京都楽蜂庵日記

ミニ里山の観察記録

マルバルコウ(丸葉縷紅)

2019年09月24日 | ミニ里山記録

 

 

 

縷紅草咲き広島の昼の雨   福島壺春

 

   マルバルコウ/Ipomoea coccinea. ヒルガオ科サツマイモ属に分類されるつる性植物。

   近所の空き地に群生していた。アサガオと同じ仲間の一年草である。確かにできた種は朝顔とそっくり。

   江戸時代末期に北米から観賞用として持ち込まれ野性化した。

 

 

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キマダラカメムシ(黄斑亀虫)

2019年09月23日 | ミニ里山記録

 

 

放屁虫ヱホバは善しと観たまへり   川端茅舎

 

キマダラカメムシの幼虫〈2令幼虫)。背中に黒いボタンのような模様がある。

亀虫の仲間は成長にともなって体色やそのパターンが変化するものが多い。

この亀虫も孵化後と幼虫期、成虫でそれが全然違う。成虫は黒褐色で、黄色の小斑紋が散布されている(2016/11/13の記事参照)。頭部から小楯板にかけて黄色の縦条がある。理由は良くわからないが生息環境の違いを反映している可能性がある。サクラ、カキ、サルスベリ、ナンキンハゼなどの樹木につき、とくに、公園や神社、街路樹などでよく見られる。東南アジア原産の帰化種だが、近年、急速に分布を広げていると言われる。

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絶望的状況を意志の力で生きのびた人々の記録 V:佐野三治『たった一人の生還』

2019年09月07日 | 絶望的状況を意志の力で生きのびた人々の記録

佐野三治著『たった一人の生還-「たか号」漂流二十七日間の闘い』新潮社 1992年

(1995年に新潮社から、2013年に「山と渓谷社」からそれぞれ文庫本がでている)。

 

 

 

 前掲のスティーヴン・キャラハン『大西洋漂流76日』もヨットによる海難漂流の手記であるが、これは最初からキャラハン一人の物語りであった。この手記は6人のクルーで遭難、最後まで生き残ったのは佐野一人というさらに過酷な実話である。

 

 1991年12月26日「トヨタカップ ジャパングアムヨットレース」に参加した「たか号」(全長14メートル)は、クルー6名をのせて小網代(三浦市)を出帆した。艇長はベテランの水川秀三。31歳の佐野は飛び入りでクルーとして参加していた。出発の直前まで艇の改修に時間が取られ、なすべき事故対策の準備が不十分であった。この事が後におこる悲惨な遭難の遠因となった。

 27日になって強風が吹き荒れ、メインセールに穴が開きリタイアを検討するが、レースを続行する。そして、29日の夜になって突然ヨットは転覆する。巨大な崩れ波をかぶったのではないかと著者は言う。水川(船内で水死)を除く5名はヨットから抜け出し、海面で逆さまになったふな底にとりついていた。そのうち急にヨットが起き上がったので、デッキに這い上がり固縛してあったライフラフト(ゴム製の丸い救命ボート)を海面に浮かべて乗り移った。備品、食料品、水などはほとんど流されてしまった。ここから太平洋の真中で6人の過酷な漂流が始まる。

 

  漂流が始まってしばらは誰も比較的元気だったが、渇水と餓えで次第に弱り始める。1月9日に2機の飛行機を上空に認める。一機はYS11であったという。10日になってリーダー格の武市俊が死ぬ。翌日さらに鍋島博之と橋本定文、緒方稔の三名がたて続けに衰弱死する。13日の朝方になって、ラフトの天辺にとまったカツオドリを捕らえれて高瀬恒夫と二人で食べる。生のままであったがどの組織も美味しかったそうだ。さらにスコールが来て真水が補給できたのは幸運であった。しかし1月16日に心臓マヒで高瀬が逝く。19日に二匹目のカツオドリを捕獲して一人で食べる。おそらくこれらの食糧と水が手に入らなければ、著者の生命は発見されるまでに持たなかったのではないか。以下本文を一部編集して引用。

「その時は鳥が吐き出した飛魚だけを食べた。二十センチぐらいはある、かなり大きな飛魚だった。目玉や脳味噌は水分があったので食べやすかったが、身の方は、水分をとったいなかったので、咀嚼するのだが、飲み込めない。しかし生きるために食おうと思い、また一呼吸おいて、なんとか飲み込んだ。死を覚悟したなどと言いながら、やはりどこか生きようという本能は残っていた。残した一匹は、その日の夜中に食べている。食いたいと思わなかったが、食うのが生きるための行動だと思い。食おうと決意した」

 

 最後に残った佐野は、25日イギリス船籍の貨物船に奇跡的に救助されたのである。溺れる者はワラをも掴むというが、生存の可能性があれば人はそれにトライするべきという例である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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