京都楽蜂庵日記

ミニ里山の観察記録

ヒゲナガカワトビケラ(髭長川飛螻蛄)

2019年10月16日 | ミニ里山記録
 
 
 
ざざ虫の佃煮つひに届きたる  山尾玉藻
 
ヒゲナガカワトビケラ。 学名(Stenopsyche marmorata)。
トビケラ目ヒゲナガカワトビケラ科に分類される昆虫。 
樹木の樹皮に止まることが多いが、何故か家の白壁にいた。
 

 

 
 
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時間についての考察:2足歩行への進化が時間と空間の意識を生んだ

2019年10月14日 | 時間学
 
 
 哺乳動物はヒト (Homo sapience)を除いて4足歩行である。犬、猫を始めとする大部分の哺乳動物は4符リズム(1,2,3,4)(1,2,3,4)(1,2,3,4)・・・・を身体に刻み付けているはずである。 ところがヒトはナックル歩行を経て2足歩行に進化した。 その理由については幾つかの仮説があるが、ともかく右足、左足の (1,2) (1,2) (1,2)・・・・の繰り返しが、体内リズムの基本エレメントになった。
 
 足が体内リズムを作ったということは足が2拍子を単位とする「時間」を形成したといえる。 そして歩行から自由になった手は自由に物を持ちそれを操作することにより、脳のシナプス領域に「空間」の概念をより精緻に形成することができるようになった。 ヒトはある進化的段階で足が時間を分担し手が空間を分担するようになった。 犬や猫にも時間や空間の認識はあると思うが、ヒトだけが手足の分業によってそれぞれ高度の概念を操れるようになったといえるのである。
 
 少なくとも俳句や和歌の詩形は二音あるいはその倍の四音の区切りの音律で読むようになっている。
例えば蕪村の句「秋風のうごかしてゆく案山子かな」は(あき)(かぜ)(の△)(うごかし)(て△)(ゆく)(かがし△)(かな)と二拍のリズムで読み下すと心地がよい(△は間の拍)。あるいは同じく蕪村の「月天心貧しき町をと通りけり」は(つき)(てんしん)(まずしき)(まち)(を△)(とおり△)(けり)となる。実際はこのような拍は意識せずに読み下している。音律的な必然性があるのかよくわからないが、俳句では2拍のリズムが単調な連続音階にならぬように、さらに構文の上層に5x7x5の区切りを付けている。
 
 二拍を基本とするリズムが脳で時間を形成し、この時間な流れに沿って意識が生ずると考える。リズム→時間→意識といったシークエンスである。意識が時間を生ずるのではなく、時間が意識を生むのである。いわば時間というプラットフォームの上で意識が生成するといえる。そうすると言語がない音楽にけるリズムでも意識は生成するかという問題がある。これについては、ヒトの言語は動物の原始的な発声の進化産物であると仮定すれば、音楽はその歴史的な回帰といえそうである。
参考文献
坂野信彦 『七五調の謎をとく』 大修館書店 1996年
 
追記:「文学の時間性」について論じた九鬼周造(『時間学:文学の形而上学』)は、57調あるいは75調の12音が俳句や和歌の詩形の単位であるとし、これは人間の一呼吸のリズムに同期したものであるとした。
 
 
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時間についての考察:碁打ちの時間哲学

2019年10月05日 | 時間学

  藤沢秀行著『野垂れ死に』(新潮社 2005)は秀行のエッセイー風伝記である。藤沢秀行( (1925-2009)は碁打ちなら必ず知っている昭和を代表する天才的なプロ棋士である。酒乱の気があったが、一方で豪放磊落な人柄で、碁は芸であると主張し若い棋士に多大な影響を与えた。

この本には、秀行の幼い頃にトンボを取っていて近所のドブ川に落ち意識不明となり死にかけたことや、戦争中に横浜で空襲にあって九死に一生を得たことなどが書かれている。こういった経験が「死んだら死んだでしょうがない」という勝負師の死生観を養ったといっている。この書はゴーストライターがまとめたものであろうが、最初は軽快な語り口で秀行の個性をよく表現していたのに、後半は有名人との交友録のようになってつまらない。

 同じプロの碁打ちで依田紀基著『どん底名人』(角川書店 2017)にも「九死に一生」の話がでてくる。依田が27歳のころ、中国で杭州行きに予定していた国内線飛行機をキャンセルしてバスにきりかえた。ところがそのキャンセルした飛行機が空中爆発して乗客乗員が全員死亡したというのである(開高健の旅行記でも同じような事を読んだ記憶がある)。このとき以来、依田は「生きているだけで丸儲け」という考える一方、「我々は何かに生かされている」のだとも考えるようになったそうだ。依田はこれと関連して時間と人生についても論じている。これはなかなかの時間哲学になっており、感心した。以下本文引用。

『そして、私は時間とは「ある」と言えるものなのだろうか? と考える。宇宙が誕生して137億年らしいが、この膨大な時間も過ぎ去ってみれば、1秒にも満たない。例えば、私は1時間前と現在の時間を区別することができない。昨日と今日の時間の区別もできない。できるとすればそこに記憶があるからに過ぎない。これを拡大解釈すると、現在と死ぬ間際との時間の区別はできないのではないか?と考えるのである。その中で自分が人生を生きる意味とは何なのだろうか?私は色々な経験をして、色々なことに挑戦して、色々な人と関わり合い、少しでも、今よりマシな人間になりたいと思っている。それが現在のところ、私が人生を生きる意味だと思っている。そして、今この瞬間に意識を持って生きでいるということは物凄く貴重でありがたいことだと思う。時間というものは、肉体を持っているからこそ感じるものではないかと私は思う。いずれ肉体が使い物にならない時が必ず来て必ず死ぬことになる。それは自分の周りの人を見ても間違いないと思う。そうすると、今、この瞬間に、自分が生きていて、意識を持って生きている瞬間が凄いことで、ありがたいことだと思わずにはいられない。死ぬ間際になって後悔はしたくない。積極的に、自分が生きたいと思う』

 

 

  時間学のテーマと関連はないが、人は「九死に一生」を得るという事を一度は二度は経験しているのではないだろうか?庵主の場合は、幼児期の赤痢、自動車の交通事故二回、バイク事故一回、300V・ACでの感電事故(ヨーロッパで)など何度も恐ろしい目に会っている。いずれも状況によっては死亡していてもおかしくない事故(疾病)ばかりであった。合わせて確率計算すると生存率10%以下で現在生きている事になる。友人に聞いてみても結構この手の話は多い。ある友人などは子供の頃に三度海で溺れかけたが、いづれもたまたま人がいて何とか助かったそうだ。まったく神様に「生かされていると」としか思えないが、なんの為に生かされているのかよくわからないのが問題ではある。

厚生省の生命表(https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/life/20th/p03.html)によると昭和22年 (1947)では60歳の死亡率は50%である。すなわちこの時代は60歳になるまでに約半数の人が死亡していた。戦争の影響が大きかったのだろう。それが、平成17年 (2005)には10%に低下している。誰もが庵主のような九死に一生の経験を何度もしていたら、死亡率はもっと高いはずである。「不幸中の幸い」がたまたま重なったのか、あるいは意外と人は死にそうで死なないのかもしれない。

 

追記

筒井康隆の『アホの壁』という本に事故多発者の話しだでてくる。これだけ怪我や負傷をしても人間は死なないというおそるべきサンプルである。

 

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