安珠のブログ

運命は自分でつくるもの。その方法をお伝えします。

天皇が被災地にいらっしゃる意味

2011-04-14 | リーディング

大型連休の前後に天皇皇后様が東北三県にお見舞いにいらっしゃるそうです。天皇ご巡幸のスピ的意味をリーディングしてみました。
天皇ご巡幸について「光りの扉を開きに来る・行って導く・およその者の慰めのために」というような言葉の波動。
天皇は「行いの善き者」であり地震に対して「地、ゆれ騒ぐを鎮めるが役」であるようです
ちなみに雅子様は光性の女神が降りている、との感応でした。
二次大戦の霊的意味は「天皇を消す」ことでした。 天皇=日本の魂、神、信仰。 この信仰力は「物の時代」を普及する者達の脅威でした。敗戦は天皇の人間宣言を強要し、日本人は心の行き場を失い経済復興、経済大国へとなりました。 経済は大切です。 物も大事です。 しかし、行き過ぎました。
人の命より金。 それは原子力発電所の作り方からもわかります。行き過ぎると必ず歯止め現象が起こります。個人個人のレベルでも同様です。物と心のバランスがこれからは大事となります。
子供の頃テレビで、天皇や皇族が巡幸されると年寄り達が涙を流して喜ぶ姿を見て「この人達は何者なんだろう。」と思っていた事を思い出します。 今、天皇のお姿に「尊さ」を感じるのは自分が年をとった証拠でしょうか。
年をとる事は「日本人魂」に回帰することも意味しているようです。 元に戻るのです。心から物、物から心へと私達と時代は大きく大きく戻ってきたのです。
岩手に天皇がいらしたら、お姿を拝見させていただきたいなあ。
  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

脳死は死ではありません

2011-04-13 | リーディング
本日、脳死と判断された北海道の少年の臓器が移植されるそうです。 ご両親やご兄弟は゛どなたかの命となって生きてくれれば ゛とコメントされていました。 何も知らなければ私も同じように思って同じ事をしたと思います。 しかし、不可視の世界を知ると、脳死は゛完全なる死゛ではないことがわかります。 
数年前、私はこんな電話をいただきました。 「ラジオを聴いて電話しました。 こんなことをアンジュさんにお願い出来るのかわからないのですが。 私の息子が風呂からなかなか上がってこないので言ってみると、浴槽に浮かんでいました。すぐに救急車を呼び病院に搬送されましたが、脳死状態といわれました。いつまで、この状態でいるのかわかりません。」と。 
それは倒れた少年のお父さんからの電話でした。 私は何が出来るのか、自分でもわからないまま病院へと伺うことにしました。
ベッドに横たわっているのは、まだ7歳の男の子でした。 父親という男性は「病院では脳死は死とみなすと言いますが、私も妻もこんな状態でもいい。 とにかく生きていてほしいのです。でも、どうしていいのか、わからないのです」と涙。
私は少年に向って手から光りをむけながら気持ちを少年に合わせます。 彼の心に呼びかけてみます。すると少年は「 もう少し頑張りたい。お父さんとお母さんのために頑張りたい」と言っているのです。 
お父さんにそのままお伝えすると、「もう少しっていつまでなんだ。 ずっと、ずっと俺達の側にいてくれ」泣きながらの訴え。 たとえ意識がない状態でも、ずっと側にいたいと思う親心。  私には゛少年が旅立つのは春先か長くて6月ころのように視えました。
そうこうしていると少年から強い不安の波動。 みると看護士の人達が少年に近寄ってきました。そして少年に声をかける事などなく唾の吸引を始めていました。少年は不意の作業を受け、ひどく驚いているのです。恐いと訴えてくるのです。
私はお父さんにその旨を話し、治療などが始まる前に息子さんに声をかけてあげるようにお伝えしました。 いくらかでも恐怖を取り除くことが大事と感じました。 そして「脳死は死ではない。」ことを知りました。だって少年の気持は、はっきりと生きていました。 
脳死は死ではない。 この事が認識されるようになりますように。 そして本日献体される少年に、どうか意識が抜けて出て自分の身に起こる事を感じませんように。 祈ります。臓器移植がもっと違う方法で発展しますようにも祈ります。
   


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岩手県大槌町、被災犬の里親探し

2011-04-12 | ペット

110410_164851

10日、動物いのちの会スタッフさんと大槌町に行きました。 個人宅で避難生活を送っている人達に支援物資を届けに行くためと、被災した犬や猫に餌をあげるためです。 途中緊急連絡が入り大槌町の郊外で迷ってウロウロしている被災犬を保護してほしいとの事。

NGO 団体の LIAスタッフと合流して犬の保護のお手伝い。

写真は無事保護され動物病院で診察を受けるところ。 犬は黒のセッターとラブラドールミックス。 推定年齢7歳くらい。 とても人なつこい子でした。 怪我と飢えのせいか不安のため鳴いていました。 大槌町では大型犬の預かりが出来ない、とのこと。 盛岡に連れて帰る事となりました。

車内でも 不安気な声。 そうだよね。 津波、火事、飢え。飼い主の不明。 どんなにか心細いだろう。 いのちの会さんの所で落ち着いて暮らせると良いのだけれど。 里親さんが見つかることを祈ります。

現地では様々な動物愛護団体やボランティアさんが活動しているようですが、なかでもLIAさんの活動主旨には共感しました。

よければサイトやブログをご覧になってみて下さい。

http://ngo-lia.org/

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ダヴィンチコード

2011-04-10 | 映画
今夜のテレビで映画ダヴィンチコードを放映しました。 この時期にこの映画とは。 テレビ局の意図なのか?  はたまた何かの意志なのか?  21世紀は科学、宗教、医学、芸術、経済、哲学が一つになる世紀と以前も触れましたが、今夜はダメ押し的なダヴインチコードでした。
映画というエンターテイメントでこういう題材が扱われるようになって、さらに広く大衆に「世界は一つに向っている」ことが浸透していくのでしょうか。
゛この時期にこの映画 ゛の゛この時期゛とは余震の続く東日本の大地震と始末の見えない原発状況です。 地を揺り動かし「気づけ」と云う、この時期の事です。
人々が科学、宗教、医学などの垣根を取って「それらは一つのものだ」と気づくまで続くのでしょうか。
ダヴィチコードの詳しいストーリーはDVDを参照下さい。
空中爆発した空の様は、さながら天使が降りてくる時の宗教画を模したようでした。 小学校から高校までキリスト教系の学校にいた私には「おいおい、爆発雲に向って祈ってたのかーい」的突っ込みを禁じえませんでした。
 
 


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岩塩ランプ

2011-04-08 | 日記・エッセイ・コラム

110403_170250

アンジュ部屋にある岩塩ランプ。 キャンドルの光りの揺らぎに心が落ち着きます。7日の夜も大きい地震。 一ヶ月近く続く余震に心身疲労気味。 いつまで続くのかなあ、日本は大丈夫なのかなあ、そんな不安が浮かんできます。

そんな時は、この岩塩ランプ。 オレンジ色のあたたかさ、揺らぐ炎のやすらぎ。

日本人は休みを取るのが苦手だから被災した方たちは勿論、現場の役場、医療、救済関係者の疲労が気にかかります。 頑張ろうという気持、自分ばかり休んでいられない、という気持はわかります。 でも人間は精神力だけでは成り立たないように作られています。

食べる、眠る、という肉体へのケア。笑うという心への元気の注入。 これらの要素も取り入れないとバタバタ過労で倒れていってしまうのではないかな、と懸念します。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天の国にいく方法

2011-04-06 | リーディング
1年前にお亡くなりになった男性のリーディングを依頼されました。 大正13年生まれの方だったので私の父にも近い方です。 依頼されたのは奥様。 この度の地震で沿岸から盛岡に避難されてきました。 高台にあった家は流され身一つで逃げしばらくは避難所にいたのだそうです。
80歳過ぎての出来事。視ると背中左側や後頭部の力が削げ落ちている。 この方はこれから耐えていけるのかしら、と案じながら、まずパワーチャージをさせいていただき、その後リーディングをさせていただきました。
「母さんよ。俺のことは案じるな。 お前は生き延びろ。俺のところ(幽界)にはまだ来るな」第一声の伝言。 (どうやら依頼人のご婦人は゛お父さんのところに行きたい゛と思っていたようです。)
 
「辛くても、まだ来るな。 お前はあと10年は生きるって神様が言ってるから、他所の人のために生きろ。 沖にさらわれて忘れられて泣いてる人が沢山いるから、その人達のために祈ってやってくれ」
「唄をうたってやれ。 魂がキラキラ浮くことが出来るとさ。唄には そういう効能があるとさ」 「山の上にある神社さ、お礼にあがれ。 母さんを助けてやれと俺に言ってくれたのだ。だから俺はおめの背中を叩いたのよ、逃げろ、津波来る、逃げろってよ」
そして ゛お父さん゛は右側と左側の景色について話しはじめた。 右側には沢山の灰色の人々がうごめていいる。 左側は純白の雲があって、その上にも人が乗っている。
お父さんはその中間に立っているそうだ。 そして゛どっちに行くか?゛と問われているらしい。 そして「俺は不信人ではなかったけれど、特にすごく信心していたわけではない。 だから真ん中に立っている。 どうしたらいいか。 右側には行きたくない。 でも 左側に行く方法もわからない」とおっしゃる。
私はお伝えをする。 「光りの神様が見えるはずだから、お尋ねしてみて下さい。 左側の道にいくにはどうしたら良いのか、きっと教えて下さいます」と。
お父さんは素直にそのようになさいました。 そして「左側に行くには゛もっと輝きたいと思うことだ。 肉体死を超えて尚、これからの長い道のりに必要なのは真の信仰なり、と掴むこと゛」という導きを貰いました。
お父さんは善良にして素直。 そうすることを自分に決めました。 そして「お前も信じろ。 光り神のいらっしゃることを、 これからは信心する強い者だけが愛でられる」  伴侶であるお母さんに強く語られました。
すると お父さんに見える左側の景色に変化が生じてきたのです。  純白だった雲に虹のような光彩が現れてきたのです。 美しい光り色。 お父さんは左側に行く道を発見し、その雲にのることが出来たようです。
「俺はこっちさ行く。 おめぇはまだ そこさ居て他人のために生きろ。祈ったり歌ったりして生きろ」
お母さんは涙しながら何度もうなずいていらっしゃいました。
最後に「海に津波はつきものだ。 油断なく過ごせ」とメッセージしてお父さんは上に上がられました。
依頼人のお母さんの頬には赤みがさしていました。 「生きる希望なくいましたが、やってみます。 祈ったり唄ったりしていきます」  声にも力がこもっていました
ああ、よかった!! お母さんに生きる希望が灯った。
 ここで私は改めて確認をしました。信心(見えるものも見えないものも大事にする心)が肉体死後の行き先を決めること。 先祖や他人の幸いを祈る心や様々なことへの感謝念が大難を小難にしていくこと。小難が無難になること。 これこそが天の国にいく方法であること。
 
今度「左側の光彩雲」の絵を描いてみようと 思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天を恨まずー宮城県、中学生の答辞より

2011-04-05 | 日記・エッセイ・コラム

震災地宮城県の中学生の答辞。 

「階上中学といえば防災教育といわれ内外から高く評価され、充分な訓練もしていた私達でした。

しかし、自然の猛威の前には人間の力はあまりに無力で、私達から大切なものを容赦なく奪っていきました。

天が与えた試練というには惨すぎるものでした。 辛くて、悔しくてたまりません。

しかし、苦境にあっても 天を恨まず運命に耐え 助け合って生きていくことが、これからの私達の使命です。」

歯をくいしばりながら少年は応えた。

「苦境にあっても天を恨まず、 運命に耐え助け合って生きていくことが、これからの私達の使命です」

家や家族、友人を失っても、尚 「天を恨まず」といえる崇高な心。

 

此度の地震と津波、そして原子炉。 大人たちが買占めや盗み、苛立ちの中にあるとき、強い強い魂を見せたのは16歳の少年達だった。

被災者でありながらボランティアをしているのも中学生、高校生が中心だ。 日本を救う強くしなやかな精神力。

この子供達を中心に日本は大きく変わっていくのだと感じる。 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地震の意味ー東北が変わる時日本が変わる

2011-04-03 | ブログ

東北民族学では以前から「東北が変わる時、日本が変わる」と云われてきた。 過去の歴史(征服された原日本人、アイヌ民族、蝦夷、阿部一族、藤原四代)からの見地だが、この度の地震も「東北が変わる時、日本が変わる」その時がまた来たのだと思う。 

地震と津波と原子力で日本の半分が打撃を受けている今、従来の組織や仕組みを変えていかないと真の復興は成せない。 東北が新しいシステムの見本となる、その事に向っていくために政治、経済が根底から変わっていく必要があるように思う。

21世紀は政治、経済、医学、芸術、哲学、宗教が一つに成る世紀だと云う。

゛世界は一つ ゛と言い続けられてきたことが実現化していく。

「東北が変わると日本が変わる」「日本が変わると世界が変わる」この流れに向うことが2012年の改革へと繋がる、と思う。

世界レベルでの変換。 地震の意味は「気が付け」だと以前に書いた。世界レベルでの変換そして進歩が東北から始まる、ことに気づくこと。

幾度の侵略と搾取に耐え、寒さと貧困に耐え、差別を受けてもなお強い精神力を持ち続ける東北人の魂。 この魂でなければ此度の大困難を乗り越える力が無いのだろう。  沿岸の人々の強い、立派な魂。

しかし災害地では盗難などが起こり始めているらしい。 どうか気高い気持の人が多くありますように。 傍らから祈る。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東北魂。 乗り越える力

2011-04-01 | 日記・エッセイ・コラム
大勢の貴い御霊と復興に向う人々を思いながら書きます。
「東北魂」と書かれたTシャツやポスターに目が止まる。 東北の魂。 東北人の心意気。
忍耐強く粘り強い私達の気質。 その昔、アイヌ、そして蝦夷の頃から東北は中央政権からの支配を受け金山銀山を中心に農作物、馬など多大な搾取を受けている。 歴史を掘り起こさないと、この事実を知らずに生きている東北の人は多い。
何故我慢しなければならないのか、何故絶えねばならないのか、1500年以上も昔から行われている東北制圧からの脈々たる歴史を知らなくても、意味を忘れていても私達の遺伝子は「我慢すること」が染み付いている。
今も大手の中央資本に搾取されていることに気づく人は少ない。そして我慢の生活を送っている。 それが普通になってしまっている。
 今までの東北は「忘れられた存在」だった。寒くて貧しくて演歌が流れている地方だった。 岩手と青森の位置がわからない人が多かった。仙台以外は経済価値がないと判断されていた。 皮肉にもこの度の地震で全国の人達は初めて東北の位置と経済の下支えをしていた東北の働きを確認したのではないだろうか
東北人は遺伝子にしっかりと刻まれた粘り力を発揮するだろう。 国民は゛東北も大切だった ゛ことに気づくだろう。 電気も西と東が同じになって、やっと日本は一つになるのかもしれない。
日本が一つになり、経済も活発、東北を忘れない人々が増えることが、多くの失われた御霊への供養に繋がるのではないかと思う。
召された魂にも残された魂にも等しく春の梅が咲くように。ささやかだが、このページの壁紙を梅の模様にしようと思った。 今夜は地震から三週間目の夜だ。
 



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地震の意味ー災害は私達の意識が作用している

2011-04-01 | リーディング
むかつくとか、悔しいとか、あんな人いなくなればいいのに、と思う事は多分誰にでもあるかな、と思う。 ギャグで「死ねばいいのに」とか言ってる芸人の人もいる。
この暗い「他者を否定する気持ち」は放置しておくと段々と風船のように膨らんでいく。
膨らんで、同じ風船を見つけるとくっついて増殖していく。  黒い醜い風船が大きくなって数が増える。 時間が経過してもこの気持ちが解消されないと腐って毒ガスを派生させる。 そして風船は爆発して悪感情が流れ出す。 「死ねばいいのに」と言いながらあふれ出す。
以前テレビでアメリカのイージス艦を見たとき、悪魔のような悪感情の塊が軍艦全体から視えた。 笑いながら殺人する喜びで、その悪魔の口は耳まで裂けていた。 直視できないほどの怖い怖い笑いの表情だった。
それと同じ悪感情を私は被災から10日目の釜石の地で感じ取った。
猫をあげた里親さんに何か物資を、と思って出かけたのだが、めちゃめちゃに壊れた市街地に入った時、この悪感情に出会った。 笑いながら人を斬る、そんな表情のモノが津波と共に市街地に入ってきたのだな、と感じた。
 
私達がつい抱いてしまう゛ むかつく ゛などの悪感情。 この思いをそのままにしていると黒い悪感情の風船が集まりくっつき爆発する。そして流れ出す。
災害を大きくしてしまうのは私達から出る悪感情なのか?! 
悪には悪が連動する。だとすれば善には善が連動することにもなる。 ピンクの綺麗な風船になって膨らんで同じ「愛の塊」とくっつきあう。 それに触れた人は美しい笑顔になる。 心は幸せを感じるだろう。 愛や善はあふれると他者をまで幸せな気持ちにする事が出来る。
 
助け合ったり思いやりを示したり愛情を持つことで大難を小難に、小難を無難にすることにもなる。 自分の思いが世界を変える、とはこの事だったのか、と気づく。
嫌なことは日々多いけど、むかつく、とか思ったりもするけど溜めないようにしよう。 大きくさせないように気持ちを切り替えよう。 これが私達に出来る最大のことだと思う。
  
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする