実は、実は、ちぃも聞いてた⁉︎(講演会終了後撮影)
浅見さんのお話後、今度は南雲さんのお話です。
浅見さんのブログで前もってレジュメも発表してくださっていました。
テーマは、「支援を整理する時代へ〜生き抜くための作戦会議〜」です。
これまでお子さんやご家族に対して、「こんなことやろうね」とか「親御さんは息抜きも必要ですよ」と行われてきた支援。
内容はもちろんそれだけではないでしょうが、それらは本当に必要な支援だったのか、本当に子どもの発達を支えていくために必要なことは何か。
南雲さんがタブーを打ち破って淡々とした表情で、しかし熱く語ってくださったのがとても印象的な講演でした。
内容で最も印象的だったのは、南雲さん自身は、いわゆる今、「発達支援」と言われるようなものを受けてこなかったこと。その代わり自分の頭で考えて、色々な局面でどうやって起き上がるか、懸命だったということでした。
そして、そういうことを自分一人きりの力で乗り越えたのではなく、家族の応援、家族の力もあって乗り越えてきたということ。
これを聞きながら、やはり治っていく過程でご家族の存在が大きかった藤家寛子さんのことを思い出さずにはいられませんでした。
発達障害を治していくことや支援を整理していく過程において「家族の力が大きい」というのは、大切なことであり、もっと言えば真実だと思います。
これを言うと「それができない家もある」とか「それはお家の人に力があるからだ」「結局、家族内への押し付けだ」との反発もあり、まるで無策のような扱いを受けるリスクがあるであろう中、よくぞ言ってくださったとオンラインのこちら側で、私は目が潤み、胸が熱くなりました。
極端な例ですがその昔、日常の中で暮らすことが困難な人を「私宅監置」した時代があったり、障害児が教育を「免除」「猶予」という名の元に学校から排除されていた時代もありました。
今がその時代と変わらなければ、発達障害の傾向があったり、表立ってわかる障害があれば、家族という小さな集団に全てを担わせて、全責任を個人に押し付けていたことでしょう。
でも、今は、そんなことは全くなく、体の機能改善・獲得のために通える療育施設があり、学校も行かない選択肢はなく、「就学相談」というステップはあるが、選ぶことができるのです。
どちらかというと、体の機能獲得〜言葉・認知面の育み〜ちょっとしたレクレーションまで全て外部委託できるくらいに、支援は公のものから民間のものまで充実しています。
そうやって、育てにくさを持つお子さんの育ちについて、外部発注できる今だからこそ、もう一度、「家族」という単位で子どもを育てていく大切さを見つめて欲しいという思いを南雲さんのお話から感じました。
そんな中、南雲さんが言われた「子どもは支援されるよりしたい」というのは、子どもに限らず人間の本質のように思うのです。
その本質を発揮するには、南雲さんが言われたように「アセスメント」や「支援」は不要だと思います。お家の中で、その子にできることを存分にやってもらって、「ありがとう」や「助かった!」の言葉のやり取りで子ども自身が自分のできたことを喜ぶ環境が、遠回りのようでも子どもの自立の土台を育てていくのだなぁと思うことでした。
つづく