心と体を通して見えてきたもの

個人的な生まれ変わりの体験談。心とは?カルマとは?人間の本質や使命とは?
といったことを考えてます。

第3章 光とともに №987

2013-11-26 19:42:50 | Weblog
拝火教と二元論
古代ペルシャ(現在のイラン)はもともと月や惑星を信仰する星崇拝でしたが、ここに拝火教の教えが入ってきました。
以前からあった星崇拝の信仰にとって代わるというよりも、古い宗教を包み込むかたちの宗教改革でした。
拝火教の教えを伝えた大師匠が去った後も、すぐには星崇拝は無くなりませんでした。
『火は太陽の中において具体的に現われている』といった拝火教の教えもあって、
しだいに火の信仰が強くなり、ペルシャ人たちの貿易などによって、星崇拝はメソポタミアへと移動し、
メソポタミアで支配的な宗教となり、非常に科学的なかたちになった
と『神智学大要 第五巻太陽系』(出帆新社 発行)にありますから、西洋占星術の基となったのかもしれません。
また、この拝火教の教えは僧侶たちによって、長い年月の中でしだいに
神オーマズドゥ(Ormuzd)(アフラ・マヅダともいう、拝火教の善神・光の神、「知恵ある神」という意味)によって創造された宇宙の中に、
悪魔アーリマン(Ahriman)という物質が侵入したことで、世界は混乱し、光と闇、善と悪の戦場と化してしまうという神話になりました。
善と悪の戦いは見える物質世界と、見えない霊の世界の両方で起こっており、私たちが目にする戦争は、
霊的世界で起こっている神と悪魔の戦いの反映なのだと考えますが、これでは拝火教は二元論の宗教と解釈されてしまいます。
魂の愛という特質や知性の原理を表現するためには、肉体的な欲望や執着心といった物質的な性質を克服したり
抑制したりする必要がありますから、この神話は霊と物質の二重性を表現したのだと思います。
物質的な性質を制御することで、霊的な性質をより表現できるようになることは大切なことです。
物質は魂を表現するために必要なものですし、物質的な性質をより制御できるようになることで、
智識は修得され意識の進化が進み、愛を行うこともできますから、物質と霊は互いに対立するのではありません。
このような教えの深淵に触れることなく、物質と霊という表現だけを表面的に見た後生の人々が、二元論と判断したのだと思われます。
神と悪魔、善と悪という対立構造を前提にしてしまうと、敵がいるからこそ
自分の立場が確立することになり、最初から戦闘的な態度になってしまいます。
対立し合うものが最初からあるという前提で、物質形態の世界ができていることになります。
しかし実際は、ものを動かすことができるエネルギーが、凝集する働きをすることで形態になり、この物質世界ができています。
この物質形態と同一化して、形態になりきっているエネルギーが魂です。
物質的な性質を魂の火によって制御して、魂の特質である愛を行うことが人間の義務だと拝火教は教えます。
№988につづく

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