京都楽蜂庵日記

ミニ里山の観察記録

保坂正康を読むー今も昔も教育エリートの弊害が日本をダメにする

2021年11月16日 | 評論

 

すこし古い本だが、保坂正康の「あの戦争は何だったのか」(新潮新書125)を読む。昭和天皇の戦争責任について、あいまいなところがあるが、おおむね納得できる内容であった。

 冒頭に、軍事的にはほとんど白痴のような当時の軍人達がどのように養成させたかが詳しく書かれている。陸軍の場合、陸軍幼学校、士官学校予科、本科、陸軍大学校の狭き門を潜り抜けた50人がエリートとなって枢要な地位におさまる。とくに上位の10名は天皇から恩賜の軍刀を受け取る超エリートであった。海軍でもほぼ同様のシステムでエリート軍人が選抜された。この連中には成績優秀でも、いざとなると独創性、状況識別能、勝負勘はまったくなかった。官僚的事務や戦術レベルの計画には、それなりに活躍できても、戦略的な構想や大きな理念が欠如していたので、最後は精神論にたよらなくてはならなかった。この傾向は現代日本にもあてはまると保坂は主張する。

 司馬遼太郎も同じような事を講演で述べている。司馬は1986年10月にNHK「雑談—昭和への道」で、「秀才信仰と骨董兵器」という放送を行っている。ここでは、学校で偏差値の高かった旧日本軍の軍人が、いかに情報を軽んじ想像力が欠如していたかを述べている。
「頭がいいということは要するに偏差値の事です。本当の意味の頭のよさとは違う。本当の頭のよさというものは測定しがたいものです」と言う。さらに、戦前戦中の日本ではドイツのヒットラーのような独裁者を生み出さなかった。これは官僚が支配する国だったからだと話している。「軍人も全部官僚でした。軍の中心にいる軍人は、作戦課長なら作戦課長、作戦部長なら作戦部長あるいは陸軍省の何々ポスト。あるいは内務省でもいい。その椅子がですね、だれが座ろうとその椅子の思想で振る舞い、物を言い、そして1年ないし2年で交代していく。日本の軍部は独裁的になっていきましたが、独裁者を出さない国でした。独裁者なき独裁でした。ですから、だれが悪いということを言えない昭和史のいらだち、得もいえぬいらだちの一つは、ここにあります」と。

 たしかに現在の日本の社会も当時とあまり変わらない。強力な独裁者は出でてこない。ともかく社会を、小さい頃から塾通いしてきた「偏差値の高い頭のいい」政治家や官僚がいつまでも牛耳っている。帝国軍人のように、彼らにとって国や自治体の命運が主題ではなく、自分の保身と立身出世だけが関心のようだ

 

追記(2021/12/01):渡辺昇一「ドイツ参謀本部」(祥伝社:2009)を読むと日本陸軍が廃頽していった、背景を読み解くことができる。モルトケ、バルダーゼ、レーデンブルグ、ゼークトなどの筋の通った軍人にめぐまれたプロイセン軍部が劣化してヒトラーに通ずる道は、日清、日露戦争を戦った軍人がいなくなって、東条英機が出た日本の歴史に通底している。

 

 

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マツムラトガリヒメバチ

2021年11月14日 | ミニ里山記録

 

 

マツムラトガリヒメバチ(学名: Picardiella tarsalis

全身黒色のヒメバチの一種。触角の真ん中あたりと尻の先が白くなっている。産卵管があるのがメス。何に寄生するのかは調べても分からなかった。

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夏井先生、ご冗談でしょう!?ー飛ぶカイコの話

2021年11月03日 | 悪口学

     

 夏井いつきさんの「絶滅危急季語辞典」(ちくま文庫2011)は俳句の季語で、使われなくなった日本語を集めて解説したものである。ここには俳句で使われないだけでなく、日常でも使われなくなった美くしい日本語や個性のある日本語が集められ、文章は夏井流のユーモア―に溢れた軽快なタッチで書かれている。「鬼の醜草」「われから」「つまくれない」「相撲花」...........など、おぼえておかなくてはと思いつつ、ふむふむと読み進めていったが、「桑摘」の項目(p42)を読むにいたって、庵主はひっくり返ってしまった。

夏井先生は.テレビ番組のロケで養蚕農家を訪問した時に何匹かのカイコをおみやげにもらって帰る。カイコはしばらくすると熟蚕になって、糸を吐き純白の繭を作った。ここまでは予想された話であるが、読んでひっくり返った部分の文章を、以下にそのまま引用。

「ある日、繭を入れていた紙の箱の中でカサカサ音がするので、不思議に思って蓋をとってみた。すると、中から何匹もの蛾がワタシの顔をめがけて飛び出した。すぐには何事がおこったのか理解できず、紙箱の蓋を持ったまま呆然としていた。蚕が蛾になる、なんて当たり前のことをすっかり忘れていたワタシは、ハッと我に返り、恩知らずにもあの美しい純白の繭にウンチみたいな汁をくっつけて飛んでいった蛾を罵ろうとしたが、逃げ遅れたのが一匹箱の隅でゴソゴソしているだけであった」

 カイコは人類が完全家畜化した昆虫で、養蚕農家で飼育している品種は決して飛ぶことはない。オス蛾は交尾のためにフェロモン情報を得ようと翅をバタつかせることがあるが飛べない。メスは翅をバタつかせもしない。顔をめがけて飛び出してくるなんてことはありえない。夏井流に言うなら「飛ぶカイコがいたら持って来い」ということになる。夏井先生、夢でもみたか? ただ、「繭にかけたウンチみたいな汁」については、蛾が羽化直後に行うgut purge(腸内物排出)による排出物なので、それなりにするどく観察がなされている。夢でなければ、話は夏井いつき流の創作ということであろうか。しかし、生物学的な事実をまげた創作はまったくいただけないし、教育的でない。著者の後書きによると、この本の前著は「絶滅寸前季語辞典」だそうだが、「若気の至りでフザケ過ぎていたり、ほとほと恥ずかしくなった。気になる部分をかなり書き直し、項目も入れ替えた」とされている。次回の改版では、この「桑摘」の項目も是非、修正願いたいものである。

      

       蚕蛾をいっきに飛ばす文庫本  楽蜂

  

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