京都楽蜂庵日記

ミニ里山の観察記録

科学者における神概念の形成

2019年01月28日 | 日記

 科学者における神概念の形成

  ギリシャ以来の西洋世界の哲学(物や世界の解釈)の根底には起源論があり、方法論的には二分法であった。一方、東洋の宗教や哲学は起源を論ずることがなく、おまけに二項対立を好まずに「ああもあるがこうもある」と言った曖昧主義である。特に仏教は宇宙の起源を考えない宗教で対立を好まない。対立の代わりに共生を主張したりするが、これも曖昧主義の表れである。これではグレートな科学は発展しない。西洋の中世においては天動説と地動説に見られるように聖書内容と科学的知見との二項対立が見られた。西洋科学はこの二項対立をバネに発展したと言える。

  歴史的に優れた科学者が全て唯物論者や無神論者というわけでなく、多くは神を信じる敬虔な信者であったようだ。人知の及ばない不可知の自然領域に万能神の存在を予想する科学者は多い。宇宙や生命の精妙を演出しているのは神であるという「インテリジェントデザイン説」を信じる科学者も沢山いる。一方、そうでない科学者は徹底した唯物論者で不可知の領域といえども、何らかの物理的な法則にそった仕組みが存在し、技術や知識が蓄積されれば将来人の手によって、きっとそれが解明されると信じている。過去の科学の礼賛家であり未来に対する楽天家でもある。

  カントは『純粋理性批判』において中世以来の「神」の存在証明を4つにまとめた。1)世界が規則的かつ精巧なのは、神が世界を作ったからだという目的論的証明(自然神学的証明)。2)「存在する」という属性を最大限に持った神は存在するという存在論的証明)3)因果律に従って原因の原因の原因の…と遡って行くと起源因があるはずで、これこそが神だという宇宙論的あるいは生命起源論的証明。4)「道徳に従うと幸福になる」と考えるには神の存在が必要だとする道徳的証明の4つである。宗教は社会を維持する倫理規定であった。司祭などの宗教者一般的な信者は小さい頃からの教育でこの形と言える。

  これらの説はいずれも「証明」と言っているが、カント自身がこれらを論駁しているように、どれも詭弁か単なる定義命題か実証不能な主観的表明に過ぎない。2)と4)はいわば心理学の問題である。科学者が考える「神存在」の理屈は1)と3)に関わるものである。これらの説をともかくタイプ1~4と類別する。タイプ0型は無神論者である。

  歴史的に有名な科学者の神や宗教に関する考えについては、次に述べるように多様である。それぞれどのタイプか仕分けしたい。

 地動説で有名なニコラウス・コペルニクス(1473-1543)は現在のポーランドに生まれた。彼はイタリアのボローニャ大学に留学し司祭となった。当時のキリスト教会はアリストテレスの説に従い天動説を教義としていたので、コペルニクスは自説の発表を逡巡したようである。しかし、コペルニクスは「天球の回転」(1542)という大部な論文を、死ぬ直前に発表した。そもそも聖書にはっきりと天動説を明記した部分がないので、それほど宗教的な葛藤はなかったと考えられている(タイプ4型)。

 ガリレオ・ガリレオ(1564-1642)はコペルニクスの死後20年ほど経ってイタリアのトスカーナ地方で生まれ、ピザ大学で数学と自然学を学んだ。彼は「星界の報告」という本で地動説を支持した。彼は「聖書と自然はともに神の言葉から生じたもので、前者は聖霊が述べたものであり、後者は神の命令の忠実な執行者である。二つの心理が対立することはない。したがって、必然的な証明によって我々が確信した自然科学的結論と一致するように、聖書の章句の真の意味を見出すことは注釈者の任務である」。宗教裁判にかけられ、下手をすると死刑かという状況に追い込まれたガリレオも聖書を否定する積もりはなかった(タイプ1型)。コペルミクスやガリレオの地動説は神の居場所を少し変更しただけで、神の存在を否定したもんではなかったのである。

  中世の天文科学者でタイプ0型に近かったのはジョルダーノ・ブルーノ (1548-1600)ではなかったか。ブルーノはドミニク会の修道士であったが、一切妥協をせず地動説を唱えて火あぶりの刑に処せられた。最後はおそらく無神論者になっていたのではないかと思う。マルクス主義者がブルーノを賞賛する理由がここにある。

 アイザック・ニュートン (1642-1727)はケンブリッジからペストを避けて疎開していた1665-67の「驚異の1年半」の間に運動方程式、万有引力の発見、微積分の開発などの業績をあげた。これによって神は天界を失ったと言われる。しかしニュートンが極めて熱心なキリスト教徒で神学者であったことも知られている。その著「プリンピキア」において「美しい天体は知性を備えた強力な意図と統一的な制御があって初めて存在する。神は永遠であり無限なお方である」と述べている。典型的なタイプ1型。

 二十世紀最大の物理学者であったアインシュタイン (1879-1955)はドイツのウルムという町のユダヤ人家庭に生まれた。アインシュタインは1905年の「奇跡の年」に「特殊相対性理論」「ブラウン運動」「光電効果理論」の3つの発見をした。若い頃に無神論者のスピオザの影響を受けたと言われるが「神」は否定しなかった。それはウイリアム・ヘルマンとの対話記録が物語る。そこでは、「宇宙的宗教では宇宙が自然法則に従って合理的であり、人はその法則を使って創造すること以外に教義はない。私にとって神とは、他のすべての原因の根底にある第一原因なんだ。何でも知るだけの力はあるが今は何もわかっていないと悟った時、自分が無限の知恵の海岸の一粒の砂に過ぎないと思った時、それが宗教者になった時だ。その意味で、私は熱心な修道士の一人だと言える」と述べている。アインシュタインはボーアとの量子力学論争で「神はサイコロを振らない」という有名なセリフを吐いた。典型的なタイプ3。アインシュタインの一般相対性理論の解から導かれたルメトールの膨張宇宙論とその帰結であるビッグバーン理論は、時間を逆回しすれば始まりがあることを予想しているが、カトリック教会は「神の存在証明」としてこれを歓迎している。今や教会がタイプ3型に改宗している。創世記はビッグバーン理論の暗喩であったということか。

 チャルーズ・ダーウイン(1809 -1882)は進化論を唱え「種の起源」(185)を著した。ダーウインの一族は自由思想家が多かったが、父ロバートは子どもたちに英国国教会で洗礼を受けさせた。しかしダーウィンは兄妹や母と共にユニテリアンの教会へ通っていた。彼はしばらく正統な信仰を持ちつづけ、道徳の根拠として聖書を引用したが、旧約聖書が述べる歴史には批判的だった。ダーウィンは宗教を民族の生き残り戦略であると書いたが、まだ神が究極的な法則の決定者であると考えていた。しかし1851年の愛娘アニーが死に、神の存在を疑うようになった。いわば、タイプ4型から無神論タイプ0型への転向があったような形跡がある。1870年代に親族に向けて書かれた『自伝』では宗教と信仰を痛烈に批判するようになっている。進化論の思想的な徹底により無神論へ転向したというより、家庭的な不幸が強い作用を及ぼしたと言われている。タイプ0型。

  宇宙物理学や量子力学が宇宙生成の理屈をどのように説明したとしても、なぜビッグバーンが起こったのかを説明はできない。このようなありえない事は神が起こしたのだといえば言えるのである。科学が地平を切り開けば、また向こうに未知の世界が存在する。山頭火の「分け入つても分け入つても青い山」である。神は居場所を奥に奥へと変えるだけだが、ますます人知の及ばないところに行ってしまう。ちなみに1992年ヨハネ・パウロ2世は「ガリレオ事件調査委員会」を設置し、当時の教会の「誤謬」とガリレオの「無罪」を宣言した。そして「宇宙は特異点からはじまた」とする「特異点定理」を主張したスティーブン・ホーキング(1942-2018)に、神の存在を確かなものにしたとして、カトリック教会は1975年に金メダル(教皇庁科学アカデミー創設者ピウス11世賞)を与えた。教皇パウロ2世は「ビッグバン以降の宇宙の進化を研究するのは大いに結構だが、ビッグバン自体を探求してはいけない。それは創造の瞬間であり、神の御業だからです」とホーキングに語ったたそうである。しかし、ホーキングは特異点を否定し、宇宙に「始まり」はなかったとする「宇宙無境界仮説」の構築に邁進していたのである。ホーキングは後に、「教皇がそれをご存知なかっやたのには、ホッとしたよ。私はガリレオと同じような運命をたどりたくはないからね」と回想したと言われている。

宇宙に始まりがあっかた無かったはとてつもない難問ではあるが、天体物理学の理屈はある。一方、生物学の分野では、「生命の起源」がまさに人知の及ばざるところである。最初の原始細胞の生成は、どんなに考えても「神の手」による一撃という奇跡が起こったとしか考えられないほど不可思議なことに思える。これには今のところ、ささやかな仮説さえも出されていない。

 参考図書

三田一郎『科学者はなぜ神を信じるのか』ーコペルニクスからホーキングまでー講談社ブルーバックスB2061、2018年

マリオ・リウ”ィオ『偉大なる失敗』~天才科学者たちはどう間違えたか。早川書房  2017年

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