京都楽蜂庵日記

ミニ里山の観察記録

高橋和巳の風景 (IV)

2014年03月05日 | 日記

 

 (京都大学時計台)

   1951年4月、 高橋和巳は、2年間の教養課程を終了し、吉川幸次郎が主催する文学部中国語学科中国文学科に進学した。厳格そうな吉川教授の印象に、怠け者の文学青年を惹き付けるなにかが、あったようだ。11月には京大天皇事件がおこっている。

 この頃、高橋は京大文学研究会に参加し、同人誌に「月光」「淋しい男」など沈鬱な小説を発表している。彼の沈鬱は、後天的な厭世主義や悲観主義によるものではなく、人について生まれて来た事についての、何ものかのようであった。普通の生涯を送ろうとする者には、これに関わる異常に肥大した感性や感覚ほど厄介なものは、ないであろうが、高橋和巳はそれを文学に昇華する才能があった。司馬遼太郎の評論などを読むと、画家ゴッホにもそのような傾向がみられたという。

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