日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

食べること。

2020-05-10 16:36:00 | 発達応援
Zoomで何やらが続いている近頃。桜がパソコンと私の間に割込む率が高くなっています。「お母ちゃん、そればっかり!桜も見て!」の抗議です。終わって、遊ぼうかと思うと窓辺でお昼寝。猫育ても一筋縄ではいかんもんっす。




今日は午前中、福岡であるはずだった栗本さんの講座が、新コロナの影響でZoomに切り替えられ行われました。

テーマは「栄養療法以前のアプローチ」でした。

今、発達障害に食の面からのアプローチ方があります。そんな中で、成果が出ているお子さんや成人の方もいれば、それをあまり感じることができない人もいると思います。

この個人差があるのはどうしてか、という根本を考えるヒントをたくさん頂いた講座になりました。

また、人が食べる物を選ぶときの選択肢は単に「好き」「嫌い」だけではないことを言語化してくださって、「食べない」ものへのアプローチ方法の間口がバーンと広がりました。

「食べる」ということは、ほぼ、大抵の人にとって生きることに直結します。

お子さんが好き嫌いなく食べてくれるときっと、それだけでも親御さんの負担が減るだろうなぁと思うことでした。

講座を受けながら、ふと、お正月にうちに来ていたW母のことを思い出しました。

私の母は自分で作って食べる人ですが、とにかく色彩重視で、食事には「彩り」がなくてはという人です

ですから、来ている間はなるべく彩りよく、明るい食事を心がけました。




それだけで「普段よりたくさん食べちゃった!」というのですから、嬉しいことです。

そして、夫母は、食欲は落ちていないけれど、お箸が難しくなっていました。だから、少しでも食べやすいようにと、家にあるスプーン+口当たりを考えて買い足しもしました。




スープを飲むとき、ちょっととろみのあるもののとき、お粥のような熱を唇で感じやすいもののとき、と一応出し分けながらも数本出して、本人が選べるようにしました。

たぶん、こういうことは、私が祖母も一緒に暮らしていた頃、塗りの小さめの匙が好きだったり、プリンのときはこれがいいと、少ない中からも選ばせてもらっていたことや母が「口当たり」とか「用途」「見た目」にこだわる人だったことが大きいと思います。

そしてこういうことが、私の食べることや誰かに食べさせるときに役に立っているように思うと、それぞれのお家でそれぞれにこだわったり、こだわらなかったりする部分が大事なのだなぁとしみじみ感じることです。

何をどう食べたいか。

身体に聞くと同時に、「我が家はこうしたい」という主体性が軸となって、将来の食への興味の広がりを助けるかもなぁと思うことでした。



コメント (2)
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