心と体を通して見えてきたもの

個人的な生まれ変わりの体験談。心とは?カルマとは?人間の本質や使命とは?
といったことを考えてます。

第3章 光とともに №735

2012-05-30 20:12:08 | Weblog
アストラル原子とその場が持つ知性
宇宙が始まったときの様子を加速器の中で作り出すと、
「クオーク・グルーオン・プラズマ」(№555)という、さらさらとした液状であったといいますから、
すべての粒子が一つになることで物質を作る粒子と4つの力も一つになっていて、
ボームのいうように分割不可能な全体性を持ち、すべての粒子があらゆる粒子となる能力を持っていたと考えられます。
神智学では1個の電子は49個のアストラル原子が集まったものといいますから、ボームの考えをあてはめれば
49個のアストラル原子は分割不可能な全体性を持ち、集団で自己表現する粒子といえます。
人が観測しようと意識を向けた途端に波が粒になるために、量子は存在する場の環境についての情報を持つと、
ボームは言います。
量子が持つのは、場の環境の情報だけでなく、量子が粒子になるために必要な法則や、
観察すると電子になるのですから人の意識にも反応するだけの情報も中に含まれていると思われます。
このような情報を獲得するだけの知性を量子は持つ必要がありますから、
量子は意識を持つ小さなアストラル原子の集団として運動していると考えることもできます。
またアストラル原子のあるアストラル界層も、アストラル原子を集めることで、電子を生み出すだけの意識と知性の場であるといえます。電子を構成しているアストラル原子の大きさは、プランクスケールであり、
アストラル界層にありますが、アストラル質料による形態と意識の両方を生み出すことができるようです。
アストラル原子は物質界から見ると形態を持たない波として流動運動することで、分割不可能な全体性を維持することができて、非局所性も維持しているため意識に反応できるとも考えられます。
磁石がN極とS極を持つことで引き付けたり反発したりするように、
あるいは電気がプラスとマイナスの電荷を持つことで、打ち消しあって消えてしまうように、
素粒子を創るためのあらゆる形態と情報と意識が、量子とその周囲の場に存在していると思われます。
電子や陽子といった電気を帯びた粒子は、絶えず光子を発生したり吸収したりしていますから、
電気を帯びた粒子は光(光子)に包まれています。
二つの電子が衝突すると、一方の電子から光子が発生し、それがもう一つの電子に吸収されるというようにお互いが反応します。このような光子の発生と吸収、つまり光子の交換というお互いの反応が多数繰り返されて、
電子同士のあいだに電磁力と電磁力の働く場が発生します。
量子に意識を向けることで、粒子が生まれるということは、
人の意識と量子の意識が、電子が光子の交換をおこなっているのと同じように反応することで、粒子になると思われます。
お互いが反応するのであれば、物質になるための粒子と意識は、表裏一体の性質を持ったものとして存在していると思われます。人の意識に量子が反応してアストラル原子が集まることで電子ができるということは、
アストラル原子にも電子にも意識があることになり、そのような反応ができる場があることになります。
№736 につづく

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