ここ最近、いや、もう昨年くらいから気になっていることが1つ
それは、巷に「N」が溢れかえっていること
街へ繰り出せば、必ず目にする足元の「N」、「N」、「N」。まさに、街も歩けば「N」に当たる。とは、こういうことだったのだねー、、、いや、違うか
とにかく、大衆は「N」でごった返しているのだ!
「それだからどうしたんだ?」というコトを言われると、まぁ、別にどうというコトは何一つないんだけど、、、と言葉に詰まっちゃうんだけれども、何となく、この「N」で溢れかえっている街の風景が何となく、なんだか、こう、「冴えんなあ」と、なんか思っちゃうのだね
つまりは、みんな「N」に流されちゃあいないかい?と集団的心理的「N」偏向社会への危惧がココロの根底からフツフツと湧きあがっているのだね
こう、オシャレさんの足元は「N」のスニーカーよ的な、足元に「N」があれば、とりあえずOK的安心感がある的な、つまりは、いわゆるひとつの水戸黄門の印籠的な、こんなに的が多いと、敵をたくさん作っちゃいそうな気が、、、
まぁ、別視点から見れば、ただただガッちゃんがひねくれているだけなのかもしれないけど
ちなみに、最近のワカモノが背負うリュックにも気になっていることがあり、これまた四角い「北の顔」がハバを利かせているのだ。ワカモノの背中を見れば、四角い「北の顔」が背負われているのだね
ムムム、書きながらも、ふと、そうかコレはiPhoneから繋がる流れなのか?
赤信号(かどうかはワカラナイけど)、みんなで渡れば怖くない的発想が今の30代以下(かどうかワカラナイけど)のワカモノに蔓延しているのではなかろうか?
みんなが持っているiPhoneを持っていれば、安心。みんなが履いている「N」を履いていれば安心。みんなが背負っている「北の顔」なら安心的な
うーん、書きながら、このままでは3方面からの一斉攻撃を受けるのでは?と恐ろしくなってきた、、、