京都楽蜂庵日記

ミニ里山の観察記録

時間についての考察 VIII アリストテレスの時間論

2024年10月31日 | 時間学

 

 アリストテレス( BC384-322)は古代ギリシャが産み出した偉大な自然哲学者である。彼はエーゲ海北岸のイオニア系植民都市スタゲイロスに生まれた。17歳でプラトンのアカメディアに入門、20年間そこで学ぶ。BC343年にはマケドニアに招かれ皇太子(後のアレキサンダー大王)の家庭教師を務めた。BC3355年にアテナイに戻り、郊外に自ら主催する学園リュキオンを創設し、様々な研究を主導した。その後起こった反マケドニア運動のために故郷のカルキスに難を逃れそこで亡くなった(享年62歳)。アリストテレスは知の全域を貫通する根源的な問題である「存在」についての書「形而上学」(全14巻)をまとめた。

  時間論については『自然学』(アリストテレス全集第3巻)で述べている。最初は難解な「今」論を展開している。さらにアリストテレスは時間とは「前と後ろに関しての運動の数」であると定義している。ともかく運動という概念が強調され、存在はすなわち運動である、時間は運度の計測によって生ずるものであるという。空間と時間から速度(運動)が派生するといったニュートン力学のモードと違って、まず運動があるとする。相対論ではまず光速が絶対的な量として登場し、空間や時間はそれに隷属しなければならない。アリストテレスの考えはある意味時代に先駆けていた。

  「前と後ろに関しての運動の数」とすれば、時間とは純粋に物理的に定義されるパラメーターかと思える。一方で、アリストテレスは「時間は運動の何か」であるとしても、「たとえ暗闇であって、感覚を介して何も感じられない場合でも、何ならかの動きが我々の心のうちに起こりさえすれば、それと一緒に何らかの時間も経過したと思われる」としている。さらにアリストテレスは「今が前の今と後ろの今との二つであると我々の心が語る時、このときに我々はこれが時間であるというのである」と述べている。いわば脳内での生理的運動(変化)も含めて時間の発生を措定している。すなわち現実に物理的運動を観察しなくても、脳でそれを想起すれば時間が生ずることになる。そうすると自然の『運動の数』を計測するのは人の脳なので、一体どちらが時間発生の根底なのかという問題が生ずる。

 仮にヒトが世界から消滅したらどうなるだろうか?それでも宇宙、地球や他の生物の変化や運動はあるだろう。しかし、それを検知する全てのヒトの脳がなければ時間は消滅するのか?そんなわけがあるはずない。物理的時間、生物的時間(体内時計)、心理的時間はいずれも実存する。

心理的時間が実存するから物理的時間は実存しないとするのが一部の思弁家である。構造生物学者で虫好きの池田清彦氏もその一人である。彼は「放射性元素Aの半減期が5時間であると言うことによって、時間の物理的客観性を措定することはできない。ある時、Aが崩壊する現象によって計測された半減期の5時間と、別の時、Aが崩壊する現象によって計られた5時間が、等価、等質であると考える根拠はどこにもない」と述べている。そして「すなわち、時間が計測され得るためには、我々の内なる同一性の意識の存在が不可欠なのである」としている。彼の前の方の言明は、実は相対論の世界では実際に起こる現象である。ニュートン力学の心理作用にならされた「同一性の意識を持つ」人間には、どうひっくりかえっても想起できず、これを不可思議で矛盾した現象として捉えるのである。言ってみればこの現象こそ、心理的時間の外に物理的な時間が実存することを証明した決定的な事例と言って良い。彼はさらに言語こそ時間を生み出した最基底の形式であるとしているが、言語のなかった頃のヒトの祖先の時代にも時間は存在し流れていた。言語はいわば心理的時間を生み出すために必要だったとは言えるかも知れない。小説『モモ』の中でミャハエル・エンデはマイスター・ホラにこう言わせている。「光を見るために目があり、音を聞くために耳があるのと同じように、人間には時間を感じるとるために心というものがある」心こそ人の言語である。

 参考図書

出隆、岩崎充胤訳「アリストテレス全集 3 」自然学 岩波書店 1976年

池田清彦 『科学は錯覚である』洋泉社 1996

 

追記(2023/11/12)

宇宙の森羅万象における変化や運動のプロセスが時間だと言える。高浜虚子に「去年今年流れる棒のようなもの」と言う有名な俳句があるが、この棒のようなものが時間である。それは第4次元そのものと考えられる。

追記(2024/10/31)

ベルグソンも運動というものは分けてはいけないと述べている。分けて空間化してみなければ気のすまない人間の知性は誤りを犯してしまうと主張する。線分ABをみて運動というものを純粋にみれなくなるという。運動は「直観」でとらえるべきであるというのだ。(高桑純夫著「近代の思想」毎日新聞1957)

 

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人体は時間の間隔をどのようにして計るか?

2024年10月29日 | 時間学

粂和彦(「時間の生物学」-時計と睡眠の遺伝子)

 

 人間の体内時計は睡眠、血圧・脈拍、交感神経や代謝活動などを支配している。昔は、その周期は約25時間と信じられていて、教科書にもそのように記載されている。しかし最近の研究によると、それは約24時間(Circadian)であることがわかっている。被験者の活動の測定や観察の方法によって違うようである。

 この分子生物学分野の著者(粂)によると、人が腕時計なしで、時間の間隔を推定する生理的な仕組みは、血液中のコルチゾールだそうだ。就寝時に「明日の朝は何時に起きるぞ!」と思念すると、それに応じて血液中のコルチゾール濃度が砂時計的に挙動し、セットされた時刻に目が覚めるという。どうして「意識」でもって、そのようなプログラムができるのかわかったいない。著者自身も不思議なことだっと述べている。その後、この研究は進んでいるのだろうか?


 

 

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人類の社会的な集団の適正サイズは150人

2024年10月25日 | 文化

 人類において感染症のエピデミックやパンデミックがおき始めたのは、おそらく人々が集落を形成した以来のことと思える。それでは、本来、人はどれほどのサイズの集団でくらしていたのだろか?

 英国ハーバード大学の人類学者Robin Ian MacDonald Dunbar(ダンバー)教授は、各種の霊長類の大脳新皮質 (neocortex)の大きさがその種における群れのサイズと相関することを発見した(論文1)。大脳新皮質は、群れの増大に伴う情報処理量の飛躍的な増加に対応して、大きくなってきたものと考えられたのである。それまでは、大脳新皮質の進化は生態的問題の解決能に関連していると考えられていた。

 

Dr Robin Ian MacDonald Dunbar

この関係式から計算されたヒト(人)の群れサイズは、約150人ぐらいとされた。ダンバーはまた、クリスマスカードの交換に基づいた西洋社会における平均的なソシアルユニットは、やはり150人ほどだとしている(論文2)。

 ユヴアル・ノア・ハラリはその大著『サピエンス全史』において、噂話によってまとまっている集団の自然なサイズの上限を150人としている。この「魔法の数」を越えると、メンバーはお互いに人を親密に知る事も、それらの人について効果的に噂話をすることもないと述べている。この限界を越えるために、人類は神話という虚構が必要だったというのがハラリのご自慢な説である。

 縄文時代の三内丸山遺跡で約5500年前に集落が形成されはじめた頃、住居の数は40-50棟で人口は約200人ぐらいだったそうだ。これもDunbarの150人仮説に近い。

このサイズが、感染症の抵抗性に関して最適なのかは、今後の研究が必要である。

 

論文と参考図書 

1) RIM Dunbar:Neocortex size as a constraint on group size in primates. 3ournal of Human Evolution ( 1992) 20,469-493.

2) RA Hill and RIM Dunbar: Social Network size in humans. Human Nature (2003)14, 53–72.

亀田達也 『モラルの起源』岩波新書 1654 岩波書店 2017

 

追記(2024/10/25)

ルネ・デュボスはその著「人間への選択ー生物学的考察(紀伊国屋書店)」(p98)で「原始農耕以来、人類は主として血縁者で組織された小集団で生活しており50人を超えることはなかった」としている。150人は歴史時代になってからかもしれない。

 

 

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読解「人新世の資本論」(斎藤幸平著)

2024年10月24日 | 評論

 

 

GDPはなぜ毎年増加しなければならないとされていたのか?

 いままでは、GDPは増え続けなければならないと考えらえていた。この成長神話の背景には、1) 地球のフロンティアは限りなくひろがっているという幻想、2)それと連動して人口も制約なしに増加するという幻想があった。こういった幻想を現実が、木っ端みじんに打ち毀しつつあることを本書はまず指摘する。西部開拓史のように未来が希望にあふれたフロンティアは消滅し、残された宇宙スペースは人類が快適にすめる空間ではない。文明諸国では政府の少子化対策にかかわらず人口は減りつづけている。資源のフロンティアが喪失しただけでなく収奪するべき安価な労働力のフロンティアがなくなりつつある。一時期、中国の膨大な安価な労働力を求めて日本を含めた資本はここに工場を建設したが、そこでの賃金の高騰をうけて、他の東南アジア諸国(ベトナム、タイなど)に移転しつつある。フロンティアが限界に到達したというだけでなく、人類の活動によって地球環境は破綻し、気候変動やパンデミックによって、とんでもない厄災が人々に降り注ごうとしている。それにも関わらず、資本主義と文明社会が、さらなる「発展」をもとめて、いかに悪あがきしているのかを、マルクス主義の立場から本書は批判・告発しようとする。

 SDGs運動に象徴される「持続可能的な発展」や「緑の経済成長」は矛盾の外部転嫁にすぎない。外部転嫁には空間的なものと時間的なものがある。EV(電気自動車)や水素燃料自動車は都市部や文明国の局所的環境(都市)を保護し、周辺部の地方や他の国の環境を破壊している。おまけに地方の火力発電所が発生する炭酸ガスや廃棄ガスは回りまわって都市部にも到達した上、地球全体の温度環境を上昇させる。子供でもわかるこんな理屈を無視して成長路線で経済活動をつづける資本主義には、グレタ・テューンベリさんでなくても怒りがわいてくるというものだ。「中核部の廉価で便利な生活の背景には周辺部からの労働力の搾取だけでなく、資源の収奪とそれに伴う環境負荷の押し付けがある」と著者はいう(p33)。それゆえに地方や未開発国の収奪や環境破壊は、ここに棲む若者の離脱・過疎化を促進する。一方、都市はますます過密化し、その自然環境は劣化する。

 

洪水よ我が亡き後に来たれ!

 矛盾の空間的転換だけでなく、時間的転嫁を資本主義は行なおうとしている。「炭酸ガスの排出量を制限して地球温暖化を防ごう」というスローガンはもっともらしが、これがまさに時間的転換である。「10年後に起こるクライシスを20年後までに引き伸ばそう、その間に、賢明なるホモ・サピエンスは科学の力で解決法を考えつく」と説諭するのである。余命宣告1年の末期がん患者に抗がん剤を投与して、生存期間を2~3カ月延ばすようなものだ。その間に魔法の抗がん剤が発明されるよ...。たとえ炭酸ガス問題をクリヤーする方法を発明しても、別の新たな矛盾が出てきて、世界は必ず暗礁にのりあげる。たとえば、低温核融合が完成したとする。これの燃料は水素(重水素H2、トリチュウムH3)なので、エネルギーは無尽蔵に供給される。CO2も出ないし、原子力発電のように危険な核燃料廃棄物も出ない。すなわち無限にクリアーなエネルギーを得ることができる。しかし、エネルギーが、たとえ無尽蔵でも、他の資源は有限なので、文明の律速物質が人類の経済を制約する(このクリティカルな「物」が何かは研究が必要である。おそらくレアーメタルのようなものではないかと著者はいう)。自然のフロンティアは有限かもしれないが、人の英知のフロンティア(イノベション)は無限であるという考えもある。しかし、どんなに工夫しても無から有は生じないし、どの分野にも収穫逓減の法則がある。世界における資源の総消費量は約1000億トンである。2050年には1800億トンがみこまれる。一方、リサイクルされているのはわずか8.6%。これでは持続可能性なんかありえない。ともかく、今が良ければ、未来社会の迷惑などでうでも良いというのが現代文明であり資本主義なのである。マルクスの資本主義分析は資本家でも参考にしているように、著者のグローバル資本主義分析は正鵠を得ている。

 

弁証法の魂は否定である。

 マルクス哲学(思考法の基本)は唯物弁証法である。物と物の発展的な関係が、運動の法則の基盤をなすと考える。発展的な関係のベースには否定があると考える。ある時点でAの状態がBになるのは、Aを否定する力がはたらいてBになるからだ。資本主義では労働者の労働(価値)を否定(搾取)して、その価値を新たな資本に転換する。新たな資本は、そこでまた労働者を搾取する否定の循環が生じる。この資本による「労働の否定」を否定するのがマルクス主義である。否定こそが弁証法の魂であり、否定によってこそ世界は変転し進化する。マルクスはそのように考えた。社会における発展原理は、それぞれの時代で否定の主体である階級(あるクレードの人の集団)が存在したので明確である。

 それでは資本主義による自然(地球)の否定(破壊・収奪)についてはどうなるのだろうか。著者(斎藤氏)によると、マルクスは社会と同様に資本主義が地球を収奪していると主張したとしている。はたしてどうか?マルクス自身もそのような事例を散発的に文献引用しているだけで、体系づけてこのテーマを展開していないように思う。そもそも、人類が自然を破壊してきたのは、石器時代、古代メソポタミア、アテネギリシャ時代からのこととされている。近代の産業革命以降になって規模が拡大した。ひょっとすると、原始人類が火を発明したあたりから自然破壊は始まったかも知れない。自然対資本主義ではなく、自然対人類とすれば、考え方は根本的に違ってくる。自然と人社会の矛盾を、一羽ひとからげに資本主義のせいにできないとすると、話が全然ちがってしまう。

 

エコロジストとしてのマルクス

 斎藤氏によると対自然(地球)に対するマルクスの思想は生産力至上主義(1840-1850)、エコ社会主義(18860年代)、脱成長コミュニズム(1870-1880)と変遷(発展?)したとしている。最後の脱成長コミュニズムについては著者による新説である(多分)。ゴータ綱領批判の一節を引用するなどして、論じているが牽強付会の感をまのがれない。

この説と労働者の解放との関係についても何も述べていない。資本主義からの労働者と地球の解放はカプリングしたものであるはずだ。社会における資本による人の収奪にたいしてのマルクスの姿勢は明確である。教科書的には「共産党宣言」を読めばよい。労働者は団結して資本家を打倒することになる。それでは資本主義を廃止すればおのずと、地球に対する収奪はなくなるのだろうか? 著者によると、マルクスの書き物やノートで本としてまとめらえている部分はごく一部だそうだ。膨大な未収集の資料を編集して、欠落した思想を完成させる必要があるとすると大変な努力がいる。きっとマルクスAとマルクスBとか、いろいろなマルクス思想が出てくるだろう。なんとも気の滅入る話である。

 著者はマルクスを引用して「否定の否定は、生産者の私的所有を再建することはkせず、協業と、地球と労働によって生産された生産手段をコモンとして占有することを基礎とする個人的所有をつくりだすのである」としている。著者は、さすがにこれではまずいと考えたのか、この後で、「コミュニズムはアソシエーション(相互扶助)に支えらえたコモン主義である」という論を展開している。環境学に出てくる「コモンズの悲劇」は、誰でも利用できる共有資源の適切な管理がされず、過剰摂取によって資源が枯渇してしまい、回復できないダメージを受けてしまうことを指摘した経済学における法則のことである。著者は分別のあったゲルマン民族のマルク協同体やロシアのミールを規範としているが、中世やロシア封建制の頃の生産システムや意識が、近代や現代にどのように適応できるのだろうか? 

 <労働と資本>の矛盾、<生産と自然>との矛盾の相互関係およびそれの超克の方法が、この書では明示されていない。これらは一元化されて解決できるのか、2元的に扱われのかといった問題が取りあつかえわれるべきテーマといえる。これは残念ながらどこにも見当たらない。

 

階級はどこにいったのか?

著者は矛盾の超克の具体的な方法として、ワーカーズ・コープ(労働者協同組織)というものを提唱する。これは労働の自治、自律に向けたもので、組合員が出資し経営し労働を営むものである。しかし資本主義と並行して、このようなシステムがあったとしても、競争に勝てるわけがない。これは資本の徹底廃棄の上で可能なものである。しかし資本家が、やすやすとそれを許すはずがなく必然的に厳しい階級闘争が起こる。「否定の否定」には断固とした意思としての階級が登場する必要がある。しかし、本書はマルクスを論じた著書にもかかわらず、階級という用語はほとんど出てこない(ケア階級という意味不明な言葉は出てくる)。階級闘争という言葉は、もうしわけ程度に一度出てくる (p214)。ここではバスターニの民主社会主義的コミュニズム批判がなされ階級闘争の視点が抜けていると批判しているが、著者の文脈にも総体として、それが抜けているのだ。その意味でも不思議な「資本論本」である。

 

感染症についての考察

 コロナ禍を人新生の産物としている。しかし、中世のペストをはじめ古代からエピデミックやパンデミックの歴史は数しれない。近代資本主義のパンデミックは、スペイン風邪からと思えるが、それ以前のものとの質的・構造的な違いを明らかにしてほしかった。規模と速度の問題以外に、むしろ、その影響の質的な違いがあるはずである。さらに、余計な注文をつけると、ウイルス感染から「思想の実効再生産数R」についても考察してほしかった。起源ウイルスはたとえ一匹でRが2でも、短期間にパンデミックになる。一人の革命思想家ー共鳴グループー階級意思へと「思想感染」がおこる道筋(おそらくローマ時代のキリスト教の拡大に似た)のダイナミックスを疫学が提示してくれている。

分業による疎外の問題

資本主義労働による人間疎外は分業の徹底によっておこっている。生産手段や土地を共有するだけでは解決しない問題である。著者は個人の趣味(全体作業)によってそれが補完されるというが(p267)、それではあまりに寂しい。マルクスは「経済学・哲学草稿」において、労働によって人々が没落し貧困化するのは、労働と生産の間の直接的な関係における「労働の本質における疎外」にあるとしている。これはフォイエルバッハの人間主義的で自然主義的を基準にしたものである。資本主義的労働のもつ矛盾を自ら工場に入って経験したシモーヌ・ヴェイユは、それはまさに奴隷労働であるとのべた。ITの完備したモダンな事務所での労働もその本質は変わらない。彼女は人間は何によって偉大なのかを希求した。

 

総合評価

 総合していうと、この本の著者は博覧強記の若手社会学者で様々な視点で問題提議してくれているが、マルクス思想の「筋」(疎外された労働、階級の問題)から外れているように思える。

 

参考文献

鈴木直 「マルクス思想の核心」NHKBOOKS 1237 NHK出版 2016

座小田豊 「マルクスー経済学・哲学草稿」(哲学の古典101) 親書館 1998

鎌田慧「自動車絶望工場」(講談社文庫2005)

片岡美里「シモーヌ・ヴェイユ ー真理への献身」(講談社1972)

追記:「マルクスは人間が自然に働きかける外に生きる道のないのをさとった。自然に働きかけるのが労働である。自然のもっている物質をとってこれを生産手段とした瞬間に人間は動物から分かれて人となった」と向坂逸郎は書いている(「マルクス伝」(新潮社1962)。そうならば道具の発明から人と自然の対立関係が発生していたのかもしれない。

 

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蛋白質と囲碁の構造的類似性

2024年10月22日 | 評論

              蛋白質の3次構造

 

 タンパク質は1次~4次構造まで規定されている。1次構造は構成アミノ酸の配列順序、2次構造はペプチドにおけるα-螺旋、β-シートなどををいう。3次構造は全体の立体的構造(上記図)である。さらに複数のペプチドが相互作用してコンプレックスを作りたものを4次構造という。このような空間構造が蛋白の酵素作用やホルモン、細胞維持などの機能を発揮する。

 

 

            囲碁の棋譜

 

 囲碁の黒石、白石をそれぞれアミノ酸と考え、二つのタンパク質の絡み合いによるゲームと考えることができる。1次構造は石の連結の様式、2次構造はその連結でシチョウ、ゲタ、ウッテガエシ、アツミなどの機能をもった部分、3次構造はまとまった空間を囲む集団といえる。黒白の二つの集団の相互作用は、具体的には「地」の計算のことで、これで勝負が決まる。

 囲碁試合における要諦の基本は、序盤では石の連結(1次構造)、手筋(2次構造)が大事で、中盤と終盤はどこで、3次構造としての集団を作るかで勝負が決まる。

 

 

 

 

 

 

 

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ミツバチに刺されると健康になる?

2024年10月20日 | 環境と健康

 

 

 ミツバチを飼っていると、年に2~3回は刺される。刺されると、しばらく痛カユいが、我慢していると2~3時間で治まる。ミツバチの毒液は、化学的カクテルで、その中にアパシンという成分が含まれている。これはカルシウム依存性カリウムチャンネルを遮断して、ニューロンにインパルス(活動電位)を発射しやすくさせる働きを持つ。大量に投与されると痙攣を引き起こすが、少量ではドーパミン作動性ニューロンの受容体を刺激して心地よい興奮を生ずる。

蜂針療法ではミツバチの針を刺して少量の毒液を皮膚に注入し、身体の痛みや肩こりを軽減する。一種の代替医療である。

 クリスティー・ウィルコックスの著には、ミツバチに刺されて、難病のライム病が治癒した女性科学者の話しが紹介されている。この有効成分はメリチンというタンパク質らしい。このメリチンは、HIV(AIDSウィルス)を破壊するという報告もある。さらに、ミツバチの毒液の別の成分の一つ(phospholipase A2)も、HIVを殺すことが報告されている。

 ほかにも顔のシミをとる成分や、多発性硬化症を改善する成分もミツバチの毒液は含んでいる。毒は薬というが、組合わせによって不思議な作用を示す生体有機化合物を自然は造ってくれた。

 

参考文献

クリスティー・ウィルコックス 『毒々生物の奇妙な進化』(垂雄二訳)文春文庫, 2020

David Fenardet et al., (2001) A peptide derived from bee venom-secreted  phospholipase A2 inhibits replication of T-cell tropic HIV-1strains via interaction with CXCR4chemokin receptor. Molec. Pharmacol. 60, 341-47.

追記(2024/10/20)

ハチやアリに刺されたり嚙まれときの痛さを、アメリカの昆虫学者Justin Orvel Schmid(ジェスティン・シュミット)は1ー4プラスの段階に分けた。1はコハナバチで「軽く一瞬だけの心地よい痛さ。腕の毛一本が焦げた感じ」だそうだ。2はミツバチで「自分の皮膚でマッチを擦った痛さ」。3はレッド・ハーベストアリで「厚かましく無遠慮な痛さ。肉に食い込んだ足の爪をドリルで掘る痛さ」。そして最高の痛さ4+はサシハリアリで「純粋で強烈で見事な痛さ。五寸釘の混じった焼けた炭の上を素足であるく感じ」とのべている。本当にそんな経験があるのかと聞きたい。

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ミツバチの飛行速度はヒトに換算するとジェット機並!

2024年10月20日 | ミニ里山記録

 

 トーマス・シーリー (1952~)はコーネル大学神経行動学の教授である。分蜂群がどのように巣を選ぶかといったメカニズムに集合知のようなものがあることを発見した。シーリーの著『野生ミツバチの知られざる生活』(青土社)によると、ミツバチの巡航速度は時速約30kMだそうだ(蜜胃が空のとき)。ミツバチ成虫 (体長1.5cm)とヒト(計算上身長1.5mとして)を比較して、これをヒトの速度に換算するとなんと時速は約3000kmになる。これは航空自衛隊のF-15戦闘機のそれに匹敵する。ミツバチは3kmを6分で飛行するが、3kmはヒト換算で300kmである。京都を起点とするとこれは、静岡県島田市付近である。彼らは自分の大きさを考えると、恐るべき長距離を短時間で移動していることになる。

 シーリーによると、セイヨウミツバチの野外巣の最適環境は、南向き、高さ5M、入り口(12.5cm2)、底部巣口、容積40L、巣板付属といったところである。巣の形や湿度、隙間の有無はあまり入巣には影響していない。彼はさらに1871例の尻振りダンスを解析し、えさ場の距離を計測し分布をまとめている。コーネル大学の「アーノットの森」では、えさ場は再頻度0.7Km、中央値1.7Km、平均距離2.3km、最大距離は10.9kmであった。平均距離は時期によって2-5kmの間で変化した。ニホンミツバチを用いて同様の研究が佐々木らによって玉川大学構内で行われた(1993)。その結果、ニホンミツバチはセイヨウミツバチに比較して近い(2km以内)えさ場を利用しているようである。ただ、これらのデーターは資源の様態によって当然変化する事を忘れてはならない。

 シーリーは距離や方角だけでなく野外コロニーの巣を発見する方法も開発した。ある地点にエサ(砂糖水)を置き、ミツバチを誘因する。それにマークを付けて、飛んで来る直線方向(ビーライン)にえさ場を移動し、再度、ミツバチを誘因する。マークの付いた個体がえさ場に通う時間を計算しておおよその巣の位置を特定した。

シーリーは最後に「ダーウイン主義的養蜂のすすめ」を提唱している。理想とする養蜂とはミツバチをできるだけ、その自然の生き方に干渉せずに飼育するというものである。具体的には1)環境に遺伝的適応したコロニーを飼育すること。ニホンミツバチの場合は、例えば東北地方のコロニーを西日本に輸送して飼うなどは、遺伝的攪乱の可能性がある。2)適度な密度で飼育することも肝要なことである。高密度飼育は盗蜂や他巣入りを誘導する。また病気の感染が一気に広がるリスクが高い。3)巣の容積は40L以下に抑えるべきである。大きな巣は、自然分蜂を妨げ、ダニなどの感染爆発を引き起こしやすい。また資源の局所的枯渇を引き起こす。4)多様な資源の下に、ミツバチを飼育する必要がある。資源の多い場所でのコロニーは病気になりにくい。などなど....。ミツバチを飼って単純に「エコ」だと思うのは間違。

 

参考図書

佐々木正己 『ニホンミツバチー北限のApis cerana』海游舎 

 

追記2024/10/20

一秒で自身の体長の何倍移動できるかをBLPSという数値で表す。知られている限り最大のBLPS生物は長さ数ミリのカイアシで1,778だそうだ。人はせいぜい6.1。ミツバチは計算すると、おおよそ500ぐらいでハチドリの385より大きい。

参考:ジョエル・レビィ著 「デカルトの悪魔はなぜ笑うのか」創元社 2014年

 

 

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正岡子規の碁俳句

2024年10月18日 | 評論

病床の子規。明治33年4月5日

 2017年10月頃の日本棋院のHPをみると、正岡子規が第14回囲碁殿堂入りしたという。子規は日本の野球殿堂にも入っている。なんでも最初に始めた人はハッピーである。晩年、結核性の脊髄カリエスという死の病に冒されていたが、子規庵で精力的に文芸活動を続けいていた。また無類の碁好きで、病床に碁盤を持ち込んでいたそうだ。その子規は、たくさん碁の俳句をつくった。それらを可能なかぎり集めてみた (ただしインターネット収集なので「全集」での確認が必要である)。

 涼しさや雲に碁を打つ人二人

 短夜は碁盤の足に白みけり

 碁丁々荒壁落つる五月雨

 蚊のむれて碁打二人を喰ひけり

 修竹千竿灯漏れて碁の音涼し

 共に楸枰(しゅうへい)に対し静かに石を下す    *(楸枰は碁盤のこと)

 碁の音や芙蓉の花に灯のうつり

 勝ちそうになりて栗剥く暇かな

 月さすや碁を打つ人の後ろまで

 碁にまけて厠に行けば月夜かな

 焼栗のはねかけて行く先手かな

 蓮の実の飛ばずに死にし石もあり

 昼人なし碁盤に桐の影動く

 蚊のむれて碁打ち二人を喰ひにけり

 碁に負けて偲ぶ恋路や春の雨

 真中に碁盤据えたる毛布かな

 月さすや碁をうつ人のうしろ迄

 

       明治31年新年ある日の子規庵(下村為山画昭和10年)河東碧梧桐の思い出が書かれている。

追記2024/10/03

子規が野球で遊んだ上野公園の野球場は子規の名前がついている。「打者」「走者」「飛球」などの訳語を考えたのも子規である。

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スムシがいないと地球はミツバチの巣盤で溢れる!

2024年10月16日 | ミニ里山記録

 

 スムシはミツバチに付き物の寄生者である。種類としてはハチノススズリガ(Galleria mellonella)やウスグロツヅリガ(Achroia innotata)などがいる。

ホンミツバチの巣が突然、オオスズメバチの群れに襲われて逃去した。重箱式巣箱の上段3個は蜂蜜が詰まっていたので、これを収穫し、下段2個をスムシの分解実験に使った。そこには幼虫や花粉の入った巣盤が詰まり、巣の底には、うろうろする小さなスムシの幼虫が2-3匹いる状態だった(写真 1)。

(写真1.)

 

3週間ほどたって、どうなっているか見てみると、巣盤のほとんどが解体されており真ん中は抜けていた(写真2.)

(写真2)

 

 

さらに1週間後には、中の巣盤はほぼ完全に分解されて、巣の底に黒い細かな糞が大量に溜まっているのが観察された(写真3)。おそるべき消化分解力といえる。雑食性で木材やプラスチックなども分解するらしい。庵主はスムシが発泡スチロールをボロボロにしているのをみたことがある。

(写真3)

 

肝心のスムシはどこにいっかたというと、上に重ねておいた最上段の重箱の天井に何十頭も繭を作りそこに入りこんでいる(写真4)。蟻を防御するためか頑強な繭で、ペンチで引きはがすのに苦労する。こんな数のスムシがいままでどこに隠れていたのだろ?

(写真4)

ミツバチの巣盤はワックス(炭化水素)だから、カビや微生物では分解は困難で、スムシの迅速・完全な消化がなかったら、おそらく野山の営巣場所では使いものにならない古巣がいつまでも残っているだろう。おまけにスムシの幼虫は木材に朽ちこみをいれるので、巣穴の拡大にもなる。

 スムシは養蜂の嫌われ者のように扱われているが、生態系の重要なリサイクラーなのだ。そもそも、スムシがわくからミツバチが逃げるのではなく、なんらかの理由でコロニーが弱体化するのでスムシが繁殖するのである。それまではおとなしい掃除屋として、隅のほうで共生しているのだ。ミツバチ弱体化の原因を取り除かなければ、これを排除しても解決にはならない。スムシはミツバチの有益な共生者である。

 

 

 

 

 

 

 

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ルネ・デュボスの健康思想: 幸福な健康とは?

2024年10月14日 | 環境と健康

   

 ルネ・デュボス(René Jules Dubos、1901-1982)はフランスのサン・ブリス・スー・フォレ生まれ。1921年にパリ国立農学研究所を卒業し、当初は科学ジャーナリストとして働いた。1924年に渡米し、1927年にラトガース大学からPh.Dを取得した。その後はロックフェラー研究所に所属し、1957年に教授となり1971年に退職した。主として微生物学を研究。環境生理学関係の多くの啓蒙書を著す。ここでデュボスの名著「健康という幻想」(Mirage of Health)の読解を行う。現代における人類の健康と幸福を考える上できわめて重要な書の一つである。デュボスは病気の原因は主因(病原菌)と人の生理状態を規定する遺伝子要因と環境要因の二つが重要なことを主張している。主因の科学的研究は格段に進歩したが、背景の環境作用についてはあまりわかっていない。

(1)健康とは環境により規定される相対的な状態である。

 古代人類が地球で活躍していたころ、まず大自然があり、その円環の中に人類社会の小さな円環が包摂されていた。自然の円環はある周期で回転し、それにカップルして社会も人も連動して活動しいてた。ギリシャや中国の哲学者は、古代においては「人々は愉快に飲み食いし、好きに働き好きに飲み食いし、病気で苦しむこともなく、いつか眠るがごとく大往生をとげていた」という黄金伝説を考えた。ジャンジャック・ルソーも自然に反する生活や社会が人を不幸にしていると考え「自然に帰れ」と唱えた。

 しかし、デュボスはそんな神話はなかったと言う。現生の原始未開民と同様に、ドップリと自然にひたって暮らしていたが、彼らは様々な苦難を体験していた。避妊や堕胎の知識はなかったので、多くのケースで人減らしのための間引きがおこった。誕生がすなわち死を意味する過酷な時代であった。その第一関門を潜り抜けてきても、文明社会ではかからないような皮膚病、寄生虫、土着病(マラリアなど)に苦しみ、ケガによる破傷風、毒虫と蛇などの害や捕食者のリスクに日常的にさらされていた。現代の感覚や考え方では、「古代=自然=幸福」とはとてもいえな状態であった。ただ、赤ん坊や幼児期における最初の「間引き」で生き延びた人々は、その環境に遺伝的適応をしていたので、文明人が辟易するマラリアなどの疾病に耐性をもって延びることができた。人間(生物)の健康は、それぞれの環境への適応によって違った仕方で維持されているのである。平均寿命は短かかったが、その生涯は自然との「交流と戦い」という波乱にみちたもので、ビルの谷間でなんとなく年老い死んでゆく現代人よりも充実したものであったかもしれない。「古代=未開=みじめ」とは言えなかったのである。

 デュボスはタンネスの書いたの次のような記事を引用している。

 「エスキモーは太陽の下にある、一番貧乏で野蛮な国民の一つだが、彼らは自らとても幸福で世界で最高に恵まれた人間だと信じている。かれらは他の人たちには耐えられないような不断の悩みや苦しみを、ちっとも気にしてない。かれらの生活の大部分は衣食に関する絶対的必要物の獲得に費やされたがたいしてめんどうと思っていない」

 未開人が文明社会に投げ込まれたり、反対に文明人が熱帯や極地で生活すると、急性あるいは慢性の病気にとりつかれる例が、たくさん紹介されている。ルソーの「自然への回帰」の掛け声は、ある意味自己撞着の思想で、人間を本性にひきもどす自然などはなかった。

 

(2) 病原菌は必要条件で発病には十分条件が必要である

 19世紀の終わりまで、病気の原因は人とその環境の間の調和が欠ける為と考えられていた。古代ギリシャのヒポクラテスによると四つの体液間のバランスの崩れが病気をおこすと唱えた。中国では陰と陽の組み合わせがその原因であるとした。しかし近代になって、ルイ・パスツールローベルト・コッホおよびその後継者達は、唯一特別な微生物によって病気が生ずるとした。この特異的病因論が、その後の医学の理論的支柱となり治療の実践の要諦となった。

 ところが病原体を摂取したり、感染しても発病しない例がたくさん見つかった。1900年ごろドイツのベツテンコーファーやフランスのメチニコフはコレラ菌をたっぷり飲んだが、発症しなかった。コレラ菌がまず腸管に定着し、発症するために幾つかの条件が必要と思われる。感染症の発病には、まず必要条件としてウィルスや細菌のような微生物が要求され、さらにそれが体で増殖、発病するための十分条件が整わなければならない。必要条件の研究はやりやすいので進んでいるが、十分条件の生理的研究はあまり進んでいない。たとえばCovid-19についても原因ウィルスのSARS-Cov-2の分析はさかんになされているが、発症のメカニズムはよくわかっていない。ウィルス感染者の8割が無自覚ないし軽症なのに、2割が重症になる理由は体質的なものか患者の内部環境の問題かは、大いなる研究課題である。

(3) 医学の進歩が疾病を減らしたのではなく公衆衛生学が環境を改善したからだ。

産業革命以来、都市の悲惨な生活は結核、麻疹、天然痘、コレラなどを蔓延させた。このような文明病を抑えたのは、医学の進歩ではなく公衆衛生学であった(「スノーの井戸ポンプ」)。血清、ワクチン、抗生物質は2次的なもので、これらが発明される以前に、これらの病気は撲滅とは言えぬまでも、かなり減っていた。医学が病を撃退したというのは、潮が海辺から引き始めているときに、バケツで水をくみだして大洋を空にしていると主張するようなものである。

(4)健康のプロセスは二つの生態的(複雑系)システムの相互作用で成り立っている。

二つの生態システムとは内部環境と外部環境の事である。内部環境は個体における細胞、体液さらに組織というお互いが平衡メカニズムをもった複雑な網状構造を通じて相互に関係しあっている。一方、外部環境も予測出来ない複雑なもんで、物理化学的なものだけでなく、社会的、生物的な要因も含んでいる。これ自体が相互作用をもち、その一つの波乱が一方に多大な影響を及ぼす。

(5) ある地域に特異的な病気には、それを治す自然の仕組みがどこかにある。

エドワード・ストーンはこのような哲学から、柳の外皮のエキスに含まれるサリチル酸が低湿地の住民のリュウマチに効くことを発見した。これのアセチル化合物がアスピリンである。

 

参考図書

ルネ・デュボス 『健康という幻想-医学の生物的変化』田多井吉之介訳、紀伊国屋書店1983

 

追記(2024/11/31)

アンドレ・ゴルツ「エコロジスト宣言」(高橋武智訳1980)でも同様に、結核なのど疾病が近代において減少したのは医療のおかげでなくむしろ生活習慣や衛生環境の改善によるとしている。

 

 

 

 

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悪口の解剖学 : Nature誌なんかぶっ壊せ!

2024年10月11日 | 悪口学

 DNAの増幅法であるPCR (polymerase chain reaction)の発明者でノーベル化学賞受賞者 (1993)であるキャリー・マリス博士(Kary Banks Mullis 1944-2019)の伝記「マリス博士の奇想天外な人生」(福岡伸一訳、早川書房2000)はとても面白い。マリスはアメリカの生んだ型にはまらない破格の科学者で、その破格ぶりはこの書にいかんなく披露されている。

 

       

  (1993年キャリー・マリスノーベル化学賞受賞)

 マリスは1966年に「時間逆転の宇宙論的な意味」というタイトルの論文をNature誌に投稿した。当時、彼はカリフォルニア大学バークレー校の生化学専攻の無名な大学院生にすぎなかった。天文学や宇宙論の専門でもなく、ひやかしのつもりで投稿した論文がNatureに採択されるなどとは、まったく期待していなかった。しかし、驚くべき事にそれは掲載と判断され堂々とNatureの数ページを飾ったのである。世界中から、その論文別刷りの請求が届き、通信社は「奇想天外なSF小説に聞こえるかもしれないが、マリス博士の鋭い洞察によれば宇宙に存在する物質の半分は時間に逆行しているという」と報じた。まだ大学院生だったマリスは面食らって科学の世界はどこか狂っていると感じたそうだ。

 後にPCR法を開発したマリスは、このときも意気揚々と原稿をNatureに投稿した。この本によると方法はデートの最中に思いついたそうである。革命的な発明とおもえたので(実際そうだったが)、この論文はすっきり採択されると思い込んでいたのである。しかし、Nature編集部の返事はなんとreject(掲載拒否)であった。彼は仕方なくScience誌に再投稿したが、ここでも掲載拒否。ごていねいな事に、「貴殿の論文はわれわれの読者の要求水準に達しないので別のもう少し審査基準のあまい雑誌に投稿されたし」という嫌みな手紙がそえられていた。結局、それは「酵素学方法論」というあまり名の知られない雑誌に掲載されたが、それが1993年のノーベル賞の受賞論文となったのである。マリスは金輪際、これらのNatureやScienceに好意をもつことはしないと誓ったそうである。

  Nature誌やScience誌に研究論文や記事が掲載されたりすると、日本では赤飯を炊いてお祝いすると言う。それほど、これらはインパクトの高い権威ある雑誌として認定されている。新聞記者も掲載後、いそいそと著者のところに記事をとりにくる。「Natureなんて、昔はデモシカ雑誌だったよ」という年寄りの先生がいたので、1950年以前はたいした雑誌ではなかったようだ。ところが1953年にワトソンとクリックによるDNA二重螺旋の論文が発表されたころから、急に掲載が難しくなった。ワレモワレモとうぬぼれ屋が投稿し始めて掲載率が低くなったせいもある。しかし、激しい競争と厳しい審査の眼をくぐり抜けて掲載されたはずのNature論文の信憑性に疑義が投げかけられた例は、STAP細胞のみならず枚挙にいとまがない。売れる雑誌をモットーにする商業主義が、大事な基礎研究を無視し見てくれのインチキ研究をたくさん拾うといった構造を生んでいるようだ。

 

追記(2024/10/11)

 マリス博士はHIVはAIDSの原因ではなく、結果であるという説を持ったいたので、医学界でのあらゆる講演が拒否された。彼は免疫不全は不健康で不自然な生活が引きおこすものであると主張した。これは間違っていたが、「人のいうことを鵜呑みにしない」を人生の主義にしていた博士らしいエピソードである。多分、彼の言うことは半分ぐらいは真実で半分はとんでもない間違いのようである。毒蜘に刺されて皮膚が化膿しペニシリンの助けをうけるまでのエピソードは、マリスの「とんでもない」の側面を物語っている。また思念をこらすと身体の電気抵抗が変わるので、電気スイッチになるという挿話はほんとうなんだろうか?

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悪口の解剖学 IV フランシス・クリック、おまえもか!

2024年10月07日 | 悪口学

  

 

 遺伝子DNAの二重螺旋構造を解明したジェームズ・ワトソン(1928年 - )とフランシス・クリック (1916年- 2004年)は、「ワトソン・クリック」としてまとめて称せらえるが(一人の科学者だと誤解している人もいる)、アインシュタインとともに20世紀のもっとも著名な科学者である。ワトソンはノーベル賞受賞後、教科書を書いたり、アカデミーのマネジメントに力を注いだ。しかし、Wikipediaの記事を読むと、晩年になって人種差別発言を繰り返すなど、とんでもないジイサンになってしまったようだ(当年96才)。ノーベル賞受賞後に『二重螺旋』という本を書いた若い頃から、すでに「データー泥棒」とか「セクハラ野郎」とか批判されていた。一方、クリックの方は、意識(脳)の問題に取り組んで比較的まじめに研究を続けていた。マット・リドレーの著「フランシス•クリック:遺伝子暗号を発見した男」(勁草書房)では、クリックも個性の強い人物に描かれていが、ワトソンのような「露悪家」のようではない。庵主も、やはりイギリス紳士はヤンキーとはだいぶ違うと思っていた。

 ところが最近、ドナルド・R・キルシュとオギ・オーガス(この人はライター)が書いた 『新薬の狩人ー成功率0.1%の探求』を読んで、クリックに関してとんでもない悪口が書かれているのを読んで仰天した。以下、その部分を転記する。

 『私(キルシュ)はニューヨーク州ロングアイランドで聞かれた、とある一流の生物学学会に出席したときの出来事を思い出す。その学会はDNAにほぽ的を絞ったもので、ある若い博士研究員が、きわめて長い人間のDNA鎖(長さは三メートルあまりに及ぶが、幅はわずかニナノメートル)が、どのようにして極微の細胞核の狭い空間に詰めこまれるのかについて発表した。その若者は、自信なさげで発表はしどろもどろだったが、今日では彼が得た知見は基本的に正しかったことがわかっている。ポスドクが発表していると、突然、フランシス・クリックが演壇の前に歩いていった。クリックはDNAの構造を発見した研究者の1人で、世界でも特に名高い生物学者だ。クリックは演壇の真ん前に立って、その若者と向き合った。二人の鼻先はわずか三〇センチほどにまで近づいた。ポスドクは、この科学界の伝説的人物の異様な出方に落ち着きをなくしていったが、急いでなんとか話の最後までこぎつけた。発表が終わるやいなや、クリックが大声で言葉を発した。

  「きみの話は本当に終わりましたかね?」

 若者はうなずいた。クリックはゆっくりと聴衆のほうに顔を向け、こういい放った。

  「みなさんはどうなのかわかりませんが、これはまったくアマチュアの話であり、私はこの会議でこれ以上我慢したくありません」。

想像するに、センメルヴェイスも、あの向上心に燃えた若い生物学者と同じような屈辱を昧わったにちがいない』(以上)

  イグナーツ・センメルヴェイスはハンガリーの医師で産褥熱の原因が、分娩中の細菌感染であるという仮説を主張した人である。センメルヴェイスは誰からも相手にされず、最後は精神病院に入れられて亡くなった。19世紀末の話である。キルシュは現代においても、学会の権威者というものが、いかに新規の学説に対して保守的であるかを示すエピソードとして、クリックを登場させたのである。否定は弁証法の魂といわれるので、学説に反論したり否定すること自体は問題ではないが、その非人間的で強圧的な態度である。庵主が学生の頃、分子生物学の勃興期には、ワトソンとクリックは燦然と輝ける星のようであった。年老いるということはまことに悲しいことではある。

参考図書

ドナルド・R・キルシュ、オギ・オーガス 『新薬の狩人ー成功率0.1%の探求』(寺町朋子訳)2018 早川書房 

 

追記 

 ワトソンの「二重らせん」(1968)を読み返してみると、クリックはもともと思慮深いイギリス紳士ではなく、真逆の人間だったことが書かれている。この本の書き出しが「フランシス・クリックがおとなしそうに控えていたことはない」で始まることから、その事はわかる。ブラック卿とヘモグロビン分子の構造をめぐるアイデアの優先権で争った下り(完全にクリックの失態)などから分かるように、「壊れた蓄音機」と当時から呼ばれていた。老化が上のようなハラスメントを引き起こしたのではないのだ。

 

 

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悪口の解剖学:酒飲みが歴史を変える?

2024年10月03日 | 悪口学

酔っぱらいが変えた世界史:アレクサンドロス大王からエリツィンまで ( 2021) 原書房

ブノワ・フランクバルム (著), 神田 順子 , 村上 尚子, 田辺 希久子 (訳)

 

  この著は人類の飲酒が歴史ではたした役割を軽妙な語り口で述べている。これを読むと西洋史に登場する重要な人物(男)のほとんどはアル中のように思えてくる。たとえば、第4章に書かれているアレキサンドロス大王も酒乱の人で、宴会において酔った勢いで口論のあげく大事な部下のクレイトス(この男も結構な酒乱だったが)を槍で突き殺してしまう。酔いが醒めて、えらい事をしたとオロオロしても後悔後に立たず。

 

 過度のアルコール摂取は体に良くないし、精神にも障害を与える事が多い。抑制が解けて言わないでも良いことを口走り、人間関係が大抵、悪くなる。酒は「気違い水」といわれるいわれる故である。作家アーサー・ケストラーの自伝「The invisible writing」にも、親友であったピーター・チャールズ・ミッシェル卿と酒の上で決定的な仲違いをした事件が次にように書かれている。

 私たちはかなり景気がついていた。突然、ピーター卿が「あの小説(真昼の暗黒)は好きになれないよ。たった30枚の銀貨でわが身を売るとは、君も情けない男だね」私は、最初、彼が冗談を言っているものと思った。だが、それは冗談ではなかった。ワインが彼に私について思っている事を言わせたのである。私たちはガタガタと音を立てる地下鉄の中でかなり大声を出して言い合った。「よそうよ。そうでないと僕たちはもう会えなくなってしまう」 だが彼は止めようとしなかった。結局、私は途中で地下鉄を降りた。それがピーター卿の見納めとなった。

 しかし、たまには飲酒が人間関係で生産的な事もおこすという。その例として、第13章「マルクス主義は10日間続いた酒盛りの結実だ」がある。1844年にマルクスとエンゲルスははじめて知り合ったが、パリでのビールの酒盛りで意気投合し生涯の友情を得た。この出会いの10日の酒盛り議論をもとに書き上げたのが有名な「聖家族」である。もっとも、この頃はマルクスもエンゲルスも、根っからのアルコール漬けの生活で、エンゲルスは売春婦を相手にしていたという。そのような証拠を示す手紙が残っている。この本の著者は、もともとマルクス主義なんか認めてないので、結局は二人の淫蕩な生活を暴露する悪口を書きたかったようだ。

 ここからは庵主の試論。人はアルコール(エタノール)を代謝するのにALDHという酵素を必要としている。これにはI型とII型がある。II型は活性が強くI型は弱い。遺伝的にII型をホモで持つ人は酒につよい。ヘテロの人やI型のホモの人は弱いか全然飲めない。とくにI型ホモの人はちょっと飲むだけで気分が悪くなる。ようするに、この遺伝子型の人々は飲んでも楽しくはならない集団である。日本人や中国人などのモンゴロイド系ではII型ホモの人は56%でI型ホモは5%である。残り39%がI型とII型のヘテロタイプである。一方、白人や黒人は、ほぼ100%がII型ホモで、どいつもこいつも酒に強い。フランス人なんかは、子供でも水がわりワインを飲んでいる。

 ようするに、「なんでそんな酒ばかり飲んで」と批判したり馬鹿にする抑止力集団が社会に存在しないので、とことん飲んでしまうことになる。なにせ、庵主を含めてII型ホモにとって酒は飲んでるときは無闇に楽しい。ここでは酒に強いことが一元的な価値基準なのだ。スターリンの宴会パーティーの話(18章)のように、酒豪が政治的勝者になるケースが多い。

 遺伝学者のマシュー・キャリガンによると約1000年前に人類の祖先が、II型酵素(変異型)を手に入れたそうである。サルの仲間には自然発酵した果実を好むものがいる。日本ではII型ホモのアルコール耐性群(A群)とI型ホモ、ヘテロの不耐性型(B群)がほぼ半々まざっているので、話が複雑になる。AとBの会食ではだいたいBの方が寡黙になってAの人々だけが乗りまくって話をしている。これが男女の婚姻や親子関係、会社や組織の人事構成に影響なしとはいえないのではないか。夫がA型で妻がB型の場合(A=B型)の離婚率はA=A型やB=B型より高いのではないだろうか?

 

  カール・ジンマーの著わした「進化:生命のたどった道」(2012 岩波新書 長谷川真理子訳)によると、アルコールの選好選択によってショウジョウバエを、そうでないものとわけて累代にわたり遺伝的にわけていくと、アルコール好きの系統ができる。これは、そうでない集団と生殖隔離がおこるらしい(P215)。はたして人間社会ではどうなっているのか?酒好きどうし、酒嫌いどうしが結婚する傾向があるのか?その子孫への影響は?

 こういった事を述べた酒飲みの社会学とかいう本はありませんか。

 

参考図書

アーサー・ケストラー「真昼の暗黒」中島賢二訳 岩波文庫



 

 

 

 

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絶望的状況を生き延びた人々の記録:抵抗 La résistanceー風は自ら望むところに吹く

2024年10月03日 | 絶望的状況を意志の力で生きのびた人々の記録
 
1956年フランス映画:ロベール・ブレッソン(Robert Bresson、1901- 1999)監督、脚本。1957年カンヌ国際映画祭監督賞受賞作品。
 

 
 
 1943年リヨン。第二次大戦中、実際にフランスであったレジスタンス闘士の脱獄劇をドキュメント風に描いている。映画は白黒画で観るべしと思わしめる佳作の一つである。
 
 素人を俳優にしてモノログで淡々と話が展開してゆく。独房の壁越しに主人公が隣の囚人とモールス信号で連絡することや、窓越しに下の中庭の仲間を観察する光景はアーサー・ケストラー著「真昼の暗黒」 (1944年)に出てくる挿話でもある。私服の男と大男の軍人が囚人の尋問や連行に登場する場面も同じ。全体主義の特務機関は同じシステムのようだ。この映画ではクローズアップを多用し、短いカットをつなぎあわせることで死と隣り合わせの緊張感を描く。巨匠ブレッソンの「シネマトグラフ」を代表する作品である。 
 
 ただ不自然なシーンもいくつかある。ろくに食い物も与えられず栄養失調でヘロヘロの主人公が、素手でドイツ軍の歩哨を殺して脱走する。この場面では主人公が画面から消えさった通路の壁を映すだけで映像は出て来ない。スタローンのランボーでもあるまいし、これはいくらなんでも無理だろう。それと、独房の下の広場にいる別の囚人と、窓越しに結わえた袋で物を交換する場面。厳しい監視のもとで、とてもありえない話だ。
 
 脱出に成功した主人公と同房の少年の二人は鉄道の線路沿いに、悠々と歩み去るが、あんな格好ですぐに捕まらなかったのは、仲間のレジスタンスと連絡がついていたのだろうか?主人公が何度もつぶやくように「運がついていた」ということであろうが、ともかく大事なことは、殺される前に逃げよ!ということ。逃げても失敗するかもしれないが、逃げなければ100%殺される。どの人も人生では一度はそれに類した切所はある。
 
 追記:ケストラーの「真昼の暗黒」は「ブハーリン裁判」をモデルにした政治小説である。庵主はむかしこの作者の「サンバガエルの謎」という科学ドキュメントを読んだことがある。ケストラーは「権力は必ず腐敗する」という原理をテーゼにしていた(石破茂が総理になった途端に「石破」でなくなったように)。彼はヒトラーやスターリンの全体主義を憎悪するとともに、ブルジョワ民主主義の堕落をも透視し、庶民や一般大衆を美化するのを止めていた。
 
 
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