心と体を通して見えてきたもの

個人的な生まれ変わりの体験談。心とは?カルマとは?人間の本質や使命とは?
といったことを考えてます。

第3章 光とともに ナンバー1852

2020-04-10 21:10:26 | Weblog
ナンバー1852 2020.04.10  仮想粒子がおこす「ゆらぎ」
佐治晴夫氏は「ゆらぎ」について『「観測値」が統計的に見た巨視的な平均値の近くで変動する現象であると定義』するといいます。
空間からあらゆるすべての物質を取り除いて、すべての分子や原子も素粒子も全くない無の状態をつくると、巨視的には何もない空間ですから、何も起こっているようには見えません。
ところが、ミクロのレベルでは、まるで沸騰しているお湯の中で無数の泡が沸き立つように、無数の粒子が生まれては消えています。
すると無の中心値の近くで変動する現象が常に起こっていてゆらいでいることになります。
このゆらぎを『「決定論的な因果関係」からの“ずれ”であるといってもよいでしょう。』と佐治氏はいいます。
原因から得られる結果がはっきりしている状態を、決定論的であるとして、これを平均値とすると、その周辺で推移するずれがゆらぎだといえます。
ゆらいでずれが生まれるということは、Aという原因からBという結果が得られることが明確であるにもかかわらず、多少のずれがあることでB’という結果が出てくる可能性もあることになります。
Bとそれに近いB’の差をつくる原因が微妙なずれであり、ゆらぎということになります。
どちらにしても「決定論的な因果関係」があることに変わりはありません。
すると、量子真空という「無」の「場」全体に決定論的な因果律が働いていることになります。
この「無」から陽電子と電子、クオークと反クオーク、ミュー粒子と反ミュー粒子といったペアの素粒子が次々と生まれては消えています。
すると「無」の空間にはこれらの素粒子が生まれるための莫大なエネルギーがあることになります。
また、プラスの電荷とマイナスの電荷を持つ素粒子がペアで生まれるということは、「無」の空間には電磁場が広がっていることにもなります。
このような空間にプラズマ状に広がっている微細な粒子の集まりに、私たちが意識を向けるだけで、波が収縮して粒子が生まれます。
すると、私たちが粒子を見ようとして意識する力が、「無」の空間が持つ「場」のエネルギーに働きかけることで、波状に広がっていた粒子が収縮して粒子が現われることになります。
私たちの意識は、「無」の空間という「場」と、そこに波状に広がるプラズマ状態の微粒子に働きかける力とエネルギーをあわせ持つことになります。
言い方を変えれば、波状に広がるプラズマ状態の微粒子だけでなく、「無」の空間という「場」そのものにも人の意識を感知することができる意識があると考えられます。
ナンバー1853 2020.04.14 につづくかしら

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