実は、桜も聞いていた!
さて、浅見さんのお話の続きです。
新型コロナ後、多様なワークスタイルが生み出される、というお話もなるほどなぁと思うと同時に、障害の有無に関わらず、「働きたい」と思う人の働く意欲に応えるためにはどうすればいいのか、という本人の意思重視視点の熱量を浅見さんから感じました。
それを私はこれまでの就労が「本人の利益度外視」して行われている、ということの指摘から感じました。
働いている人が、自分の労働力を提供してそれに対価をもらう、そんな当たり前のことも覚束なくなっている福祉就労の世界。
働く意欲と働き手としてのスキルがある人は、居住に関係なく、どこででも働くことができる時代が来ることを示唆されたお話。
テレワークなど、特に、定型的だ、発達障害だ、何だ、に関わらず、主体性を発揮して勤められるかどうかでしょうし、何か発信するものがあれば、それが強みとなって仕事に結びついていくでしょう。
数年前、鹿児島で講演していただいたとき、「これから先、20年後、いや、10年、今と全く同じような働き方とは思えない。」というようなことをお話された浅見さん。図らずも新型コロナ後に繋がる慧眼だったのだなぁと思うことでした。
そして一番最後に、南雲さんのお話後、浅見さんのお母様から聞かれた戦中のことから、未来に残さず決着つけようととても大切なことを言われました。
それは「精神論を子どもに押し付けない」ということ。
これは、わかりやすい具体的エピソードとして、首都圏ほどに感染者が出ていない地域での公園の遊具固定をその例に挙げていらっしゃいました。
大人が大変なときに、子どもを遊ばせている場合ではない、ということなのか、遊具に喜んで群がる子どもの行動を予め予防するためのものなのか、それはともかく。
子どもがたくさん群がったら、それを順番に遊ぶことを覚える場にすればいいのだし、大人が知恵を出せばいいですよね。
私は、同じく80代の母から「マスクしてない人はけしからん、みたいなのが戦時中の国防婦人会みたいで好かん」というのを電話で聞き、日本人の「私も我慢するからあなたも!」という横並び体質が際立つのが嫌だな、と思っていました。
だから、今を生きる大人は危機を乗り越えるとき、精神論や横並びを子どもに残さないように自分の頭で考え、主体的に生きていく努力を惜しまずしていかなくちゃなぁと思うことでした。
浅見さんのお話は、発達障害は治るという、本来、人の持っている力を信じて、それを発揮して開花できる場で花開いて欲しいという赤心の込められたものでした。