日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

プレ講演会 浅見さん編 その2

2020-05-23 15:58:00 | どこでも治そう発達障害
実は、桜も聞いていた!



さて、浅見さんのお話の続きです。

新型コロナ後、多様なワークスタイルが生み出される、というお話もなるほどなぁと思うと同時に、障害の有無に関わらず、「働きたい」と思う人の働く意欲に応えるためにはどうすればいいのか、という本人の意思重視視点の熱量を浅見さんから感じました。

それを私はこれまでの就労が「本人の利益度外視」して行われている、ということの指摘から感じました。

働いている人が、自分の労働力を提供してそれに対価をもらう、そんな当たり前のことも覚束なくなっている福祉就労の世界。

働く意欲と働き手としてのスキルがある人は、居住に関係なく、どこででも働くことができる時代が来ることを示唆されたお話。

テレワークなど、特に、定型的だ、発達障害だ、何だ、に関わらず、主体性を発揮して勤められるかどうかでしょうし、何か発信するものがあれば、それが強みとなって仕事に結びついていくでしょう。

数年前、鹿児島で講演していただいたとき、「これから先、20年後、いや、10年、今と全く同じような働き方とは思えない。」というようなことをお話された浅見さん。図らずも新型コロナ後に繋がる慧眼だったのだなぁと思うことでした。

そして一番最後に、南雲さんのお話後、浅見さんのお母様から聞かれた戦中のことから、未来に残さず決着つけようととても大切なことを言われました。

それは「精神論を子どもに押し付けない」ということ。

これは、わかりやすい具体的エピソードとして、首都圏ほどに感染者が出ていない地域での公園の遊具固定をその例に挙げていらっしゃいました。

大人が大変なときに、子どもを遊ばせている場合ではない、ということなのか、遊具に喜んで群がる子どもの行動を予め予防するためのものなのか、それはともかく。

子どもがたくさん群がったら、それを順番に遊ぶことを覚える場にすればいいのだし、大人が知恵を出せばいいですよね。

私は、同じく80代の母から「マスクしてない人はけしからん、みたいなのが戦時中の国防婦人会みたいで好かん」というのを電話で聞き、日本人の「私も我慢するからあなたも!」という横並び体質が際立つのが嫌だな、と思っていました。

だから、今を生きる大人は危機を乗り越えるとき精神論や横並びを子どもに残さないように自分の頭で考え、主体的に生きていく努力を惜しまずしていかなくちゃなぁと思うことでした。

浅見さんのお話は、発達障害は治るという、本来、人の持っている力を信じて、それを発揮して開花できる場で花開いて欲しいという赤心の込められたものでした。


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プレ講演会 浅見さん編 その1

2020-05-23 15:00:00 | どこでも治そう発達障害
とても気持ちがいい天候が続いています。
南で気持ちがいい天候って、湿度低く(当地比)天気がいい感じです。

今日は、Zoomでのプレ講演会がありました。



私の後ろで梅ちゃんも目を光らせていたようです。

はじめに浅見さんのお話がありました。

言われた言葉で印象的だったのが「支援者が逃げ出す事態を想定していましたか?」という問いかけです。

これまで、「親御さんの負担が少しでも軽くなるように」とか「お母さんも息抜きが必要ですよ!」との掛け声の元、毎日のようにどこかにお子さんを預けていたご家庭もあったと思います。今回、最も親御さんや母親は息抜きも何もできない状況だったと思うのですが、そんな状況下で「親御さんの負担軽減、息抜きは不要不急のことです!」と積極的にお子さんと関わろうとした支援者はどのくらい存在したのでしょうか。

私がテレビやネットで見たのは支援者の方々の預かることのリスクの発信と預からないことでの事業継続を危ぶむ、普段利用しているお子さん不在の姿でした。

それは、支援者にもお子さんがいて、家族がおり、自分に何かあったら家族はどうなるんだ、という人として当たり前な不安をさらけ出した姿でもありました。

結局のところ、自分の身は自分で守る術が必要だし、そんな知恵を出せる家族であらねば新型コロナに限らず、人生において、もっと大きくいうと世の中で起こる思いもしない変化に翻弄されてしまうことが、今回浮き彫りになりました。

支援者や専門家はこれまで、発達障害は外部の支援が必要だと、これまで散々、啓発してきたと思います。息抜きという何気ない日常の一コマであっても自分や家族の暮らしの舵取りを他人に任せていると、とても不安定な暮らし方を強いられることになります。

支援が全くなかった時代から、支援がビジネスとなっていった昨今を再考する転換期が今なのだなぁと話を聞きながら思うことでした。

新型コロナの騒動の中、発達障害のお子さん、成人の方もそうですが、やっぱり治っていた方が良かったよね、というお話。

確かに、治る、治らない、というか治りたい、治りたくないは、とても個人的な問題で他者がどうこういうことではないかもしれません。

先の見えない新型コロナの影響が大きい今の社会で、私は、自分が関わっているお子さん方は色々なことが治っていた方が生きやすいし、日々暮らしていきやすいと思うので治って欲しいなぁと思います。

例えば、外出ができない、先の見通しが立たない、こういうことにお子さんがイライラせずに淡々と日常生活を送ってくれるだけでも、親御さんも精神的に助かるのではないでしょうか。

また、マスクをすることや手洗いなども嫌がらずにやってくれた方が、感染しないという点からも喜ばしいことです。

本来はそれらに繋がる面を療育で育まれていて、今回のような非常事態で発揮できた!さすが支援!というのが理想です。でも、そうはいかなかった面が多々あると思います。

今後も続くであろう新型コロナアフターの世の中で慌てなくても良いよう、感覚の過敏さや認知面の発達を育んでいくことは、お家でできます。その知見は花風社の本で得ることができるのです。

浅見さんが「新型コロナの中、注文が多い」と言われるのは、読書にあてる時間があることももちろんですが、お家で何かを…と危機感を抱いた方々もいらっしゃるのではないかなぁと思うことでした。

               つづく



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無責任に感じるニュース。

2020-05-17 19:54:00 | ねこ
ある日、リラックスして伸びてる桜です。


さて、「新型コロナは猫はうつる」というニュースを、先週、早朝の仕事に行く前のNHKのテレビのニュースで聞いていました。


私が聞いていたのは上記の東大の方々が実験したもので、ここに書いてあるように「猫から知らないうちに人にうつすかもしれません」ということも放送で言っていました。

新型コロナにかかった猫とかかっていない猫を一緒にして、かかったから猫同士はうつる、これは理解します。

新型コロナに限らず、猫伝染性腹膜炎という猫コロナウィルスが原因の病気だって、猫カゼといわれるものもカリシウイルスやヘルペスウィルスが原因で猫同士でうつってしまいます。

でも、それらが人にうつることはありません。

新型コロナはどうなのでしょうか。


先ほどの東大の方々のもうちょっと丁寧な記事です。その中で、「猫から人への感染の可能性はわからない」、とされています。

この「現時点では、わからない」ことがニュースで取り上げられると、「うつすかもしれません」になるのは、どういうことなのでしょう。

「わからない」の解釈を「可能性があるから注意喚起しておいたのだ」ということなのでしょうか。

私がこのニュースを聞きながら思ったのは、無駄に怖がったり、心配して飼い猫を捨てる人が増えませんように、ということでした。

現にイギリスでは飼い猫が捨てられることが起きているのですね。


日本でもここ数年、すごい猫ブームです。これまで家では犬を飼う人が多かったのに、2015年にその数が逆転して以来、ずっと猫を飼う人が増えているのです。

猫の魅力に気がついた方が増えたことは、嬉しいことですが、こんなニュースを聞いて安易に猫をのら猫にしてしまう人がいないことを祈るばかりです。

本当に、新型コロナ以降、テレビ、新聞だけでなく、さらに元に情報を求めることの意義や自分の頭でもう一度考えることの大切さを思うことです。
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人も自然も。

2020-05-12 18:31:00 | 発達応援
今日は養生でおからでお味噌を作りました。で、電車を待つ間、養生仲間と木々に囲まれ、風に吹かれて、珈琲飲みつつ、おしゃべり。




家族連れがボール投げしてたり、川辺でお弁当食べていたり、広々とした空間でみんな思い思いに過ごしていました。

「マジック見ませんか?」とマジック売り(?)の青年も声をかけてきました。時間が限られていたので、次に会ったらね!

そんなおしゃべりの中、面白いことを聞きました。

同じく養生仲間の方がご自身の持つ山の手入れをされていて、その手伝いに行かれたときのこと。

山のある部分が土が流れるのか、穴が空いたようになっていたらしいのです。

私などの素人考えだと、おそらく、周辺の土をそこに持っていき埋めてしまうと思うのですが、さにあらず。

なぜ、その部分だけ土が流れたのか、ということを探って、そこの部分に戻らなければ、表面上土を持ってきて埋めてもまたそこは穴が空いてしまうのだそうです。

その話を聞いて、ほぉおお〜と感心。

表面上の問題をこねくるのではなく、根本の原因にあたる。これは子ども(或いは大人でも)に凸凹があったとしても、その目に見える凸凹をどうにかするのではなく、どうしてそういう凸凹が生じているか、と個々人の発達を辿っていくことと一緒ではないですか!

他にも、ブト(ブヨともいう、虫)が多くても、土が変わればブトが減るなど、表面的な解決ではない、自然との取り組みの話を聞きながら、「ああ、ヒトも自然も土台なんだなぁ」と心底納得したおしゃべりの時間でした。

忙しい日々に、見た目重視になりがちですが、土台からに勝るものはないのですね。

私たちヒトも自然の一部であることを忘れないようにしなくちゃなぁ、と短いおしゃべりの中でしみじみ思うことでした。


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食べること。

2020-05-10 16:36:00 | 発達応援
Zoomで何やらが続いている近頃。桜がパソコンと私の間に割込む率が高くなっています。「お母ちゃん、そればっかり!桜も見て!」の抗議です。終わって、遊ぼうかと思うと窓辺でお昼寝。猫育ても一筋縄ではいかんもんっす。




今日は午前中、福岡であるはずだった栗本さんの講座が、新コロナの影響でZoomに切り替えられ行われました。

テーマは「栄養療法以前のアプローチ」でした。

今、発達障害に食の面からのアプローチ方があります。そんな中で、成果が出ているお子さんや成人の方もいれば、それをあまり感じることができない人もいると思います。

この個人差があるのはどうしてか、という根本を考えるヒントをたくさん頂いた講座になりました。

また、人が食べる物を選ぶときの選択肢は単に「好き」「嫌い」だけではないことを言語化してくださって、「食べない」ものへのアプローチ方法の間口がバーンと広がりました。

「食べる」ということは、ほぼ、大抵の人にとって生きることに直結します。

お子さんが好き嫌いなく食べてくれるときっと、それだけでも親御さんの負担が減るだろうなぁと思うことでした。

講座を受けながら、ふと、お正月にうちに来ていたW母のことを思い出しました。

私の母は自分で作って食べる人ですが、とにかく色彩重視で、食事には「彩り」がなくてはという人です

ですから、来ている間はなるべく彩りよく、明るい食事を心がけました。




それだけで「普段よりたくさん食べちゃった!」というのですから、嬉しいことです。

そして、夫母は、食欲は落ちていないけれど、お箸が難しくなっていました。だから、少しでも食べやすいようにと、家にあるスプーン+口当たりを考えて買い足しもしました。




スープを飲むとき、ちょっととろみのあるもののとき、お粥のような熱を唇で感じやすいもののとき、と一応出し分けながらも数本出して、本人が選べるようにしました。

たぶん、こういうことは、私が祖母も一緒に暮らしていた頃、塗りの小さめの匙が好きだったり、プリンのときはこれがいいと、少ない中からも選ばせてもらっていたことや母が「口当たり」とか「用途」「見た目」にこだわる人だったことが大きいと思います。

そしてこういうことが、私の食べることや誰かに食べさせるときに役に立っているように思うと、それぞれのお家でそれぞれにこだわったり、こだわらなかったりする部分が大事なのだなぁとしみじみ感じることです。

何をどう食べたいか。

身体に聞くと同時に、「我が家はこうしたい」という主体性が軸となって、将来の食への興味の広がりを助けるかもなぁと思うことでした。



コメント (2)
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