京都楽蜂庵日記

ミニ里山の観察記録

高橋和巳の風景 (VIII)

2014年03月09日 | 日記

 

(京都後二条天皇の北白川御陵)

 1967年。高橋和巳36歳。ほぼ1年勤めた明治大学助教授を辞職し、6月に京大文学部助教授に就任する。和巳を囲む関西の文人や友人を嫌っていた妻のたか子は、この京大赴任に猛反対し、怒って単身でパリに旅立ってしまった。そのために、高橋は引っ越しの荷物造りを、一人でおこなったと言われる。

 京大農学部入り口近くに下宿する。この家は、農学部に入る車道から北部構内に斜めにつづく小道にあった。二階の二室のふすまを外した約十畳の広さで、西側は鬱蒼と樹の繁った後二条天皇の北白川陵が迫る陰気な処であった。食事は近くの生協か付近の飲食店でとり、銭湯は今出川通りを渡った近くの風呂屋を利用した。  10月「我が心は石にあらず」を新潮社から、評論集「新しき長城」を河出出版から刊行。

 

 

 

 

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