京都楽蜂庵日記

ミニ里山の観察記録

悪口の解剖学 : Nature誌なんかぶっ壊せ!

2019年08月29日 | 悪口学

 PCR (polymerase chain reaction)の発明者でノーベル化学賞の受賞者 (1993)であったキャリー・マリス博士が今月7日に亡くなった。享年74歳。PCR法は微量のDNAを無限に増幅する手法として、分子生物学分野のあらゆる研究室で用いられている。マリスはアメリカの生んだ型にはまらない破格の科学者で、その破格ぶりは半生の自伝『マリス博士の奇想天外な人生』(福岡伸一訳、早川書房2000)にいかんなく披露されている。

 

       

  (1993年キャリー・マリスノーベル化学賞受賞)

 マリスは1966年に「時間逆転の宇宙論的な意味」というタイトルの論文をNature誌に投稿した。当時、彼はカリフォルニア大学バークレー校の生化学専攻の大学院生にすぎなかった。天文学や宇宙論の専門でもなく、ひやかしのつもりで投稿した論文が採択されるなどとは、まったく期待していなかった。しかし、驚くべき事にそれは編集者によって採択され堂々とNatureの数ページを飾ったのである。世界中からその論文別刷りの請求が届き、通信社は「奇想天外なSF小説に聞こえるかもしれないが、マリス博士の鋭い洞察によれば宇宙に存在する物質の半分は時間に逆行しているという」とこれを宣伝した。まだ大学院生だったマリスは科学の世界はどこか狂っていると感じたそうだ。

 後になってPCR法を開発したマリスは、このときも意気揚々と原稿をNatureに投稿した。革命的な発明なので、当然採択されると思い込んでいたのである。しかしNature編集部の返事はなんとreject(掲載拒否)であった。彼は仕方なくScience誌に再投稿したが、ここでも掲載拒否。ていねいな事に、「貴殿の論文はわれわれの読者の要求水準に達しないので、別のもう少し審査基準のあまい雑誌に投稿されたし」という嫌みな手紙がそえられていた。結局、それは「酵素学方法論」というあまり名の知られない雑誌に掲載されたが、それが1993年のノーベル賞の受賞論文となったのである。マリスは金輪際、これらの有名雑誌 (NatureやScience)に好意をもつことはしないと誓ったそうである。

  Nature誌やScience誌に研究論文や記事が掲載されたりすると、日本では赤飯を炊いてお祝いすると言う。それほど、これらはインパクトの高い権威ある雑誌として認定されている。新聞記者も掲載後にいそいそと著者のところに記事をとりにくる。「Natureなんて、昔はデモシカ雑誌だったよ」という年寄りの先生がいるぐらいだから、1950年以前はたいした雑誌ではなかったようだ。ところが1953年にワトソンとクリックによるDNA二重螺旋の論文が発表されてから、急に掲載が難しくなった。ワレモワレモとうぬぼれ屋が投稿し始めて掲載率が低くなったせいである。しかし、激しい競争と厳しい審査の眼をくぐり抜けて掲載されたNature論文の信憑性に疑義が投げかけられた例は、STAP細胞のみならず、枚挙にいとまがない。売れる雑誌をテーゼにした商業主義が、大事な基礎研究を無視し、かっこよさそうなインチキ研究を拾うといった構造を生んでいるようだ。

 

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AI(人工知能)の三原則

2019年08月28日 | 日記

 

(鋼鉄都市)

SFに登場するロボットに「ロボット三原則」を提唱したのはアイザック・アシモフ (1920-1997)とされている。

 アイザック・アシモフはロシアのスモレンスク郊外にあるペトロヴィチという小さな町で生まれた。父親はユダヤ人の会計士であった。ロシア革命後、ユダヤ人は帝政時代よりもひどい迫害を受けていたので、一家はアメリカに移住し帰化した。アイザックは9歳のときに、アメージング・ストリー誌のSFを読んでこれらの作品にとりつかれた。そしてコロンビア大学で化学を専攻するかたわら、SF作品を書きはじめた。処女作は「真空漂流」である。ロボットものとしては『われはロボット』(1950)、『ロボットの時代』(1964)、『バイセンテニアル・マン』 (1976)、『鋼鉄都市』 (1983)、『ロボット帝国』(1985)などがある。 ボストン大学では最終的に化学の教授になった。

 

ロボットエ学三原則とは、つぎのようなものである。


第1条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。またその危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。

第2条 ロボットは人間に与えられた命令に服従しなければならない。ただし与えられた命令が第一条に反する場合はこの限りではない。

第3条 第一条および第二条に反するおそれのない限り自己を守らなけれぱならない。

 この3原則は、実はアシモフが最初に考えたものではなく、アラタウンディング・サイエンス・フィクション誌の編集長キャンベルが、アシモフのReason(『われ思う、ゆえに.....』)などの作品を読んで、まとめたものだある。それをアシモフが認め世間に広めた。それゆえに、文明論的あるいは社会工学的な思索を重ねてまとめられたものではなかった。あくまで小説の世界のものであった。

 一方AIは現実社会で応用が進み、ロボット技術とも組み合わさって利用されている。AI(人工知能)は大きな可能性が期待される一方で、得体のしれない不安もある。2045年には人工知能は人間の脳を超えるシンギュラリティがやってくるといわれている。庵主はロボットと同様にAIに関しても、そのありかたや利用の仕方に「原則」を作るべきであろうと考えた。庵主(楽蜂)のまとめたAI三原則をここに開陳する。

  1)AIによる自己増殖を禁止する。

 進化論を学習しこれを取り入れるAIの出現は必然である。そうすると精妙な「ウイルス」になって世界で自己増殖するAIが出現する。

 2)外部システムへのAIによる出力を禁止する(インターネットに繋いではならない)。

 AIとAIの共同戦線によって、人を疎外するAIワールドが出現するのを予防しなければならない。

 3)運転システム(AIを動かすマシン)へのAIによるアクセスを禁止する。

 「2001年宇宙の旅」の人工知能HAL(ハル)の暴走を止めるには、人がこれを爆破しなければならなかった。

 4)外から制御できない自動停止装置を備える。

 AIとロボットが組合わさったケースについては今後の課題である。

 

参考図書

野村直之 『人工知能が変える仕事の未来』日本経済新聞出版社 2015

ジェイムズ・バラット 『人工知能』ー人類最悪にして最後の発明(水谷淳訳)ダイヤモンド社 2015

追記 1 (2021/03/23)

人は昔、鳥のように飛びたいと願い飛行機を発明したが、その飛行の仕組みは鳥のそれとは全く違うものであった。しかも、飛行機は鳥よりも早く遠くまで移動出来る。同様に思考するAIも人の脳の仕組み真似ることはまったく必要でない。ニューラル深層学習が実際脳のニューロン活動を真に模倣したものかどうかは分からない。

追記 2  (2021/05/27)

2014年再生医療の投資を専門とする香港のベンチャーキャピタル企業はVITALというアルゴリズムを取締役の役員の一人といして任命した。VITALは財政や臨床試験や知的財産に関する膨大なデーターを分析し、投資の方針を出した。(ユヴァル・ノア・ハラリ 『ホモ・デウス』河出書房 2018)。

 

 

 

 

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ヤマトシロアリ(大和白蟻)

2019年08月21日 | ミニ里山記録



飛蟻とぶや富士の裾野の小家より  蕪村


ヤマトシロアリ(大和白蟻) Reticulitermes speratus 


DVD『バグズ・ワールド:ミクロ大決戦』(エイベック・エンタテイメント・フィルムーフランス映画 2008)

はオオキノコシロアリの生態を記録したものだが、巣の中で何万というシロアリの群れが

同心円状に行進する様には息を飲んだ。

 

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フシグロセンノウ(節黒仙翁)

2019年08月16日 | ミニ里山記録



驟雨去れば側に節黒仙翁花  楽蜂


フシグロセンノウ(節黒仙翁) 学名:Lychnis miqueliana Rohrb.

ナデシコ科センノウ属の多年草。茎の節が赤黒くなるためフシグロ。

センノウについては、京の嵯峨にある仙翁寺で最初に見つかったためと言われる。

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アケボノソウ(曙草)

2019年08月13日 | ミニ里山記録

 

 

 

春の夜や宵あけぼのゝ其中に 蕪村

 

アケボノソウSwertia bimaculata )リンドウ科センブリ属の2年性草本。山地の湿った場所を好む。

名前は花冠の斑点を夜明けの星空に見立てたことに由来するらしい。別名、キツネノササゲ。

 

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悪口の解剖学 : 東大医学部教授のとんでもない「権威」

2019年08月10日 | 悪口学

 

 由良三郎 (1921-2004)は晩年になって小説を書き始めた推理作家である。処女作「運命交響曲殺人事件」で第二回サントリーミステリー大賞 (1984)を受賞した。その他、『ある化学者の殺人 』( 1985)、『象牙の塔の殺意』(1986), バイアグラ殺人事件 (1999)など多数の作品がある。本名は吉野亀三郎。東京銀座生まれで、旧制第一高等学校から東大医学部に進学した。卒業後は、横浜市大教授を経て、東大医科学研究所ウイルス学教授をつとめ、1982年に定年退官している。れっきとした医科学者であった。

  この人の著に『ミステリーを科学したら』というエッセイ集がある。推理小説に登場する殺人などのトリックを話題にまとめたものである。この中に「権威」という掌編があり、読んでみると東大医学部教授の悪口がたくさん述べられている。以下引用する。

 『平成二年三月八日の新聞を読んでいたら、驚くべき記事にぶつかった。それは、厚生省の中央薬事審議会が、唾液腺ホルモン注射剤パロチンの老人性白内障などに対する効力を再検討した結果、無効と断じたので、この薬の製造販売は中止され、一ヵ月以内に製品は回収されることになったという発表である。唾液腺ホルモンというのは、故東大名誉教授O博士が発見したもので、氏はその化学構造も決定し、さらにそれが骨の生成を助けるなどの生理的作用があることも見出だし、それら一連の発見により昭和十九年に帝国学士院賞恩賜賞、昭和三十二年には文化勲章を受けられているのである。その製品はパロチンという名で発売され、国内のどの病院でも採用され、広くいろいろな方面に応用されていたはずである。それが全然無効だというのだ。これが驚かないでいられようか!もっとも、この薬に関しては、どうも理解できないことが多々あった。その一つは、それだけ立派な発見であるのならば、当然世界中の医学教科書に紹介されていなくては嘘なのだが、それから五十年近く経った今日までどんな外国の医学書にも出ていない。外国の病理学の専門家に訊いても、誰も唾液腺ホルモンというものの存在を知らないのである。あまり変なので、昔O博士と共同研究をしていたK博士に尋ねてみた。K博士はO博士の指導を受けて唾液腺ホルモンの骨生成促進作用を研究し、連名で論文を発表している。そのK博士は、「唾液には気を付けなくてはいけないよ。昔から怪しい話は眉に唾を付けて聞けと言うじゃないか。私としてはそれ以上は教えられない」と答えられた。なんだか釈然としない話である』(以上引用)

   ここに出てくるパロチン(parotin)は耳下腺から唾液とともに分泌されるペプチドホルモンで、骨の発育、白内障の予防、老化防止などの作用を持つといわれていた。これの発見と薬の開発は緒方知三郎 (1883-1973)、すなわちO教授であった。緒方洪庵の孫で1954年にパロチンなどの成果で文化勲章を受けた。当時の内分泌学界での最高権威であった。昔に発見された薬で20年以上生き残るものは少ない。新しい薬が開発されるためもあるが、「権威」者が亡くなったころに、童話の「裸の王様」に出てくる子供達のような医者が「効かない、役に立たない」と言い始めるからである。しかし、この緒方の弟子というK博士の話は本当だろうか?由良の『権威』の中には、他にも効かない薬として、やはり東大医のT博士とA博士が開発した強心剤Vの話などが出ている。なんとも情けなくなってくる。

 由良はさらに『教授会』というエッセイでも東大医学の教授の悪口を露骨に述べている。教授会での人事選考におけるK教授の信じられない発言記録である。。

 私も決戦投票ではAに一票を入れようと考えていた。彼の業績が他の二人より優れていると判断したわけではない。私にはそんな判断は無理だった。ただなんとなくそう決めたのである。強いて理由を挙げれば、Aを個人的に知っていたことと、他の二人には面識がなかったというだけのことだ。恥ずかしながら、こちらもあまりまっとうではなかった。そのときK教授がさっと手を挙げて発言を求めた。彼の言葉をできるだけ忠実に再現してみよう。それはこうだった。「どうも皆さんはAくんを推しているようだがね、僕はあいつみたいな人格劣等な男を、この教授会の一員に迎えることには、絶対に反対なんだ」これには一同もびっくり。さすがに議長が厳しいロを利いた。人格劣等とは聞捨てならないが、どういうことからそう言うのかと。するとK教授が眉間にしわを寄せつつ、ではお話ししましょう、と言って語ったことを聞いて、一同はまたまた驚いた。

「あいつが大学を出て、ここの助手として就職してきた直後だった。今から二十年も前の話さ。ここで恒例の秋の運動会があった。そのと特も最後の種目は全員参加の紅白玉入れだ。用意ドンで、一方は白、もう一方は赤の玉を宙吊り瞳に投げ入れる。そして、何十秒かの後に、止めの合図の空砲が鳴った。さあそのときだよ、諸君! ……Aはこそこそと簸に近付いて、手にした赤い玉を二つも簸に放り込んだのだ。……審判員が一人ずつ赤白の龍に付いて、龍から玉を出すと、皆が声を揃えて数える。なんと、その結果は、赤が一個多くて、赤の勝ちだった。僕は白だったので、実に残念だった。そのときの悔しさは、今でも忘れられないよ」

 面食らってきょとんとした議長が、人格劣等説の根拠はそれだけか、と念を押して質ねると、K教授はしかつめらしい顔でうなずいた。さすがに、どの教授も、この話には付いて行けなかった。そして投票の結果は、Aが当選した。Aの名誉のために断っておくが、彼は稀に見る人格者であって、どんな人にも愛想がよく、その点大学教授としては例外的と言ってもいいくらいだ。むしろ、どっちかと言ったら、K教授のほうがよっぽどおかしかった。だがそのK博士も亡くなられてからすでに久しい。ついでに追加すると、K博士は日本で最初にある学会を創設した功労者で、その道では世界的にも有名な学者だったのである』(以上引用)

  1960年代の大学紛争の頃、団交で大学教授が世間の常識に外れた発言をするので、学生は彼らを「専門バカ」と呼んだが、パロチンの話は「専門もバカ」だったのではないかと思わせる。しかしながら当時においても、東大の先生だけがバカだったわけはなく、他の大学の先生はもっとバカだったのだろう。ただ、東大というそびえ立つ「権威」のために、世間や学会に与えた迷惑も大きかったようだ。こういった「権威者」が死んでいなくなるまで、効かない高価な薬を飲まされつづける一般庶民こそ、いい迷惑だった。

 

 

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悪口の解剖学 : 借家人は偽物ワイン造り

2019年08月08日 | 悪口学

 

 ベンジャミン・ウォレス『世界一高いワイン「ジェファーソンボトル」の酔えない事情-真贋をめぐる大騒動』

(原題 「The Billionaire’s Vinegar」) 佐藤桂訳 早川書房 2008年


  この書は、ニューヨーク在住のルポライターによるワインの偽物にまつまわるドキュメントである。1985年、ロンドンのクリスティーズで一本の赤ワイン「シャートー・ラフィット1787」が競売にかけられた。この瓶には「Th J」と刻印があり米国第3代大統領トーマス・ジェファーソンが購入したワインであるとされていたが、10万5000ポンド(当時の為替で約3000万円)でアメリカの実業家キップ・フォブズにより落札された。ワイン一本での、この記録はいまだ破られていない。その提供者はドイツ人のハーディー・ローデンストックという著名なワイン収集家であった。何本ものジェファーソンボトルが、パリの古いビルにあるレンガの壁に囲まれたワインセラーの中で、発見されたとローデンストックは言う。ローデンストックはワイン業界のセレブであり、ワイン愛好家の文化人とも多数の交流があった。この書の前半は、ワイン好きだったジェファーソンやビィンテージワインを収集するアメリカの成金などの話が続く。しかし、後半はローデンストックに焦点を当て、ページが進むにつれてこの人物が偽ワイン造りのとんでもない詐欺師ではないかと思わせる展開となる。なにか推理小説を読むような雰囲気である。

  ローデンストックを疑って、敢然と挑戦したのはビル・コークというアメリカの実業家である。彼もオークションやディラーを経てローデンストックから何本もの怪しげなビィンテージを掴まされていたのである。コークは金に糸目をつけずに、これらが本物か偽物かを調べはじめた。放射性元素のセシウム137を調べる分析方法も試したが、決定的な証拠は得られなかった。しかし瓶の刻印の削り跡を顕微鏡で観察すると、それは当時の器具を用いてできたものではなく、最近の電動工具を使ったものであることが判明した。瓶の中身を化学的に調べなくても偽物であることが、はっきりとわかったのである。ローデンストックの他のジェファーソンボトルも全くの偽物だった。コークは、かくして2006年にマンハッタンの連邦裁判所に訴訟をおこした。本書の経緯を読むと、訴訟の勝敗は簡単につくと思われたが、ローデンストックもしぶとく反撃したようで、裁判は灰色の決着のようであった。ローデンストックは2018年5月 19日に亡くなった(https://www.winereport.jp › archive)。

  1991年ごろ、ローデンストックはミュンヘンでアンドレアス・クラインという人の家を借りていた。建物の半分には家主のクラインの家族が住んでいた。ここでローデンストックは「絶対に借りて欲しくない借家人」の典型的な行動をとる。以下、訳本から抜粋して紹介(一部省略)。

『ローデンストック夫妻は建物の半分を使い、1997年からはクライン夫妻がもう半分に入居して、薄い壁一枚を共有して暮らしはじめた。アンドレアス・クラインから見たローデンストックは奇想天外な男だった。話をすれば、出しぬけに「友人の」フランツ・ベッケンバウアーやゲアハルト・シュレーダー首相、ヴオルフガング・ポルシエ、ミック・フリック(メルセデスーベンツの一族)といった名前がいつも出てくる。あまりにも知り合い自慢が過ぎるので、ローデンストックは自分というものに自信がないのだろうと強く印象づけられた。

 ときおりローデンストックがワインを一本譲ってくれることがあった。そんなときは、必ずなんらかの頼みごとをされた。あるときは、一階の部屋ににおいが入りこむから裏庭でのバーベキューをやめてもらいたいと言った。またあるときは、壁から音が筒抜けなので、階段の昇り降りをもう少し静かにやってくれと頼まれた。静かに歩けるようにと、南スペインで買ったスリッパを一足くれたこともある。クライン夫妻のほうが、ローデンストックが発する音に対して寛容だった。在宅時は地下室の方向
から何かを叩く音がよく聞こえてきた。

 やがて、共同で使っている屋根裏部屋にカビが生えるという困りごとが発生し、クライン夫妻は2001年、雨漏りする屋根を葺きなおし、屋根裏部屋も新しく作り変えることに決めた。ドイツの法律では、借主の許可も取る必要があった。それなのにローデンストックは、最初は協力すると言ったにもかかわらず、そのうち金銭や賃貸料の値引きを要求しはじめた。

 クラインとローデンストックは法廷で争うことになった。カビの件でローデンストックは一時的に近くの高級住宅地にある高額な賃料のペントハウスヘ移り住んだが、家具などの所有物はほとんど残したまま、クラインヘの家賃の支払いを止めていた。ローデンストックは明け渡しには15万ユーロの費用が生じるとクライン夫妻に告げ、そのうえ裁判では証拠を提造した、とクラインは言う。ある時点で、書類上の家主であるクラインの義理の母へ宛てた手紙のコピーを法廷に提出したが、それを公然と、しかしながら不注意な日付に改京していた。手紙の住所に、日付の時点では存在しなかった郵便番号が書かれていたのである。

 裁判は長引いた。クライン夫妻はふたりの幼い子どもを抱え、まともな屋根のない、壁にカビが生えた家に住んでおり、長引く訴訟を戦い抜くのは厳しかったが、いまのところ裁判所はローデンストックを立ち退かせることも改装に取りかかることも許可しようとしなかった。悪夢のような借家人をどうやって追い出そうかと困り果てていたクラインは、予定している改装工事は、どちらにせよ留守がちなローデンストックにはなんの迷惑もかからないと主張していた。ローデンストックはそれに対し法廷で、自分のほかの家は休暇用のアパートメントにすぎず、本拠地はミュンヘンであると証言した。アンドレアス・クラインは、おそらくドイツの税金を払っていないローデンストックが居住地はミュンヘンだと断言したことを当局が知れば、大変な関心を寄せるに連いないと思った。クラインはローデンストックの法廷証言のコピーを税務当局へ提出した。

 情報を流してから三年近くがすぎた2004年12月、ようやく税務警察が訪ねてきて、ローデンストックがすでにこの家に居住していないことを確認したいと申し出た。税務警察はすでにローデンストックに関連する住所の一覧を作りあげ、現地当局と共同で捜索をはじめていた。ローデンストックの事務所となっていたアパートメントは、すぐ近所にあり、クラインは税務当局が車三台ぶんもの書類を持ち去るのを見ていた。捜索の三日後、そして裁判がはじまってからまる三年後、ローデンストックは比較的少額である15000ユーロの立ち退き料と引き換えに、ようやくクライン夫妻の家を退去することに同意した』(以上)

 この引用部は、クラインが訴訟を知ってローデンストックの悪口を書いた手紙(メイル)をコークに送ったものを資料にして書かれている。悪口の効用の一つはfree rider『ただ乗り野郎』の情報を広めて、おたがいに被害に合わないための社会的な知恵である。これは借家問題といった些細な事件とはいえ、一事が万事ということもある。これを世間の人が知っておれば、ローデンストックの贋ワインにひっかかる事もなかったのではないだろうか。少なくとも無防備に信頼する事はなかったはずだ。

 この本にはビル・コークという執念の人が登場し、ローデンストックを最終的には監獄に送ろうと訴訟を繰り返す。民事訴訟は消耗戦で結局金の多い方、すなわち弁護士費用を最後まで払える余裕のある方が勝つ。だから貧乏人はどんなに正義や理非が通っていても勝てない。盗人にも三分の理といって、相手はなんだかんだと言うのである。両方の弁護士はその構造を知っているので、どちらもどこで手を打つかは訴訟の最初から計算してやっている。裁判官も同じ穴の狢でその辺の事が分かっており、適当に双方が消耗したときに、和解を提案するのである。しかし、コークは大金持ちで、ワインの購入費以上の費用を使って訴訟を継続し、「趣味」の一つとしてローデンストックに挑戦した。一種のサイコパスといえる人物であるが、それでもはっきりした勝利は掴めなかった。

 

 

 

 

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ミツバチの花粉塊 : 走査電顕写真

2019年08月05日 | ミニ里山記録

 

花粉塊を付けたニホンミツバチ

 

 

  


 

 

 

花粉塊の走査型電子顕微鏡写真 (3000倍〜5000倍): by phillips XL SEM


微細な形態の違いは花粉一個の形の違いによるのか、

ハチの採集時の作業の様式の違いによるのか?

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