≪ Mémoire(メモワール)歌碑句碑 :小林一茶句碑 (長野県信濃町)2008.09.02 ≫
小林一茶名著「おらが春」の中の一句が故郷の地、黒姫山を見上げる丘に建っている。
いつの時代でも貧しきなかに志を持ち、己を生かした分野で名を為す人は皆心の中に
ふるさとの山を持っている。小林一茶も、黒姫山を仰ぎ、心を鎮め、躍らし、和めた。
碑文: 九輪草(くりんそう) 四五りん草で 仕廻(しまい)けり
参照# ①筆者の「ふるさとの山・岩木山」 ②九輪草(長野県大鹿村大池で観察取材)
③岩手山背景の歌碑(歌人石川啄木故郷)
Mémoire :まったり入浴「共同浴場 薬師の湯」(村杉ラジウム温泉)2012.09.09
新潟県に勤務している温泉仲間の手配で日本四大ラジウム温泉の五頭温泉郷を訪問
ラジウム温泉はその性格から高温泉は得難い。何故なら高温になるとラジウムの多
くは揮発してしまうからだ。成分を味わうには25~6℃の源泉にジックリ浸かる事。
【Data】単純放射能泉 26℃ PH8.0 源泉:薬師の湯:483.0L/min(自噴)
ラドン (Rn) 744.2×10 -10乗 キューリー /kg (204.7マッヘ /kg)
効能:放射線のホルミシス効果
指定:2016年に環境省により「国民保養温泉地」に指定されている。
参考:本物の名湯ベスト100‐ぬるゆ・冷泉の名湯村杉温泉(講談社現代新書:石川理夫著)
参考:日本三大ラジウム温泉(玉川温泉、三朝温泉、増冨ラジウム温泉)に加えて
この村杉ラジウム温泉(五頭温泉郷)を加えて四大ラジウム温泉ともいわれる。
参照#玉川温泉(秋田県)、三朝温泉(鳥取県)
日光東照宮はその昔、神仏混淆でもあった。その名残がこの五重塔である。
この五重塔高さ36M日本6位の高さ、その構造はスカイツリーの免震構造
の手本となっている。心柱は宙吊りで振子運動が五重塔を守る構造である。
神仏混淆:日本は明治時代まで神と仏は同位で祀られた。一般の家に神棚
と仏壇が今でもあるのはその名残り。神は願い事や運命的祈り、仏
は黄泉の世界への導きの鎮護願いであった。明治以降、神仏混淆は
廃仏毀釈とされ、多くの神社境内から仏教関連は分離・廃棄された。
記録:重要文化財 高さ36m 若狭小浜藩主寄進(初代消失、15代現在)
参照:東京スカイツリー(吾妻橋絶景)
( 2017年 世界文化遺産 日光東照宮探査 完 )
日光山の頂上(家康公御宝塔)を極めて再度御本社に戻る。実は奥宮には時間制限が
あり、先に奥宮に詣でたので本殿に未だ参内していない。この唐門が本殿の参内門だ。
小さいが国宝である。貝殻をすり潰した粉を塗った大名幕臣だけが通る気品のある門。
参照:この唐門の手前にある国宝「陽明門」
≪ 速報鑑賞: 空海美しき王妃の謎(東宝:TOHOシネマズ) (2018.2.27)≫
空海、楊貴妃、玄宗皇帝・・・この三人を絡めた壮大な映画を期待したのだが。鑑賞結果は
大きな空振りであった。思えば、空海の生涯、玄宗皇帝と楊貴妃の生涯それぞれでも映画
は素晴らしいスペクタルであった筈。料理で言えば和食と中華料理それにフランス料理を
同時に食合わせたなんとも贅沢だが後味の悪いもの。所詮原作が中途半端だからだろうか?
景観:久し振りに長安(西安)の景観を目にした。筆者が訪問した西安にほぼ近い。近代化
の中国にあって日本の京都の様な西安がこれからも景観を保つよう願うものである。
所感:本作品は「空海」を銘打っているが、筋書きからすると別に空海でなくても楊貴妃
の謎は綴れる。逆に、なぜ空海が必要なのか理解できない。空海に誘われた筆者で
あるを自戒するも、人寄せパンダ的に安易に「空海」を冠することに警鐘を発する。
空海:後の弘法大師、高野山の開祖、四国八十八個所巡礼の起因、諸国の温泉発見者伝説
(あつみ温泉、大塩温泉、芦ノ牧温泉、出湯温泉、鹿塩温泉、瀬戸口温泉、清津峡温
泉、関温泉、燕温泉、川湯温泉、法師温泉、修善寺温泉、伊豆山温泉、湯村温泉、
鹿塩温泉、海の口温泉、赤引温泉、竜神温泉、関金温泉、湯免温泉、千羽温泉、清
水温泉、東道後温泉、まむし温泉、杖立温泉、熊の川温泉、波佐見温泉・・色入湯済)
弘法大師由縁の温泉は全国で凡そ66湯あり、行基の22湯を越え、一番多いとされる。
参照 # 熊野・吉野山中(紀伊半島) 熊野古道(紀伊山地)
楊貴妃:中国伝説の四大美女の一人。その美しさは『羞花美人』とも称されたもの。筆者
は古都西安を訪問時に、楊貴妃が湯浴みした湯壺(温泉地:華清池)を見聞した。
参照 # 楊貴妃入浴の湯壺(西安華清池海棠湯)
記録:中国四大美人とは西施(春秋時代)、王昭君(前漢)、貂蝉(後漢)、 楊貴妃(唐)
情報:楊貴妃の特徴・・・豊満な躰、芳香(体臭)、ライチ好物そして無類の温泉好き。
玄宗帝:中国唐代の皇帝。楊貴妃を寵愛し過ぎて、楊貴妃の身内の重用から安録山の乱を
招き結果的に自ら楊貴妃の命を奪う事となり、それ以降唐は衰退することになる。