日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

プレ講演会 南雲さん編 その1

2020-05-23 16:39:00 | 発達応援
実は、実は、ちぃも聞いてた⁉︎(講演会終了後撮影)


浅見さんのお話後、今度は南雲さんのお話です。

浅見さんのブログで前もってレジュメも発表してくださっていました。


テーマは、「支援を整理する時代へ〜生き抜くための作戦会議〜」です。

これまでお子さんやご家族に対して、「こんなことやろうね」とか「親御さんは息抜きも必要ですよ」と行われてきた支援。

内容はもちろんそれだけではないでしょうが、それらは本当に必要な支援だったのか、本当に子どもの発達を支えていくために必要なことは何か。

南雲さんがタブーを打ち破って淡々とした表情で、しかし熱く語ってくださったのがとても印象的な講演でした。

内容で最も印象的だったのは、南雲さん自身は、いわゆる今、「発達支援」と言われるようなものを受けてこなかったこと。その代わり自分の頭で考えて、色々な局面でどうやって起き上がるか、懸命だったということでした。

そして、そういうことを自分一人きりの力で乗り越えたのではなく、家族の応援、家族の力もあって乗り越えてきたということ。

これを聞きながら、やはり治っていく過程でご家族の存在が大きかった藤家寛子さんのことを思い出さずにはいられませんでした。

発達障害を治していくことや支援を整理していく過程において「家族の力が大きい」というのは、大切なことであり、もっと言えば真実だと思います。

これを言うと「それができない家もある」とか「それはお家の人に力があるからだ」「結局、家族内への押し付けだ」との反発もあり、まるで無策のような扱いを受けるリスクがあるであろう中、よくぞ言ってくださったとオンラインのこちら側で、私は目が潤み、胸が熱くなりました。

極端な例ですがその昔、日常の中で暮らすことが困難な人を「私宅監置」した時代があったり、障害児が教育を「免除」「猶予」という名の元に学校から排除されていた時代もありました。

今がその時代と変わらなければ、発達障害の傾向があったり、表立ってわかる障害があれば、家族という小さな集団に全てを担わせて、全責任を個人に押し付けていたことでしょう。

でも、今は、そんなことは全くなく、体の機能改善・獲得のために通える療育施設があり、学校も行かない選択肢はなく、「就学相談」というステップはあるが、選ぶことができるのです。

どちらかというと、体の機能獲得〜言葉・認知面の育み〜ちょっとしたレクレーションまで全て外部委託できるくらいに、支援は公のものから民間のものまで充実しています。

そうやって、育てにくさを持つお子さんの育ちについて、外部発注できる今だからこそ、もう一度、「家族」という単位で子どもを育てていく大切さを見つめて欲しいという思いを南雲さんのお話から感じました。

そんな中、南雲さんが言われた「子どもは支援されるよりしたい」というのは、子どもに限らず人間の本質のように思うのです。

その本質を発揮するには、南雲さんが言われたように「アセスメント」や「支援」は不要だと思います。お家の中で、その子にできることを存分にやってもらって、「ありがとう」や「助かった!」の言葉のやり取りで子ども自身が自分のできたことを喜ぶ環境が、遠回りのようでも子どもの自立の土台を育てていくのだなぁと思うことでした。

               つづく



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プレ講演会 浅見さん編 その2

2020-05-23 15:58:00 | どこでも治そう発達障害
実は、桜も聞いていた!



さて、浅見さんのお話の続きです。

新型コロナ後、多様なワークスタイルが生み出される、というお話もなるほどなぁと思うと同時に、障害の有無に関わらず、「働きたい」と思う人の働く意欲に応えるためにはどうすればいいのか、という本人の意思重視視点の熱量を浅見さんから感じました。

それを私はこれまでの就労が「本人の利益度外視」して行われている、ということの指摘から感じました。

働いている人が、自分の労働力を提供してそれに対価をもらう、そんな当たり前のことも覚束なくなっている福祉就労の世界。

働く意欲と働き手としてのスキルがある人は、居住に関係なく、どこででも働くことができる時代が来ることを示唆されたお話。

テレワークなど、特に、定型的だ、発達障害だ、何だ、に関わらず、主体性を発揮して勤められるかどうかでしょうし、何か発信するものがあれば、それが強みとなって仕事に結びついていくでしょう。

数年前、鹿児島で講演していただいたとき、「これから先、20年後、いや、10年、今と全く同じような働き方とは思えない。」というようなことをお話された浅見さん。図らずも新型コロナ後に繋がる慧眼だったのだなぁと思うことでした。

そして一番最後に、南雲さんのお話後、浅見さんのお母様から聞かれた戦中のことから、未来に残さず決着つけようととても大切なことを言われました。

それは「精神論を子どもに押し付けない」ということ。

これは、わかりやすい具体的エピソードとして、首都圏ほどに感染者が出ていない地域での公園の遊具固定をその例に挙げていらっしゃいました。

大人が大変なときに、子どもを遊ばせている場合ではない、ということなのか、遊具に喜んで群がる子どもの行動を予め予防するためのものなのか、それはともかく。

子どもがたくさん群がったら、それを順番に遊ぶことを覚える場にすればいいのだし、大人が知恵を出せばいいですよね。

私は、同じく80代の母から「マスクしてない人はけしからん、みたいなのが戦時中の国防婦人会みたいで好かん」というのを電話で聞き、日本人の「私も我慢するからあなたも!」という横並び体質が際立つのが嫌だな、と思っていました。

だから、今を生きる大人は危機を乗り越えるとき精神論や横並びを子どもに残さないように自分の頭で考え、主体的に生きていく努力を惜しまずしていかなくちゃなぁと思うことでした。

浅見さんのお話は、発達障害は治るという、本来、人の持っている力を信じて、それを発揮して開花できる場で花開いて欲しいという赤心の込められたものでした。


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プレ講演会 浅見さん編 その1

2020-05-23 15:00:00 | どこでも治そう発達障害
とても気持ちがいい天候が続いています。
南で気持ちがいい天候って、湿度低く(当地比)天気がいい感じです。

今日は、Zoomでのプレ講演会がありました。



私の後ろで梅ちゃんも目を光らせていたようです。

はじめに浅見さんのお話がありました。

言われた言葉で印象的だったのが「支援者が逃げ出す事態を想定していましたか?」という問いかけです。

これまで、「親御さんの負担が少しでも軽くなるように」とか「お母さんも息抜きが必要ですよ!」との掛け声の元、毎日のようにどこかにお子さんを預けていたご家庭もあったと思います。今回、最も親御さんや母親は息抜きも何もできない状況だったと思うのですが、そんな状況下で「親御さんの負担軽減、息抜きは不要不急のことです!」と積極的にお子さんと関わろうとした支援者はどのくらい存在したのでしょうか。

私がテレビやネットで見たのは支援者の方々の預かることのリスクの発信と預からないことでの事業継続を危ぶむ、普段利用しているお子さん不在の姿でした。

それは、支援者にもお子さんがいて、家族がおり、自分に何かあったら家族はどうなるんだ、という人として当たり前な不安をさらけ出した姿でもありました。

結局のところ、自分の身は自分で守る術が必要だし、そんな知恵を出せる家族であらねば新型コロナに限らず、人生において、もっと大きくいうと世の中で起こる思いもしない変化に翻弄されてしまうことが、今回浮き彫りになりました。

支援者や専門家はこれまで、発達障害は外部の支援が必要だと、これまで散々、啓発してきたと思います。息抜きという何気ない日常の一コマであっても自分や家族の暮らしの舵取りを他人に任せていると、とても不安定な暮らし方を強いられることになります。

支援が全くなかった時代から、支援がビジネスとなっていった昨今を再考する転換期が今なのだなぁと話を聞きながら思うことでした。

新型コロナの騒動の中、発達障害のお子さん、成人の方もそうですが、やっぱり治っていた方が良かったよね、というお話。

確かに、治る、治らない、というか治りたい、治りたくないは、とても個人的な問題で他者がどうこういうことではないかもしれません。

先の見えない新型コロナの影響が大きい今の社会で、私は、自分が関わっているお子さん方は色々なことが治っていた方が生きやすいし、日々暮らしていきやすいと思うので治って欲しいなぁと思います。

例えば、外出ができない、先の見通しが立たない、こういうことにお子さんがイライラせずに淡々と日常生活を送ってくれるだけでも、親御さんも精神的に助かるのではないでしょうか。

また、マスクをすることや手洗いなども嫌がらずにやってくれた方が、感染しないという点からも喜ばしいことです。

本来はそれらに繋がる面を療育で育まれていて、今回のような非常事態で発揮できた!さすが支援!というのが理想です。でも、そうはいかなかった面が多々あると思います。

今後も続くであろう新型コロナアフターの世の中で慌てなくても良いよう、感覚の過敏さや認知面の発達を育んでいくことは、お家でできます。その知見は花風社の本で得ることができるのです。

浅見さんが「新型コロナの中、注文が多い」と言われるのは、読書にあてる時間があることももちろんですが、お家で何かを…と危機感を抱いた方々もいらっしゃるのではないかなぁと思うことでした。

               つづく



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