると「1881年ルイ・パストゥールは、世界ではじめて生菌ワクチンを弱毒化した炭疽菌を使って開発した」と書かれている。

 

参考文献

ヴァレリー・ラド 『パスツール伝』(桶谷繁雄訳)白水社 1964

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文藝春秋5月号『特集コロナ戦争』評論

2020年04月19日 | 環境と健康

この特集では新型コロナウィルス感染症(COVID-19)について、数人の識者が意見や考えを述べている。参考になりそうなところを、それぞれ抜き出して紹介する。この号には武漢でSARS様のヒトーヒト感染を最初にSNSで知らせたアイ・フェン(艾芬)さんの手記も載せられている。

 

塩野七生(作家)

『人(国)みな本性を現わす』

新型コロナウィルス (SARS-CoV-2)は、ドイツ系資本の会社で働く中国系労働者と中国帰りのビジネスマンによってイタリアにもたらされたという。ロンバルデャイ州都のミラノの封鎖はイタリアの心臓を止めるようなものである。今のところ感染拡大の防止に目がいってるが、これが及ぼす影響は計り知れない。

中国は医療団だけでなく大量の医療品をイタリアに送り込んでいる。実は都市封鎖も中国の医療関係者の指導で行ったものである。しかし、パンデミックが終息した後、感染された国々が平静をとりもどした後には、中国への不満と反感が頭をもたげるのではないか。それにしても、なぜ発生源はいつも中国なのか、という疑問を突きつける報道関係者がいないのは不思議ではないか?

(庵主考:塩野さんは外出禁止令の出ているローマに住んでいる。修羅場と化したイタリアに住む作者の緊迫感は並ではない。いつもと違って、彼女の文章が少しうわづっている。たしかに現代中国で、どうして何度もパンデミックウィルスが出るのか、研究してみる必要がある。)

 

磯田道史(国際日本文化研究センター准教授)

『感染症の日本史ー答えは歴史の中にある』

日本が向かい合う3つの危機、1)ウィルスによるパンデミック、2)火山の破局噴火、3)津波の中で、最も多くの死者を出すのは1)である。大きな感染症の歴史は人類史上で最近のものだ。牧畜でヒトと家畜の接触が増え都市に定住化がすすみ、結核、コレラ、天然痘、ペスト、梅毒、インフルエンザなどの感染症が大流行しはじめた。さらに、大航海時代から人の移動が地球規模になると、感染症も世界規模に拡大した。

日本には秀吉の頃に梅毒が入り込み、当時の男性の3分の2、女性の3分の1が罹患していた。江戸時代の鎖国は外からの感染症をある程度ふせいだが、1822年頃、コレラが長崎から入って全国に蔓延した。さらに、1858年ペリー艦隊の乗組員の一人にコレラ患者がいて、長崎に寄港したときにコレラが発生して江戸に飛び火し多数の日本人が亡くなった。このエピデミックは、「開国が感染症を引き入れる」とする考えを醸成し攘夷思想が高まる一因となった。幕末のコレラ騒ぎのときに、緒方洪庵らの蘭学医は「事に臨んで賤丈夫(よく深い男)となるなかれ」と弟子を鼓舞して患者を診た。

大正時代のスペイン風邪では、当時の日本内地で45万人、外地で74万人もの人が死んだ。それは3波にわたって襲来し、第一波は1918年5−7月、第二波は同年10ー翌年5月で最も猛威をふるい死者は26万、第三波は翌年1819年12-翌年5月で死者は18.7万人であった。このときのインフルエンザは1年で終わらず、性質を変えながら流行を繰り返した。

日本には清潔をむねとする「禊の文化」と内と外を峻別する「ゾーニング文化」があり、これが衛生思想となってある程度の感染症抑止にはたらいてきたのかもしれない。国民の高い衛生防御力を背景に、コロナウィルスの感染速度をゆっくりさせる「遅滞作戦」を取ることが必要である。

これからの新しい国防とは軍事攻撃にたいする防御よりも、このような感染症ウィルスに対する備えのほうが重要になってくる。「敵国」よりも「敵ウィルス」だということだ。

(庵主考:歴史家らしく、過去の感染症を振り返って得られた教訓を丁寧に示してくれている。磯田氏は「集団免疫」は否としているが、結果としてはそうならざるを得ないのではないだろうか?)

 

佐伯啓思(京都大学名誉教授)

『グローバリズムの復讐が始まった』

非常時の危機対応は、不十分で不正確な情報の中で緊急判断を迫られる。ところがマスコミは「常識」や「寛容」を失い、結果論で非難するだけになってしまう。いままでは戦争、自然災害、疾病が人類の脅威があり、これらに人類は「文明」の力で打ち勝ってきた。ところが、現代文明そのものが新型コロナウィルスの災害を増幅した。

パンデミック(世界的大流行)という語はパン(汎)と「デミア=デモス(民衆)」というギリシャ語を語源としている。ようするに「全ての民衆」=「民主主義」ということである。ウィルスは貧富、階級、年齢、性別に関係なくすべての人々に分け隔てなく感染する。

パニックになっている原因は、このウィルスがなにもかもが未知であることによる。弱小ウィルスの一刺で現代文明は呆気ないほど脆く自壊しているかのようだ。社会の持つべき強靱性(レジリエンス)をグローバリズムが弱体化してしまった。

グロバリズムやマーケット主義から少し身を引いて効率主義や貨幣価値では測れない社会を目指すべきではないだろうか。今の静かな京都こそが、我々の本来の生活の姿なのではないか?この20-30年間のほうが、実は異常=非常時ではなかったと思える。

(庵主考:コロナウィルスは貴賤の別なく公平に感染するパンデモスな生物だそうだ。そういえば、こいつはイギリスのジョンソン首相や立石京都商工会議所会頭さんにも襲いかかった。ただ米国ではCOVID-19の犠牲者は黒人など貧困層の割合が多いそうだ。今の京都の姿こそ本来の姿であるというのは、ほんとうに同感である)。

 

橘玲(作家)

『狡猾なウィルスに試されている』

クルーズ客船ダイアモンド・プリンセス号の隔離処理は大失敗であった。これは2週間も船内でウィルスを「大量培養」したあと、乗客を下船させ公共交通機関で帰宅させてさらに新規感染者を生むという無様な結果を生じた。

厚生省の上級官僚は感染症の素人で専門家は誰もいない。この省には主要課題に対応する専門家がどのレベルにもいない。統計”不正”事件でも明らかになったように、統計処理の素人ばかりでまともな専門家がいない。日本は戦前から無限責任=無責任社会であって、行政も会社も連綿としてその伝統を受け継いでいる。稟議書に判子を並べて皆の責任であるが誰も責任をおわない。

部外の専門家組織がどれだけ警告しても危機が目のまえにこなければ人々は事態を理解できない。感染を拡大したのはウィルスではなく人の本性である。ヒトとウィルスは軍拡競争をしている。ヒトの武器は免疫力で、ウィルスの武器は素早い変異力である。この狡猾なウィルスによってヒト(人)の本性や社会の仕組みが浮き彫りになった。

(庵主考:日本の官僚が駄目になったというのは、この同じ特集で舛添要一氏も述べている。昔は政治家が駄目でも優秀な官僚がそれカバーしていた。しかしダイアモンド・プリンセス号処理の評価は難しい。他のクルーズ船はここでの失敗を見て対処したので、大事にならなかった。ここの教訓がなければ同様の事態をおこしていたかもしれない。)

 

 

 

 

 

 

 

追記 (2021/05/24)

新興感染症の発生源は何故いつも中国なのか?(MERSのように中東が発生地の場合もあるので真正な命題ではない)という、塩野七生の問いを考えてみた。

ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』(草思社文庫:倉骨彰訳)によると、感染症が蔓延する背景には四つの理由がある。

1)一つは人口の総数と密度である。中国は依然世界有数の人口国である。

2 )家畜やペットなど多様な動物を生活圏に密着して飼育している事。中国ではいたるところ、ブタ、ニワトリ、ウシ、ウマ、イヌなどを混合した形態で飼育している。

3 )交通交易が飛躍的に発達し、短時間で感染が地域にも世界にも広がるようになった。

4) 自然の乱開発が行われている。

中国では鄧小平の開放政策以来、経済成長にともなって1~4の要因が急速に拡大している。これ以外に野外動物の食生活(例えばコウモリ)が他国と違っている事も、その大きな要因ではないこと思える。

 

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新型コロナウイルス伝播の経路:<コウモリーセンザンコウーヒト>そしてACE2レセプター 

2020年04月16日 | 環境と健康

 新型コロナウイルス (SARS-CoV-2)が、どの動物からヒトに伝播したのかが議論されている。今後、これがヒトから別の動物に感染する可能性も考えなければならない。別の種に逃げ込んだウイルスが、将来、再び人間に感染しパンデミックを引き起こす可能性があるからだ。

コロナウイルスはイヌ、ニワトリ、ウシ、ブタ、ネコ、センザンコウ、コウモリなどの哺乳類や鳥類に感染する。世界で900種もいるコウモリは、コロナウイルス以外に何千種ものウイルスを宿しており、これが別の動物に感染する。たとえばコウモリは狂犬病ウィルスを保菌しており(発症することなく)、これに噛まれて感染すると人はほぼ100%死亡する。

SARS-CoV-2の発生源は、その遺伝子配列からキクガシラコウモリ属の一種ではないかと見られており、そこから中間宿主となったなんらかの中間種を経て人間に伝播したとされている。重症急性呼吸器症候群(SARS)や中東呼吸器症候群(MERS)もコウモリが最初の感染源だった。

エボラ出血熱のウィルスはオオコウモリと考えらえているが、 Saézら (2015)はココウモリの一種オヒキコウモリの可能性を指摘した。2014年、ギニアのメリアンド村でオヒキコウモリの大群が棲む木の空洞部に入って遊んでいた黒人の少年がエボラの最初の犠牲者で、そこからアウトブレイクが始まった。

 

 

(キクガシラコウモリ)

 

 コウモリは確かに無数のウィルスを宿す「不潔」な野生動物かも知れないが、ヒトが清潔な動物かというと決してそうではない。たとえばヒトパピローマウィルス(HPV)は200以上の異なる株からなり、その全てがヒトの皮膚または生殖器の粘膜に存在する。一旦人体に入り込むと数年から一生にわたって活動を続ける。ただ、幸いな事に大多数の株は無害でわるさをしない(子宮頸ガンを起こすHPVは例外)。

帯状疱疹ウイルスは主に子どもの頃に感染し、水痘(水ぼうそう)として発症する。 多くの場合、水痘は1週間程度で治る。その後、このウイルスは脊髄から出る神経節に潜んでいる。普段は体の免疫力によってウイルスの活動が抑えられているため発症することないが、身体が弱り免疫力が低下するとウイルスは再び活動、増殖しはじめる。そして、ウイルスは神経の流れに沿って神経節から皮膚へと移動し、帯状に痛みや発疹が出る帯状疱疹を発症する。

最近になり人の網羅的DNA分析「マイクロビオーム」研究によって、これ以外にも体の中には多くの未知ウィルスが巣食っていることが明らかになりつつある。

 

 哺乳動物でありながらヒトとコウモリは姿かたちはあまりに違う。しかし、よく似た点もある。まず、長生きという点である。哺乳類の体重とそれが持つ時間(寿命)の関係を調べるとつぎのようなアロメトリーな式がなりたつ。

  T ∝ W ^(1/4)

ほとんどの哺乳動物の寿命はこの式にあてはまる直線の上にのるが、ヒトとコウモリは何故かこれから逸脱して長寿を示す。この式では、日本人だと約40歳ほどの寿命だが、実際は平均80歳ほどになっている。コウモリはネズミ(寿命は1ー2年)ほどの体重でありながら、約20-も長生きする種がいる。

 コウモリが長寿な理由はよくわからないが、被捕食圧が比較的低いせいではないかと考えられる。寄生性のウィルスにとって寿命の長い宿主は、それだけ共生への安定した進化プロセスを取り易い相手である。

次に両種が似ている点は生活における高い密度である。これもウィルスにとって伝播感染するにはすばらしい好条件である。

さらに3つ目の共通点は、どちらも移動距離が大きいということである。ヒトはいまや飛行機などの文明の利器で一瞬のうちに世界を渡り歩く。コウモリも翼のおかげで広い範囲をテリトリーにして飛ぶ。これによってウィルスは羽根なしで、いたるところに飛んでいく事ができる。

こういった共通点は、ウィルスにとって都合のよい宿主としてあるということだ。もっとも、ヒトが長寿を得たのも、長距離移動が可能になったのも、近世に入ってからのことであった。ヒトとコウモリという似た者同士でのウィルスの交換が盛んにはじまったのも最近になってからのことであろう。その背景になっているのは、ヒトの生活の変化だけでなく、文明による森林の開発と破壊がある。ただ、コウモリは夜行性で洞窟などに隠れて住み着いているので人との直接の接触機会は少なく、間に媒介者が必要であった。これがヒトにおけるSARS-CoV-2感染解明の鍵になりそうである。

 

 この中間媒介動物はヘビという説もあったが、最近ではセンザンコウではないかという説が有力である。センザンコウは様々なコロナウイルスを保有していることが知られており、東南アジア原産のマレーセンザンコウが保有するウイルス株のひとつは、今回の新型コロナウイルスと92.4%の遺伝子相同性を示す。

センザンコウの肉は、中国やベトナムでは高級食材とされている。

 

(センザンコウ:wiekiより転載)

SARS-CoV-2が宿主の細胞に侵入するには、ウイルスが表面に持つスパイク状タンパク質Sが動物細胞の表面にある「受容体」と強く結合する必要がある。この受容体はアンジオテンシン変換酵素2(ACE2)と呼ばれる膜蛋白質である。

AndersonらはNature Medicineの3月17日論文[The poximal origin of SARS-CoV-2]でSARS-CoV-2の遺伝子配列を解析した。その結果、これはコウモリのBAT-RaTG13と96%の高い相同性を示した。ところがBAT-RaTG13のACE2結合部位のアミノ酸配列RBDC-AC2R(Receptor-binding domain AC2contact residues)は、ヒトのACE2には親和性のないものであった(すなわちこれでは感染はできない)。

ところが感染能のあるSARS-CoV-2のその部分は、センザンコウのSARS様ウィルスPanglionのそれとピッタリと一致していた。これらの事実は、コウモリ由来のSARS様ウィルスがセンザンコウに感染し、そこで変異をしてSARS-CoV-2ウイルス(あるいはそのオリジン)となりヒトに感染したことを示唆する。

さまざまな動物のACE2受容体を比較することで、新型コロナウイルスに感染しうる種が多数特定された。その中にはセンザンコウ、ネコ、イヌ、ウシ、スイギュウ、ヤギ、ヒツジ、ハト、ジャコウネコ、ブタが含まれる。新型コロナウイルスはペットにもうつることがわかっている。さらに新聞報道によると米ニューヨーク市のブロンクス動物園で飼育されているマレートラやライオンが新型コロナウィルスに感染している事がわかった(京都新聞2020/04/07朝刊8面「NYのトラも」;ナショナルジオグラフィックhttps://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/20/060800343/)。

 

追記 1)(2020/06/03)

山内一也 『COVID-19の発生は予想外ではなかった』岩波科学 Vol90,6月号 (2020)

  コウモリはヒトの感染症ウィルスの宝庫である。その一つのコロナウィルスはインフルエンザウィルスの2倍のゲノムサイズであるが、コロナウィルス同士で遺伝子の相同組み替えを起こす。1967年にはコウモリから致死率の高いマールブルグウィルスが発見されている。2018年にはブタ急性下痢症候群の原因となるコロナウィルスが見つかった。インドやバングラディシュではコウモリのニパウィルスによる感染症が発生している。

追記 2)(2020/06/25)

Sars-CoV-2の起源についてはいろいろ論議されている。
https://academic.oup.com/nsr/article/7/6/1012/5775463

追記3)(2021/05/19)

コロナウィルスの祖先は約1万年前に誕生したという説がある。農耕が本格化し人類が集団で暮し始めた頃である。約5000年前に新型コロナウィルスが属するβコロナウィルスが発生した。この頃には古代エジプトや中国で都市が発展した。ヒトのコロナウィルスNL63は紀元1200年(鎌倉時代)、229Eは1800年(江戸時代)、OC43は1900年(明治時代)に誕生したそうだ。

 

参考文献

本川達雄 『ゾウの時間ネズミの時間』中公新書、1992

ネイサン・ウルフ著『パンデミック新時代 :人類の進化とウィルスの謎に迫る』NHK出版、2012年

Almudena Marí Saéz et al, (2015) Investigating the zoonotic origin of the West African Ebola epidemic. EMBO Mol Med7:17-23 (https://doi.org/10.15252/emmm.201404792)

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『パンデミック新時代 :人類の進化とウィルスの謎に迫る』 ネイサン・ウルフ著

2020年04月08日 | 環境と健康

ネイサン・ウルフ著『パンデミック新時代 :人類の進化とウィルスの謎に迫る』NHK出版、 2012年

 この著者のネイサン・ウルフ (Nathan D. Wolfe)(1970~)は感染学・免疫学の専門家である。スタンフード大学客員教授。 Global Viral(グローバルウィルス予測計画)はヒトに感染するウィルスの拡散を監視し、パンデミックを早期に警告するシステムであるが、これの設立者でもある。

 ウルフによると人間の感染症の約70%が動物に由来するという。それも霊長類やコウモリ、げっ歯類をはじめとるするほ乳動物からきている。新型コロナウィルス(COVID-19)はセンザンコウが、SARSはハクビシン由来のウィルスによる感染ではないかと言われている。

この書は、ヒトの進化と感染症微生物とのかかわりの歴史から話が始まるが、庵主の感想や考えも入れながら内容を紹介していく。

 

  雑食は霊長類の中でヒトの特性かと思われていた。しかし伊谷純一郎先生(1926-2001)らの研究によって、そうではない事があきらかにされた。たとえば、チンパンジーは、いかもの食いで300種の植物、23種の昆虫を食べるそうだ。さらに彼らの縄張りに棲んでいる様々なサル類、カモシカやイノシシ、イタチなども手当たりしだいに食べる。

ウルフらも、チンパンジーとヒトの共通祖先は森で集団で狩りをして他の霊長類を食べていたと述べている。鵜澤和宏は、現代人は肉を全栄養摂取量の20-90%もとっているのに、チンパンジーはわずか5%程度としている。

これ以来、ヒトの祖先は血まみれの獲物から様々なウィルスの感染を受けるようになった(ライオンやオオカミのような肉食動物は、こういったリスクの少ない獲物の処理法をしているのだろう)。食物連鎖の頂点にいる肉食性の大型動物ではウィルスの「生態濃縮」がおこる。ウィルスー微生物ー小型動物のすべての食物連鎖のウィルスが体内に入って寄生する可能性がある。

 類人猿は生物多様性の高い森に住んでいたが、ヒトの祖先は森からサバンナに進出した。ここで遺伝子のボトルネックがおこり、遺伝的多様性が減少するとともに、身体に寄生あるいは共生するウィルスの種類も減少した。そしてそれに対する抵抗性も減少するか喪失した。

森から出た人類の祖先は、火をおこす技術を発明し、料理を始めた。これによって細菌による食中毒がなくなった。火のおかげで、利用できる食物のレパトリーが格段に増え保存が効くようになった。この革命的なイノベーションによって、人類の人口は急速に増えた。約1万年前から5000年前に人類は狩猟採集時代から牧畜農耕時代に入り、一部は都市に住み始めた。

アフリカで類人猿とともに進化した熱帯の寄生虫や病原微生物は、人類が気温の低い温帯や寒帯に移住するとともに生き残ることができなかった。このことが人間の集団を衰弱させず、人口を増やす条件の一つになった。

じめじめした森から「清潔」な環境に移った人類に、病原微生物の脅威がなくなったかというとそうでもなかった。熱帯地方では蚊を媒介とするマラリアが毎年、約200万人もの生命を奪っている。ヒトの唯一の遺伝的な対抗法は、鎌形赤血球遺伝子といった半端な工夫でしかなかった。森→サバンナ→乾燥地帯へと進出した人類を後もどりさせないバリアーがマラリアである。マラリアを媒介する蚊は森林に限定させずに、水たまりのあるところならどこでも生息できる。

アラスカのような極寒の地まで版図を広げて住まいを拡大した白人が、結局熱帯に大量に住み着けなかったのはこれが原因である。

おそらく、森に住んでいた人類の共通祖先は現在のチンパンジー同様に、マラリア寄生虫に対する抵抗性を身体に持っていたのだろう。しかし、先程述べたボトルネックの際にこれを失ったか、あるいは人類拡散の過程でこの抵抗力をなくした。

それでも、病原微生物のキャリアーである他の動物に接触しなければ問題なかった。

ところが人間は大量の家畜を身の周りにおく生活をはじめた。家畜は飼いならされる前から、それぞれ微生物レパートリーを持っていたので人間と最初に接触した時期から、お互いにそれらを交換しはじめた。さらに野外動物が飼育動物にウィルスなどを感染させ、それがさらに人に感染する。

トリインフルエンザの場合は鶏舎のニワトリが感染してさらに人に感染する。ウシは天然痘の、ニワトリやブタはインフルエンザの、ラクダはMERSのウィルスをヒトに媒介した。家畜だけでなくペット動物も人間との濃厚接触で病原微生物を感染させている。

栽培植物も野外動物からの微生物感染の手助けをした。例えば、農家の近くでマンゴーを栽培すると、これにニパウィルスの保菌者であるコウモリがやって来て糞をする。それをブタが食べて発病し、さらに人にウィルスをうつす。ニパウィルス症は主として脳炎を発症させる死亡率50%の恐ろしい伝染病である。

病原微生物に対する抵抗性が弱くなった人の集団に、なにかのはずみで感染症が広がったとする。その集団が小さいと、たちまち罹る人は罹り死ぬ人は死んで、エピデミックは終わる。エピデミックで滅んだ無数の村や、小さな町の記録は残らない。それをたちまちカバーするほど、ヒトの繁殖力も大きかったのだろう。

病原微生物もほかの動物に移り住むのでなければここで滅びる。その集落は多大な損害を被ることになるが、その微生物に比較的強い体質(遺伝子)の子孫が残る。形態の変化こそないが一種の進化がおこる。

これはまだ交通の発達する前の時代の話であるが、鉄道、道路、飛行機、船など交通手段によって地球は狭くなった。そこでは、人も病原菌も大陸や海洋を瞬時で渡り歩くことができる。ウィルスにとって小さなの人口を相手にしているのではなく、数億から今では70数億もの巨大な数の被感染プールが出現したのである。ウィルスにとっては申し分のない資源だ。

ここから人類の歴史はパンデミックとの戦いの歴史となった。人類がいままでにおこした戦争での死者よりも、パンデミックの犠牲者の数の方がづつと多い。

 

 森を脱出したホモサピエンスはまた森に侵入しはじめた。森林伐採や鉱物資源開発と野生生物取引の拡大のためである(2020/04/07京都新聞夕刊4面参照)。発展途上国では人口爆発により、多くの労働者が森林地帯に入り込み食料になる野生動物の量が増えた。これらには絶滅危惧の問題になっているキツネザルなどが含まれる。

森で鳴りを潜めていた諸々の微生物が、再びヒトと向き合うようになった。生物多様性の危機だけでなく、動物由来の感染症の拡大リスクが増えた。その結果、世界にひろまったのがHIV(チンパンジーのSIV起源)でありエボラウィルス(コウモリ起源)である。COVID-19の原因ウィルスSARS-CoV-2も武漢の海鮮市場付近が発生場所とする説が多い。コウモリーセンザンコウーヒトという感染経路の可能性が論じられている。

いまや、東南アジア、アマゾン川流域、中央アフリカなどのウイルスのホットスポットがエピデミックやパンデミックの感染起源になっている。

人獣共通感染症の微生物は動物から人に感染するだけでなく人から動物にも乗り移る。人に集団免疫が形成されると、ウィルスは自分が絶滅するので、他の種類の宿主を探しているのである。新聞報道(京都新聞2020/04/07朝刊8面「NYのトラも」)によると米ニューヨーク市のブロンクス動物園で飼育されているマレートラやライオンが新型コロナウィルスに感染している事がわかった。せきの症状があり(多分肺炎になっているのだろう)、食欲も減退している。飼育員からトラに感染したとされている。

日本における<森ー野生動物ー感染症>といった文脈での研究は少ない。多分、日本では大陸諸国と違い、動物食は少なくタンパク源として魚介類を取っていたからだ。

ただ鎮守の森のお稲荷さんに狛狐(こまぎつね)を飾るのは、感染病の封じ込めの印かもしれないと庵主は思っている。森の樹木を切り倒して分け入ると恐ろしい病原菌がいるぞという伝承なのではないだろうか? ダスティン・ホフマン主演の映画「アウトブレイク」の中でアフリカの呪術師の次の言葉を思い出すできであろう。「本来人が近づくべきでない場所で、樹木を切り倒したために。目を覚ました神々が怒って罰として病気を与えたのだ」と。

 

 

ほかの参考文献

『食文化を考える』「太陽」5月号 (1980) No.255 P120.

鵜澤和宏 『ヒト化と肉食ー初期人類の採食行動と進化』(肉食行為の研究:野林厚志編)平凡社 2018

Youtube(TED Talk https://www.ted.com/talks/nathan_wolfe_the_jungle_search_for_viruses?language=ja:『ネイサン・ウルフのウィルス退治』)でウルフの素顔が見れる。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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マスク着用条例: サンフランシスコ市のスペイン風邪での実施効果

2020年04月05日 | 環境と健康

 1918年のスペイン風邪が流行したサンフランシスコの人口 は約55万人であった。この年9月 24日に市内で第一号患者が出た。当時のサンフランシスコ市保健委員会委員長のウィリアム・ハスラーは努力家でエネルギーに溢れ、自分の職務を忠実にやりぬくタフな男だった。

1906年の大震災の復興事業でもその後に起きた腺ペスト騒動でも精力的に働き、名を上げていた。ハスラーはインフルエンザの対策として市民がマスク着用をするように指導した。

 

サンフランシスコでは、インフルエンザ流行の当初から医師、看護婦そして赤十字で働く人はすべてマスクを着用していた。10月18日ハスラーは、客に接する商店従業員は営業時間内にマスクをかけるように勧告し、さらに理容師にはその着用を義務ずけた。

そして11月1日にサンフランシスコ市議会は、ハスラーの指針に従って、すべての市民にマスク着用を義務づける条例を発効した。市当局や赤十字は市民に大量のマスクを配った。ハスラーのもくろみは、「かなりの数の市民がインフルエンザに罹患し回復する事で市全体に集団免疫が形成されるまでの間、インフルエンザの拡大を阻止してくれればよい」というものであった。

マスク着用条例が実際に発効する前に大多数のサンフランシスコ市民はマスクを着用していたとされるが、インフルエンザの患者数はこの頃から急速に低下しはじめた。減ったのはインフルエンザ患者だけでなく、ジフテリア、麻疹、百日咳患者の数も減少した。マスク条例は期待以上の効果をもたらしたようにみえた。

驚くべきことに、この条例には罰則がついていた。数百人もの条例違反者が逮捕され、裁判所は逮捕者に5ドルの罰金刑を科した。11月8日に警察はダウンタウンのホテルロビーの一斉手入れを行い、マスク条例違反の「怠け者」400名を逮捕した。

しばらくしてインフルエンザの流行がおさまると、途端に人々はマスクを煩わしく思うようになった。ハスラーは再流行を危惧したが、11月21日にはマスク着用義務の解除が発表された。サンフランシスコでのインフルエンザのエピデミックは終焉したように思えた。

はたして12月に入ると第二波の流行がこの都市を襲った。12月半ばになると医師と看護婦が不足し、町はまたパニックにおちいった。ハスラーはマスクの着用率を50%にすれば、その3日後には新しい患者や死者の数は急激に低下するはずであると予測した。ところが一度廃止した不便な法律を復活することは難しく、「反マスク同盟」がマスク着用条例に反対した。

すったもんだしたあげく、それが再発効されたのは1月17日であった。ハスラーは「お金の問題(クリスマス商法)が健康の問題より優先された」と怒った。それ以降、確かに患者の数は減ったが流行のピークはすぎていた。

ハスラーの歴史的なマスク着用運動については、評価が分かれている。効果があったように見えるが、エピデミックの下降期とたまたま重なっていたとする疫学の専門家の批判がある。当時のサンフランシスコを再現し、マスク無しの実験してみるわけには行かないので、結論を出すのは困難である。

 

 我々が直面している現実は、新型コロナ感染症(COVID-19)のパンデミックである。ハスラーの「マスク着用条例の効果有り」に賭けてみる価値はあると思う。コストは少しかかるが、都市封鎖によって生ずる何兆円という被害に比べると微々たるものである。うまくいく確率は50%以上で、しかも”副作用”は何もない。国レベルでは無理だろうから、どこかの自治体でまずやってくれたら拍手喝采である。ハスラーの時代にもいた「個人の自由と憲法で保障された人民の権利」を主張する輩が若干いても、これを無視して、ひたすら市民の健康と命を救わんとする首長が一人くらいいてもいいではないか?

 

追記1

<本日京都新聞朝刊3面『欧米、マスク効果注目』ー新型コロナ無症状対策に期待>

この記事によると、チェコやスロバキアなどの欧州諸国ではマスク着用を国民に義務づけた。オーストリアも4月からスーパー内での着用を義務づけた。

 

追記2 (2020/04/17)

4月16日に神奈川県大和市は「おもいやりマスク着用条例」を公布・施行した。ただし、これには罰則はない。

 

 

参考文献

高橋 良博・高橋 浩子 (2009)『感染症流行時の心理反応に関する研究』 駒澤大学心理学論集,第11号,17-26

アルフレッド・クロスビー (2009) 『史上最悪のインフルエンザー忘れられたパッデミック』西村秀一訳(みすず書房)

 

 

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新型コロナ感染症に打ち勝つT値戦法

2020年04月05日 | 環境と健康

 

       (図1)

 

まず病原性ウィルスの感染と防御のメカニズムについて解説する。

 上の図1において横軸は身体に侵入したウィルス量(個数)を表す。一方、縦軸は侵入したウィルスが身体の細胞で増殖した人の割合(%)を示している。これは発症(感染)の割合とほぼ同じである。この図は用量反応曲線(dose-response curve)と呼ばれる。

我々の身体には自然免疫系というのがあって、NK(natural killer)細胞とかマクロファージ細胞などが、身体に入ってきた病原微生物やウィルスを捕らえて殺すべく臨戦態勢をとっている。だから、たとえ小数個のコロナウィルスが体内に入ったとしても、よほど身体が弱っていない限り、この免疫システムにより駆逐されてしまう。

 

侵入ウィルスの個数がT個をこえると、呼吸組織などの細胞に入り込んだウィルスが増殖を始める。ウィルス量に応じてそのリスクは増加する。このT値を「しきい値(threshold)」と呼ぶ。増殖感染と発病を防止するには、侵入するウィルスの量(個数)をTより小さくすればよい。すなわち、図の点線より左側に制限すればよい。しかし、問題のコロナウィルス (SARS-CoV-2)のT値が平均で何個かはまだ分かっていない(追記参照)。大事な事はこのT値が個人によって違い、またそのコンディション(体調)によって変動する事である。

増殖感染のリスクを減らすもう一つの方法は、T値そのものをグラフの右にずらすことである。すなわち体力を付けて自然免疫系を増強すれば、より多くのウィルスを封じ込める事ができる。

自然免疫という外堀をこえてウィルスが増殖し始めると、最後は獲得免疫の出番になる(下図2)。この内堀でウィルスを食い止めないと重症化リスクが高まる。この段階の初期には、軽い炎症反応や身体がだるいといったシグナルが出ることがある。ここで無理せずに、安静にする事が肝要である。ここで無理すると、重症化したり下手すると重篤化するといわれている。

 

 コロナウィルス撃退のT値戦術をまとめると以下のようになる。

外的には身体に入るウィルスを<マスクー手洗いーうがい>で減らすこと、内的には栄養をつけ睡眠をとってストレスを減らし免疫力をつけること。

 

 

追記(2020/03/09)

ノロウィルスは100個に1個が細胞に感染するが、ほとんどのウィルスは1000個から1万個に1個だけしか細胞に感染できない。1個や2個のウィルスが体内に入っても感染も発病もしない(『新型コロナウィルス超入門』水谷哲也 東京化学同人 2020)

 

追記 (2020/03/30)

風邪のコロナウィルスの場合はT値は接種実験で数千個であると言われている(『たたかう免疫:NHKスペシャル』講談社 2021)。

 

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遅すぎる! 欧米でのマスク着用勧告

2020年04月04日 | 環境と健康

 WHOやCDC(米疾病対策センター)は、健康な人がマスクを着用する必要はないとする馬鹿げた指針を出しつづけてきた。これに従ってきた欧米などの各責任機関は、ついに方針を転換し一般人のマスク着用を呼びかけはじめた(4月4日京都新聞朝刊7面)。シンガポールでも「健康ならマスクを着けないで」とのいままでの勧告を見直し、再利用可能なマスクを全住民に配布するという。欧米での急激なCOVID-19 (新型コロナ感染症)拡大の原因の一つは、人々がマスクを着けなかったことによると庵主は推定している(拙ブログ参照2020/02/06; 2020/03/04)。

 昨日(3日)、日本医師会の横倉義武会長はCOVID-19対策として政府が全世帯に配布する方針の布マスクに関し「ウイルス防止の役割はあまりないが、国民の安心をつくるということではそれなりの効果はある」と首相官邸で記者団に述べたそうだ。そのくせ本人はけっこう上等なマスクをして会見していた。

 一部の医療関係者は、何故に市民のマスク着用をしつこく嫌うのか?

実は、この連中は市民がマスクを着用すると、季節性インフルエンザがほとんど防止される事を知っていたのではないか。インフルエンザは冬期における病院や医院の「かせぎ頭」で、これの患者が減ると医者の商売は上がったりになる。現に今年に入ってから、インフルエンザに罹った人の数が例年に比べて1/5以下で、どこの医院もガラガラの状況だ(知り合いの町医者はこの状態が続くと倒産だと青い顔をしていた)。これは市民がコロナ禍にそなえて、<マスクー手洗いーうがい>を励行した効果のあらわれである。

インフルエンザの延長でCOVID-19もマスクは効かないといっているのなら、これはもう犯罪的な話だ。

(4月4日付け京都新聞第7面)

 

 

 

 

 

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イグナーツ・センメルヴェイスの悲劇:COVID-19で「手を洗え手を洗え」という医者の贖罪

2020年04月03日 | 環境と健康

ドイツの切手(イグナーツ・センメルヴェイス)

 COVID-19(新型コロナ感染症)で世界的に手洗いの励行が呼びかけられている。

医学界で手洗いの重要性を主張したのはイグナーツ・センメルヴェイス (1818-1865)である。センメルヴェイスはドイツ系の裕福な商人であったヨージェフを父として、ハンガリーのブダで生まれた。1837年ウィーン大学法学部に入学したが、翌年医学部に転学している。卒業後、ウィーン総合病院第一産院のヨハン・クライン教授の助手となった。

当時、ヨーロッパでは女性が産褥熱で死亡するケースが急増していた。最悪の場合は女性10人あたり4人が分娩期に死亡した。センメルヴェイスは、これは医師のせいだと考えた。当時、産婦人科医は病棟で手を洗わないで、妊婦に触れて診断したり赤ん坊を取り上げていたのである。

センメルヴェイスは次亜塩素酸カルシウムで手を洗うことを奨励した。これが実行された病院では、産褥熱で死亡する妊婦の数は激減した。彼は1861年にこれらの成果を『"Die Aetiologie, der Begriff und die Prophylaxis des Kindbettfiebers』(産褥熱の病理、概要と予防法)と題する本にまとめて出版した。

ところが、保守的で頑迷な当時の医学界はこれを認めようとせず、センメルヴェイスに怒りを示したり嘲笑したりする医師さえいた。産褥熱は患者の腸の不衛生の結果であるとか、解剖室の「瘴気」のせいだとか訳のわからない理屈に固執していたのである。1865年、センメルヴェイスは神経を患い精神科病棟に入れられた。そして、ここで看護士から受けた暴行の傷がもとで感染症のために死去した。47歳であった。

センメルヴェイスの死後、パスツールの「細菌説」のおかげもあって医師は手を消毒しはじめ、いまでは産褥熱による死亡はほとんどなくなっている。

1960年代に「ベン・ケーシー(Ben Casy)」というアメリカのテレビドラマが放映されていた。病院を舞台とした比較的社会性のある作品だったが、外科医である主人公が手を洗う場面が何度も出てきた記憶がある。それほど病院では手洗いが重要な衛生作業の一環になっていたし、いまでもそうである。

最近になってCOVID-19がパンデミックとなりWHOをはじめ、感染防止に手洗いの奨励がかしましい。無論、接触感染も可能性としてあるので(少ないとは思うが)、そうするにこしたことはない。ただ、COVID-19の主要な感染ルートは、状況証拠的には接触感染よりも飛沫感染や空気感染だ。すなわち『3密』状態での口→空気→口への感染が多い。

 しかし医学評論家はほとんど異口同論で接触感染を主因として、おまけにマスクの無効用を主張しているのは何故か?庵主思うにこれは、その昔センメルヴェイスを迫害して殺してしまった贖罪のつもりではないか?いわばセンメルヴェイスの亡霊におびえているのでは?

追記(2022/03/04)

医学界の権威者が想像力や論理性が欠如して、真実を語るものを冷遇した歴史的エピソードの一つはジョン・スノウである。スノウはコレラの原因が飲料水にあることを、疫学的調査で発表したが、当時の医学界はそれを認めず、彼の説を非難した。スノウは麻酔学者としてしか業績を認められなかった。 

 

参考文献

ブライアン・クレッグ(「世界を変えた150の科学の本」:石黒千秋訳、 2020、創元社)

サンドラ・ヘンペル 「医学探偵ジョン・スノウ」大修館書店 2021

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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