本日、脳死と判断された北海道の少年の臓器が移植されるそうです。 ご両親やご兄弟は゛どなたかの命となって生きてくれれば ゛とコメントされていました。 何も知らなければ私も同じように思って同じ事をしたと思います。 しかし、不可視の世界を知ると、脳死は゛完全なる死゛ではないことがわかります。
数年前、私はこんな電話をいただきました。 「ラジオを聴いて電話しました。 こんなことをアンジュさんにお願い出来るのかわからないのですが。 私の息子が風呂からなかなか上がってこないので言ってみると、浴槽に浮かんでいました。すぐに救急車を呼び病院に搬送されましたが、脳死状態といわれました。いつまで、この状態でいるのかわかりません。」と。
それは倒れた少年のお父さんからの電話でした。 私は何が出来るのか、自分でもわからないまま病院へと伺うことにしました。
ベッドに横たわっているのは、まだ7歳の男の子でした。 父親という男性は「病院では脳死は死とみなすと言いますが、私も妻もこんな状態でもいい。 とにかく生きていてほしいのです。でも、どうしていいのか、わからないのです」と涙。
私は少年に向って手から光りをむけながら気持ちを少年に合わせます。 彼の心に呼びかけてみます。すると少年は「 もう少し頑張りたい。お父さんとお母さんのために頑張りたい」と言っているのです。
お父さんにそのままお伝えすると、「もう少しっていつまでなんだ。 ずっと、ずっと俺達の側にいてくれ」泣きながらの訴え。 たとえ意識がない状態でも、ずっと側にいたいと思う親心。 私には゛少年が旅立つのは春先か長くて6月ころのように視えました。
そうこうしていると少年から強い不安の波動。 みると看護士の人達が少年に近寄ってきました。そして少年に声をかける事などなく唾の吸引を始めていました。少年は不意の作業を受け、ひどく驚いているのです。恐いと訴えてくるのです。
私はお父さんにその旨を話し、治療などが始まる前に息子さんに声をかけてあげるようにお伝えしました。 いくらかでも恐怖を取り除くことが大事と感じました。 そして「脳死は死ではない。」ことを知りました。だって少年の気持は、はっきりと生きていました。
脳死は死ではない。 この事が認識されるようになりますように。 そして本日献体される少年に、どうか意識が抜けて出て自分の身に起こる事を感じませんように。 祈ります。臓器移植がもっと違う方法で発展しますようにも祈ります。